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第四十三話 月曜日と盗み聞き


 月曜日になった。今日は大学があるが、講義は昼からだった。しかし朝から目が覚めて落ち着かない気持ちだったので、講義の始まる一時間半前には教室に来て座っていた。僕が一番早かった。


 由紀にラインを送ったが返信は帰ってこない。スマホを数分おきに確認しては机の模様や教科書をパラ見するということを延々とやっていた。やがて講義の開始時間に近づくにつれて人の密度は多くなってくる。最終的に四割ほどの席が埋まった。結局、由紀は来なかった。

 講義が始まってしばらく経ってから、弘がふと思い出したように言った。


「真城さん、来てなくね?」


「……」


 僕は黒板を眺めながらボンヤリしていて、とっさに答えることができなかった。大事をとって休むらしいと言いかけたが、間を外してしまった。最近は考えることが多すぎて、あらゆる反応が一段階遅れているような気がする。

 弘は小声で言葉を続ける。


「治ったって言ってなかったっけ?聞くか迷ったけど、何か隠してないか?何か困ってるというか、巻き込まれてるとか?」


 結構キツめな声のトーンだった。弘のこんな声は珍しいどころか、初めて聞いたかもしれない。いつも明るいだけに、いざという時にそういう声音を出されると今は真剣なんだぞというのが伝わって来る。僕は弘の方を見れない。


「それはないよ、絶対に」と僕は答えた。


「そうか……」


 弘は明らかに腑には落ちていないようだった。そして「……大丈夫か?」と聞いてきた。さっきとは打って変わって深刻そうな雰囲気になっている。


「大丈夫だよ」


「お前もだよ」


 ここになって僕はようやく弘の目を見る。訝しむ色は消えてないが、心配の色の方が強かった。想像と違っていたその視線に驚かされる。

 こいつは本当に鋭い。友達としてはここまで信頼できる奴はなかなかいないんじゃないか。しかしこの鋭さが仇となって、カミヤのことがいつかバレてしまうんじゃないか。可能性はかなりあり得るように思う。そうなればカミヤは何をし出すか分からない。


「大丈夫だよ。僕も由紀も」ともう一度、はっきりと言った。


「そっか。すごい心配だわ」


 再び二人の間に沈黙が訪れた。周囲は教授のマイクからの声と、周囲の学生のヒソヒソ話す声が断続的に聞こえる。僕らの周囲は席が空いてるから、さっきの会話は誰にも聞こえていないと思う。

 弘はペンを回して、残念そうにして言った。


「あー、じゃあアレだな。今日は真城さん来るって思い込んでたから、彼女、音々にも言っとかなきゃいけないな。前から会いたいって言ってたじゃん?今日仕事休みらしいから、学校終わったら来ていいよってラインしてたんだけど、やっぱり無理って送っとくわ」


 そういや、そんなことも言ってたな。


「ああ、ごめんな」


「いいんだよ。これは俺らが勝手に話してただけだし」


 こう言われた所で、机に置いていた僕の携帯に通知が来た。画面を見ると「加藤」と浮かび上がっていた。「ちょっと今、外出てきてくれる?」とだけ書かれている。

 恐らく、今頃になって講義に来て、由紀がいないことを確認してから僕に送ったのだろう。教室を出た廊下に並べられている椅子の一つに座って待っているだろう。


 送られてきたメッセージは横から弘からも見える位置にあった。


「お前たち、最近仲いいよな」

 弘は言った。


「そう?」と僕は平静を装って言った。


 僕は「ちょっと行って来るわ」と弘に小声で言って、足音を立てないように後ろのドアまで歩いて行って、講義室から出た。





 講義室を出ると、カミヤはやはり廊下の横に取りつけられた椅子に座っていた。こっちを見て無言で右手を上げて歩き出した。僕も黙って付いて行った。ここで話していると中に聞こえる可能性がある。


 廊下を歩いて行くと、途中に休憩所と自習スペースを兼ねたような区画がある。椅子やソファー、ちょっとした机が並んでいる。休み時間や夕方はここで談笑したり、ノートパソコンを弄っている人間をよく見かける。今は誰もいなかった。


 カミヤはソファーに座って「ふぅ」と年寄りっぽい溜息をついた。そして小声で「煙草吸いたい」と呟いた。ここは禁煙で、天井に火災報知器が付いていた。それが作動するかもしれないから吸うなと壁の紙にも書かれている。


「まだ仲直りしてないの?」とカミヤが聞いた。


「喧嘩じゃないって……」


「初めての喧嘩でしょ?上手く終戦させるコツを掴んでおかないと後で困るよ?」

 いつものことながら、こっちの言葉は全く聞こえてないようだった。


「彼女は何を考えているんだろうねぇ」

 カミヤは呆れた風に言った。

「俺の言ってることに、乗り気ではあると思うんだよ。だって雪女である自分が凄く嫌いだと思ってるだろうから。一秒でも早く雪女をやめたいんじゃないかな」


 そんなこと、僕に言われても分かるわけない。別にコイツも僕に聞いて何か分かると思ってないだろう。


「まだ時間はあるけどさ、あんまりのんびりされても困るよ」


 カミヤはイライラしたように責め立ててくる。ニコチンが切れているのかもしれない。


「あの子がやる気にならなくちゃ、何も始まらないんだよ?」


「うるさい。分かってるよ」


 僕もイライラしながら返事をした。



     ♢



 何回思い返してみても、やっぱり変だった。「じゃあ、ちょっと行ってくるよ、弘」と言って講義室を出ていく春樹の後ろ姿を眺めながらそう思う。俺は適当に手を振っていた。


 春樹の様子が最近、やはりおかしい。二週間くらい前から突然にだ。俺には何も言わないし、隠そうとしてるみたいだ。小さな疑惑が積み重なって、今では何かあるだろうという確信のようなものを抱いている。


 教授も学生も春樹が後ろから出たことを気にも止めない。三十秒ほど経ってから、俺も講義室を出た。あまりコソコソと親友のことを嗅ぎまわるのは趣味が良くないと、自分でも思う。少し回って見つからなかったら戻ろう。


 休憩スペースに近づくと春樹の声が聞こえた。てっきり外に出ていると思い込んでいた。電話でもしているのかと思って、壁から顔を少しだけ出して覗くと、誰かと話し込んでいるようだ。話している相手は……加藤だ。


 このまま「おぅ」と言いながらトイレから出てきたという理由で話しかけてもいい。しかしそうすると、恐らくこの二人の会話は途切れてしまうだろう。それに何やらただ事ではない雰囲気も漂っている。俺は様子を見ることに決めた。

 一度、裏口に出て回り込み、棚とトイレの間の隙間に身を潜めて、二人の会話にじっと耳を傾けた。


 ……何を言ってるんだ?雪女だとか言っているが、何の話なんだ?氷具……というのは聞いたことがない。嘘を言い合ってふざけているようでもない。映画の話でもなさそうだ。そもそも、加藤はこんな喋り方をする奴ではなかった。


 全てがおかしい。自分の知らないことが起こっている。「あの女」とは、由紀ちゃんのことなのか?彼女が雪女ってことなのか?

 意味が分からない。いや、意味はわかる。「ありえない」と、俺の頭が理解することを拒否しているんだ。


 二人とも、常識をわきまえている、話の分かる奴だ。加藤の方は正直あまり関わりがないが、春樹の方はよく知ってる。常識的過ぎるほどの男だ。馬鹿が付くぐらい真面目で誠実な奴だ。実は、俺がこの大学で一番心を許している。


 その人となりを知っているからこそ、春樹が本気で口にしていることの信憑性が増してくる。ふざけたことを言う奴ではないし、真剣な表情と声音は心の底から嘘偽りなく出てきていると分かるのだ。

 心臓の鼓動が早くなってくる。何かの冗談であってほしいと今更願い始める。春樹がカミヤの変な嘘に騙されているだけなら、まだそれでもいい。


 俺は身を潜めたまま、じっと二人の話を聞いていた。


     ♢




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