番外編 マクシミリアンの余計な一言
セラの大いなる勘違い―――不安は、またもや突然現れたマクシミリアンの一言で始まった。
『あの時お前をランカーシアンにくれてやらずに抱いておけばよかった―――』
その言葉を聞いた時セラの頭の中では、マクシミリアンがいったい何を言っているのか全く理解できていなかった。
セラとセリドの婚約を聞きつけ、何の前触れもなくイクサーンを訪れたマクシミリアン。
セラが彼と最後に会ったのは、ラインハルトの手元に保管されていたセラの薬指をマクシミリアンが届けてくれた時以来。ラインハルトの死の床でも会ってはいたが、その時のセラには他の者の存在など全く目に入ってはいなかった。
久し振りに会ったマクシミリアンはすっかり大人の青年に姿を変えていた。
大して変わらなかった背丈も伸び、セラの頭はマクシミリアンの顎の位地ほどまでしかない。褐色の肌に燃えるような赤い髪は健在だが、何処か凛とした威厳ある雰囲気を醸し出していて、少年の面影は残ってはいなかった。
「元気そうだね。」
久し振りの再開をセラは素直に喜んだが、セラを目にした瞬間マクシミリアンは怒った顔で早足にセラの前まで進んで来た。
セラの前まで来るとその肩をがっしりと掴み、真剣な眼差しで肩を揺する。
「本気なのか?!」
「え?」
「本気でイクサーンの王子などに嫁ぐつもりなのか?!」
側で聞いていたセリドがピクリと反応しその手を離せと睨みつけが、マクシミリアンはまったく気付きはしない。
がくがくと肩をゆすられながらセラは苦笑いを浮かべた。
何か…相変わらずな気がする―――
変わらないマクシミリアンの姿にほっとしていると、見かねたマクシミリアン付きの騎士であるリカバリーが口を挟む。
「殿下、肩を揺する等女性に対して失礼ですよ。」
「人を馬上から蹴落とした女に何が失礼なものか!」
まだ根に持ってるのか―――
セラとリカバリー、そして万一に備えて同席しているウェインの三人が同時に心で呟く。
「それよりさっさと私の質問に答えろ!」
あなたいったいここへ何しに来たの?
セラは深く息を付いた。
「そうよ、わたしセリド王子と結婚するの。」
決定的な言葉にマクシミリアンの動きが止まる。
(まさか…こんな事聞くだけの為にイクサーンに来た訳じゃないよね?)
そのまさかである。
突然黙ったマクシミリアンの手がわなわなと震えだし、その人差し指がセリドを捕える。
「あんな奴の何処が良いと言うのだ、絶対に私の方が全てにおいて勝っているぞ!」
「殿下っ!」
主の暴言にリカバリーが声を荒げ、セリドは沈黙のまま必死に怒りを堪え―――僅かに視線を外すとセラの傍らで必死に笑いを堪えているマウリーに腹が立つ。
「あのねマクシミリアン、力がどうとかって話じゃないの。わたしの心がそう決めたのよ。」
中身は全く子供のままのマクシミリアンにセラは再び苦笑いを浮かべた。
対処を間違えばまた騒動を起こしかねない。
ラインハルト亡き後、若くしてウィラーンの軍をまとめあげたマクシミリアンはその才には抜きんでてはいたが、やはり何処か足りないと言うか…まぁそこがマクシミリアンの魅力なのかもしれないとセラが呑気に考えていると―――
「あの時―――」
項垂れたままマクシミリアンが呟いた。
「あの時お前をランカーシアンにくれてやらずに抱いておけばよかった―――」
マクシミリアンの言葉にセラの思考回路が停止する。
居合わせた誰もが目を見開き言葉を詰まらせていた。
「あの時?」
はて、それはいったい何時の事?
それは思い出したくもないが、セラがラインハルトに振られ落ち込んでいる時に襲われかけ、逆に大爆発を起こした一件の事を言っているのだろうか?
しかし―――
「ランカーシアン?」
ラインハルトの後を継ぎウィラーンの王となったランカーシアン。
セラは彼を見た事はあったが顔を付き合わせ会話をした事すらない。
何故その名が出て来たのか解らずセラは首を傾げた。
その様にマクシミリアンが眉間に皺を寄せる。
「覚えておらぬのか?」
後悔に満ちた漆黒の瞳がセラを覗き込む。
「お前が初めてウィラーンを訪れた夜、お前は私の母に薬入りの酒を飲まされたであろう。私は眠ったお前をランカーシアンの伽の相手としてくれてやったのだ。」
マクシミリアンの言葉にセラは過去の出来事を思い出すように視線を彷徨わせた。
初めてウィラーンの城を訪れた夜は宴が催され、その席で一悶着あった。そこでランカーシアンを見知ったが会話はしていない。それからラインハルトの部屋に行き、セラは拒絶の言葉を恐れて部屋を飛び出した先でマクシミリアンの母親に会った。
(その後どうしたんだっけ?)
お酒を勧められ口に含んだのまでは覚えているのだが―――
その後の記憶が…
「…ない…」
あの後、セラは空腹を覚え目覚めた。
寝台の上で目覚めた後はそのまま朝食を取って―――
それまではどうしていたのだ?
どうやってシビルランレムのもとから部屋に戻って来たのだ?
セラは眉を顰めマクシミリアンを見据える。
目の前の赤い髪の男は何と言った?
薬入りの酒―――眠ったセラ―――ランカーシアンの…『伽』の相手????
「とぎ?」
「あ奴の寝所に放り込んだのだ。あの時くれてやらずにおけば今頃お前は―――」
自分の物になっていたかもしれないのにと、マクシミリアンは飄々といかにも口惜しそうに抜かした。
(なんですと―――?)
一瞬頭が真っ白になり、周囲の音が聞こえなくなる。
それはつまりその、ランカーシアンにナニされたと言う事なのか?!
セラの白く細い手がマクシミリアンの首に伸びる。
「くっ…」
「な―――んて事してくれたのよ!!!」
褐色の首を絞め乱暴に揺するとマクシミリアンが息苦しさに悶え、リカバリーとマウリーが止めに入るがセラは一向に手を緩めない。
「伽ってなによ伽ってっ…じゃあ何?わたしは知らないうちにランカーシアンに抱かれちゃったって事?!」
身に覚えも感覚も全くない。
薬で眠らされている間にいい様に扱われた事に腹が立ち―――眠っている間にとんでもない事をされたのだと思うと身の毛がよだった。
それもこれも全てはこの男の策略だと言うのだ!
「セラ様おやめ下さい!」
「セラちゃん、とにかく手を離して!」
このままマクシミリアンを絞め殺されたら国際問題だ。
リカバリーとマウリーの二人がかりでセラの手をマクシミリアンの首から引き離す。
自業自得とは言え、さすがのマクシミリアンも身体を折って咳き込み喉を押さえていた。
「知らぬ―――」
マクシミリアンは咳き込みながら擦れた声を絞り出した。
「奴がお前を抱いたかどうかは知らぬが、私はあの時お前を抱かなかった事を後悔しているぞ。」
「そこで後悔するなっ!」
セラは追い打ちをかけるようにマクシミリアンに蹴りを入れた。
「待て、セラ落ち着けっ!」
唖然と成り行きを見ていたセリドがセラに駆け寄る。
「何もない、何もなかった。それでよいではないか?!」
マクシミリアンのした事は許し難く現実に何が起こったのかをセリドとて知りたかったが、セリドは取り乱すセラを落ち着かせようと胸に抱こうとした。
「セリドっ…」
溢れんばかりの涙を宿したセラに見上げられ、セリドははっと息を呑み動きが止まる。
「セリドわたし―――ウィラーンに行って確かめて来る!」
言うなりセラは立ち上がると部屋を飛び出して行く。
ウィラーンに行って、ランカーシアンに会って真実を確かめて来る。
ランカーシアンに問えば全てが明らかになるのだ。
「え…あ、セラっ!」
ランカーシアンはセラをウィラーンに迎えたがっている。そのセラがウィラーンに向かうと言う事はランカーシアンにとっては思う壺で、セラが無事にイクサーンに戻って来れる保証はない。
慌てたセリドは直ぐ様セラの後を追った。
部屋に残されたのは、セラに蹴り倒され床に項垂れたマクシミリアンとそれを支えるリカバリー。セラの後を追うべきだが冷静に判断しようと視線を一点に絞ったマウリーと…その視線の先で事の成り行きを黙って見ていたウェインの四人だ。
セラとセリドが走り去った後、何時になく冷たい口調でマウリーはウェインに言葉を投げかけた。
「お前セラちゃんの護衛としてウィラーンに行ってたよね?」
何があったという問いに、ウェインはマウリーの辛辣な視線に反応して口角を上げた。
「俺がそんな失態を犯すと思うか?」
セラがセリドと婚約した話を聞きつけ、わざわざイクサーンを訪れ喧嘩を売りに来たとも取れるマクシミリアンの態度があまりにも面白く、ウェインが口を挟まずにいたら更に面白い事になってしまった。
当時はセラに対して特別な感情を持ち合わせてはいなかったが、今はウェインが誰よりも大事に思う娘だ。たとえ弟のセリドと婚約していようとその気持ちは微塵も変わらない。
その大事なセラをランカーシアンの寝所に放り込むなど絶対に許せる行為ではなかった。だからセラがマクシミリアンの首を絞めた時も、ウェインはまったく止める気にはなれなかったし、逆に何故引き止めるのだとマウリーとリカバリーを邪魔に思った程だ。セラが止めとばかりにマクシミリアンを蹴り倒したがそれでも足りない。
あの夜の出来事を知るウェインにしてみればここで事実を明らかにするのは容易いが、マクシミリアンと…セリドに多少の苦悶を与えても罰は当たるまい。
まぁセラには可哀想な事をしたのだが―――
「さて…誤解を解きに行ってやるか。」
少し残念そうにウェインは呟く。
「お前もなかなかいい性格して来たね。」
ウェインの思惑にマウリーは面白そうに腕を組んだ。
さてその頃―――
部屋を飛び出したセラはウィラーンへ向かう許可を取る為、カオスの執務室に飛び込む。
「カオス!」
突然ノックもなく扉を開け放ち零れんばかりの涙を目に一杯溜めて現れたセラに、カオスは執務の手を止め椅子から立ち上がった。
「どうした?」
「カオスわたし…わたしっ…!」
セラは何の躊躇もなくカオスの胸に飛び込みしがみ付くと嗚咽を漏らして泣きだした。
「わたしどうしようっ―――!」
大きく肩を上下させ鳴き声を上げるセラの背を、カオスは優しくなだめる。
セラを追って来たセリドは、カオスの胸に縋り付いて泣くセラを目の当たりにし―――
何故私の胸で泣いてくれぬのだ?!
と、一人寂しくごちた。