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第十八話 風呂場とメッセージ


     ♢


 中野君と、その愉快な仲間たちと別れてから、私たちも帰ることにした。講義が終わってから結構時間が経ってしまっている。いつの間にか太陽がオレンジ色になって山に近づき始めている。


 春樹とは大学の正門を出てから、五分くらい同じ道を通って分かれる。「また明日」と言って遠くなっていく背中を、愛おしいと思いながら見送る。向こうも少し離れてから自転車を止めて、こちらを振り向いた。遠くの顔と目が合う。同じことを考えていたのだろう。私が少し照れくさくなっているように、春樹も照れくさそうにしているのが分かる。


 私は右手を振る。春樹も固まってしまった顔を崩して笑みを浮かべる。手を振ってくれる。数秒間手を振り合い、胸が温かい気持ちのまま、今度こそ帰る。


 一人で自転車を漕ぎながら、少しだけ冷たくなった風を感じる。普通の人間には分からないだろうけど、雪女は温度に敏感だから少しの気温の変化にも気が付く。また、あっという間に秋が来るなぁ、と思う。


 アパートの前に着く。鞄から鍵を出してドアノブに差し込む。ドアを開いて玄関が目に入ると、最澄が襲って来て会いに行く時の午前、春樹をここで待たせたことを思い出す。あの時は大変だったと思う。思い出すと、春樹の家に半ば強引に泊まろうとした自分の言動が恥かしくなる。


 あれから、春樹の家には何度か遊びに行った。初めに行った時よりも、片づけられていた。私の部屋に来たことはない。だから今度呼んでみようと思う。そう考えると、たいして散らかってないけど、掃除はしておこうという気になる。


 鞄を置いて、風呂場に向かいながら半袖の白いブラウスを脱ぐ。汗で服がペタッと肌に張り付いていて、少し引っ張られる感覚がする。下着だけの姿になり、脱衣所に服を入れた。


 二の腕の半ばぐらいを境界にして、肌の色が分かれていた。こんなに日焼けをしたのはいつぶりだろうと思う。雪女はほとんど日焼けをしない。だから注意を凝らしてよく見ないとほとんど分からないくらいだけれど、自分の体にかすかに夏の生活の跡が残されていることを嬉しく思う。


 冷水のシャワーを顔から浴びると、全身の毛穴が引き締まる感じがする。さっきまで熱かった顔に爽やかさが広がるのが気持ちいい。手の平で腕を擦ると、汗のべたつきがとれて、すべすべした感触に変わっていく。


 シャワーを浴びると同時に風呂に水を貯めておいた。足の先から水風呂に入って肩まで浸かる。本当なら雪山に行きたいけれど、それは叶わないので、一日分の冷気をここで注入する。


 右手を顔より少し高い高さに上げた。中指の第二関節辺りをじっと見つめる。数秒の静寂の後に、肌の上でいくつかの水滴が小さな破裂を起こして撥ねた。私は風呂に入っている時によく、この遊びをする。人間が湯船の表面で少し緩んだ拳で空洞を作って、握って水を飛ばしてみるのと似ている。


 原理は簡単だ。肌の表面の塗れている水に感覚を集中させる。その水の膜にも、目ではほとんど見えないけれど、微妙に厚さがある。肌に接している側と空気に接している側があり、肌に接している側だけを凍らせるイメージをする。


 すると、瞬間的に指の表面だけ凍るけれど、表面はまだ水の状態で、水が氷になった時の瞬間的な衝撃と体積の増加とで外側の水滴が押し出されて吹き飛ぶのである。少し集中が途切れると、空気に触れている水まで凍らせてしまう。肌の氷は薄いので、二秒も経たないうちに溶けてなくなる。

 これは見かけよりも繊細な動作を必要とする。普通の雪女だと、風呂場の水を全て凍らせてしまうだろう。相当うまく行って、腕の表面の水だけを凍らせるくらいだ。私の他にできる者を一人も見たことがない。


 こういうことが癖になって、風呂場や雨の日にしているから、私の氷の動作性は他の雪女に比べて精密なのかもしれないと思う。私は氷の鎌を自在に操れるが、ほとんどの雪女は大味に氷を出すことしかできない。人間を殺す時も氷漬けにするか、何秒もかけて生成したつららで刺すか潰すしかない。


 しかもその氷は使い捨てで、体力も使う。氷の鎌だったりだと、一度形成すると決着がつくまでずっと使い続けられる。俊敏で氷の速度も、ただの氷の物と比にならない。


 強くなりたかったわけではなかったけれど、ずっと続けていた遊びが何百年も積み重なって機敏に氷を操る力となった。


 強くなろうとする雪女のほとんどは、氷をいかに多く出すかしか考えてない。でも、それは先天的に決まってしまっている。はっきり言って無駄な努力だし、大体、勝負は一瞬で決着がつく。先に出した方が勝つ。悠長に力を込めて巨大な氷を出すよりも、そんな隙を作った相手の首を撥ねた方が早い。最澄との戦いがいい例だ。


「いけない、いけない」と私は我に帰る。ボンヤリとした視界がクリアに戻って来る。まだ殺伐とした生活だった頃の思考回路が後遺症みたいに甦って来る時がある。


 ふぅと息をついて、風呂場の天井を見上げる。


 はやく、明日にならないかなと思う。春樹に会って話したい。土曜日にどこか出かけたい。

 たまに夜にも話したくなって、電話する時がある。自分にもこんな現代的なことができるなんてと感動する。春樹は眠そうな声音になっても、文句も言わずに応じてくれる。申し訳ないと思いながらも、私に付き合ってくれる優しさにキュンとする。


 今日も電話してしまうだろうな、と思いながら風呂の扉を開ける。手の届くくらいの距離に置いていたバスタオルの上のスマホが光っている。スマホにメッセージが届いている。先に向こうから連絡をくれたのかと、胸が高鳴る。


 スマホを開いて宛先を確認する。見覚えのない文字列に私は首を傾げた。


     ♢



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