第十四話 恐怖と心
気が付くと、俺は死体に囲まれていた。
地面から木のように伸びた氷のつららで、十人以上が刺し殺されていた。皆、村人だ。腹の真ん中を貫通して、空中に引っかかったまま死んでいる。腹と口から大量の血を流して、目を見開いている。脳天を貫かれて即死した者もいる。
村中の家は全て氷で覆われている。すぐ横にまとめて氷漬けになっている三人の男がいた。姿は生きている時と変わらず、時間が止まったみたいに動かない。死んでいるようには見えない。
頭の中で薄れかけていた映像が浮かんで来る。歩きながら、一歩歩くごとに足元が凍り、そこから円上に氷が広がる。逃げる村人の足元が凍り、その場から一歩も動けなくなる。彼らは悲鳴を上げる。俺は手を向けて氷を放出する。氷は衝突せずに人をすり抜ける。全身が氷に浸かると、氷は流れを止めて静止する。氷漬けが一体完成する。村を練り歩きながら、逃げたり隠れたりする人々に対して、ひたすらこれを繰り返した。
俺は虚ろな目で村を徘徊した。初めて見る景色だった。氷の世界の中で、村人は一人残らず全員死んでいた。
村中を覆っている氷は、所々、高い波のようにうねって小さい山を形成していたりする。その中に目を開けたまま動かない村人が入っていたり、その山の横に一本のつららで三人が串刺しになっていたりする。
子供と一緒によく行った川が頭から離れない。いつか海に連れて行ってあげるよと言った。その約束は叶わなかった。それを悔みながら氷を作ろうとしたら、足元に氷の波ができていた。
立って鎌を持ったまま氷漬けになっている男がいた。俺は記憶を探った。この男は背後から俺を斬り殺そうとして、俺の足元から押し寄せた氷の波に浸かり、そのまま頭の先まで凍り付いているのである。表面に手を当てて氷に力を込めると、ヒビが入り、中の人間もろともバラバラの破片になる。
辺りはもう薄暗くなっている。周りからは虫の声一つ聞こえない。
俺は周囲から悲鳴が聞こえなくなって、我に返ったのだった。悲鳴を上げることのできる生き物がいなくなったことで、ようやく自分自身に気が付いたのだった。それまで無意識に殺し続けていた。
もう誰もいない。俺しかいないのだ。全て、終わってしまったのだ。
俺はかつての我が家の前に戻ってきて立ち尽くす。意識が一瞬、「何してるの?入らないの?」「お父さん」と言われて振り向く準備をする。しかし声はない。違和感を感じて、後ろを見る。さびれきった家の中は氷で覆われている。
頭の中で何かが切れる音がした。
俺は叫び声を上げた。
俺のせいだ。俺がいなかったら。妖怪でなかったら。ここまで好きになってなかったら。全部、失うことはなかった。
俺は村を後にして、雪の里に帰った。それからはほとんど記憶がない。
布団に潜り込んで、頭を抱えて泣き続けた。何か他の事を考えようとしても無理だった。自分のしたことや、かやと子供のことが数秒後に頭をよぎる。悲しみが溢れて来るばかりだった。この世の全てがとにかく怖くて仕方なかった。水も飲んでいないのに涙は枯れなかった。
時々、外に出ようとして、雪で覆われた地面を見ると、動悸がした。そこら中に死体が散らばっている。全ての死体の目が俺の方を向いている。血で地面が白から赤へと侵食されて行き、俺の足元へジワジワと近づいてくる。再び飛び込むように家に戻り、動悸を静めていると、また涙が出てきた。
何千回も日が昇っては暮れた。戸口から光が差し、しばらくすると暗くなり、また明るくなった。一日がただこれの繰り返しで、十秒くらいに思えた。変わらない生活を繰り返し続ける一日はこんなに短かったのかと思った。
この苦しみはいつまで続くのだろうか。俺は自分で自分を消してしまうことを考えていた。しかし、それをできずにずるずると毎日を死人のように生きていた。
ある日、カミヤが俺の所に来て言った。
「最近、お前の姉の様子がおかしいぞ?人間に恋をしたのかもしれない。どうする?」
これを聞いた時、姉さんが暗闇の底から出てきた手に足を掴まれたように思えた。
駄目だ。雪女が人間に入れ込むなんて絶対に駄目だ。俺と同じ、こんな苦しみを味わうなんて。
すぐに人間の方を殺さなくては……まだ思い入れが少ないうちに……全てを失わないように……
「やめろ……その人間から離れてくれ……本当に、できれば姉さんは傷つけたくない……」
俺は目の前の姉さんに唇が震わせながら言う。二百年近くの記憶を掘り起こしたせいか、頭がビキビキと痛んで視界が霞む。体も不安定になって気を抜くと転げそうになる。
地面と靴の接触面の氷が両面テープのような粘着性を生み出していて、動かそうとする足を小さく引っ張る。しかし足首に全く力が入らなくて、そんな僅かな引力も引き剥がせない。
街に降る雪は一層強くなる。風が時折吹いて、その時はほとんど吹雪に近い。人々は駅や建物内に避難し始めた。腕を擦りながらガタガタ震えている。
俺の頭に周りのビルや通りを氷が覆い、通行人がつららに突き刺され、氷漬けになる絵が浮かんでくる。
「それはできない……」
姉さんは寂しげな顔をして、俺の方をしっかりと見て言った。その真っすぐな目で見られるのが心苦しくて、目を逸らしてしまう。姉さんは手を左右に広げて、隣の人間をかばう様に前に立つ。それがさらに、錯乱している俺の頭を掻き乱す。
やめてくれ。重なるんだ。あの時のあいつに重なるんだ。
俺の頭に、映像が思い浮かぶ。村人から「出ていけ!」と連呼された時に、かやが俺の前に立ち両手を広げてかばうように立ってくれた時のものだ。二百年も前の事なのに、後ろ姿や決意に満ちた表情まで、まだ鮮明に目に焼き付いてる。
かやと姉さん、俺と人間が、完全にダブって見える。体勢から目つきも、誰か大切な人を守ろうとする決意まで同じなんだ。それが奪われて、悲劇を植え付けるものだと思うと、俺自身の記憶が実感を伴ってさらに鮮明になり、目の端が熱くなって来るのを感じた。
「私にも分かるよ……全部じゃないけど、あなたの苦しみは」
姉さんが口を開く。俺の目をじっと見つめている。雪を降らせて冷気を身に纏い、長く黒い髪をなびかせるその風貌は人間のものではない、雪女の姿だ。懐かしい印象がした。しかし、その声と俺を見る目は人間のものと同じに思えた。
あぁ……そうか……
広げていた手を閉じて、姉さんは俺の方にゆっくりと歩み寄って来る。
「でも私は何度失ったとしても、誰かを自分の大切にすることは素晴らしいことだと思うの」
姉さんは俺を強く抱きしめた。髪と冷たい頬が左の首筋に当たる。脇から背中にかけて締め付けられるような苦しさを覚える。何百年ぶりだろう。長い間、俺は姉さんの弟だということを忘れていた。
抱きしめる直前に姉さんが両手を前に出した時、その自分に近づいて体に巻きついて来る手が、かやの手に見えた。
「ずっと、一人にさせてごめん……気付いてあげられなくてごめん……」
服の襟元が濡れてくる。姉さんは泣いていた。大粒の涙をボロボロとこぼして頬を伝い、俺の肌に浸透してくる。温かかった。
この温かさには覚えがある。散々、かやと子供たちと感じあったものだ。俺はかつて、かやが言ってくれた、今まで忘れてしまっていた言葉を思い出す。まるで今、耳元で語ってくれているかのように声が流れてくる。
「私はね、あなたが人間でなくても、誰かが他の誰かを愛せるというそれだけで、とても美しいことだと思うの」
ある日の夜、かやが俺の方を見つめて言った。隣では子供が寝息を立てている。かやは照れくさそうに笑った。
「だから私は、あなたに出会えてよかった」
♢
真城さんは最澄をさらに強く抱きしめた。真城さんは声を上げて泣いていた。最澄の目尻からも、同じように大粒の涙がボロボロと涙がこぼれていた。
周りの空気の色が、少しだけ明るくなる。空から降って来る雪が、少しずつ少なくなってゆく。周りが見渡せて、視界がよくなる。空間が広がる。
上空を覆っていた灰色の雲が割れていく。
周囲からはざわめきが起こる。人々は呆然として上を向き、口々に呟いていた。
「おい、雪が……」
「雲もなくなって……」
そう、雪が止んで、雲が消えて、街の上には、一面の青空が広がっていた。子供が絵具で豪快に塗りたくったような、単色の水色。そして、太陽の眩しい光が再び道を照らしていた。
真城さんは最澄の頭を胸元まで引き寄せて、固く抱きしめる。そして頭を撫でている。僕はそれを二歩ほど離れた所で見守っていた。もう、大丈夫そうだと思っていた。
僕には二人の言い合っていることは、正直、よく理解できなかった。しかし、僕には分からなくても二人にしか分からないことがあって、確実に心は通じ合い、変わったことがあったのだ。
そして真城さんが語ってくれた、言い伝えの昔話。あれには一つだけ間違いがあったみたいだ。二人は裏切ってもいないし、お互いを忘れたりもしなかった。二人はどちらもお互いを信じ、愛し合っていた。
強い日差しと暑さが戻り、汗が噴き出でてくる。風が吹いて緑の葉をカサカサと鳴らし、再び蝉が鳴き始める。
建物や駅の構内に避難していた人々は外に出てきた。彼らは興奮して辺りを見回したり、電話をかけたり、道に残っている雪を手に取って写真を撮ったりしていた。
雪が完全に溶けて人々の騒ぎが止んでしまっても、真城さんはまだ最澄を抱きしめていた。




