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第四十四話 ウェルテルと演出家


「そー言えば君ってさ、雪女に告白した時、何って言ったの?」


「何って……なんで?」


「ヒントがあるかな、と思って。恋バナとかしたことないし、いいじゃん」


 座ったまま僕の方に体を向けてカミヤが言った。

 僕の方は授業に戻ろうかと思っていたが、すぐに戻る気は起きずに、横の自販機で缶コーヒーを買ってカミヤから少し離れた椅子に座ることにした。カミヤは自分の座ってるソファーの隣をポンポンと誘うように叩いたが、気持ち悪かったので無視した。


 腰を下ろしながら由紀との記憶を掘り返す。植物園でのことや、その他にも日々の中で何気なく話した事を。その中で最初は神社で雪女と知らされて、その後に付き合うことになった時だった。あの時はいっぱいいっぱいだった。年寄りが若い頃を回想するのはこういう気持ちなのだろうかと思った。


「……そう言えば、最初は『好きです』って自分でもよく分からないうちに舞い上がって言ったんだった。一回フラれてから、逆転で付き合えたんだったな。奇跡だと思ったし、今思っても奇跡だ。でも後に大変なことが色々あり過ぎて、もうあんまり覚えてないな。記憶から霞んでしまってる」


「えっ?じゃあ、好きって言ったのは。後にも先にもその一回だけ?」


「そんなもんじゃないの?」


「それは駄目だよ。駄目!駄目!劇的じゃないよ!」


 カミヤが半ば焦ったように叫んだ。そして「ホンットウに、こいつは。ここまでとはね……」と勝手に呆れている。


「毎日そんなに、外人みたいに好き好きって照れ臭くて言えなくないか?」


 苛立ちを込めながら僕が言うと、カミヤは黙ってしまった。珍しく静かに考え込んでいる。少しだけ勝ち誇った気持ちでいると、カミヤは僕に言った。


「そもそもさ、君は彼女が怖くないの?『怖い』じゃなくて『好き』なの?本当に。もう契約してしまった後だから取り返しつかないけど、雪女だと分かった後でも好きって思い続けられてるの?」


 今度は僕が考えこむ番だった。しばらくの沈黙の後に僕は「……分からない」と答えた。

「正直、全てが嘘みたいに思えたりもする。確かに、怖くなったりするときもあった。実際、自分が氷漬けにされる夢を見たこともあった」


 由紀と手を繋いで歩いていると、繋いだ手から肘、肩へと氷が迫って来る夢だ。付き合いたての頃は何度か見たことがある。ちなみに手を繋ぐなどの身体的接触は未だ全くない。

 カミヤは黙ったままなので僕は続ける。


「でもな、好きになった後に怖くなったんだ。認めるよ、怖いというのはあった。順番が逆だったら、怖いの方を先に感じていたら、逃げ出していたと思う。それだと今みたいに好きになっている僕はいなかったと思う。でも、そうはならなかった」


 せっかく説明してやってるのに、カミヤは「ふぅん」と言ってニヤニヤしながら、スマホをポケットから取り出して弄り始めた。ちゃんと聞く気があるのかわからない。僕は少し黙った。反応がなければ話をやめようと思った。

 だがカミヤは僕の方をチラリと見て「いいよ、続けて」と言った。僕は息を吸い込んだ。


「……好きになった後に分かったんだよ。恋愛では惚れてしまった方が負けって言うけどね、どうやら本当だったらしい。好きになってしまったらもう手遅れなんだ。好きっていう気持ちを毎日持ち続けているとその人が細部まで美化されていって、いつの間にか好きでたまらなく、世界で一番綺麗に見える現象があるだろ?スタンダールっていう作家が『結晶化』って名付けてたらしいんだけど」


「雪女にピッタリの名前だな」


「頭の中でどんどん美しくなっていくんだよな。もう、芸術的な彫刻や神聖な女神と同列なんだよ。『そんな人と一緒にいられるなんて!』って、天にも昇る気持ちでさ。『おいおい、これは現実か?夢じゃないのか?』って、隣にいるのが雪女だって方じゃなくて、付き合えていること自体に対して思うこともあった」


「めっちゃくちゃ語るじゃん。若きウェルテルの生まれ変わりかよ。熱量ヤバいね。溶けちゃうよ」


 カミヤはケラケラと笑いながら、手の平で顔を仰いでいる。確かに自分でも少し熱くなりすぎたと思う。我に返ってくると、恥ずかしくなってくる。これを由紀の方に向けろよと自分に思った。


「前に由紀が話してくれたんだけど、一部の人間は雪女に異様に引きつけられるらしいから、そういう関係があるかもしれないけどね。程度の差はあるらしいけど」


「あるね、確かに。俺は催眠とか洗脳みたいで何か嫌いだけど。気の毒だとすら思う」


 顔に少し意地悪な笑いを浮かべながらカミヤは言った。コイツのこういう言葉にはもう慣れた。


「お前がどう思うかとか、実際は何が起こってるのかなんてどうでもいい。重要なのは僕がどう思ったかなんだ。とにかく、確実なのは僕は心の底から由紀が好きだって思ってることなんだ。こればっかりは理屈も何もない」


「おぉ……」


 そういう反応、マジでやめてくれ。お前が聞き始めたんだろ。

 僕は息を吸い込む。


「怖いより先に好きが来たんだ。好きになったら少しくらいの欠点では嫌いにならないし、簡単に離れようとは思わないだろ?僕は、由紀と一緒にいれるならちょっとくらいリスクを背負ってもいいかなって思ったんだ。まぁ、まだ付き合う前の頃は現実感がなかったんだけど。でも、いざそうなると案外、怖いとか嫌だとはあまり思わなかったな。感覚が麻痺してるだけかもしれないけど。不思議なもんだ。そもそも彼女は悪いことは一切していないし、それどころか僕を守ってくれたんだ」


「ここまで来たら、もう一気に言いたいことは言ってしまおうと思ったの?毒を食らわば皿までではないけれど、ゲロを吐くなら胃の中全部、みたいなもん?」


 指摘はその通りだが、例えが汚い。頭に残っている言いたいことを全て出し切ることに集中する。


「後悔もしてないし、今も好きなんだよ。さっきも言ったけど、恋愛は他人がどうこう言うもんじゃなくて、結局は自分がどう思うかだろう?周りから『好きになれ』って言われても無理だし、『嫌いになれ』って言われても本当に好きだったらできない。好きなんだからしょうがない。この一点さ。一定のラインまで好きになってしまったら、もう後戻りできないんだ」


「ふははっ。手遅れじゃないか」


「そうかもね」


「医者に診てもらう?」


「病院には行かない」


 馬鹿にしてんのか?マジで、こいつは。

 でも確かに、自分でも惚気過ぎているとは思う。由紀を前にしては絶対に言えない。羞恥プレイどころか、新手の拷問になるだろう。想像するだけで顔が熱くなる。

 僕の反応でカミヤは愉快そうにしている。


「でも君、あの子と別れようと思ってたよね?枝川が来てから」


 突然に図星を突かれる。どうしてお前はそう何でもお見通しなんだ。

 僕は枝川に襲撃されて、僕自身が由紀の弱点だと言われて時、無力感に苛まれた。そして僕が由紀の近くにいることで、彼女が傷つけられるかもしれないと思った。由紀自身は強いのに、人間の僕が弱いから急所を増やすことになるのだ。


「そうだよ。枝川に襲われている最中に思ったんだ。僕の存在が間接的に彼女を傷つけることになるって」


「まぁ、あの状況ならそう思っちゃうよね」


「けど、そんな時にお前が来た。この悩みの解決案を持ってきた。由紀を救うことができると言ってきた。そうなんだろう?」


「うん。そこだけは間違いない。信じていいよ」


 カミヤは僕と目を合わせて言った。珍しく真剣な目つきをしていた。僕はその真剣さに答えようとする。


「……正直、お前が来てなかったらどうなっていたら分からない。一筋の希望にも見えた。胡散臭いと思ったけど、これを試してからでも遅くないと思った。賭けてみようと思った」


 僕はカミヤの方に向き直った。


「これに関してだけは、俺はお前に感謝してるんだ。コンドーを殺そうとした事は絶対に受れ入れられないけど、狼男から助けてくれたり、由紀を苦痛から救う方法を教えてくれた。ありがとう」


「素直にお礼が言えるのは君の良い所だと思うよ」


「褒めてくれてありがとう」


 カミヤは笑っていた。コイツは基本的には、いつも笑っているような気がする。


「僕にも手伝えることはあるんだろ?」


「あるよ。モチのロンさ。あの雪女と二人だけだと多分無理。君が断ったら、またコンドーみたいなのを一人どっかから連れてくる予定。というか、そもそも君が断ったら契約は破綻だけど」


 遊園地での脅しを思い出す。確かに、僕とカミヤの繋がりはカミヤが由紀が人間にして、それまで僕がカミヤの手足、新しいコンドーの代わりになることだ。僕がこの約束を破棄すれば、カミヤが由紀を助ける義理はなくなる。


「僕は、この一連のことが終わるまでは、とりあえずお前を信じてみようと思う。終わった後は縁を切るけど」


「それでいいよ。そういう契約だからね。協力する間だけでも信頼し合おう。俺も雪女を人間に戻す手伝いをしなければ、君との契約でタダでは済まない体になってしまったからね。なんとなく遊びでとんでもない事に足を突っ込んでしまったもんだよ。面白そうだからいいけど」


「タダでは済まないって?」


 僕は前々から気になっていたことを聞いてみた。

 カミヤは親指を一本立てた。そしてそれを横に向けて、首の前で線を引くようにスライドさせた。


「昔から約束を守れなかったら切腹首切りって相場が決まってる。死、あるのみ。そういうことさ。俺ら男組にはもう、突っ走るしか選択肢は残されていないんだよ」


 やっぱりか。予想はしていたし、まだ実感はわかないが、こう改めてはっきり宣告されるとクるものがある。


「お前が、僕を殺したりすることはないよな?」


「さすがに同級生は殺さないって。もし殺したらあのメンヘラが何して来るか分からないよ」


 僕は再びしばし考え込む。なるほど。大体、カミヤの意図は理解できた。異常な行動が多いものだから、その頭の中は欠片ほども理解できなく分かり合えないと思っていたが、考えは分かった。僕はとりあえず、コイツと協力することを決意する。

 だが、それよりも今は由紀の事の方が重要だ。どうしようかと思う。コイツに言っても仕方がないような気がする。もう一度、電話をしてみるかと思うがあまりしつこすぎても嫌がられる気がする。家は一応知ってるが、いきなり押しかけるなんて論外だ。


「確認で聞くけど、君は由紀ちゃんを、雪女だけど、好きで愛してるんだね?」


 僕が半分上の空で悩んでいると、カミヤが訊いた。


「あぁ、うん、好きだし愛してるよ。今更こればっかりはどうにもならない」


 好きだからこそ、由紀のために何かできるのならしてあげたいと思う。もう一度、少し前の平和に笑いあえていた日々に戻りたい。


「いいね……愛し合ってる二人が困難を乗り越えた末に結ばれる……劇的じゃないか……この最高のシーンに惹かれない演出家なんていないよ……」


 カミヤはまた気色悪いことを言い始めて、恍惚とした表情をしている。変態かよ、コイツ。僕は無視することにした。もう慣れ初めている。


「それより、由紀が最近、大学に来てないのは知ってるだろ?とにかく、まず解決するのはそこからなんだ」


「そろそろ来る時間だよ」


「えっ?」


 何て言った?来るって由紀が?今?ここに?なんで?どうしてこいつが知っている?意味が分からない。本気にした僕をからかう冗談かと思った。

 廊下を慌ただしく走る足音が聞こえた。その音はだんだん近づいてくる。僕が振り向いたのと、由紀が角から姿を現したのは同時だった。



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