第五十話 散歩とキュン死
風呂から出て部屋に戻ると、仲居さんが夕食の準備を終えた所だった。
座卓には皿がいくつも並べられていて、それぞれに刺身や天ぷら、小さい鍋が置かれている。見たことない料理もあって一体何なのか気になる。
「おお……」
「凄い料理だな」
由紀と僕は感嘆の声を上げていた。思っていた三倍くらい豪華で身が引けてくる。僕の心の中の一言がつい漏れてしまう。
「本当に食べていいんだろうか。今更だけど」
「いいんだよ。俺のおごりなんだから。後で取り立てたりなんかしないよ」
カミヤは部屋の隅でトランクを漁っていた。さっき「湯上りに煙草一杯」と言って煙草を吸おうとしたが、ちょうど箱が空で握り潰しているのを見た。だから新しい煙草を探しているんだろう。
僕が適当な席に座ると、その隣に由紀が座り、料理が並べられているテーブルを前にして正面にカミヤが座った。カミヤは僕の隣に座りたいと駄々をこねたが、これは由紀の凍てつくような視線で黙らされていた。
「あー、酒うめーっ」
大きな声が僕が箸を持って「いただきます」と手を合わせた時に聞こえた。
「もう飲んでるのか」
カミヤは置いてあった日本酒のとっくりと、僕を交互に見つめる。僕は溜息をついて、とっくりを持ってカミヤの持ってるおちょこに注いでやる。カミヤは満足そうな顔をする。前から思ってたけど、こいつ酒好き過ぎるだろ。過剰な酒に煙草と、ダメ人間の典型のようだ。
というかこの場で飲めないの僕だけか。けど、由紀も飲んでない。余裕で飲めるだろうけど、これは気を使って言わない。あと、由紀は酒が嫌いだと言っていた。
料理はどれも美味しかった。美味しすぎて僕は口に入れた瞬間にはしゃいで由紀と顔を見合わせてしまうという時が何回かあって、その度に由紀に「かわいい」と言われた。「浴衣を着た由紀の方がかわいい」とその度に思って、一回は口から出ていた。カミヤの酔いが僕にまで伝染しているのかもしれない。
「飲めよう」
カミヤはいつの間にか僕の隣に来てウザい絡み方をしてくる。頬が赤くなって、目の焦点が定まっていない。
「いや、遠慮しておくよ」
「俺の酒がのめねーってのか?」
「臭くて飲めたもんじゃないから、早く杯を下ろしてくれ」
肩を組むのはやめてくれ。それに息が酒臭い。座卓の上の空いたとっくりを数えてみると、カミヤはとんでもない量を飲んでいた。
「ここ、カラオケあるらしいよ?後で行こう」
「もうお前、ベロベロじゃないか。歩けないだろ?もうやめとけよ」
「まだまだ行くよ~」
カミヤはフラついて舌足らずになっている。僕は大丈夫かコイツ、と思う。由紀はカミヤを見て嫌そうな顔をしている。酒が嫌いだったら酔っ払いも嫌いなのだろう。
結局、カミヤは料理のコースが終わる少し前に気持ちよさそうな顔をして寝てしまって、どんなに揺さぶって声をかけても起きなくなった。呼びかけると「釈迦は我の中から生まれし、人参なり」と訳の分からないことを言っている。コイツ、人生楽しそうだなと思って少し羨ましくなった。でも、これにはなりたいとは思わない。
僕はカミヤの体を横にして、グルグルと布団まで転がして行った。重労働だった。カミヤは気持ち悪そうな呻き声を出していたが起きない。明日の夕方くらいまで起きないでほしい。
一息ついて部屋に置いてある時計を見た。
「もう遅い……と思ったけど、まだ八時過ぎか」
疲れたし僕たちも早めに寝ようかと言いかけたら、由紀が袖をちょいちょいと引っ張って「ちょっと外に散歩しに行かない?」と言った。
「えっ?」
由紀から誘ってくれるのは珍しかった。しかも言い方が可愛かった。疲れがぶっ飛んだ。
「嫌?」と由紀は不安げに聞いて来る。
「そんなわけない。行こう」
答えながら、僕はもう既にコートを羽織っていた。
旅館を出て辺りを散歩していた。歩いていると空気が顔に当たって寒い。僕はコートの中にカイロを二つ入れていた。由紀も寒いのではないだろうかと思ったが、そんな様子は全くなかった。手をさすったりもしておらず、平気な顔をして歩いている。雪女に寒さの心配など杞憂だろう。
ここは温泉街らしくレトロな街並みだった。木造の店や宿が並んでいて、提灯や看板が暖かいオレンジ色の光を灯している。秋だったら、この道の脇に咲いている木が紅葉するらしい。向こうにそれを眺めるためのベンチもある。人も歩いていて、いくつかの店は開いている。
僕と由紀はカランカランと下駄の音を立てながら、そんな通りを歩いて行った。
先に言葉を発したのは由紀の方だった。「寒くない?」と聞いてきたから、僕は「全然寒くないよ。風呂で温まったし、ご飯も食べたし」と嘘をついた。
「僕は今日、途中で何回も『なんで呑気にドライブしてんだろう?温泉入ってるんだろう?』って我に帰ったよ。もっと殺伐とした旅路になると思ってた」
「私もだよ。明日からもこんな調子なのかどうかは分からないけどね」
「カミヤは由紀にも、詳細な予定なんかを言ってなかったの?」
「うん、全く。何回も聞いたけど、全部はぐらかされてスパイダーマンの話題に持っていかれた」
当の本人にも何も言ってなかったのか。アイツは由紀にはちゃんと説明しておくって言ってたのだが。忘れたということではなく、明らかに意図的だろう。
前方から、チョロチョロと水の流れる音がした。橋が架かっていて、その下に川が流れている。街灯の光を、流れる暗い水が反射させていて不規則に揺らいでいる。
「そう言えば、雪女って温泉とか入れたの?今更だけど」
「どういう意味?」
「いや、体が溶けたりしないのかなって」
由紀は少し動きを止めて考えるような仕草をした。そしてクスクスと笑い始めた。
「そんなにやわじゃないよ。アイスクリームじゃないんだから。真夏にも体の表面溶けてなかったでしょ?」
「ちょっと溶けてた気がする」
「嘘言わないでよ」と由紀はツッコミを入れた。「普通の人間と変わらないよ」
「それもそっか」
僕はこんな質問をしたことが少し恥ずかしくなった。由紀はクスクス笑っている。
「あぁ、でも普通の雪女は私ほど強くないかもしれないね。ずっと山奥で暮らしてるし、熱に触れる機会もほとんどないし。山からほとんど出たことのないのも大勢いるし。そんな人は」
「由紀は強いほうで、他のというか、普通の雪女はそうでもないって事?」
「そんなかんじ。雪女って種族自体、潜在的に熱には弱いね。でも慣れていくとだんだん強くなってくるよ。だから外を出歩いて、人間と同じ生活をしている私やカミヤはかなり強い方」
利き手でずっと文字書いてるとペンだこができて皮膚が強くなったり、筋肉にダメージ与えると再生するときに前よりも筋肉が大きく強くなったりとか、あんな感じか。他の雪女はガリガリで、由紀とカミヤはボディービルダーなのか。
「カミヤもそれか。あれ、最澄は?」
「あの子は例外か、元々はよく外出てたっぽいから。雪の力も強いし」
「なるほど」
「うん。だから、普通の雪女は温泉とか真夏の道を歩くとか、かなり我慢すればできなくはないけど、まぁ、長時間は多分無理かなって感じかな」
「勉強になった」
本当に勉強になった。カミヤから渡された矢の疑問も消えた。これで原理を完全に理解して使える。使わずにいられるなら使わないのが一番いいが。
由紀との会話も、気が付けばいつもの調子に戻っていた。やはりカミヤは邪魔だったと実感する。自然に話せる。久しぶりの二人きりの時間を満喫していた。
途中で温泉饅頭が売っていた。夕食をたらふく食べた後だったが、せっかくなら食べてみたいという意見で一致し、一つ買って半分に分けて食べた。
「せっかく来たんだし、こういう事もしていいよね。ここの温泉街の通り、夜は綺麗だって聞いてたし。ちょっと調べてたんだ」
「車の中でスマホを弄ってたのはそれだったんだ。だから外に出ようって誘ったの?」
「それもそうだけど……ちょっと、二人きりになりたかった、っていうのも、ある」
言ってる途中から恥ずかしくなったのか、由紀は途切れ途切れに言った。それを見て僕はキュン死しそうになる。キュンとした瞬間に心臓が圧縮され過ぎてそのまま破裂する死因だ。
普段はクールなのに、不意にこんな表情をされるとギャップで破壊力がやばい。ツンデレと同じ原理だ。僕は心の中で一人で盛り上がっていたけど、由紀も同じだったのだと知って、それでまた嬉しくなる。
「写真を撮ろう」
言葉が口から勝手に出てきた。緊張と恥ずかしさで焦ってしまって、自分で何を言い出しているのか分からなかった。こういう時はよくある、頭の中の思考回路がショートしたに違いない。理由はないけど、こういう時はとりあえず写真でも撮っとこうと思ったのだった。
僕は浮かれていた。橋の欄干にスマホを立てて一枚写真を撮った。その後に由紀が「私も撮りたい」と言って自分のスマホを取り出した。インカメラにして、僕と一つの画面に入ろうと距離を詰めて来た。僕が突然の接近にドキリとして由紀の後頭部をガン見しているとシャッター音がした。
由紀は画面を確認して「うん。ちゃんと撮れた」と頷いていた。ちゃんとは撮れているだろうが、後になって僕がカメラを見ずに由紀を見ていたことに気づくだろう。「もう一枚だけ撮ろう」と言い出そうとしたが、由紀はもう歩き始めていた。タイミングを逃してしまった僕は諦めて、未来の恥を覚悟した。
僕と由紀は並んで来た道をゆっくり歩いていた。途中で、僕の左手の薬指と小指に由紀の右手が軽く触れた。零点五秒あるかないかくらいの出来事なのに十秒くらいに感じた。
三回目での指がチョンと当たった時、どちらともなく自然とお互いの手を握りあった。さっきまであれだけドキドキしていたのに、握ってしまえば不思議と安心してきた。思えば、手を繋ぐのは初めてだった。やっぱり由紀の手は冷たくて、さらに手が凍えるような気がしたが、それでも嬉しかった。
旅館に戻るギリギリまで、手を繋いだまま歩いた。幸せな時間はあっという間に過ぎる。あと三年くらい、このまま歩いてもいいと思った。




