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第五十一話 ゾンビとラブクラフト


 新潟に入るまで、結局四日もかかった。新幹線や飛行機で行くのと比べると気の遠くなるような時間だ。


 車で本州を約半分横断したと考えればそんなもんだろうかと納得しかけたが、調べてみると、高速道路を使って運転し続ければ十一時間くらいで行けるらしかったが、前に瀬戸内海を超えて一つ下の県に行ったときは二時間くらいかかった。こんなもんなのかと思ったりする。分からない。かなり時間を無駄にしてしまった気がして絶望した。


 途中でカミヤが寄り道ばかりしていたせいだ。途中の観光地に頻繁に寄りたがって、回り道をさせられた挙句、昼前からずっと遊んでいるという日もあった。そういう意味では長閑な旅路と言えた。


 しかし、結果的にそういう旅行的な行き方の方が良かったのかもしれない。昔、僕の住んでいる中国地方の県から東京まで車で行って、すごい疲れたっていうのを今は亡き父親から聞いたことがある。大学時代の免許を取り立ての頃に友人と行ったそうだ。最後の方は見かけるパーキングエリアに全部入っていたと言っていた。


 ちなみに大学は休んでいた。もう冬休みに入っているし、重要な講義やテストもないし、二日か三日くらいなら大丈夫だろうと思った。実際、カミヤに付き合うようになってからちょくちょく休む日も増えていた。


 出席日数が後々に足りなくなるということもないのも計算済みだ。実は、弘とカミヤに要領よく楽に単位を取る方法を伝授してもらった。「僕もついにそっち側になってしまったか……」と思い、少しだけ自分に絶望する。

 ゾンビと一緒に暮らしていれば、自分もゾンビになってしまうのは自明の理だ。彼らは仲間を増やして増殖しようとする。類は友を呼ぶし、周りの人間が自分自身というものを形作っていく。そういうことだ。





「そろそろ降りない?」


「駄目。まだ、もうちょっと進んで」


 僕が懇願するように聞いたのに、カミヤは無常に答える。


 今、車は山道を走っている。いつものように助手席にカミヤが、後部座席の右側、僕の後ろに由紀が座っている。

 新潟には今日の早朝に入って、そこからまたしばらく走った。新潟は斜めに細長い。カミヤは「昼過ぎから向かおう」と言った。ガソリンを補給した後、近くの市内をフラついた後、目的地のとある山に入った。


 現在の時刻は午後六時過ぎ。辺りには全く明かりがない。車のヘッドライトのみが頼りだ。

 夜の山道を車で進むのは、かなり危険だ。細道で、ガードレールのすぐ下が崖だったりする。だからカミヤに車を降りることを提案したのだった。しかしカミヤは「まだ進んでくれ」と言う。嫌で仕方ない。速度をかなり落として慎重に進む。


「幽霊でも出そうだ。一つ運転を間違ったら俺が幽霊になるんだけど」

 僕は何気なく呟く。カミヤはケラケラと笑う。


「まぁ、俺も幽霊の親戚というか、妖怪なんだけどね。雪女だからさ」


「………」


 僕は前方に意識を向けて運転に集中する。カミヤは「不気味だね~」と一人で言って笑っている。


 由紀は先ほどから緊張した面持ちだった。一言も話さず、じっとフロントガラスの向こうの暗闇を見つめている。この旅は由紀のためのものだ。本人からすれば、ついにこの時が来たと思って顔も強張るだろう。これは由紀にとって人間になるための第一段階なのだ。これがうまくいけば、あと一段階だけだ。その希望を持てるかどうかが決まる。


「ここら辺が限界だね。運転手、止めてくれ」


 数分してカミヤが言った。僕は車を道脇に寄せて停めた。どうせこのまま走っていても先に道がなくなるだろう。

 ドアを開けて外に出る。先ほどまで暖房がついていた車内から、空気が一気に冷たくなる。車の後ろのドアを開けて、一人一つずつリュックを背負う。


 カミヤはおもむろに茂みを搔き分けて、突き進むように歩き出した。その後を僕と由紀はついて行った。


 先頭をカミヤが歩き、その後を僕と由紀が続く。カミヤは懐中電灯で地図を照らし、時々スマホのコンパスアプリを開いて方角を確認していた。一応、磁針の付いている本物のコンパスも持っているらしい。スマホでルート検索して案内してくれるのに慣れ切った身からすれば、恐ろしく古典的な方法だ。しかし山の奥に入って行くと、携帯会社の電波は圏外になるらしいので仕方がない。


 草が膝の上まで生い茂っており、周囲は木々に囲まれている。一歩足を進める度に、草がズボンとこすれてガサガサ鳴る。

 昨日の夕方、カミヤから山に登るかもと聞かされた。その時に僕と由紀は登山用のズボンとスニーカーを買った。それを着ている。 


 元々、日本の国土の約七割は森林で占められていると、どこかの本で読んだことがある。実は日本の森林比率はフィンランドに次いで世界二位らしい。その中でも北海道、岩手、新潟の順で高く、基本的に、都市から遠く、北に行くほど高くなる。つまり、必然的に北海道と東北が多くなる。

 このような雑学を思い出して、新潟にもこのような山があってもおかしくないなという気持ちに実感させられた。実際、山脈と言って差し支えないほど山々が連なっている。


 辺りは真っ暗だ。僕も懐中電灯を持って前を照らしてはいるが、もしはぐれたりしたらどうしたものかと思う。朝になるまでは確実に出られないだろうし、方向を間違えたら何日も出て来れないかもしれない。迷子になったらマジで終わる。

 こんなことを考えながら真夜中に登山をしていた。道は明らかに登山道ではないし、暗いから危険だが。だんだん不安になってくる。


「そうそう、迷ったりはぐれたらこれを使うんだよ」


 三時間くらい歩いた頃に不意にカミヤが振り向いて、僕と由紀に寄越してきた。箱形の機械で、スピーカーらしき穴がついているのがおぼろげに見える。


「何だ、これ?」


「トランシーバー。それだったら、携帯外車の電波とかワイファイ通ってない所でも使えるし」


 なるほど、さすが過去に世界中を放浪していたというだけある。僕は感心した。迷子の不安も消えて安心もした。もっとも、三時間半も歩く前に言ってくれよとは思う。


「やるな」と僕はカミヤを褒めた。


「雪暮れの杯を取ってきたのは北海道の上の方の山奥だよ?それに比べたらこれくらい。改造して機械自体が出す電磁波も強くしてるからね、百二十メートルくらいは使えるんじゃないかな?」


「すごいな。ありがとう」


 僕はお礼を言って、トランシーバーをコートのポケットに入れた。由紀も怪しげにトランシーバーを見回した後、リュックの中にしまった。


 もう周りは木々と茂みだけで、僕にはどっちから来たか分からない。カミヤの地図だけが頼りだ。ところが、カミヤは地図を眺めたまま足を止めてしまった。僕はカミヤの横に立ち、地図を覗き込む。


「等高線ばっかりだな。目印になる建物とかがあったら分かりやすいんだけどな」


「本当にそれだよ。今は多分、この辺なんだけど」


 カミヤは地図の一点を指差す。


「まだまだ歩くよ。着くのはあと数時間かかるかもね。由紀ちゃん、疲れてない?あと少ししたら休憩しようか?」


「大丈夫、疲れてない」


 由紀は少し疲れた顔をしているが、強がりを言う。ずっと気を張りっぱなしだからかもしれない。カミヤはそれを見透かしているのだろう、子供が分かり切った嘘をついた時のように笑っている。


 数分後に休憩をした。少し茂みの薄い場所にリュックを下ろして三人で三角を作って座った。三角の真ん中にランタンを置いている。三人の顔がボンヤリと不気味に照らされる。


「ちょっと何か食べてからいく?」とカミヤが言った。「最後に食べてから結構経つし、ずっと歩いているとお腹減っちゃってさ。コンビニとかでおにぎりとかパン買ってきてるけど」


 カミヤはリュックからレジ袋を取り出す。下が膨れて垂れ下がっていて、重量感がある。カミヤのリュックの三分の二はこれだったんじゃないか、と思う。遠足かよ。

 僕は鮭のおにぎりを、由紀はイチゴジャム入りのパンを貰った。ペットボトルに入ったお茶を飲んで、僕はカミヤに聞いた。


「なんで、夜に行くことにしたんだ?朝でもよかっただろ、周り見えるし」


「朝っぱらから盗みに入ったり、暗殺する馬鹿がいる?」


 カミヤは笑いながら言った。僕は言い方に少しイラついたが黙っていた。由紀はカミヤを睨んでいるが、カミヤは由紀の方を見ない。しばしの沈黙が生まれる。このまま無言を続くのは気まずい気がして、僕は言葉を探して会話をつなげることにした。


「こんなことなら昼の時間がある時に少し寝てれば良かったな。結局、夕方までほとんど運転してたけど」


「大丈夫、俺がその間ちゃんと寝ててあげたから」


「マジで死ね」


 僕は冷ややかに言い、カミヤは嬉しそうに笑っている。


「君、最近、俺に対して当たり強いよね。いいよ……俺、実はこう見えてドM気質あるからね。いい関係になれそうだ。もう一回性転換して女に戻ったら付き合ってくれる?結構、美人だったんだよ?君が女になってもいいけど」


「マジで死ね」


「星がキレイだなー」


 カミヤは上を向いて言った。確かに冬の空気は澄んでいて、星が瞬いて大きく見える。都会のような空気の濁りはない。

 僕は夜空を眺めながら二つ目のおにぎりを齧った。腹が満たされてきて、余計に眠たくなってきた。


「どうしても眠たいんなら、ちょっとくらい寝ててもいいよ」とカミヤが言った。


「ありがたいけど、こんな山の中で寝袋もなしに寝れるかよ。寝袋あっても寝れないと思うけど。草やばいし。風邪も引きそうだし」


「まぁでも、どうせあと二十分か三十分は休むよ。早く着きすぎてもアレだし。寒いんだったら、リュックの中に追加のカイロ入ってるけどいる?ドでかいっていう普通の二倍サイズのやつあるよ」


 コイツは、妙な時に妙に優しい。


 結局、おとなしく座っているとウトウトしてしまって、そのまま眠ってしまった。起きた時、僕は誰かの肩にもたれかかっていた。横を見ると、由紀も座ったまま寝てしまっていて僕の肩にもたれている。お互いがお互いの肩にもたれかかって眠ってしまっている形だ。


 僕が起きたのと同時に、由紀の方も起きたようだった。至近距離にお互いの顔があり、数秒間目が合ったのちに離れる。僕はなんだか照れ恥ずかしくて「ごめん」と謝った。由紀も「こっちこそごめん」と言った。


 二人でもじもじしていると、カミヤがイラついたように「そんなのは全部終わった後にしてくんない?」と言い捨てて立ち上がった。





 そこからまた、数時間歩いた。歩きすぎて足が痛くなってくる。明日は一メートルも動きたくない。ずっと座っていたい。

 カミヤが口元に人差し指を当てた。後ろを振り返り「し~っ」と言った。僕たちは足を止めて身を屈める。耳をすましていると、微かに足音のような音が聞こえた。


 僕たちはさらに身を屈めて、ほふく前進するみたいにゆっくりと草むらを進んだ。目の前はほとんど草しか見えない。しかし聞こえる足音は確実に近くなってくる。

 動きを止める。草むらを少しだけ掻き分けて、前方を覗き見た。

 そこに草木はなく、開けた場所になっていた。僕たちのすぐ先から地面が土だ。小学校の校庭の半分、ちょっとした広場のような空間だった。奥に小屋のような古臭い建物があった。


 白くてワンピースのような服を着た女たちが、そこを徘徊していた。白装束というのだろうか。パッと見た所で二十人くらいはいるように思う。全員、目が虚ろで表情がない。誰も一言も口を開かずに黙って、あてもなくゆっくりとうろついている。肌は病人のように白く、髪は腰のあたりまで伸びていてボサボサだ。全く生気がない。ゾンビみたいだ。あまりの不気味さに僕の背筋に冷や汗が垂れる。


 所々に、松明や蝋燭が立てられていた。それらが小さく光を放っているが、今日は月と星が明るい。都会では意識することはないが、月の光というのは実は馬鹿にならないとどこかの漫画で読んだことがある。視界が明瞭なわけではないが、どこに誰がいるのかくらいは分かる。


「あいつらも雪女だよ。氷魂具を守ってるんだ。見つかんないようにしてよ?」


 カミヤが小声で言った。

 昔に読んだクトゥルフ神話が、頭に思い浮かんだ。二十世紀にアメリカのラヴクラフトが作った架空の神話で、その中で「インスマウスの影」という短編がある。主人公がインスマウスという港町に来るが、どこか不気味だ。

 それは魚人族の町で、夜に主人公は魚人に追われて逃亡する。その中で建物に隠れてやり過ごしながら、魚人族の姿を見てしまうというシーンがあった。思い浮かんだそのシーンと僕の今の状況は酷似していて、余計に僕の恐怖心を煽った。


 雪女がこっちに気づく様子はない。彼らは斜め下を向いて、足を引きずるようにひたすら練り歩いて、行ったり来たりしている。


「あいつらがどくまで待つのか?」と僕は聞いた。


「いや、あいつらは眠らずに、何十年も同じようにここを回ってるよ。何でそんなことをさせられているかっていう理由については、まぁ、懲役か、罰ゲーム紛いの生贄みたいなもんさ。運が悪いよね。多分、もう壊れちゃってるよね。体ではなく頭が。可哀そうに」


 カミヤの言葉の響きに、可哀そうという感情は含まれてなかった。一方、由紀の方は悲痛な顔を浮かべて前を見やった。


「こんな人たちに遭遇するなんて。引き返すのが一番いいんだろうけど、もしかして……」


 由紀は語尾を濁したが、僕は由紀が何を言いたいのか分かった。横を見ると、カミヤはニチャァと笑って言った。


「その、もしかしてだよ。俺たちの取りに来た氷魂具は、あの倉の中にあるんだ」



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