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第四十一話 雪崩と日本酒


「この箱と同じ類の、氷具を回収しに行くっていったじゃない?」


 カミヤは雪崩の箱を取り出して言った。持ってきていたのか。


「君も勿論行くことになってるんだけどさ」


「ちょっと、待って。何で?僕は一言も行くなんて言ってないぞ」


 第一、役に立てるとは思えない。最澄と枝川に奇襲されて思い知った。僕には由紀やカミヤみたいに氷を操ったりできない。何も手助けできないし、足手まといでしかならないように思う。


「面倒くさいことは君にしてもらおうかなって思ったんだよね。一緒に戦うだけがサポートじゃないよ。まぁ、一言で言えばパシリが欲しいんだよね。ほら、コンドーは入院しちゃったじゃん?」


「しちゃったじゃなくて、お前が殺したんだろ」


「あぁ、そうだったね」


 カミヤは思い出したように言った。

 僕の頭に枝川が腹を貫かれて死んだ瞬間がフラッシュバックした。暗闇であまり見えなかったが、あれから家で何回も思い出して吐いたのに、また鮮明に思い出して気持ち悪くなる。でもこの密室では吐けないと唾を飲んで堪える。


 あれから、コンドーの見舞いに一度行った。ひどい目に遭わされたのに、コンドーは「しばらくカミヤを頼みマス」と言った。頼む相手を間違えているとしか言いようがない。

 僕は目の前の男の認識をもう一度、慎重に改めなければならない。今日一日一緒にいて、いつの間にか気を許してしまっていた。そういう心理術を持っているのかもしれない。だが、惑わされてはいけない。これはコンドーを殺しかけた、残酷で頭のネジが飛んでいる何を考えているか分からない男なのだ。何を企んでいるか分からないのだ。


 カミヤは窓に側頭部をくっつけて外を見ていた。物思いにふけるような表情をしていた。さっきまで元気だったのに急に少し沈んでいる。


「パシリがいなくなった。たった二人の大事なパシリだったのに。残念だ……使えない奴をクビにしたら、また新しい奴を採用しなくちゃいけない」


 こう言った後、カミヤの目が回転して僕を捉える。頭を窓から離した。


「だから新しいパシリが欲しい。作らなくちゃいけない」


 まさか……


「そう、そのまさか!君が内定されました。おめでとう!就活しなくて済むよ!」

 僕を指を差して宣言した後に、カミヤは拍手をする。

「なんて君は幸運なんだろうね」


 カミヤは恍惚とした表情をしていた。しおらしい表情は結局、数秒しか持続しなかった。既に跡形も残ってない。

 僕はカミヤの発言を頭の中で何回も咀嚼する。ふざけるな。こんなの、断るに決まっている。今日ずっと、コイツはこんな事を考えていたのか。


「断ろうなんて考えない方がいいよ」


 僕の言葉を遮って、先手を打つようにカミヤが言った。


「君が断れば、俺は由紀ちゃんに協力することをやめるよ?それどころか、敵になるかもしれない。変な因縁を流し込んで、狼男の時みたいに、中国からキョンシ―に襲わせることだってできるよ」


「脅しじゃないか……」


「キョンシーはキョンシーで面白そうだなぁ。雪女VSキョンシー。遊園地のヒーローショーより面白いかもしれない」


 カミヤはフッと笑って「くだらないなぁ」と小声で呟いた。


 観覧車が風で揺れた。ギシギシと音を立てる。籠はもう少しで半周して、頂点に到達する。外は暗くてほとんど地上の人は見えない。遊具や店や電灯の明かりが見えるだけだ。


「きたないぞ……」と僕は言った。


「きたなくて結構。いつから俺が綺麗な存在だと錯覚していた?外見は綺麗だけど」


 僕はうつむいて、足元の金属の床を見つめた。

 カミヤはそんな僕に顔を近づけてくる。


「君が勝手に断って全てがおじゃんになったら、あの子はどう思うかな?今、一筋の希望に縋っているのに?あぁ、可哀想に。悲劇だ……」


 カミヤはどんどん顔を近づけて来て囁くように言う。ほんの数センチの至近距離で、喋る時に頬に息がかかる。横目で見ると、黒いものが渦巻いている眼が僕を捉えている。直視していると底の見えない沼に引きずり込まれるような気がして、僕は目を逸らす。


「あの子が覚悟を決めたのは誰のためかな?それを君が潰すことになるのかな?」


 沈黙が訪れた。籠の中は安っぽい電球の白く弱い光で照らされている。外は真っ暗闇だ。真横ではカミヤが僕を覗き込んでいる。その他には何もない。体験したことのない類の恐怖が体の奥から湧き上がってきていた。


「………」


「………ふっ」


 カミヤは不意に小さく笑った。体をのけぞらして向かいの椅子に戻った。


「ごめんごめん、脅すつもりはないんだ。あくまで何を選ぶかは君の自由だよ」


 嘘つけ。しらじらしいにも程がある。

 カミヤはごきげんに鼻歌を歌い始めた。先ほどまでの深刻な雰囲気は弛緩して、籠の中から消え去っている。

 恐怖や怒りや迷い、いろんな負の感情が混ざりあって頭がゴチャゴチャになる。混乱して思考力をほとんど失っている僕にカミヤは言葉を続ける。


「そう、これは契約なんだ。君と僕とのね」


「契約?」


 夏休み前から急によく聞くようになった言葉だった。


「俺とコンドーがしたのと同じさ。あいつが俺のパシリになり、俺があいつを外国のごみ溜めから連れ出して衣食住を保証したようにね。そういう三十年契約だった。君は由紀ちゃんとしてるんでしょ?それを、俺ともするだけさ」


 カミヤは顔を離して、僕の目の前に直立する。僕は座ったままカミヤを見上げる。カミヤは僕を見下ろしている。二人の目が合う。


「君は俺のパシリになり、俺は由紀ちゃんの手助けをする。どうせ君は俺と一緒にいることになるよ。逃げられない。あの女と契約してしまっているんだからね」


 観覧車がギシギシと音を立てた。カミヤは僕から目を逸らして窓の外を眺め始めた。観覧車は一時の位置を少し過ぎたくらいだった。


「由紀ちゃんが俺を必要としてくれるためにはね、後悔を感じてもらう必要があったんだ。自分が雪女であることの絶望感というか、無力感をさ。弟ではそこまで後悔しなかったみたいだったから、効果はなかったというか失敗だったみたいだけど。狼男では成功だったね。狼男が来なかったら今でも何も考えず、楽しく平和に暮らしていただろう。可哀想に」


「お前のせいだろ」


「あぁ、俺か」


 カミヤは思い出したように言った後、吹き出すように笑った。


「まぁでも、物は考えようだよ。全てが万事解決して由紀ちゃんが人間になれば、その後に待ってるのは何の心配もせずに幸せで満ち足りて日々だよ……どうだい?」


 沈黙が訪れた。僕は頭の中で問答を繰り返した。そして、頷くしか選択肢がないことに気が付いた。目の前の男の中で、もう僕は絶対に欲しい一つの駒になっているのだろう。断っても必ず付いて来るだろうし、僕の身にも弘の身にも由紀の身にも、何をしてくるか分かったものじゃない。


 静かに覚悟を決めて受け入れるしかない。なるようになると理由もなく思った。

 この数か月で、一つに巻き込まれたと思ったらそこから次々に連鎖的に巻き込まれてしまって、感覚が麻痺しているのかもしれない。もうなんでもいい、という半ばヤケな気持ちもあった。

 カミヤは僕の顔をジッと見つめている。僕もその顔を見やる。


「わかったよ」と僕は言った。


「そう来なくちゃね。じゃあ契約成立だ」


 カミヤは僕に手を出すように言った。僕が恐る恐る言われた通りにすると、カミヤは僕の手を握った。お互いに右手で握手する格好になった。


「いやぁ、本当に珍しいよ。初めてじゃないかな?雪女と契約できるだけでもウルトラレアなのに、それが同時に二人となんて。誇っていいよ」


「誇れることなのか、これは」


 できればお前とは距離を置いたままでいたかった、と思った。


「三角関係だね。君を媒介にした」とカミヤが言った。


 僕は頭の中に僕、由紀、カミヤの三角の相関図を思い浮かべる。今日、遊園地に来るまでは僕とカミヤの間は「?」の矢印がお互いに向いていた。それを消して、僕からカミヤの矢印に「由紀への協力」と、カミヤから僕への矢印に「パシリ」と上書きする。鎌倉幕府の御恩と奉公の関係に似ているなと思った。


「君も大変だね。君と由紀ちゃんの間だけでなく、また一つ厄介事を抱えるなんて」とカミヤは言った。


「誰のせいだ」


「あの子の場合、『死ぬまで一緒。裏切ったら殺す』だもんね。普通にヤバいよね。普通じゃなくてもヤバいけど。あぁ、でも俺も裏切りイコール死だから。雪女は全員メンへラ説あるよね」


 カミヤは楽しそうに喋っている。僕の手を離して背伸びをし始めた。僕は疲労感が急にピークに達したような気がしていた。肩が異常に重たいし、頭ももう回らない。


「まぁ、きっと全部うまく行くよ。根拠はないけど」


「あれ?もう終わり?」


 僕は訊ねた。

 契約というのだから、もっと何かあると思っていた。辺りが一面氷になるとか。いや、この籠の中でそれをされたら困るのだが。それがなくて。まぁ、全く何もない方がいいんだけど。ただ、僕とカミヤは十秒かそこら手を繋いでいただけだ。


「そうだけど、何か気になる?」


 カミヤが不思議そうに聞いた。


「いや、いい。何でもない」


「あ~、わかった。由紀ちゃんの時は氷で辺り一面を凍らしていた。今は何も起きないのかって思ったんでしょ?」


「何でわかるんだよ」


「アレは雪女独特の儀式みたいなもんなんだよね。一度、自分が雪女であることを人間に見せつけるっていう意味があるらしいんだけど。あと、人間と契約する時にする奴がいるくらいのもので、やってもやんなくても別にいいし、雪女にもする奴としない奴がいると思うよ」


 カミヤは小さく息継ぎをして続けた。


「元々、人間と契約する雪女なんてそうそういないんだけどさ。君の場合は一回目にフラれた時に辺りを凍らせる所を見たんでしょ?どっかの寺か神社で。つまりね……別にやんなくてもいいんだよ」


 カミヤはベラベラと一人で喋り倒して息をついた。コイツは聞いてもないことまで喋って来る癖がある。だから僕は黙って聞き側に回ってしまうことになる。

 そう言えば、由紀も人間に自分が雪女だと分からせるのが目的だと言っていた。だったら人間側が証拠を見せなくても相手を雪女だと信じることができたなら必要ないということになる。一度しているのなら、二回目はどちらでも良いということか。当時の由紀の様子を思い出す限り、楽なことでもなさそうだった。だから由紀はしなかったのか。


 ゴソゴソと衣擦れの音がした。何かと思うと、カミヤがポケットの中を漁っている。僕はまた雪崩の箱を出してくるのかと思って警戒するが、出てきたのは白い陶器だった。上から首にかけて細く、下に行くにつれて膨らんだ形をしている。酒のとっくりだった。


「何、それ」と僕は聞いた。


「日本酒」


 とっくりの口から直接、カミヤは酒を飲み始める。まだ酒を飲んだことがないのでよく分からないが、日本酒は度数が強くてそんなコーラをあおるみたいなの見方をすれば喉が大変なことになるのではないか。血中のアルコール濃度的にも急上昇する気がする。

 そもそも今日ずっとそれをポケットに入れて歩いてたのか。観覧車に乗ったのも景色をつまみに酒を飲むためなのだろうか。


 カミヤは外を見ながら「いい景色だね」と陽気に言う。僕はかなり引いている。外を見てないので分からないが、そろそろ観覧車は四分の三に差しかかろうとしている。もうすぐ終わりだ。


「普通、おちょこに注いで少しずつ飲むもんなんじゃないの?」


「持ってきたけど、置いてきたんだ」


「置いてきたってどこに」


「下に」


「下?何の下?家にじゃなくて?」


「少し、いいもの見せてあげようと思ってね」


 再び、カミヤはとっくりごと酒をあおる。


「雪崩の箱とかの氷具はさ、全部それぞれ違った力があるんだよね。雪崩の箱は分かりやすいよね、開けると雪崩を起こすだけだからさ。それも強くて講義室で開けたら全員を雪に埋めて秒殺できるからさ」


「そんなヤバいもんを持ち歩くなよ。遊びで貸したりとかもさ」


 昨日、弘に貸してた時にニヤニヤしていたのを思い出す。今日も持ち歩いているのを知っている。時々、いつの間にか取り出して右手で弄っていたり、バタフライナイフを回すかのように指や手首で器用に回していたりした。


 僕の言葉を無視して、カミヤは喋り続ける。僕の反応の三割は無視されているような気がする。


「もう一つ、俺は氷具を持ってるって言ったじゃん。雪崩の箱以外に。『雪暮れの杯』って言って、杯の形をしてるんだけどね。これは少し使い方が複雑で面白くて、その杯に酒を注いで飲んだ雪女は、三日間、その杯から雪の力を発現することができるんだ。手に持ってなくても、どんなに離れていてもね。便利だよね。不意打ちに最適だよ。あと、俺はね、決められたことや手順はきっちりこなしたい性格なんだ。意外に思えるかもしれないけどさ」


 僕の首筋に嫌な汗が流れた。カミヤは観覧車に乗ってから、やけに静かだった。時々、別事を考えているような間があった。不自然なほどじっとしていた。


 カミヤは気を抜いたように、体勢を崩した。


「つまりね、観覧車に乗る前に、地上に置いてきたんだよ。酒はもう飲んできた。ちょっと疲れたよ」


 心臓が高鳴った。観覧車は地面に近づいてくる。カミヤはニヤニヤしている。

 観覧車が乗車した時の位置に辿り着いたが、降りるように誘導する係員は来なかった。ドアが自動で開くと、カミヤは立ち上がり、座ったままの僕の手を引いて外に出た。


 ひんやりとした空気が頬を撫でた。

 氷漬けの遊園地が完成していた。遊具はジェットコースターもメリーゴーランドも、全て止まっていた。

 足元は雪が薄く積もっている。横ではカミヤが雪崩の箱を弄りながら首を傾げて「ちょっと弱すぎたかな」と呟いていた。


 人々はパニックになっていた。どこからか子供の泣き声が聞こえた。

 ショーが始まるはずだったステージの方から走って来たらしい二人がいた。入場する時に騒いでいたカップルだった。慌てていて、彼女の方は泣いていた。


 カミヤはおもむろに前へ歩いて行き、落ちていた杯を拾って、トイレ横の蛇口で洗っていた。

 そして立ち尽くしていた僕の所に戻ってきて「帰ろっか」と声をかけた。



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