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残されたモノ  作者: momo
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ライバル登場

 春―――

 厳しい寒さの後に訪れる暖かい季節、セラはシーツに包まれ夢心地に朝を迎えるのが好きだった。


 セラの寝台は窓脇、朝日が差し込む場所に位置している。一人でも寝過ごす事なく起きられるようにと言うカオスの配慮からその位置に寝台が置かれたのだが、それにセラが気付く事はなく…柔らかな朝日の心地よさにシーツを手繰り寄せ、至福の時間を過ごしていた。

 

 人間何事にも慣れて来るとたるみが出るもので、最近のセラは特に朝が遅い。用の無い日など昼近くになるまで寝台に寝そべっている。そして今日も例に漏れずシーツの温もりに包まれ二度寝に興じていた。

 

 そんなセラの心地よい眠りの時間を邪魔する者はこの世に二人しか存在しない。

 一人は久しく姿を見せていない魔法使いのフィルネス。

 そしてもう一人は―――


 「さっさと起きやがれ。」

 低音かつ無愛想な声でセラの至福の時間は終わりを迎える。

 取り合えず無視を決め込み温もりに身体を丸めていると、シーツが剥ぎ取られ首根っこを摘み上げられた。

 「うぎゃ―――っ、痛いっ…止めっ!!」

 咽が締め付けられ息苦しさに暴れると、何の前触れもなく解放され寝台に落下し顎をぶつける。

 「何でいっつもそんなに乱暴なのよっ!」

 痛みに耐え涙目で睨みつけると、ウェインは半眼を開き見下す様に腕を組む。

 「…おめざめくださいおひめさま。」

 「棒読み怖っ、態度横暴!!」

 ぴくりとウェインの額に青筋が走り雷が落ちる―――とセラが身構えた瞬間。

 ウェインは何かを思いついたように不敵に笑うと―――

 「ご無礼をお許しください、我が君」

 優雅に一礼してその場に跪き、セラの手を取り口付けを落とす。

 「―――!」

 セラは硬直し総毛立った。

 跪き見上げる優しく細められた青い瞳が何よりも恐ろしい…

 「ごめんなさい、わたしが悪うございました。」




 身支度を整え階下に降りるとウェインは椅子に座って足を組み、組んだ方の長い脚を机にひっかけ腕を組んで不機嫌そうにセラを待っていた。


 継承権を放棄したとは言えまがりなりにも一国の王子様。あまりにも行儀が悪くないか?

 一言文句を言ってやりたかったがあまりにも不機嫌な態度を取っているので、先程の恐怖も手伝い今は無視しておく事にする。

  

 「で、今日は何の用?」

 それでもご機嫌取りをするつもりはないので自然と言葉に棘が出る。

 そんなセラにウェインは一瞥を送った後で窓の外に視線を向けた。

 「リリス王妃からの召喚だ。」

 今日は朝から明日の朝まで暇なくずっと忙しいと言うのに、リリスはウェインを呼び付けるとセラを迎えに行くようにと命令した。ウェインが断ると、それならマウリーに行かせるとリリスは意味有り気な視線を向ける。

 セラの事だからどうせ呑気に昼まで眠っているに決まっている。それをマウリーに起こさせるなど以ての外だ。ウェインに選択肢はない。

 「リリス王妃が何で?」

 何か約束でもしていたかと記憶を辿り、セラははっとする。


 あと数日でセリドは一五歳を迎える。その誕生祝いの宴が今年も盛大に催され、セラはそれに招待されていたのだ。


 「逃げるの忘れてた―――」

 招待を受けはしたがリリスにはその場でやんわりと断りを入れておいた。

 しかしリリスの事だから絶対に誰かを迎えに寄こすだろう…その前に薬草摘みにでも行って姿を暗まそう思っていたのにすっかり忘れてしまっていた。


 恥ずかしい事極まりないドレスを着せられ、慣れないヒールの高い靴に拷問の様なダンス。昨年の宴はセラにとって散々なものだった。

 自分にはあまりにも場違いな世界。

 セリドを祝う気持ちはあるがあんな身を細める辛辣な場所、出来る事なら二度と…いや三度目は絶対に経験したくはない。


 セラは蒼白になりウェインに視線を送る。

 「見逃してくれない?」

 「無理だな。」

 ウェインとて是非ともそうしてやりたいが、リリスを敵に回すと後々面倒な事になる。それに着飾ったセラを自分以外の誰の目にも止めさせたくはないと言う思いがあったが、もう一度見てみたい衝動にも駆られた。

 セラは大きな溜息を落とし机に額を擦りつけている。ウェインはその後頭部に大きな手を乗せ抑え込んだ。

 ぐりぐりと力任せに揺すると、セラはウェインの手を払い除け頭を上げる。

 「何すんのよっ!」

 「手伝ってやろうかと―――」

 セラの額は真っ赤になっていた。

 「もういい、さっさと行くよ!」

 ここで抵抗してもどの道破天荒なリリス王妃に逆らえる者などいないのだ。

 「お前なぁ…世の貴族金持ち連中がこの宴の招待状を咽から手が出る程欲しがってるって知ってるか?」

 次代の王となるセリドの成人を祝う宴の席。特に年頃の娘を持つ親達は今頃躍起になって自分の娘を着飾らせ、セリドの目に留まる様仕上げに余念がない筈だ。他の娘を蹴散らす為の策を練る者もいるであろうし、そうでない者達も王太子と何らかのつながりを持ちたがる。

 「だったらウェイン、あなたも出席しなさいよ。」

 「残念な事に俺は明朝まで城の警護だ。」

 鼻で笑い少しも残念そうにしないウェインにセラは頬を膨らませ『ずるい』と呟いた。



 騎士団長たるウェインは多くの者たちが集まる宴の警備責任者として忙しかった。時間が無いのでセラを迎えに行くのに馬を使っており、セラはウェインと共に馬に跨り城へと向かう。

 城に到着するなりリリスの侍女たちが一斉に馬を取り囲み、セラに抵抗する間も与えず馬から引きずり下ろすと攫うように連れて行かれてしまう。

 侍女たちは馬上のウェインには一切目もくれず、あっと言う間にセラごと姿を消した。

 「凄まじい事だな。」

 血走っていた侍女の目を見てウェインはセラの身を心配するものの、助けるつもりは更さなかった。

 






 「まぁぁぁぁっ、お可愛らしいこと。」

 にっこりとご満悦に微笑むリリスを前に、セラは必死で作り笑いを浮かべる。

 (つ…疲れた…)

 城に到着した途端、馬の背から引きずり降ろされたかと思えば裸にされ湯船に落とされた。抵抗しようとも侍女たちはすごい形相でセラの頭の先から足の先までを洗い、身体を拭き香油を塗られ髪を乾かしながら爪の手入れをされる。髪を結い化粧をされドレスを着せられ…やっと完成したのは陽が沈む直前で、セラも侍女も体力を消耗し疲れ果てていた。

 そこへリリスが現れ、作り上げられたセラの姿に満面の笑みを浮かると侍女たちはほっと胸を撫で下ろす。

 「セラさん、わたくし今日という日を首を長くして待ち望んでおりましたのよ。」

 リリスは扇で口元を隠しながらセラに詰め寄った。

 「えっと…?」

 「嫌ですわ、わたくしちゃんと聞き及んでおりましてよ。セリドが成人すれば二人は婚約するのでしょう?」

 リリスの言葉にセラは驚き目を見開く。

 確かに…そんな約束になっていた…筈…

 忘れていた訳ではないが色々あり過ぎて…忘れていた。

 「わたくしセラさんが娘になる日を今か今かと心待ちに致しておりましたのよ。今日やっとその願いが叶うのですわね。あら、もう時間の様ですわ。それでは広間でお会いいたしましょうね。」

 「あ、いや…ちょっと待ってリリス王妃っ?!」

 セラの話など聞く耳持たず、リリスは扇の下で含み笑いを浮かべたまま部屋を出て行く。

 愕然として床に膝と両手を付くと、ドレスが皺になると侍女が悲鳴を上げセラを立たせる。

 セラは驚きと空腹で目眩を覚えた。


 確かに…セリドが一五歳になったら婚約すると言ったのはセラだ。でもそれはセリドとセラの間での約束であって、まさかリリスの耳にまで届いているとは思いもしなかった。少し考えれば王太子たるセリドを交えた問題故に当然の事であったのだが、セラはリリスが大きな期待をしている事に不安を覚える。

 セラの心構えは決まっている。婚約・結婚の如何に寄らず、セラはイクサーンに留まりセリドを守ると誓っていた。必要とされる限り、セラはセリドの側にあり続ける。セリドの気持ちも分かっていたし、セラは受け入れるつもりも十分にあった。

 しかしセリドは成人するとは言えまだ一五歳だ。王太子と言う特殊な環境にあるとは言え、少年の部類に入る年齢だとセラは思っている。そのセリドに将来の決断をさせるにはまだ早いと思い、婚約と言う形を取り結婚を決めるまでの時間を持とうと考えたのだった。

 ここでリリスの介入があるとどうなるのか。

 心と体が大きく変化するこの時期、セリドに他に思う女性が出来る可能性は十分に考えられた。二重人格とは言え、人を思いやる優しい心を持ったセリドの事。セラを気にしてはっきりとは言えないかもしれない。だからセラはあまり深くセリドの心に入り込む事を避けたかった。自由を奪い拘束し、心を縛り付ける事は出来るだけしたくないのだ。だがリリスがその気になってしまえば、セリドが他の女性に想いを馳せるようになった時、必ずその邪魔をするであろう。約束の時間まで待たずに婚姻を推し進めてしまうやもしれない。

 


 「どうしたの、浮かない顔して。」

 セラが不安に駆られていると何時の間にかマウリーが現れ、セラの腰に手を回していた。

 ちょうど一年前と同じで、マウリーはセラをエスコートする為リリスに呼ばれたのだ。

 「う~ん、ちょっと考え事。」

 「セリドの事だね。セラちゃん本当に婚約するつもり?」

 マウリーまで知っているのかとセラは力なく笑った。

 「口約束だけのつもりだったんだけどな。」

 セラとセリドの二人だけの胸の内の事だと甘く考えていた。自分の事はどうでもいいが、この事がいつかセリドを追い詰めてしまわないかセラは不安になったのだ。

 「リリス王妃は欲求に素直で嫌いじゃないけど、周りを巻き込む所が問題だね。まあそこは陛下が何とかしてくれるんじゃない?」

 大丈夫だよとマウリーに励まされ、セラは不安なまま頷いた。

 「いざとなったら僕が参戦してセリドから君を奪い取ってやるからさ。」

 翡翠色の瞳が優しく弧を描き、セラの米神に唇が押し付けられた。

 「ありがとうマウリーさん。」

 セリドに好きな人が現れた時、自分はどのようにして身を引けばいいのか。

 その時自分が受ける心の傷にセラは気付かず、マウリーに笑って返した。

 


 





 昨年に引き続き今年もセラの登場を予想していた招待客らは、それでもマウリーに伴われ姿を現したセラに感嘆の声を漏らす。

 カオス王のみならず、王太子であるセリドすらもご執心の娘…ここは媚を売っておいた方が身のためだと思う輩は非常に多い。

 昨年同様二人は上座に向かいカオスとリリスに頭を下げ、セリドの前に立った。

 「ご成人おめでとうございます。」

 セラは膝を折り頭を垂れ、セリドは頷いた。

 「今宵は楽しんで行かれよ。」

 セリドはセラの手を取るマウリーに嫉妬するでもなく、素直に目の前の女性に見惚れていた。

 薄い桃色のドレスを身にまっとったセラはそれは美しく艶やかだった。奥ゆかしさを演出する為に胸と背中の開きもある程度までで抑えられ、白い花のブーケが襟元を飾る。柔らかな透き通る布地が肩から肘までを裾広に流れるように伝い、同じ生地で覆われたドレスが動く度に揺れていた。

 まるで儚さを感じさせるセラの姿に誰もが見惚れる。

 

 そんなセラが最初に取った行動―――立食式に並べられた料理のテーブルへ一目散に向かい、最初に目にしたサンドイッチを掴んで迷う事なく口に詰め込む。

 一瞬、セラに見惚れていた者たちが唖然となった。

 セラは気にする事なく二つ目のサンドイッチを飲み込んだ所で我が身に異変を感じ、隣に立ち微笑むマウリーを見上げる。

 「朝から食べてないの。」

 「知ってるよ。」

 「すごくお腹がすいてるの。」

 「うん、沢山食べるといいよ。」

 「これ…脱がなきゃ入んない―――」

 ドレスの下につけられたコルセットがセラの細い腹部を極限まで圧迫している。

 「う~ん…そうだねぇ…」

 脱がせて欲しいと言われれば喜んで脱がせてやりたい所だが…宴に来たばかりでさすがに今直ぐには無理だ。昨年の教訓でセラにダンスを強要させないつもりでいたが、セリドは排除するとしてカオスは着飾ったセラの手を取りたいだろうし、マウリーもいつもと違うセラを自慢したかった。

 「あの、宜しいかしら?」

 欲求を飲んでくれるだろうと期待に目を輝かせるセラを前にマウリーが思案していると、軽やかで愛らしい声が耳に届く。

 「お久しぶりでございます、マウリー様。」

 そこには紫色の瞳をした、可憐という言葉がこれ程かと言う程にぴったりの美少女が微笑みを湛えマウリーを見上げていた。


 背が低く紫の瞳で見上げる姿はそれだけでも愛らしいく感じてしまうのに、真っ白でふわふわとした印象を与える美少女は頬をほんのりと赤く染め、腰を落とし挨拶をする姿は優雅と言う他なかった。

 あまりの愛らしさにセラは突然現れた美少女に見惚れ、自分とのあまりの違いに恥ずかしくなり身を小さくする。


 「テス…久し振り。見違えたよ、綺麗になったね。」

 マウリーは一瞬驚いたがそんな素振りは一切見せず、美少女の手を取り口付けを落とす。

 だがそこに僅かばかりの緊張が走った事にセラは気が付いた。

 女性に対しては何時も余裕綽々なマウリーに走った緊張にセラは不安を覚える。そしてそれが自分に向けられたものであったのだと言う事に直ぐに気が付いた。

 「初めましてセラ様、わたくしテスと申します。どうぞ宜しく。」

 そう言って愛らしい笑顔を向けたテスにセラも宜しくと挨拶を返す。

 「あの…どうして私の名前?」

 「まぁだって…その瞳ですもの。誰だってセラ様だと一目でわかりますわ。」

 そう言ってにっこりと笑う。

 異質な左右非対称の瞳。

 だがテスが発した言葉には微塵も嫌味や非難めいた感情は感じられなかった。

 「セラ、テスはクトフ大臣の姪にあたる女性だよ。」

 マウリーの説明を受け、セラはちょうど一年前にクトフからシールと結婚しろと言われ、今に至る決断をした事を思い出した。

 紹介されたテスは微笑む。

 クトフの妹の子であるテスは今年で一四歳になる。セラよりも年下だが、何処からどう見ても非の打ち所のない可憐な美少女で、そして淑女だった。

 「テス、悪いんだけどセラは少しばかり体調がすぐれないので席を外す所なんだ。」

 お腹がすいていると言う理由で、コルセットを外し思う存分食べたいと思ったなど…セラはテスを前にして恥ずかしさで顔が赤くなる。

 「まぁ、そうでしたの。サンドイッチを美味しそうに召し上がっていらしたからご一緒しようと思ったのですけれど…」

 そう言って寂しそうに少し細められた紫の瞳が縋りつく小動物の様で、セラはまたもや見惚れてしまった。

 フィルネスやマウリーで綺麗な男の人には慣れているが、これほどまでに愛らしい美少女には免疫がなかったらしい。

 そして自分とのあまりの違いに、違っているからとて落ち込む理由など無いにも関わらず、セラは再び落ち込む。


 マウリーに手を引かれセラが動くと同時に、テスはセラの腕を非力にも掴んで引き止めた。

 「わたくしセリド様と婚約しておりましたの―――あなたが現れるまでは」

 縋りつ付き切なく見上げる紫の瞳はセリドを奪わないでと必死に訴えていた。

 

 「テス、君は―――!」

 マウリーが二人の間に割り込む前にテスはセラから腕を離す。

 「ごめんなさい、わたくし…」

 そう言って口籠ったテスはセラに背を向け人混みの中に姿を紛らせてしまう。

 小さく可憐な美少女の口から発せられた言葉に、セラは雷にでも打たれた様な衝撃を受け硬直していた。

 「取り合えず出よう。」

 マウリーの声も届かず、セラは腕を引かれて広間を後にした。

 そのやり取りを一段高い場所から見ていたセリドは、マウリーに手を引かれ出て行くセラに一抹の不安を覚えた。

 





 

 気付いたら広間を出て、セラは外の冷たい空気に身を曝していた。

 薄いドレスの生地を通り越し、初春の夜風が身を震わせる。

 心の中にまで冷たい風が吹いたような感覚を覚えた。


 マウリーが上着を脱いでセラの肩にかけると、セラはやっと自分以外の存在を認識した。 

 「ありがとう、マウリーさん。」

 上着をかけてくれた事と、テスの存在から遠ざけようと気を使わせた事に対してセラは礼を述べる。

 テスが現れた時にマウリーから感じた緊張は、彼がテスとセリドの関係を知っていたからだったのだ。それをテスの口から聞かされたらセラが傷つくと思い、セラをテスから遠ざけようとしてくれたのだろう。

 「セラちゃん…」

 「大丈夫よ、わたしは。」

 セラは闇を見つめたままマウリーの言葉を遮った。

 「わたし、テスさんからすると大事な人を奪った酷い女なんだね。」

 テスは余程セリドの事が好きなのだろう。奪わないでと必死に訴えて来た紫の瞳が脳裏に焼き付いて離れない。

 「彼女とセリドは正式に婚約していた訳でも、セリドがそれを望んでいた訳でもないよ。全て大臣や取り巻き連中が決めた事だったんだ。」

 それが覆されたのが去年のこの時期。

 セリドがセラと結婚宣言をした事により正式ではなかったにしろ、当然の様に婚約すると思われていた二人の話は立ち消えになった。

 「でもテスさんは本気だったのよ。きっと小さい頃からセリドの妻になる教育を受けて、その日を夢見て育ったに違いないんだ。」

 もしセラが現れなければ…セラがセリドの思いに応えようとしなければ、少なくともテスの人生を変えてしまう様な事にはならなかった。

 テスがどのような感情でセリドを思っていたかは知らない。でも、あの瞳は恋する少女の物だった。決して地位や権力に固執したあさましい物ではなかった。

 大好きな人、愛する人を失う苦痛を知っているセラは、まだ幼い少女が受けた傷を思うと自分の事の様に感じてしまう。

 自分さえいなければ…ここにいる以上無意味な考えだが、何故だかそんな思いが消せない。


 闇を見つめたまま考え込んでしまったセラの肩にマウリーが手を置く。

 「想いの強さは計れはしないけど、セリドは間違いなくセラちゃんの事が好きだよ。セラちゃん自身はどう?」

 セリドが好きか嫌いか。心を手に入れたいのか、言葉にした責任で側にいたいだけなのか。

 共に生きると決めてはいたものの、テスに出会ってしまった事によってセラの心に不安と、はっきりとは言葉にできない感情が湧きあがって来る。

 「人を思う気持ちはどうにもならないものなんだ。周りが邪魔をして何を言っても個人の心までは変えられない。たとえそれが王や王子と言う身分にあったとしてもね。セラちゃんが同情で身を引いたとしても、誰一人として幸せにはなれないんだよ。」 

 テスへの同情でセリドから身を引く。

 確かにマウリーの言う通り、そんな事で逃げても誰も幸せになれない。

 「セラちゃん自身はどうしたいの?」

 「わたし自身…」

 セラはマウリーの言葉を繰り返した。


 テスが婚約していたと語ったのは思いあまっての挑戦だったのかもしれないし、セラにセリドを横取りされたテスの自尊心がそうさせたのかもしれない。確実なのはテスはまだセリドをあきらめた訳ではないと言う事。

 それに対して自分はどうなのだろうか。

 自分を必要としてくれるから共にいようと告白を受け入れた。

 ラインハルトを失って自暴自棄になっていたセラを、セリドは身を挺して生きると言う事を教えてくれた。あの時、同時にあの瞬間初めてセリドに『少年』ではなく『男性』を感じ、異性としての意識を持たされた。

 自分の身を傷つけ、自分への戒めだと治癒を拒んだセリド。

 セラがどうしても死を選ぶのなら共に逝ってやると―――精一杯の思いで向かって来てくれる存在。

 そんなセリドと―――共に生きたいと思った瞬間をセラは思い出す。

 

 「わたしは…セリドと同じ時間を歩いて行きたい―――!」

 

 二度と置いて行かれたくはない。

 セリドの側で、隣に立って温もりを感じて生きて行きたい。


 何時の間にこんな風に好きになっていたんだろう。

 この想いを叶えるには、あの可憐な少女を傷つけなければならない。


 あさましい自分の感情にセラの頬を涙が伝った。

 



 

 一筋の涙を流したセラをマウリーはそっと抱き寄せ、優しく頭を撫でた。

 「よく言えたね、偉いよセラちゃん。」

 まるで子供をあやす様な仕草だったが、セラはマウリーの胸に顔を隠して素直に頷いた。

 


 丁度そこへ見回りをしていたウェインが通りかかり、抱き合う二人の姿を認め眉を顰めた。

 気配に気付いたマウリーは鋭い視線をウェインへと送り、近づくなと無言で訴える。

 いつもならこんな場面にウェインが登場しようものなら嫌がらせとばかりにセラを強く抱擁したり、頭や額に口付けを落とすマウリーがこの時ばかりは大人しくしている。

 マウリーは顎であっちへ行けとウェインを追い払う仕草をした。

 セラからは泣いている様子が伺え何事かと心配するが、いつもと違うマウリーの態度にウェインは従う。

 何があったのかは知らないが、こう言う時はマウリーに任せるのが一番かもしれない…そう感じたウェインは後ろ髪引かれる思いで踵を返した。

 

 マウリーは静かにセラの頭を撫でる。

 セラはウェインではなくセリドを選んだのだ。

 こんな時にウェインの顔を見れば、セラは更に自分を責めるやもしれない。

 マウリーはそう思い、ウェインをセラに近付ける事を拒んだ。

 

 


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