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第三十話 サバンナとバッテリー


 コンドーは強くアクセルを踏む。体が後ろに持っていかれて、シートに背中と頭が沈む。さっきまで、法定速度をやや超えるくらいで走っていたはずだ。運転席の時速表示は角度的に見えないが、確実に百二十キロは超えているだろう。窓の外を過ぎる景色が急に早い。


 後ろを見ると、狼たちは僕たちをしっかりと捉えて追いかけていた。さすがに追いつけないだろうと思っていたから、ド肝を抜かれた。距離が開く気配はない。地響きのような足音も小さくならない。


「何で追いつけてるんだよ?早すぎるだろ、あいつら」


 僕は信じられないという風に呟いた。


「そうでもありまセン。狼は最高速度七十キロで獲物を追いかけまわすことができマス。猫ですら本気を出せば五十キロで走れるらしいですから、少し遅いくらいデス。飼い慣らされた家猫には無理でしょうけど。ちなみにチーターは百キロ越えデス。あいつら狼男は通常の狼よりも大きく、身体能力も高いデス。今日は満月ですシ、正直、まだスピードは出せるデショウ」


 コンドーが狼の生態について解説を始める。バックミラーで見ると、話す時に口の端しか動いてない。アクセルを全身の力で踏み込んで、一緒に歯まで食いしばっている。どおりで、声が少し変だと思った。今は頭がいっぱいなのだろう。話も所々まとまりがない。


 僕は引きつった顔で頷いておく。何と言えば良いのか分からない。何も言わない事にする。再び後ろを見る。狼は確かに付いて来る。完全に狩りをされる側だ。心の中で『ヤバい』と連呼する。サバンナのバンビの気持ちが分かった。


「ヤバいですネ。狼はその最高速度のまま二十分走れるらしいデスシ。今はとにかく、すこしでもスピードを落としたら終わりデス」


 コンドーは言った。

 どうやら声に出ていたらしい。今日はこれが多い。


 由紀は顎に手を当てて黙り込んでいたが、ボソリと言った。


「どうして、私たちの場所が分かったんだろう」


「それも分かりまセン。今はとにかく、逃げ切ることが最優先デス」


 訝しむような視線を、由紀はコンドーの方に向けていた。

 先頭で走っていた一匹の狼が、グンと速度を上げた。車に近づき、今にも飛びかかろうとしている。昔にテレビで見た、多数のメスライオンが一頭のゾウを追いまわして、背後から飛びかかって噛みついていた映像が、頭をよぎった。


「おわっ」

 僕とコンドーは小さな悲鳴を上げた。


 由紀は後方へ手の平を向ける。空気中から、菱形の氷が現れる。水色に塗られたトランプのダイヤが浮かんでいるように見える。それを矢のように射出した。

 ダイヤ型の氷は後方のガラスを割って貫通して先頭の狼の方へ一直線に飛んでゆく。狼は軽やかにジャンプして、それを躱す。そして少しだけスピードを落とし、群れの中に戻った。


「窓ガラスが……」


 コンドーの呟く声が聞こえる。由紀は気にせず手を開いたり拳にしたりして「よし。大分戻っている」と言っていた。


「ミシマさん。後ろ荷台に手が届きますカ?」


 コンドーが言った。まだ声の調子が少し沈んでいた。


「なんで?」


「荷台に、倉庫で使ったライトを二つ、乗せているのデス。バッテリーと一緒に紐で括りつけてイマス。牽制くらいにはなりマス。ちょうど、後ろのガラスに穴が空いてしまいましたシ……」


「ごめんなさい……」と由紀が小さく謝る。


 僕はシートベルトを外して後ろを見る。ハイゼットだから、ちょうどバックガラスの後ろに荷台がある。そのガラスが割れたせいで、轟音と共に空気が入って来ている。

 確かに、後ろに紐で固定された箱型の機械はある。その横の箱に照明が入っている。


 いや、無理だろ。正直そう思う。でも、弱音を吐いている場合ではない。


 由紀のダイヤ型の氷で、牽制ついでに後ろのガラスを全部割ってもらう。ガラスに体を引っかけて怪我をすることはなくなる。


 僕は座席の上に立ち、下半身を車の中に置いたまま、上半身を荷台へと出す。耳に風の音が響いて何も聞こえないし、まともに目も開けられない。髪がバサバサと乱れて眉毛の横に当たる。由紀が腹部を掴んで車の中に引っ張ってくれている。


 コンドーが「横に電源をオンにするスイッチが付いていマス」と言ったので、薄目を開けてバッテリーに手を伸ばす。なかなかに大きい。


 バッテリーがあるのは分かるが、暗くてスイッチがどこにあるのか分からない。ボックスの側面を手で撫でるように触っていると、引っかかりを感じる。


 これだ。スイッチを人差し指に引っ掛けて、手を上に振った。

 荷台の端に置かれている箱の上側から光が漏れていた。箱は蓋がなく、ライトは下向きに置かれているのだろう。それでも光がこれだけ漏れ出しているという事は、ライトから照射されている相当に強い光に違いなかった。


 箱の淵を両手の指で掴み、引き寄せる。かなり重い。上から出ているコードが絡まらないように気を付ける。僕は箱を両手で車の中に体を戻す時に、一緒に持ってきてしまう。火事場の馬鹿力という奴だった。


 外から無事に体が戻ると、由紀の安堵の溜息が聞こえた。僕も怖かった。

 車の中が急に明るくなる。僕は運転席の方を照らしてしまわないように気を付けながら、ライトを右腕と左腕で一つずつ抱えて、後方に傾けた。


 薄暗かった道路が、一気に白く照らされた。道路が凄い速さで流れているのが明らかになる。その先に、狼たちが隊列を組んで走ってきている姿が鮮明になる。目が黄色く光っているのまで見えた。


「キャン!!」


 先頭を走っていた狼は、犬が前足を踏まれた時のような叫び声を上げた。派手にこけて、後ろを転がるようにして闇に消えて行った。途中で仲間を二匹つまづかせて、道連れにしていった。


「距離をとれ!」


 低い声が響く。一匹だけの巨大な狼、枝川から発せられたものだ。この一声で狼たちは車から少しずつ離れていく。


 姿は見えないくらいまだ離れたようだった。だが、地響きのような足音は続いており、奥の暗闇の中から目玉がキラリと光る。狼たちの獲物を狙う意思は消えていない。


「やはり、二つだけでは効果は薄いようデスネ。屋外では光も分散しマスシ。牽制くらいにしかなりませんカ……」


 コンドーがブツブツと一人で言っている。

 僕は右手と左手の片方ずつで、後部座席からライトを支えている。後部座席に立てかけているからマシだが、それでも重い。プルプルと腕が震えた。


「このライト、何時間くらい使えるんだ?」


「……恐らく、三十分は持ちますガ、一時間は持ちまセン」


「マジかよ。まだ一時前だぞ」


 再び、狼の吠える声が響き渡る。今回のは遠吠えではなく、怒りを込めた短い鳴き声だ。その後に唸り声が続いている。


「ふざけやがって……このやり口、誰から教えてもらった?」


 枝川が唸り声を混ぜながらこう問いかける。


 僕は当然のことながら何も知らない。知っているとすればコンドーだ。コンドーを見ると、真剣な面持ちで黙っていた。

 この沈黙がさらに枝川の唸り声を増幅させる。



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