第五十六話 弓と光線
由紀と雪女は、燃え盛る炎の中にいた。崩れた小屋に火が燃え移っている。普通だったら焼死を避けるために一刻も早く逃げ出さなければいけないレベルだった。だが、二人はそのど真ん中で対峙している。
由紀は六出の杖で何回も光線を放つが、全て避けられる。由紀が杖を使い慣れていないというだけでなく、いや、上手くはなっているのだが、それでも一対一だと雪女の回避の方が早い。光線が出るまで、杖が光り音が鳴る。時間的なラグがあった。
雪女の方がこれに気付き、慣れてきている。だから由紀が光る杖を向けて動きを止めると一歩引いて横か上空に素早く飛び、光線が外れたら襲い掛かる。由紀は急いで氷を形成して防御する。
僕の背負っているリュックには、銃が入っている。しかし、そもそも当たるかどうか怪しい上に、銃が効かないことはカミヤのマシンガンで実験済みだ。
雪女は人間の武器では多少のダメージを与えることはできるものの殺せない。しかも、そのダメージには個人差があるらしい。これもカミヤが先ほど実際に見せてくれた。弱い雪女なら効くかもしれないが、今、由紀と戦っている雪女に対しては役に立たないだろう。
由紀の相手はどう見ても、他の雪女よりも格段に強い。動きが違う。僕は雪女ではないから氷を出して助太刀するなんてこともできない。
かと言って、このまま目立たない場所に隠れて何もしないわけにはいかない。僕は由紀のために動くと決めた。そのために役に立とうと、培ってきたものもある。それを使うとすれば今しかない。
由紀は膝に手をつき、肩で息をしていた。明らかに体力を消耗している。雪女はそれを見てニヤリと笑う。馬鹿にするような笑みだった。このままだと持久戦で、遅かれ早かれ負ける。勝てるとすれば。
僕は、ただ戦っているのを眺めていただけではなかった。アーチェリーの弓を組み立てていた。部品をバラバラにしてリュックに入れていた。緊張で心臓が跳ねるように鳴る。できれば使わずにいられるのが一番だった。腰に矢筒を掛ける。
人差し指で弦を弾き、張り具合を確認する。矢筒から矢を一本取り出し、矢の尻に付いているランプが緑色に点滅していることを確認する。矢の準備を終えてスイッチを入れてから五分は経っている。異常はない。
弓道と違い、アーチェリーには決まったフォームはない。どんなに射る形が汚くても、真ん中に当てて高得点を取ることが全てだ。しかし基本の、最も効率的な射る形というのは存在する。その理想の動きを頭に思い描き、体を合わせていく。
足元から手を水平に上げながら、弓を引く。ドローイング。キリキリと弦の伸びる音が聞こえる。照準器で狙いを定める。カミヤが僕にこの二か月半で教えてくれたのは、銃ではなくこのアーチェリーだった。
アーチェリーの的を、雪女の胴体に見立てる。頭を無にする。目の焦点を雪女の姿だけに合わせる。点数の高い中央が、雪女の中心だ。
的はそこまで遠くはない。はっきり言って近い。本来、アーチェリーの的は一番近いもので三十メートル、遠いもので八十メートル離れている。弓道とは違っている。
的の一番中央の十点の丸に近いほど得点が高いが、一番外側の一点のさらに外ということは、的までの距離が三十メートルではよほど緊張しているか集中できていない限りあまりない。
落ち着け。当たればいいんだ。そして可能なら、続けてもう一発。
雪女は虚ろな目で由紀を眺めたままだった。そのまま、動いてくれるなよ。
弓を持っていた手の先で「カチッ」という音が鳴る。その音を合図にして、そっと矢から指を離す。リリース。
矢は一直線に、空気を切って飛んでいく。矢が弓から離れた瞬間、「これは当たった」という手ごたえがあった。すぐに二本目を番えようとした。
しかし弓に取り付けていた照準器のカチッという微かな音が、雪女の目をギョロリと僕の方へ向かせた。笑っていた目が全開に見開き、目が合った。
雪女は平手を振り上げる。「ボゴッ」という音を立てて、砂を吹き上げながら氷の壁が地面から現れる。寸での所で、矢が雪女に刺さるよりも氷の壁が出てくるほうが早かった。矢は氷の壁に弾かれた。
雪女は開かれた目で怒りを露わにして、僕の方に一歩近づいてきた。
由紀が背後からつららを投げ飛ばす。雪女は背中から伸びている六本の氷の細い尾の一つをくねらせてで器用に弾く。
僕は二本目の矢を番えたままだった。いつでもリリースできるが、雪女は動いていて狙いがなかなか定まらないし、闇雲に射ったとしても一本目と同じように防がれるだろう。
由紀は杖を使うのをやめて、背中の蛸の足を再び太く長くした。杖を使っている間、クラーゲンの足は枯れたように萎んでいて、それでなんとか雪女の攻撃を防いでいたのだった。動きも頼りなく遅かった。太さは当初よりかは大分、細く短くなっていた。
由紀が、僕の方をチラリと見た。僕は意味が分からなかった。
雪女は氷の細い尾の一本で、横から由紀を叩きつけた。由紀はその攻撃を受けようと新しく伸ばした蛸の足を構えていた。しかし、それは由紀を守らず、氷の尾は由紀を横っ腹を直撃した。
由紀を守らなかった氷の蛸の足は、雪女の足元に伸びており足を払った。雪女は地面に倒れた。
本当ならバッドで殴られたくらいに痛いだろうが、由紀は氷の尾が自分の腹部に衝突する直前に手の平から平らな氷の板を形成して防いでいたが、その氷はバラバラに割れていた。
由紀は左の脇腹を抑えたまま、背中の氷の蛸の足を伸ばす。二本の足は先が分かれて五本の触手となり、地面に倒れていた雪女の胴体と手足に巻きつく。雪女は空中に吊られて身動きできない状態になる。
由紀は一歩飛び退き、再び僕の方を見て合図めいた目配せを送ってくる。
雪女は奇声を上げる。細い六本の氷の尾を、自分を縛っている氷に突き刺す。針が指を貫通するように細い氷が突き抜ける。そして乱暴に氷の尾を鞭のように振るう。
拘束していた氷の触手を全て砕き、雪女の体は自由になった。実質、雪女の動きを止めれたのは八秒もなかった。
しかし、それだけで十分だった。僕は照準器の中央に雪女の姿を置いていた。
リリース。
矢は真っすぐ雪女の方に飛んでいく。
雪女は手足を縛っていた氷を砕いたばかりだった。手足が自由になり、再び立ちあがり、由紀に反撃を食らわせようとした時に横を見ると、三メートル前から矢が自分の方に飛んで来ているのが見えた形だった。
雪女は反射的に矢を弾こうと、由紀に向けていた氷を鞭のようにしならせたが、間に合わなかった。右胸に矢が突き刺さった。本来の的よりも体は柔らかいのか、音は静かで聞こえなかった。
雪女は叫び声を上げた。




