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どうして

作者: 辻島慎一
掲載日:2023/03/11

愛してるのにどうして、と彼女は言った。


シルクのように柔らかな黒髪が海風に舞い、それをそっと、乳白色の左手で押さえていた。

こんなにも悲しそうな表情の彼女を見たのは、初めてだった。


「どうして?」


彼女は笑いながら言う。


「どうしてよ」


前の彼女は、まるで世界の終わりを告げるように、冷静に、そう言った。


女性からの「どうして」をこれで聞いたのは三回目になる。

どうして、なのだろうか。

必死に頭を回す。脳の皺を隅々まで、余すところなく回転させる。

それでも、いつも答えは出てこない。


横浜の海をバックに佇む彼女は綺麗で、思わず視線を取られてしまう。

夜の山下公園は昼の喧噪とは裏腹に静かで、落ち着いていて、しっとりと空間を濡らしていた。


「綺麗だよ」


思わず口が滑る。

もうじき別れなければならない彼女に、なんて言葉をかければ良いのか分からなかった。

それでもこの言葉は残酷で、相手を傷つけるほかないことは何となく分かった。


「……嘘つき」


彼女はそう言うと、こっちを見た。

瞼一杯に涙を溜めて。


「嘘じゃない。綺麗だよ」


そう言って、彼女を抱きしめる。

自分で傷つけたはずなのに、自分で別れを告げたはずなのに、腕の中に彼女がいるのはどうしてなのだろうか。


「どうして、あなたなの」


彼女は僕のシャツに涙の跡を付けながら、そう言った。

その時、海風が淡く吹き去った。


「どうして、あなたがもう死ななくてはならないの……」


しとしと降る彼女の涙はどこか温かくて、どこか寂しかった。

どうして、と問われ頭を回す。運命か、神様のいたずらか、それか他の理由か。

色々な事は浮かぶけれど、最終的に残ったのは彼女への懺悔だった。


「好きになってごめん。告白してごめん」


もし自分の余命が後二ヶ月と初めから分かっていたら、きっと彼女には告白しなかった。

徹底的に避けて、連絡も取らなかった。

だって、好きだったから。

有り余るほど好きで、好きで、大好きだった。

彼女に残す悲しさより、自分の幸せを優先してしまった。


「でも、幸せだった」


そう言うと、さらに彼女は泣きじゃくった。

彼女のつむじが、真下に見える。

僕は彼女を自分の体から離すと、思い切りキスをした。

幸せなのに。大好きな彼女に触れられて幸せなのに。

触れるほどに、苦しくなった。


「君と最後に来れて良かったよ」


長い長いキスが終わった後、僕らは夜の山下公園をゆっくりと歩いた。

コンクリートに触れる度、柔らかい反発を足に感じる。

中敷きの柔らかさも、この空気も。彼女と味わうのは、きっとこれが最後になる。


不意に、右手に何かが触れた。

何度も感じた、いつもの体温。

数えられないくらい繰り返したせいで、反射で握り返せるようになっていた。


「ありがとう、いままで」


僕がそう言うと、彼女は海の方を向いて言った。


「さよなら、元彼さん。最後まで、好きだった」


左手から、段々温度を上げる彼女の体温を感じる。

思わず、胸が締め付けられた。


「僕もだよ」


山下公園の出口まで来たとき、彼女の手を離した。

ここから先は、彼女は元カノで、僕は元彼だ。


「……また、なんて言ったら変かな」


「ううん。変じゃない」


彼女は背を向けると、一歩だけ前に出た。


「じゃ、またね」


そう言うと、彼女は歩き出した。こつこつと、ローファーの鳴る音がする。


「また、どこかで」


笑顔でそう告げると、僕もまた、歩き出した。

進む度、思い出がよみがえる。

三ヶ月だけの、恋人ごっこ。

何度も2人だけで一緒に居て、どこに行くときも一緒で、何度も見た彼女の笑顔。


「どうしてだよ」


赤信号が見えて立ち止まると、涙が溢れてしまった。

シャツの袖で拭うけれど、止まらなかった。

もう一歩も進め無いんじゃ無いかって、思った。

自分から別れを切り出したのに。自分から告白して、自分からふった最低の男なのに。


どうして、どうして、どうして。

シャツ越しに、自分の心臓に手を当てる。

今すぐ握りつぶしてしまいたいほどに、苦しかった。



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