第四十八話 新潟とジョンレノン
カミヤが行き先を決めて、それが僕と由紀に教えられたのは、三日前のことだった。
午後四時半にラインで集合をかけられて、駅に併設している全国チェーンのコーヒー屋に集まった。僕は由紀と待ち合わせをして一緒に向かった。
帰宅途中のサラリーマンや学生で、あたりは混雑していた。その群れを切り開いて指定されたコーヒー店に到着したのは六時だった。もう完全に日は暮れて暗くなり、広場のイルミネーションが点滅していた。綺麗だなぁと単純にそう思った。
店の中で、既にカミヤはコーヒーを飲みながら待っていた。僕はカフェラテを、由紀は緑色のフラペチーノを持って席に向かった。カミヤの向かい、おしゃれな二人掛けのソファーに由紀と並んで座った。
丸い木製のテーブルには地図帳が広げられていて、カミヤはそれを眺めている。地図帳の端からは所々、ふせんがページからはみ出ていた。横にも何冊か観光雑誌が置かれている。
「新潟に行くよ」とカミヤはテーブルの上に視線を置いたまま言った。
「新潟?」
「うん、そこに必要な氷具がある。それを取りに行く」
連絡を寄越された時から覚悟はしていたが、いざ口から決定が伝えられると怖くなってくる。隣で由紀が緊張を紛らわせるかのように、フラペチーノを二口連続で飲んだ。
カミヤは地図帳の一番最後のページに乗っている日本地図を開いた。新しくストローの封を開けて、先をつーっとページの端から端まで横切らせた。
「本州を、ずっと東に車で行くことになるね。途中で何泊かすることになるよ。長い道のりになりそうだ」
「何で車なんだよ。新幹線の方が早く楽に行けるんじゃないのか?車だと時間がかかって、ガソリン代の方が高くつくだけのような」
ようやくカミヤは視線を上げて僕の方を見た。馬鹿を見るような目だ。僕は顔をしかめ、カミヤは二ヤリと笑う。
「だって、便利じゃん。いろんなもの持っていけるし。現地での細かい移動手段は、やっぱり車に勝るものなしだよ」
「レンタカーじゃなくて?それって、僕が運転すんの?」
「当たり前じゃん。何のために運転を仕込んできたと思ってんの?」
想像するだけでしんどい気持ちになる。いくつの県を超えなきゃならないんだ?
由紀は「ごめん」と小さく言った。由紀は免許は持ってない。昔は持っていたらしいが、名前と住所を変えて取り直すうちに、ある時からなんとなく取り直さなくなり、途中で何年も運転しなかったせいで運転できなくなったらしい。
僕はこの話を聞いた時、そんなこともあるんだなと感心した。乗らないうちに乗れなくなってペーパードライバーになる経緯というのは人間も妖怪も大体似たもんらしい。
「それに俺、運転するのは嫌いだけど、ドライブは好きなんだ。車以外ありえん。異論は認めん」
カミヤはこう宣言した。
「別にやるけどさ……」と僕は了承する。カミヤは「頼むよ、運転手」と肩を叩いてきた。無性にウザく感じたので、その手をゴミを払うみたいに払った。
「まぁ、そう面倒くさがらないでよ。一日中、ぶっ続けで運転しろって言ってるんじゃないよ。何日かに分けてもいいし、昼にはフードコートで一時間の休憩をあげるよ。ホワイト企業でしょ?大学卒業したらここに就職しなよ」
僕はカミヤの口調にイラついたが、こんなことに一々腹を立てていてはコイツとはやっていけない。未来の事に意識をむけて早く忘れようとする。
「それで目的地は?新潟のどこ?」
僕はカミヤの地図帳の新潟を指差す。
「というか、何で地図帳?グーグルマップとかの方が便利だろ」
「旅行行くのって、紙の地図とかガイドブック持って行った方がワクワクするじゃん」
「……それだけ?」
「うん」
旅行なのか。僕は呆れた。
時は現在に戻る。
早朝から高速道路を走り続けて、昼に差し掛かるころには腰が固くなってしまっていた。僕はパーキングエリアに車を停めて、シートベルトを外しながら背伸びをした。後ろを見ると、由紀も同じように背伸びをしていて少し笑ってしまった。
三人でフードコートに向かい、昼食を取った。僕は肉うどんを、由紀はきつねうどんを、カミヤはカレーを食べた。
「別に急いでるわけでもないから適当に休んでいいよ」
カミヤはこう言った。本当に休憩をくれた。
僕は疲れをとるために車内に戻って、運転席で眠っていた。カミヤと由紀は座りっ放しが飽きたのか、土産物のコーナーの辺を歩いていた。お互いに一言も話さず別々に見て回っていたが。カミヤは龍が剣に巻きついた金属製のキーホルダーを買ったらしく、寝起きの僕に誇らしげに自慢してきた。
「どこでも売ってるヤツだろ、それ。僕も三つ持ってるけど」
「売ってるんだ、というか持ってるんだ」
由紀が珍しそうに眺めながら言った。
「一つあげようか?」
帰ったら一個あげることを約束した。どこに付けるつもりなのかは知らない。
結局、四十分近く眠ってしまっていた。つい寝すぎてしまった。でもまぁ、早起きして来たので仕方ないと思って自己正当化する。おかげで頭も冴えている。カミヤも由紀もちょうど車に戻って来た所らしく、出発することにした。
運転を再開してしばらくは前方のスピーカーから聞こえるラジオの声に耳を傾けていたが、途中からカミヤが音楽プレーヤーでジョンレノンのベストアルバムを流し始めた。
「すごいんだよ、レノンは」
と彼の偉大さを力説し始めた。
「レノンの歌う音楽はさ『ピュア』って一言に尽きると思うんだよね。理想ばっかりで、夢みたいな事ばっか言ってさ、子供かよって感じだよ。でもさ、それが作り物じゃなくて、心から思ってその気持ちを歌にしてるってのが伝わってくるんだよね。ずるいよね。そんな奴、憎めないじゃんか。
多分、ジョンレノンが好きな人は『そういう風に生きたい』『こういう人がいるんだ』って仲間意識というか、戦友、憧れ、みたいな感情を持って聞いているんだよ。
普通の人間が、そんな子供みたいにピュアな事を持って生きていけるわけなんてなくて、それを歳を取るにつれて自分でも気付かないうちに財布を落とすみたいに捨ててるんだけど、レノンはそれを真っすぐに伝えてくるんだ。
そうすると、自分の中の忘れていた、捨てていた部分が思い出されるんだ。子供のピュアさが戻ってくるんだよ。大人の自分はそんな生き方を馬鹿にして切り捨てていたけれど、それを堂々と疑いなく言えることを尊敬してしまうんだよな。
そんな人間になれたらなって思ってしまう。純粋さが羨ましい、そこまで綺麗でありたいって思うんだよ。ジョンレノンは汚れた心のよりどころなんだよ。
俺も、そんな風に生きたいよ。辛くても、その方がかっこいいじゃん。レノンの事を聞いてると、どんなに綺麗事でも思って伝えて、それが誰か一人にでも届くことに意味があるって思っちゃうんだよ」
「へぇ」
僕は適当に相槌を打っておいた。正直、ほとんど聞いてない。由紀から聞かされたらまた興味の度合いも違ってくるんだろうなと思ったりしていた。ただ、人間みたいな事を言うなぁ、コイツとは聞きながら思った。
散々ジョンレノンの凄さを語って、カミヤは眠ってしまった。バックミラーで後ろを見ると由紀も寝ている。しばらく僕は一人ぼっちで運転をした。レノンはスピーカーの中でスターティングオーヴァーを歌っていて、僕は小声でそれを口ずさんでいた。




