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第十七話 季節と麻雀


 憲法の講義は午後の三時四十分に終わった。今日はこれで終わりだった。僕は教科書とノートを鞄にしまう。隣に座っていた真城さんは背伸びをしていた。弘は自主休校にしているのか朝から来てなかった。この時期になるとサボり癖のある奴は完全に常習犯になってしまっている。


 僕たちは生協付属の本屋に寄って、そのままテラスに座って話していた。所々、屋根のある机と椅子が散らばっていて、談笑している人がいる。僕たちもその中の一人だった。先週に出たスタバの新作を飲みに行こうという話をしていた。


 時刻はまだ四時過ぎで、まだまだ暑く、太陽は高かった。遠くの空はオレンジ色に染まろうとしていた。


 もう今日はやることがないのでいつ帰ってもよかった。課題も出されてない。家庭教師のバイトもない。気楽なものだった。今日は授業が多めで少し疲れていたのも、体にちょっとした充実感を与えていた。そんな寛いだ状態でダラダラと由紀と話をするのは幸せなひと時だった。


「相変わらず仲が良いな。ラブラブオーラを撒き散らしやがって。後で拾っとけよ」


 後ろから濃い影が僕を覆った。振り向くと、弘が立っていた。上はTシャツを着ていて、ラケットを背負っている。ずいぶん日焼けしたように見える。


 由紀が「久しぶり」と小さく手を上げると、弘は「久しぶり」と手を上げ返した。


 僕が「おぉ、久しぶり」と言うと「お前は一昨日に会っただろ」と言われた。

 何が嬉しいのか、弘は上機嫌だった。僕と由紀を交互に指さしながら浮かれた様子だった。


「夏休みの間に親密になり過ぎだろ。俺の隙間ねーじゃん。結局、春樹とも五回くらいしか会わなかったしさ」


 弘は俺の隣に座りながら愚痴り始める。俺はそれに反論する。


「お前、帰省したりサークル行ったりで、ラインしてもずっと『すまん今は無理だ』って言ってばっかだったじゃん。毎回、変な写真送って来るしさ」


「変な写真?」

 由紀が疑問に思ったらしく、質問してくる。


「あぁ、こいつ、『実家なう』って言って地元の無人駅とか、海とか犬とかの写真を送ってきてたんだよ。それからは、『晩御飯なう』とか『教習所で初路上なう』とか、最終的には『お風呂なう』とか言って風呂に入ってる写真送って来たんだ。見る?」


「いや、遠慮しておくよ」

 由紀は口元を歪めて拒否する。普通に嫌そうだ。そりゃそうだ。


「僕はツイッターじゃないんだけどな」


「そんなこと言って、寂しかったくせに」


「いや、ちょっとウザかったけど。多い時とか一日に十五個くらい写真送って来たじゃん」


「でも面白かっただろ?」


「面白かったけどさ」


 その時のことを思い出して、つい笑ってしまう。僕は帰省もしていない。僕も免許を取りに行ったら良かったかもしれないと思う。だとすると三十万くらい金が必要になるって弘が言ってた。来年の夏だったら無理なく貯められるような気がするから、来年でいいか。


「免許取ったから、今度ドライブしようぜ」と弘は呑気に言っている。


 免許、いいな。もしかしたら由紀とドライブなんてこともできるかもしれない。

 僕が夢を膨らましていると、弘が由紀に話かけている。


「好き放題言われたけどさ、こいつもこいつで、ラインでは真城さんにのろけっぱなしだったんだよ。会話の内容残ってるから見る?」


「おい、マジでやめろ。一生恨むぞ」


 弘がスマホを出そうとする手を爪を立てて掴む。「怖っ」と弘は笑っていた。

 由紀は弘が出したケータイを覗き見ようと体勢を少しだけ傾げていた。いや、何を見ようとしてるんですか。

 なんか懐かしいな、このノリ。ずっと休みもいいけど、やっぱりこういう学校に来て友達に毎日会うっていう方が楽しくて好きかもしれない。ちょっと疲れるけども。





 ふと、僕たちのすぐ後ろの人影が動かないことに気付く。どうやら関係ない人ではないらしい。たまに弘をチラリと見ながら、ジュースを飲みながらだべっている。


「それはそうと、後ろの人たちはどちら様?」

 僕はようやく尋ねる。由紀も振り向く。


「あぁ、忘れてた」と弘は思い出したように言った。「さっきまでサークル行っててさ、その終わりなんだけど」


 そういえば、こいつまだ授業で二回しか見てないぞ。さっきまでサークルってどういうことなんだ?と思う。

 弘は後ろの三人に手招きする。三人は弘に気付いてこちらへ近づいてくる。


「こいつは吉永。明るいだけが取り柄の男だ」


「うっす」


 男は体育会系な挨拶をして頭を下げた。髪を茶色に染めている。軽そうな若者という印象を受ける。僕も若者だけど。


「吉永は学科は違うけど同じ学部だぞ。授業も同じの多いし」


「そうだっけ?」


「お前は真城さんしか見てないもんな」

 弘は分かりやすく溜息をつく。


「たまに話してたんだよ、お前の事。学科の友達に面白い奴がいるって」


「俺は面白くないだろ」


 僕が弘の評価を否定すると、弘は真城さんに向かって「面白いよね?」と聞いた。

「面白いよ」と真城さんはクスクス笑いながら言った。


「マジ?」

 僕は驚く。少し馬鹿にされているような気がして仕方がない。ちょっと深堀して聞きたくなったが、弘が先に言葉を発する。


「まぁいいや。で、こっちが加藤。工学部の陰キャメガネだ」


「おい」


 加藤が突っ込みを入れる。確かに少し小柄で黒縁メガネは真面目そのものだ。これも、僕があれこれ言えることではないけれど。


「最後にこいつが枝川しかわだ」


 弘は奥に立っていた男を指差して言った。身長が高い。百八十センチは余裕で、もしかしたら百九十くらいあるんじゃないか?おまけに筋肉質だ。戦ったら絶対に負ける。髪は肩の辺りまで伸ばしていて、前髪は掻き上げている。正直、ちょっと怖い。枝川は浅くお辞儀をした。


「で、改めてこっちが三島と真城さん」


「よろしく」


 弘が僕と由紀を指差して言った。何をよろしくするのか分からないが、とりあえずお辞儀をしておくことにする。由紀もお辞儀をしている。


「この二人はどういうつながり?」

 加藤が弘に聞く。地味にイケボだ。


「加藤にはあまり話してなかったな。夏休みくらいから付き合ってんだよ。それで俺がキューピット」


「お前、何もしてないじゃん」


 僕が言うと、弘は「分かってないなー」と両手の手の平を向け、目を閉じて首を振った。なんて腹が立つポーズだろう。


「何で俺には矢を刺してくれないんだ?」吉永は不平そうな溜息をついた。「俺も彼女欲しいわ。大学入ったら自動的にできると思ってたのに、もう八分の一終わった。おいキューピット、ちゃんと仕事しろよ。というか、真城さん、誰か紹介してくれない?この通り。何でもするからさ」


「お前に何ができるんだよ」


 吉川は目を瞑っておでこの前で手を合わせるが、弘が冷静にひどい事を言う。由紀は身を引き、苦笑いして困っている。僕はそのちょっと困っている様が新鮮で面白くて、つい放置してしまう。

 だんだん分かってきた。吉川はお喋りで騒がしい奴だ。弘の友達なだけある。加藤は真面目でクールな眼鏡だ。理系のインテリメガネという言葉が似合う。


 あとは枝川だが、この男は全く喋ってないから分からない。突っ立っているだけでほとんど表情を動かさないし、相槌も打たない。笑いもしない。何を考えているのか全く分からない。捉えどころのない奴だ。


「というか、何か僕に用事があるんじゃないの?」


「そうそう、そういや春樹、麻雀やらない?」

 吉川が由紀に絡んで騒いでいるのを横に置いたまま、弘が俺に言った。


「突然だな」


「俺も最近始めてハマってさ、でも人数が揃わない時が結構あるんだよな」


「一応やったことはあるけど、ルールうろ覚えなんだよな。覚えるの大変じゃん、あれ」


 一度、覚えようとして挫折した経験がある。昔、親戚に「大学生になったら麻雀の沼には気を付けろ」と語られた。大学生を引きずり込む魔力があると注意していた。その親戚も中国語の勉強をし過ぎて留年しかけた過去があるらしかった。だから僕は麻雀という言葉に警戒心を抱いていた。


「余裕だよ。ポーカーみたいなもん」


「ポーカーは嘘」 

 吉川が弘の方を向いて言った。由紀は解放されて安堵の息をそっと吐いていた。


「まぁ、考えとくわ」と僕は曖昧な返事で濁しておいた。


 やってみるのもいいかもなと思った。その親戚の「麻雀か将棋の両方ができるようになってたら、将来役に立つことがあるぞ」という言葉も思い出した。しかし、これにかまけて由紀との時間を削ってしまわないようにしないとなとも思った。


 この後もしばらく話した。よく喋る人が同じ場所に二人いると、一気に場が騒がしくなる。騒がしさとは足し算ではなく、かけ算になることを知った。


 やがて弘とその愉快な仲間たちと別れ、由紀ともスタバは明日にしようと言い合って、途中まで一緒に帰ってバイバイした。


 帰り道にポケットに入れていたスマホが震えた。自転車を止めて見てみると、弘から集合の日時の指定が送られていた。勝手に約束を決められたのは思う所はあるが、予定もなかったので了解の意を返信した。こういう所で簡単に了解してしまうのがいけないんだろうなと思うが、怒ったりするほどの事でも怒る体力もない。


 再び自転車を走らせる。「あれ?」と疑問に思う。頬にそよぐ風が、これまでよりも少し冷たくなっていることに気が付いた。電柱の傍に蝉の死骸が落ちていた。耳をすませてみるとつい先日までは全方位からやかましく聞こえていた蝉の鳴き声は、遠くから聞こえるくらいになっていて、耳をつんざくほどではなくなっていた。


 分かりにくいけれど、確実に秋は近づいている。そしてまた、大学生活が始まったのだ。そう実感させられた。


 僕は何だか嬉しくなってしまって、足の裏に力を込めて、ペダルをさらに速く漕ぐ。


 新しい季節が始まろうとしていた。



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