第三十一話 親父と蛍光灯
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俺がまだ、狼男を束ねる長になる前、狼男と雪女は戦争をしていた。
あの頃は親父が生きていた。日本に住む狼男のトップだった親父は立派だった。特に満月の夜に変身した後の、巨大な姿は壮観で、当時の俺は『早くあんな風になりたいもんだ』と思わない日はなかった。いや、今でも俺は父親の影を追っているのかもしれない。
ちなみに、狼男のリーダーは代々「シロキバ」と呼ばれている。親父は立派なシロキバだった。俺の誇りであり憧れだった。
狼男と雪女が戦争していたのは、生存場所を奪い合っていたからだ。
狼男は元々、ヨーロッパを中心に生息していたが、生息範囲は広かった。ロシアや中国でもいた。街の中で紳士を装って生活している奴が実は狼男、というのもよくある話だろう。逆に自然の中でほとんど野生同然に生活している奴もいる。つまり、どこにでも少なからずいた。
あの頃はいい時代だっただろうな。人間以外で、世界の裏の覇権は狼男が握っていた。朝日という弱点抜きにしても、夜の圧倒的な制圧力の前では、どんな妖怪も適わなかった。
日本が開国したのは、一八五三年のペリー来航だった。俺の曾曾祖父くらいの話だ。そこから徐々に海外から人が移住し始めた。そんな人々に混じって狼男が日本に入ってきたのは言うまでもない。
狼男は日本を新たな繁栄の地として目を付けていた。次々と、日本に元々住んでいた妖怪を殺し始めた。はっきり言って、日本の妖怪は弱い。ずっと鎖国されていて外との行き来がなく、人間も平和だったからだろうか。ぬらりひょんも、一反もめんも、河童も、どれも瞬殺できた。
イギリスがアメリカを植民地にするために、先住民を殺しまくったのと似ていた。外来種が在来種を減らしたりするのとも同じだ。こういうのは人間でも妖怪でも、虫ですらも同じことをするらしい。
しかし、雪女だけは、こいつらの強さだけは別格だったようだ。他の奴らとは比べ物にならない。日本の中の、世界の狼男の立ち位置はこいつらだった。逆に言えば、こいつらを制服してしまえば、この国は貰ったも同然のはずだった。
一八七五年には、狼男はかなり増えていた。来た奴が日本で繁殖したり、日本の人間と結婚したりして子供を作ったりした。戦うために数は十分なはずだった。だが、雪女にだけはどうしても勝てなかった。あいつらの氷を操る力は世界でも最強だろう。だからこそ、日本の妖怪は弱くても統制が取れていたのだろうかと思う。
雪女は、自分たちのことを『雪の一族』と呼んでいるらしいが、狼男はずっと『雪女』と呼んでいる。確かに、女が並んでいて、何かと思うと雪崩が襲ってきて、生き埋めにされかけるというのを体験すると『雪女』と呼ばざるをえない気分になるのは痛いほど分かる。
和解の選択肢は上がらなかったらしい。お互いに寒い地域が好きで、居住地の傾向も被る。また、狼としての本能か王者ゆえのプライドか、勝てないと諦めてしまうこと、相手を降伏させられないことが、許せなかったというのもあるだろう。どうしても雪女を殺さなければならなかった。
雪女と狼男の戦争は何十年経っても終わらなかった。その間で、戦争は激しくなったり、冷戦状態になったりした。一九四〇年の少し前から、人間の方の世界大戦に乗じて雪女との間で大きな戦争があったらしいが、決着はつかなかった。
いや、攻め込んだ狼男が必ず撃退されていると言った方が正しかった。なぜ、ここまでの力をこいつらが持っているんだ?日本というしょうもない島国で。他の妖怪は大したことないのに、こいつらだけが?
この頃に、親父が生まれた。狼男は人間より長生きだが、確実に老いて死んでいく。対して雪女はほぼ不死身らしい。気持ち悪い奴らだと思う。
そして時は経ち、一九八九年に、事件は起こった。
その頃は狼男と雪女の戦争も冷戦状態だった。もう百年以上争っていることになる。最初に日本に来た頃の狼男は全員死んでいる。しかし雪女は変わらずに生きているのが、何だか憎たらしく思えた。
俺は二十七歳で、親父が日本にいる狼男の長だった。
その日、俺は狼男が多く住む地区から雪女の里の近くまで偵察に出ていて、山の中を歩いていた。
十五匹の群れになって茂みを進む。辺りは真っ暗で、夜空からのかすかな月の光だけが俺たちを照らしていた。体中には万能感が溢れていて、一人や二人の雪女なら出くわしても狩れるような気がしていた。
しかし突然、全身が真っ白な光りに包まれた。その瞬間から体の中から生気が蒸発していくように感じて、焼けるような痛みに全身を支配されて変身が急速に解けていく。一切体験したことのない現象に、俺の頭では疑問符が浮かび続けていた。
これは、まるで日光のような……
仲間も同じように苦しんでいる。俺と同じように「何だこれは!」と怒りを露わにしている者や「夜なのに、なぜ……」とありえない出来事に困惑している者もいた。
「逃げろ!」と叫んだ時には、もう遅かった。
光が点灯した時から近づいてくる足音が、後方の少し離れた位置で止まった。
「うわっ!予想通りに効果抜群じゃん!本当に凄いね~コレ」
女がはしゃぐような声が聞こえた。甲高くて、耳につんざく声だった。女は茂みから現れて、木に取りつけられたライトをバンバン叩いている。
「壊れます、外山さん」と後ろに立っていた別の女が注意する。他にも数人、茂みから出てくる。雪女だった。
「あ゛?」
はしゃいでいた女は不機嫌な声を出して振り返り、注意した女の腹を殴りつけた。
殴られた女は土の上に倒れた。外山と呼ばれた女は地面で咳込んでいる女の腹の上に馬乗りになって髪をひっつかんで顔を近づける。
「私、その名前好きじゃないって言ったよね?今のこの状況、誰のおかげだと思ってんの?分かってる?次にその名前で呼んだら殺すから」
言い終わると、外山は女の髪を離して、再び俺たちの方に向き直った。
「ホントに気が付かないなんて、馬鹿だね~。赤外線のセンサーなんて、コンビニでも付いてるよ。オオカミさんは、ずっと山暮らしだから分からなかったのかな?」
俺たちは全員、完全に変身が解けてしまって虫みたいに地面を這いずっている。体の表面が石化してしまったみたいに硬くて動かない。痛みも走る。
多分、急に変身を解いたせいだ。普通は夜明けが近づき月が薄れてるにつれて徐々に力が弱まり、変身が解けていくのに、その二時間か三時間を数秒で強制的に行われたのだ。
「ずっと山の中で何百年も変わらない暮らししてるから、文明の利器を知らないままなんだよ。原始人と現代人が戦争しても勝負にはならないんだよね~」
他の雪女がクスクス笑う声が聞こえる。
「君たちもだよ?感謝してよね!」
外山は再び振り向いて、雪女を子供を注意するように指差す。
完全に勝利を確信して気が抜けている。俺は仲間たちと目配せして、体を無理矢理起こして駆けだす。足が上手く回らずにガタつく。
ドスッ。俺の隣の仲間の足に、氷でできた蔦が突き刺さっていた。後ろを見ると、外山の手から、その氷の蔦は伸びている。
「逃げちゃ駄目駄目~。駄目よぉ~、駄目駄目。実験体になってもらうんだから~。どんくらいの光を当てた時にどんな風になるかを調べるためのね」
蔦が縮んで、仲間が断末魔のような叫び声を上げながらズルズルと地面を引きずられて行く。
続けてつららが飛んでくる。他の雪女が何か呪文をブツブツ唱えた後に現れた物だ。先端が磨かれたみたいに鋭い。他の仲間も、次々とつららに刺されて倒れていく。
「あぁ、君らはいいよ。全部、私一人でやるからさ。君らは不器用だから大体がつららみたいな氷しか出せないでしょ?ったく、雑魚が」
外山の呆れたように制する声が聞こえる。
俺は足につららが突き刺さったものの、茂みの暗闇に飛び込めそうな位置まで来ていた。しかし、新たに背後から空気を切る音が近づいてくる。
もう駄目だ、と思った時、腰の下から「ドスッ」という音がした。が、痛くなかった。後ろを見ると、仲間の一人が膝を地面につけて屈んだ体勢になっていた。氷の蔦が背中に突き刺さっている。
「行ってください」と小さく言われた。
俺はその目を見つめながら、茂みの暗闇に入った。
「あ~あ~、逃がしちゃった。まぁ、一匹くらい別にいっか」
必死に走る後ろから、こう呟く外山の声が聞こえた。
俺はひたすら逃げた。しばらく走って、我に返って後ろを向いた。仲間は一人もついて来てなかった。
足を引きずりながら、狼男の住む山に帰った。日本の山に狼男が占拠している聖地のような山がいくつかある。俺はその総本山の子供だった。山では地面の至るところから氷が突き出ていて、狼男の死骸が転がっていた。俺が死にかけている間に、ここも同時に襲撃されていたのだった。
この時、狼男の繁栄の歴史は幕を閉じた。そして、日本における、雪女と狼男の戦争の歴史も終わった。
狼男は雪女に全面降伏した。反撃しようとしても、光で変身を解かれて氷で串刺しにされるだけだった。完全に無力になり下がる。アメリカの持つ原子爆弾に対してどうしようもできない日本と同じようだった。
親父は襲撃を受けた時に死んでいたが、死体は雪女によって運ばれて、斬首の後に首をさらされた。
それから狼男は雪女の完全な配下となった。雑用係とも言えるし、家来、部下とも言える。生き残った多くの狼男のプライドは完全に崩れ去っており、呆然とした頭でそれを受け入れていた。いや、奴隷という言葉が一番しっくり来る。
雪女の勝利は徐々に広まり、海外の狼男も次々と殺された。何百年も覇権を握っていたのが多くの妖怪は面白くなかったのだろう、俺は見てないが、いたぶるようにむごい殺され方をされたらしい。
あの太陽光を発生させるライトは、元々、注意しておくべきだったのだ。今となっては後の祭りだし、そんなことは不可能だったと思う。人間の科学技術は産業革命の頃から飛躍的に向上していたのだ。狼男はあまりにも傲慢で、無警戒だった。
一八〇〇年前後にガス灯や石油ランプができた時は『便利な物を作った』としか思わなかったのだろう。燃焼による光だから、紫外線を含まない。太陽光とはほど遠い。
エジソンが白熱電球を作った時も、蛍光灯が普及した時も、全く警戒してなかったようだ。そもそも、快晴時の紫外線を千とすると、雨の日は三百、白熱電球は四、蛍光灯は一なのだ。
勿論、紫外線だけでなく、時刻や季節、周囲の暗さや、月の大きさにも左右されるが、電球や蛍光灯など、体感ではほとんど影響を感じなかった。気にしないで変身して動き回れた。
しかし、狼男を倒すためだけの光を、特化して作るとは思っていなかった。そもそも、ここで初めて狼男は光で無力化されうるということを知ったのだ。
狼男からすれば、数百年間はずっと農家と職人の時代だったのに、このような急な変化など想像も対応できるはずがなかった。
後に知ったが、雪女はこのためだけに、大学とメーカーを協力させてこの光源を作らせたようだった。太陽光の白色光に近づけて、光の散乱も少なく、レーザーのように真っすぐ進むのが売りらしい。
頭の固い雪女を、一体誰が指示を取ってそこに導いたのか。俺にはそこが疑問だった。まさか、あの外山という女か?
雪女が憎い。そもそも、妖怪と人間は不干渉が基本だったのだ。『人は人を殺してはいけません』というように、これは妖怪の間では世界中で共通の常識で掟だった。なのに、人間に頼んでこんなものを作らせやがった。
人間が憎い。お前らが変に技術を発展させて、俺たちから夜と月を奪いやがった。狼男が没落したのは、半分はお前らのせいだ。
いつか必ず、再び狼男が支配を取り戻す。そうしたら、この二つの種族だけは容赦はしない。絶対に許さん……
雪女は狼男を配下にして、奴隷のように使う。他の妖怪の牽制や偵察、荷物運び、簡単な戦いなどを任される。
そんな日々に身をやつしていた先月のある日、雪女の長に呼び出された。
東北の、田圃と畑と老人ばかりの、普段から人の行き来が少ない地域の先の、森と言って差支えないような山々を進んだ所に、雪女の総本山はある。国会議事堂が置かれている首都みたいなものだ。
冬には雪が降り積もって隔離されたように人の行き来が難しくなり、人間が無暗に歩いているとほぼ確実に途中で道に迷って凍死するだろう。しかし狼ならば迷わないし、雪に慣れている。暑い中を日中に歩かされる方が迷惑だった。汗と共に苛立ちがふつふつと沸き上がって来る。
立ち並ぶ古臭い家々の中に、一つだけ大きな日本家屋があり、その一番奥の部屋に向かった。部屋の中は薄暗く、隅に行灯が置かれているのみだ。そんな中に、一人の女性が突っ立っていた。
女性にしては背が高く、白い着物を着ていた。漆をぶちまけたような黒い髪が腰まで届いていた。これぞ雪女の女王と呼ぶべき姿だった。狼男の長が「シロキバ」と呼ばれているように、雪女の姫は「銀霰姫」と呼ばれている。
「おゆきが帰ってこない。弟を向かわせたが、音沙汰がない。お前が見てこい。どうやっても、連れて来い」
雪女の女王は端的な言い方で、俺に言った。
俺は一瞬、この場でこいつを殺してしまえば全部終わるのではないかと思った。しかし、そんな野望は一瞬で消え去った。本能で分かる。自分よりも圧倒的に強い。こいつに逆らったら確実に殺されると。
「仰せのままに」
こう言って俺は頭を下げた。銀霰姫は頷く。面倒くさいことを頼まれてしまった。ふざけやがって、と心の中で毒づく。
「カミヤをつける」と銀霰姫が言った。
「よろしくね~」
ヘラヘラ笑いながら男が出てきた。この口調をどこかで聞いた気がするが、頭の中に靄がかかったようで、どうにも思い出せなかった。外見も見覚えがないし、声も聞き覚えがなかった。そもそも、男の雪女など数が少なく滅多に出会わないのだから会えば覚えているに違いない。気のせいだろうと思った。
銀霰姫に呼ばれたのはそれだけだった。十五分にも満たない用事だ。さっきまで何時間も苦労して歩いてきた山道を、再び引き返している。手紙かメールを出せよと思い、さらに苛立つ。
後ろからカミヤもヒョコヒョコ歩きながらついて来る。聞いてもないのに、『おゆき』という雪女のことをベラベラ喋っている。
「その雪女ね、今は大学に通ってるらしいよ。今は夏休みだけどね。そんなに人間ごっこが楽しいか?って思うよ。名前まで変えてるらしいし。『真城由紀』って名前にしてるんだって。真っ白い雪。適当だよね。長いこと生きてりゃ、その場所に応じて何回か名前を変えたくなる時もあるだろうけどね、もっと名前にはこだわらないと。俺なんか、もう五回は変えてるよ」
蝉の声が喧しい上に、カミヤの声も騒々しい。暑いんだから勘弁してくれと思う。顔を汗がだらだら流れる。
そんな俺の心中もお構いなしに、カミヤは続ける。
「俺、実はあの女が今どこにいるか知ってるんだ。どんな人間といるのかもね。もう準備は進めてるんだ。作戦も全部俺が考えるから、君は安心して言われたとおりに動いてくれればいいよ」
カミヤはスキップして前に出て、クルリと振り返って俺に指を差す。
「というか、言われたこと以外すんなよ?所詮、君らは雪の一族の駒に過ぎないんだから。俺の一声で君らなんていつでも殺せるんだからね?脳筋なんだから、君らは黙って筋肉だけ動かしてりゃいいの!キャンユーアンダスタン?」
俺はカミヤの目をじっと見つめる。コイツもいつか殺す。
カミヤは自分の考えた作戦を喋る。それを聞いたが、あまり腑に落ちない。
「そんな回りくどいことしなくても良くないか?夜道を背後から襲えば、一発じゃないか?」
「駄目駄目~。こういうのはちゃんと筋書きを書かないと。一見無駄なことにも意味があるもんだよ。その方が、劇的だ」
まぁ、この馬鹿が何を考えていようとどうでもいい。俺は言われた命令をただこなすだけだ。
俺の中には怒りしかない。今は雪女に従っているが、いつか狼男を増やして力を取り戻す。そして復讐する。俺たちが負けたために殺された親父のために、ズタズタに踏みにじられているプライドを立て直すために。再び覇権を取り戻すために。シロキバとしての誇りを賭けて。
雪女を殺す。その後に、協力した人間も殺す。
俺の目的は、これだけだ。
これは、その前哨戦なのだ。
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