どうして
愛してるのにどうして、と彼女は言った。
シルクのように柔らかな黒髪が海風に舞い、それをそっと、乳白色の左手で押さえていた。
こんなにも悲しそうな表情の彼女を見たのは、初めてだった。
「どうして?」
彼女は笑いながら言う。
「どうしてよ」
前の彼女は、まるで世界の終わりを告げるように、冷静に、そう言った。
女性からの「どうして」をこれで聞いたのは三回目になる。
どうして、なのだろうか。
必死に頭を回す。脳の皺を隅々まで、余すところなく回転させる。
それでも、いつも答えは出てこない。
横浜の海をバックに佇む彼女は綺麗で、思わず視線を取られてしまう。
夜の山下公園は昼の喧噪とは裏腹に静かで、落ち着いていて、しっとりと空間を濡らしていた。
「綺麗だよ」
思わず口が滑る。
もうじき別れなければならない彼女に、なんて言葉をかければ良いのか分からなかった。
それでもこの言葉は残酷で、相手を傷つけるほかないことは何となく分かった。
「……嘘つき」
彼女はそう言うと、こっちを見た。
瞼一杯に涙を溜めて。
「嘘じゃない。綺麗だよ」
そう言って、彼女を抱きしめる。
自分で傷つけたはずなのに、自分で別れを告げたはずなのに、腕の中に彼女がいるのはどうしてなのだろうか。
「どうして、あなたなの」
彼女は僕のシャツに涙の跡を付けながら、そう言った。
その時、海風が淡く吹き去った。
「どうして、あなたがもう死ななくてはならないの……」
しとしと降る彼女の涙はどこか温かくて、どこか寂しかった。
どうして、と問われ頭を回す。運命か、神様のいたずらか、それか他の理由か。
色々な事は浮かぶけれど、最終的に残ったのは彼女への懺悔だった。
「好きになってごめん。告白してごめん」
もし自分の余命が後二ヶ月と初めから分かっていたら、きっと彼女には告白しなかった。
徹底的に避けて、連絡も取らなかった。
だって、好きだったから。
有り余るほど好きで、好きで、大好きだった。
彼女に残す悲しさより、自分の幸せを優先してしまった。
「でも、幸せだった」
そう言うと、さらに彼女は泣きじゃくった。
彼女のつむじが、真下に見える。
僕は彼女を自分の体から離すと、思い切りキスをした。
幸せなのに。大好きな彼女に触れられて幸せなのに。
触れるほどに、苦しくなった。
「君と最後に来れて良かったよ」
長い長いキスが終わった後、僕らは夜の山下公園をゆっくりと歩いた。
コンクリートに触れる度、柔らかい反発を足に感じる。
中敷きの柔らかさも、この空気も。彼女と味わうのは、きっとこれが最後になる。
不意に、右手に何かが触れた。
何度も感じた、いつもの体温。
数えられないくらい繰り返したせいで、反射で握り返せるようになっていた。
「ありがとう、いままで」
僕がそう言うと、彼女は海の方を向いて言った。
「さよなら、元彼さん。最後まで、好きだった」
左手から、段々温度を上げる彼女の体温を感じる。
思わず、胸が締め付けられた。
「僕もだよ」
山下公園の出口まで来たとき、彼女の手を離した。
ここから先は、彼女は元カノで、僕は元彼だ。
「……また、なんて言ったら変かな」
「ううん。変じゃない」
彼女は背を向けると、一歩だけ前に出た。
「じゃ、またね」
そう言うと、彼女は歩き出した。こつこつと、ローファーの鳴る音がする。
「また、どこかで」
笑顔でそう告げると、僕もまた、歩き出した。
進む度、思い出がよみがえる。
三ヶ月だけの、恋人ごっこ。
何度も2人だけで一緒に居て、どこに行くときも一緒で、何度も見た彼女の笑顔。
「どうしてだよ」
赤信号が見えて立ち止まると、涙が溢れてしまった。
シャツの袖で拭うけれど、止まらなかった。
もう一歩も進め無いんじゃ無いかって、思った。
自分から別れを切り出したのに。自分から告白して、自分からふった最低の男なのに。
どうして、どうして、どうして。
シャツ越しに、自分の心臓に手を当てる。
今すぐ握りつぶしてしまいたいほどに、苦しかった。




