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残されたモノ  作者: momo
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別れの決意


 宴の席では男女が手に手を取りダンスに興じていた。

 その輪の中には主役であるセリドの姿もある。


 伯父であるクトフに手を引かれセリドの前に姿を現したテスは、紫の瞳を揺らし少し怯えた表情をしていた。

 「ご無沙汰いたしております、セリド王子。」

 それだけ言うと直ぐに俯いてしまったテスに構わず、クトフはセリドとのダンスを勧め二人には強引に手を取らせた。

 そんな訳でセリドはテスの腰に手を回し、手を取ってダンスの輪に参加しているのである。

 

 余程緊張しているのかテスの手は冷たい。

 恐らくクトフに無理やり連れて来られたのだろうと思うと、セリドはテスの事が少々気の毒に思いながらも無言でステップを踏み続ける。

 「あの、セリド王子…」

 遠慮がちにではあるが、先に口を開いたのはテスの方だった。

 「王子は…わたくしの事、どのように思って下さっていらっしゃいますか?」

 「どのようにとは?」

 クトフの手前、迂闊な事を口にするのははばかられる。後で隙を付かれては面倒だ。

 「わたくしは…今も変わらずセリド王子の事が好きです」

 セリドを見上げ必死に絞りだされた言葉に、セリドは思わず視線を反らした。


 テスがクトフと共に現れた時、セリドはこうなる事をある程度予想していた。セラとテスが話をしている様子を伺っていた時もそうだった。マウリーに手を引かれ姿を消したセラの様子で会話の内容も予想が付く。

 「私は貴方をそう言う様な目で見た事は一度もありません。」

 「ですがわたくしの気持ちにはお気付きだった筈ですわ。」

 確かに…テスの言う通り。

 テスがクトフ大臣の姪と言う立場からか、セリドとは物心付いた頃から時々同じ時間を過ごすようになっていた。リリスが城を出て別邸で生活をしていた時などは特に遠慮する事なくテスはそこに現れ、セリドもそれを笑顔で迎えていた。

 でもそれは決して男女の愛情があったからではなく、まだ子供だった頃は遊び相手として…それ以後は兄弟の様にすら思っていた。


 だがそう思っていたのはセリドだけだ。テスがセリドに向ける眼差しは明らかに好意を示しており、セリドもそれには気付いていて知らぬ振りを決め込んでいた。周りの大人達も仲睦まじく過ごす二人の様子を、喜ばしい事だと見守っていた。


 「わたくしは幼い頃より王子に嫁ぐのだと言われて育ちました。それを喜ばしく思い、今も当然の様にも思っております。それにこの事は王子だって受け入れて下さっていたのではありませんか?」

 いづれは相応しい女性を妃に―――その筆頭が今目の前にいるテスだった。


 世継ぎの王子として生まれたからには背負うべき物がある。それを傍らで支える存在となる妃は当然それに相応しい姫を―――セリドも誰に教えられるでもなく理解していた。

 身分も家柄も、そして人柄までもテスは妃になるに相応しい人だと。

 しかしそこには妃に相応しいと言う以外の感情は微塵もない。

 共に歩めば夫婦としての情も沸いただろうし、決してないがしろにする事なく大切に出来たであろう。

 だがそれは、本気で誰かを好きになってしまう前までの話だった。


 セラに出会ってからセリドは上辺だけの自分ではない、本当の姿をセラに曝け出して来た。

 自分の気持ちを否定するようにセラに辛く当り、横暴な態度を取って怒らせ傷つけもした。拒否しようとすればするほど恋しくて、あきらめようと気持ちを抑えては無駄に終わる。最後にはどさくさ紛れに告白し、駄目だと分かっていても無理矢理手に入れようとした。

 今の自分にあるのは王太子と言う権力だけで、到底セラを守れる物ではない。だけどそれでも愛しく思い、己の全てをかけて全力を尽くし守りたいと願う。

 命を賭けても悔いのない女性だ。


 セリドが緑の瞳でテスを見下ろすと、伏せられたテスの睫毛が揺れているのが目に止まる。

 「王太子としての責務を果たすべきと言われるなら貴方の言う通りです。」

 王子としてのセリドが国を思い、国の為に選ぶべきは目の前の可憐な美少女だ。

 「ですが私は心から愛する人が側にいてくれなければその責務を果たせない。テス…申し訳ないがそれは貴方ではない。」

 テスの瞳が見開かれ、傷ついた心が紫の瞳を揺らした。


 セリドは出会ってしまった。

 手に入れたい人、心から…命をかけて愛する人に心を奪われている。

 今はもうその人が側にいてくれなければ、セリドは王太子としての責務を果たして行く自信を持てないのだ。

 生をあきらめようとするセラに腹が立ち、悲しかった。セラが死にたいのなら共に逝く事を望む程に魅入られてしまっている。

 王太子としての立場を弁え、演じていた頃の自分になど今更戻れはしないのだ。


 

 曲が終わる前にテスの足が止まり、それに合わせセリドも動きを止める。

 ダンスの途中で立ち止まり険しい表情を浮かべる二人に、周囲は怪訝な眼差しを送った。

 「王子はわたくしの全てを否定なさるのね。」

 流れる音楽に掻き消されそうな小さな声でテスが呟く。

 テスはその為に生きて来た。何時の間にか恋に落ち、セリドの妻になるに相応しい物を生まれながらに与えられ、全てに祝福されているようだと神に感謝し来るべき日を夢見て来た。

 その全てが何の意味も成さない物に変わり果てようとしている。

 「貴方に期待を持たせた、その事については悪いと思っています。」

 「でしたら責任を取ってわたくしを妻にお迎え下さい。」

 必死に縋り付き泣くでもなく、テスは淡々と口を開く。

 「テス―――それだけは出来ません。」

 セリドは胸が痛んだ。

 どう転んでもセリドがテスを受け入れる事は出来ない。たとえ今この時ラインハルトが生きてセラを妻に迎えたとしても、一人の女性を愛おしいと思う心を知ったセリドは、そう言う気持ちを全くもてないテスを妻に迎える様な事は決して出来ない。それは相手にとってとても残酷な事だ。

 だからこそ、セリドははっきりと拒絶した。

 テスが傷付くと分かっていても、同情で受け入れる事など決して出来ない。

 

 

 「あの方は…他に想う方があると聞きます。」

 テスはぎゅっと下唇を噛むとセリドの手を振りほどき一歩後ろに下がった。

 セラに関する噂は貴族達の間でも囁かれテスの耳にも入って来ている。

 闇の魔法使いを封印し、過去の世界から現れた哀れな娘。カオス王と宰相のシールを掌で転がす妖艶な美女という浮き名を流し、それに反して亡きラインハルト王との悲恋も語られている。ラインハルトの心を最後まで掴んで離さなかったというセラは、確かに際立って美しい容姿をしてはいた。だが見た所魔法使い特有の威厳や禍々しさのまったくない、何処にでもいる普通の娘のようだった。

 だから何故セリドがセラに囚われてしまったのかがまったく理解できない。

 「テス?」

 「わたくしは絶対に認めません…」

 そんな事、絶対に認めない。

 紫の瞳が悲しみと怒りに震えている。

 何故自分ではないのか。何故、今更こんな事になるのかと、今まで築き上げて来た己の全てが拒絶された様な気持に苛まれた。

 言いたい事、セリドの心を取り戻す為に訴えたい事は山のようにある。それなのに涙が込み上げ言葉が詰まり口にする事が出来ない。

 テスは必死に涙をこらえ、それが頬を伝う前にセリドの前から立ち去った。

 「テス!」

 セリドは踊り舞う男女の間を縫って消え行く小さな少女の後ろ姿を追う。

 逃げるように去って行くテスをそのままにしておくわけにはいかなかった。


 今にも零れ落ちそうな涙を紫の瞳いっぱいに湛え、必死に泣くまいと口を噤んだ少女。彼女を苦しめる原因が自分にあるのだとセリドは重々に理解し、気持ちが無いと言うのに妃に相応しいと言う理由だけで手元にいる事を許していた。セリドが本気で誰かを愛した時、その関係がどうなるかなど微塵も考える事がなかったのだ。

 お互い利用するだけの関係であったならこの様な事態にはならなかった。

 受け入れる事は出来ない。今更、自分の気持ちを偽る事など不可能だ。

 セリドはテスに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。









 逃げるように広間を飛び出した途端に堪えていた涙が一気に零れ落ちるが、それも気にせずひたすら遠くを、人の気配のない場所を求めて走った。 

 自分はなんて醜く嫌な女なのだろう―――セリドの心を手に入れたセラを卑下し貶める言葉を使ってしまった。こんな醜い心を曝してはセリドの心を取り戻す事など到底できはしない。

 一先ず落ちつきたい。落ち着いて考えて、もう一度受け入れてもらう為にもセリドと話がしたかった。止まらない涙を流し切れば苦しくて切ない気持も少しは落ち着くだろう。

 テスは涙を隠す場所を求め、闇に向かって必死に走った。


 泣き場所を求めて走ったテスは、暗闇に佇む男女の姿を見て驚き立ち止った。

 あまりに驚いて溢れ出る涙も止まってしまう。

 

 そこで見たのは抱きあうセラとマウリーの姿。


 暗がりの中にひっそりと佇み、セラはマウリーの胸に顔を隠している。

 セラの手は自身の顔を覆い隠すように重ねられ、マウリーはセラの頭を撫でながらもう一方の手はそっと肩に乗せられていた。

 決して互いが互いの体を抱いていた訳ではない。

 しかし混乱したテスの目には、二人がしっかりと抱き合っているように映ってしまった。

 


 人の気配に気付いたマウリーはそのままの状態で僅かに振り返り、セラはその場にいない筈の聞き覚えのある声を耳にしてマウリーの腕の中から顔を覗かせる。

 「テス!」

 背後から投げかけられるセリドの声もテスの耳に届かなかった。

 テスは怒りと悲しみの表情を浮かべたまま真っ直ぐ二人に向かって歩き、セラはその気迫に思わずマウリーから離れ後ずさる。


 ぱん…と、乾いた音が闇に響いた。


 「テス?!」

 振り上げられたテスの手がセラの頬を殴り、予想外の展開にマウリーの声が上がる。

 不意を突かれたセラは打たれた衝撃で僅かによろめくが、非難めいたテスの眼差しに口を開く事が出来なかった。


 「何をするのです?!」

 追い付いて来たセリドがテスの腕を引くが、テスはセラを睨みつけたまま視線を離す事はない。

 「こんな事わたくしは決して認めません!」

 可憐な印象を受けた美しい少女の眼差しは、今は怒りと悲しみに淀んでいる。

 「陛下やシール様では飽き足らずマウリー様とまで…こんな王子を弄ぶような行為、わたくしは決して許しません。女として最も恥ずべき行いです!」

 震える拳を握りしめながら訴える。

 「それは誤―――」

 「セラ様はラインハルト王を愛されていたのではないのですか?!」

 マウリーが口を挟もうとするとテスはそれを許さず口を開いた。

 「ラインハルト王が崩御されてまだ一年も経っていないと言うのに…セラ様は一度に複数の方を愛する事が可能なのですね。そんなに沢山の殿方を虜にして何が楽しいの?わたくしにはセリド王子ただ一人だけ。だからお願い、王子をわたくしに返して下さい!」

 言いたいだけ吐き出すとテスは両手で顔を覆ってその場に泣き崩れた。

 


 誤解と、あまりにも突っ走った物言いにマウリーとセリドは言葉を失う。

 だがセラだけはテスの言葉を一つ一つ心に刻むように捕え、泣き崩れたテスが落ち付くのをその場に膝をつき静かに待っていた。


 泣き叫ぶ声が嗚咽に変わり、セラはテスを覗き込む。

 「テスさん、わたしはラインハルトを愛しています。何時死ぬかも分からない世界で出会って、生きて帰れたら共にいようと誓った仲でした。」


 出会った時からセラに対して無視を続けたラインハルト。危険ばかりが付き纏う旅をあれ以上気まずい物にしたくはなくて、必死になって話しかけその度に玉砕していた。何気に誘った剣の稽古に付き合ってくれた時は嬉しくて心が躍った。一瞬でラインハルトの剣がセラの胸を貫いた瞬間、ラインハルトの驚愕に開かれた目が初めてセラを見つめてくれていた。

 吹き出る血と詰まる息に意識を失い死ぬのだと思ったけれど、ラインハルトに認識された事が嬉しくて怖くはなかった。フィルネスに助けられ目覚めた時『悪かった』と視線を反らしながらも初めて話しかけてくれた事で更に心が躍った。

 思えば、あの頃から既に恋に落ちていた。


 「彼はわたしを守ると誓ってくれたけれど、時の流れが共に歩む事を許してくれませんでした。それなのにラインハルトは離れた場所からも全力でわたしを守り続けてくれた。そんな彼の最後の願いが生きろと言う拘束でした。」


 大切な人を永遠に失う痛みに耐え、生き続ける事の辛さをセラに与えた。それはきっと生きて見出す幸福があるのだと、ラインハルトは最後に教えたかったのだろう。

 ラインハルトの心残り…それはセラの望む国を築けなかった事だ。

 セラを永遠に失ったと思い、国を守り強固な力を得る為だけに全神経を注ぎそれを怠ってしまった。その後悔をセラにもさせたくなかったから、ラインハルトは最後にあの言葉を残したのだとセラは受け止めている。

 精一杯生きて幸せに、満足のいく人生を歩んで欲しいのだと。


 「でもわたしは大切な人の最後の願いを全うできなかった。そこからわたしを救い出してくれたのがセリド王子でした。」 

 あの日からセラのセリドに対する認識が強固なものに変わっていたのだろう。

 「わたしはセリド王子の側で、持てる力の全てを捧げて彼を守りたい。側にいるだけではなく、セリドと言う人の手を取って共に歩いて行きたい。だからセリド王子をテスさんに渡したくはありません。」

 どんな形でもいいから側にいるのではなく、確実にその手を取って側にいたいと願う。

 セリドから流れた熱い血を感じた時から、咽返る血の匂いに引き戻され取り込まれた。



 黙って聞いていたテスはゆっくりと首を横に振る。

 「あなたは…ラインハルト王を愛しているのでしょう?」

 なのにセリドまで手に入れようなんて卑怯だとテスが罵ると、セラの瞳が揺れ―――悲しく笑う。

 「だって、愛した思いは消えないんだもの―――」

 

 『誰かを愛してもラインハルト王を思った気持ちがなくなる訳でも、まして愛した心が嘘になったりする訳でもありません』

 

 何時かリリスの言った言葉通り、セリドを愛してもラインハルトを思った気持ちがなくなる訳ではなかった。愛した事実がまるで幻の様に消えてなくなる訳でもなく―――心には永遠に存在する。

 「ラインハルトを愛したからこそセリド王子に出会い愛する事が出来た。わたしはそれを少しも恥ずべき事だとは思わないわ―――!」 

 

 セラは立ち上がるとそのままの位置でセリドに身体を向け、左手を前に突き出した。

 薬指にあるのはラインハルトがセラに渡した唯一つの指輪だ。

 ラインハルトが妃となるべき者の指に嵌め与える、この世にただ一つ存在する証。


 「セリド王子、わたしの覚悟です。」


 セラは指輪に手をかけると『王妃の指輪』をその手で抜き取る。


 これはラインハルトがセラを思う心。

 結ばれる事は叶わなかったが心だけでも側に―――ラインハルトのセラへの想いが全て詰まった指輪。

 枷となるなら迷わずそれを捨て去れと言われたが、まさか自らの意思で指輪を外す日が来ようとは夢にも思わなかった。


 セラの瞳からぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちる。



 貴方に恥じるような生き方はしない。


 

 (さようなら、ラインハルト―――)








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