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残されたモノ  作者: momo
72/86

番外編 アスギル


 大陸一の大きさを誇るルー帝国。

 その帝国が世界を支配するにあたり外せない存在が『魔法使い』だ。

 ルー帝国は力の強い幾多もの魔法使いを従えさせていると同時に、極めて実力の高い騎士を育て上げる剣と魔法の帝国でもあった。


 この帝国に三代の御世に渡って忠誠を誓う一人の魔法使いが存在した。

 漆黒の髪に血の様に赤い眼をした、アスギルと言う名の魔法使い。

 

 その名を聞けば力のある無しに関わらず、いかなる魔法使いであっても恐れをなし接触を控える。

 繁栄の極みを遂げた帝国は腐敗が進み、十六代皇帝の時代、同盟を結んで押し寄せて来た近隣諸国によって敗しかけた事があった。

 アスギルはその時初めて戦の表舞台に現れ、強大な力を使い幾万もの敵をなぎ倒し、たった一人で帝国の危機を救ったのだ。



 アスギルは人前に姿を現す事を嫌い、帝都にある城に姿を見せる事は極めて稀である。

 そのアスギルが数年ぶりに訪れた城で、子犬と戯れる一人の少女に出会った。

 少女…と言うには幼すぎる、淡い金髪に海のように青い瞳をした十歳にも満たない少女は、アスギルがかつて愛し、今は亡き人の幼き時に瓜二つの容姿をしていた。

 「シャナ皇女でございます。」

 愛くるしい笑顔で笑う少女に足を止めて見入っていると、アスギルを導く従者が口添える。

 ああ、それで―――

 「ミモスにそっくりだ。」

 アスギルはかつて愛した人の名を久方振りに呟いた。

 「ミモス…十六代皇帝の御正妃様でございますか?」

 肯定の代わりにアスギルは優しい笑顔を従者に向けると、従者はその美しさに息を呑んだ。

 「あれは―――?」

 子犬と戯れていたシャナのもとに十二、三歳ほどの少年が姿を現し、少女は零れんばかりの笑顔を少年に向けた。

 「皇太子ハクヨ殿下に御座います」

 名を口にするにあたり従者はうやうやしく頭を下げた。

 それに対しアスギルは、少年がミモスに似ていない事を残念に思い肩を窄めた。 

 


 アスギルは十六代皇帝とその正妃ミモスとは幼い時よりの親友であった。

 十六代皇帝もアスギルも、美しく聡明なようでいて多少間の抜けた所のあるミモスに恋をした。ミモスは人生の伴侶に皇帝を選んだが、アスギルはその事について恨みがましく思ったりはした事は微塵もなかった。ミモスを愛してはいたが、十六代皇帝の事も大事に思っていたし、彼の誠実さを知るアスギルは同じ時間を歩めない自分よりも、皇帝を選ぶ方がミモスの為になると知っていたからである。

 だがミモスの死期は意外にも早く、皇子を生み落とした後身体に変調をきたし、アスギルが治療を施すも延命するに至りはしたが病の完治には及ばず、ミモスはアスギルに一六代皇帝と産み落とした皇太子を託し、笑顔のまま世を去って行った。

 以来アスギルはミモスとの約束を守り、十七代皇帝となったミモスの子に使え、その後も命続く限りミモスの血筋を守り通す事を誓う。



 アスギルはミモスの面影を宿すシャナにミモスを重ね、シャナを影から見守り続けた。

 しかしシャナが成長するに従い女性の姿をまとって来ると、シャナをミモスと見紛うようになってしまう。

 海の様に青い瞳は捕えた者を魅了し、離さない危うい力を秘めている。アスギルに微笑みかけるシャナがミモスと混在し、過去と現在の区別がつかなくなる程だった。自身の心を恐れたアスギルは、それから暫く城に姿を見せる事はなかった。



 アスギルが次にシャナの姿を見たのは十六代皇帝が死去し、皇太子のハクヨが十八代皇帝となる戴冠式の場でである。

 久方ぶりに見たシャナは見事なまでに美しい大人の女性に成長し、まるで生前のミモスがそこに佇んでいるかであった。

 しかし、輝いていたシャナの青い瞳は光を失い、虚ろでくすんでしまっていた。

 暫く見ぬ間に何があったのか―――?

 気になったアスギルは妙な噂を耳にする。

 それはハクヨとシャナが禁忌を超えた仲にあるという物であった。

 

 その噂にアスギルはミモスが汚された様な気持に襲われ、いけないと思いつつも噂を確かめる為にシャナの部屋を訪れる。

 直接口にせずともシャナに起こった事を読めば直ぐに分かってしまうのだ。額を重ねシャナの身に起きた事を読む。ただそれだけ―――シャナに手を出す訳ではない。


 アスギルがシャナの部屋に向かうと既に先客の気配があった。

 そこで耳にした声はアスギルを一瞬で凍りつかせる。

 「やめてっ、お兄様おやめ下さい!」

 シャナの悲痛な叫びに重なるのは、残酷なハクヨの声。

 「お前は予だけの物、他の誰にも渡すものか―――」

 喉の奥に笑いを含み、シャナを汚し続ける音にアスギルは足が竦み一歩も動けなかった。

 気配も姿も消し、全てを遮断したアスギルが気付いた時にはかなりの時間が過ぎ去っていた。


 カラン―――


 金属性の何かが落下する音で我に返ったアスギルは、音のしたシャナの部屋に足を踏み入れる。

 そこには全裸のまま、腕から血を流すシャナが横たわっていた。

 「シャナ皇女っ」

 アスギルは声を上げ、身に纏っていた結界を排除させる。

 突如として現れたアスギルに慄くシャナが身を起こすと、深く傷つけられた手首から滝の様に血が溢れだした。

 傷を塞ごうとアスギルがシャナの手首を掴み取る。

 「やめてアスギルっ、死なせてっ!」

 お願いだから死なせて―――

 泣き叫ぶシャナを無視し、アスギルが傷口を強く抑えると一瞬で血が止まり傷が塞がる。

 「どうしてこんな―――」

 「どうしてですって?!」

 望みを断たれ、シャナはアスギルを睨みつける。

 「知っているのでしょう、知っているのに何故訊くのです?!」

 何故死なせてくれなかったのかとシャナはアスギルの胸を叩き泣き叫んだ。

 渦巻く金の髪、青い瞳から溢れ出る涙。

 白い肌も泣く声も全てがミモスのままで―――

 

 アスギルは腕を伸ばすとシャナをきつく抱きしめた。


 ミモスが汚された。

 愛するミモスが泣いている―――


 ミモスではないと分かっていても、その血を受けたシャナが同じ血を持つハクヨに汚された現実がアスギルを震わせる。

 「すまない―――守り通すと誓ったのに―――」

 ミモスの血を受ける物がある限り、守ると誓ったのに。


 きつく抱きしめると読んでもいないのに、シャナに起こった悲劇がアスギルの体内に流れ込んで来た。

 アスギルが城を去って間もなくだった。シャナが少女から娘に成長し花が咲き誇った頃、汚れた感情がシャナに手を伸ばした。

 敬愛した兄の手に落ちたシャナの受けた恐怖。

 幾度となく命を捨てようと繰り返された自虐行為。

 その度に心身ともに傷つき、死を許されず治癒される肉体。身体の傷は癒えても心は汚され続けた。

 死にたいと、死にたいのだと震える体が叫んでいる。


 なんて事だ―――

 アスギルの頬を涙が伝う。


 「お願いアスギル…おぞましい汚れたこの身体を浄化して―――」

 実の兄に汚された。

 禁忌を犯した身体が憎くてたまらないと悲鳴を上げている。

 見つめる青い瞳に吸い込まれる様に―――皇帝も囚われたのであろうか。

 

 胸の中で泣き叫ぶシャナをアスギルはミモスと呼び―――肌を重ねた。



 

  


 


 大事なミモスの血を受けし者を汚した皇帝。

 それでも…アスギルはミモスとの約束を違える事が出来ない。

 やがてシャナは城を出、アスギルは全てを知った後もハクヨに使え続けた。


 シャナが姿を消してから数ヵ月後、アスギルはシャナを迎えに行くという一行が城を出て行くのを目撃する。

 シャナが戻れば再びあの悪夢が再開されるのか―――

 アスギルは一行を追ってシャナのもとを訪れた。


 一行の中には魔法使いもいる。

 気配を悟られるのを恐れアスギルが離れた場所から様子を伺っていると、屋敷の裏から何かを抱えた侍女が馬屋に入り、荷物を置いたのか手ぶらで急ぎ戻る姿を目撃した。


 ほどなくしてシャナが姿を現す。

 結界を張り姿を消しているアスギルの方にシャナが顔を向け、一瞬目が合い微笑んだ様な気がした。

 魔法使いでも気が付かないのに、魔法を使えないシャナに分かる筈がない―――

 不思議に思いながらシャナを見送ると、アスギルはその場を去ろうとする。

 その時、先程侍女が何かを持って走った馬屋の方から鳴き声が聞こえて来た。

 不審に思い足を向けると赤子の声だ。


 アスギルが馬屋を覗くと積まれた飼葉の中から声が聞こえ、探るとおくるみに包まれた生まれたばかりと思われる赤子が鳴き声を上げていた。

 抱き上げると赤子は泣きやみ、僅かに目を開け頼り無さげに瞳を動かす。


 「―――!」


 僅かに開かれた瞼の向こうには、右が青、左が赤という異質な瞳が存在していた。

 「これはシャナの―――?」

 この目には見覚えがある。

 海のように青い右目はシャナの瞳。

 そして血の様に赤い右の眼は―――


 「私の―――?」

 


 




 

 アスギルが赤子を連れ向かったのは自分の屋敷ではなく、昔面倒を見た魔法使いのもとだった。

 戦火の中で親を亡くし彷徨い歩いていた幼児には強力な魔力が秘められており、そのまま捨ておけば悪しき方向に向かいかねない。

 アスギルはその幼児の身を案じ、拾って名を聞くとフィルネスと答えた。


 フィルネスはアスギルが唯一育てた弟子だった。

 幼児だったフィルネスを拾いはしたが赤子は初めての体験。

 どうしたらいいのか分からず、アスギルはフィルネスのもとを訪れたのである。


 「何だそれ?」

 フィルネスはアスギルの抱えた物を覗きこみ、赤子と分かるや否や迷惑そうな顔をし―――

 「―――捨てて来い。」

 冷徹に言い放った。

 アスギルが赤子を守るように抱きしめ首を振ると、火が付いたように赤子が泣きだす。

 「お前が酷い事を言うから泣きだしたではないか。」

 「はあ?手前てめぇ分かってんのか、赤子は食えねぇんだぞ!」

 「食べたりするものか!」

 「じゃあ何でそんなもん拾ってくんだよっ!」

 二人が言い争う間も赤子は泣き叫ぶ。


 「だ―――っ、煩い、貸せっ!」

 フィルネスは赤子を奪うと柔らかな頬を摘んだ。

 「フギッ…」

 妙な声を出した赤子が腕を動かすとフィルネスの指に引っ掛かり、そのまま指に食らいついた。

 「んなっ?!」

 赤子はフィルネスの指を吸うが、母の乳を求めて吸い付いた指からは何も出てはこない。 

 やがて赤子は再び大声を上げて泣きだした。

 「腹減ってんだな。」

 フィルネスの言葉に「そうか」とアスギルは答えると、勝手に台所に入りその辺を物色し始める。


 「どっから拾って来たんだっ!」

 赤子の声に負けじとフィルネスは声を張り上げた。

 「馬屋。」

 アスギルは調理もされていない豆を皿に乗せて持って来ると、赤子の口にこじ入れようとする。

 「んな物食うかっ!!」

 フィルネスは豆を払い除けると赤子を守るように優しく抱きしめる。

 「馬屋ってどこの馬屋だ?」

 「…シャナ皇女がいた屋敷の馬屋。」

 「シャナ皇女?」

 フィルネスは眉間に皺を寄せる。

 「皇帝と皇女の子かっぱらって来たのか?!」

 フィルネスは数ヶ月前、シャナが皇帝の子を宿し城を出たという噂が都を駆け巡っていたのを思いだした。

 「違う…皇帝の子ではない。」

 「違うってじゃあ何でそんな所に赤子が…」

 言いかけてフィルネスは赤子の目を見た。

 開かれた瞼から涙が大量に零れ落ちている。

 そしてその瞳は、青と赤の左右非対称の色合い。


 嫌な予感がする。

 「まさか―――手前の子じゃねぇだろうな?」

 恐る恐る口にするとアスギルは頷いた。

 「多分…そうだ。」

 「はぁっ?!」

 フィルネスは呆れて大声を出した。

 「手前っ…皇女を抱いたのかよ?!」

 命知らずな―――

 皇帝の愛妾とも言うべきシャナに手を出すなど絞首刑物だ。

 まぁアスギルが黙って殺される訳はないと分かってはいるが、それでも忠誠を誓った皇帝にアスギルは手出しが出来ない。と言うよりも、ミモスの血を引く者にアスギルが楯突ける訳もないのだが。


 「本気なのか?」

 フィルネスは赤子をあやしながらアスギルに問う。

 力は強大だが、アスギルが心の弱い魔法使いである事はフィルネスだけが知っている事実だ。いわくつきのシャナなどに手を出せば苦しむのは目に見えている。

 「分からない。ただ、シャナ皇女はミモスだ。そう思うと私はシャナの苦しみを取り払ってやりたくなった。」

 おいおい…フィルネスは頭を掻き毟る。

 取り合えず泣く子を黙らせる事から片付けよう。


 「話は後だ、ちょっとそこで待ってろ。」

 フィルネスは赤子を抱いたまま扉を開いた。

 「何処へ行く?」

 「乳のでる女を知ってる、こいつはまだ豆は食わねぇからな。手前はここを動くなよ。」

 そう言うとフィルネスは赤子を抱いて乳飲み子のいる家の戸を叩き、金貨を一枚渡して赤子に乳を分けてもらった。

 

 

 




 翌日フィルネスは皇帝に呼ばれた。

 初めて垣間見た時は少年だったハクヨだが、今は外見上アスギルを超えている。ハクヨは玉座に鎮座したまま面倒そうに肘を付いた。

 「シャナを城に戻した。」

 ハクヨはアスギルを一瞥する。

 「シャナは子を産んだのだが死産だったと言い張るのだよ。残念だ…予にとっては初めての子であったというのに―――」

 ハクヨのアスギルを見る目。

 その目は全てを知っているという眼差しだった。

 「死して産まれた子を探しているのだが誰かが持ち去った後だったのだよ。そなたは知らぬか?」

 アスギルは答えず、ハクヨは喉の奥で笑った後、鋭い眼光でアスギルを睨みつける。

 「北のルアーンに不穏な動きがある、潰して来い。」 

 これはハクヨのらしだ。

 戦場で絶大な力を振るうアスギルだったが人を死なせる事は嫌いだった。それを知っていて、不穏な動きがあるという理由で一国を潰せと命令する。

 ルーアンはルー帝国の北に位置する小国で大した軍も持たない。そんな国が帝国に楯突くなどありもしないでっち上げもいい所だ。ハクヨは勝手な理由を付け、アスギルの忠誠心を利用しシャナに手出ししたアスギルに復讐しているのだ。

 「我が君の仰せのままに―――」

 分かっていても跪く事しかできなかった。

 ハクヨがミモスの血を引く限りアスギルは拘束され続ける。

 

 アスギルは一夜でルーアンを灰に変えた後、何も無くなった荒野に手を付き…己の犯した罪に体をくねらせ悶絶した。



 



 アスギルが姿を消していた数日、赤子はフィルネスが面倒を見ていた。

 泣く子をあやし愛でていると情が移るが、産まれたばかりの乳飲み子を育てて行くには無理がある。何よりも必要な乳が出ないのでは話にならない。日々増して来る赤子の食欲は貰い乳をするだけでは抑えられなかった。


 赤子のへその緒が取れる頃、アスギルが舞い戻って来る。

 その姿は憔悴しきっていて、大勢を殺して来たのだとフィルネスには分かった。


 「これからどうすんだよ?」

 山羊の乳を薄めた物を布に浸し、赤子の口に含ませながらフィルネスは問う。

 「シャナを守ってやらねば―――」

 アスギルとシャナの関係をハクヨが知った今、シャナの身が心配でならなかった。

 「大丈夫かよ…」

 誰かを守るよりもアスギルの方に救いが必要に見えた。

 「手前の方が壊れそうじゃねぇか?」

 アスギルの赤い眼に陰りが見えていた。

 ふっと笑うと漆黒の髪をかきあげる。

 「その時はお前が殺してくれ。」

 フィルネスは舌打ちする。

 「俺が手前に敵う訳ねえだろ。」

 視線を抱いた赤子に移すと、赤子は目を見開いてフィルネスを凝視し、必死に乳の浸された布を吸っていた。フィルネスはその温もりに溢れんばかりの美貌で微笑む。


 赤子が布に浸した乳を吸い終えると、アスギルはフィルネスから赤子を受け取る。

 青と赤のつぶらな瞳は何の汚れも知らない。

 シャナとアスギルの子。

 汚され続けたシャナから産まれたのは、結して罪の子などではなかった。

 「親のない子供を預かる施設に連れて行く。」

 魔法使いのもとにいては、いずれはハクヨの手が伸びて来る。見つかれば赤子の命は間違いなく奪われてしまう。

 フィルネスもそれを理解し、大きく息を吐いた。

 赤子を失った腕が嫌に寒く感じた。



 

 

 


 それから十年と少しの年月が流れた。

 アスギルは変わらずハクヨ帝に使え、絶大なる魔法の力で帝国の柱となり存在している。

 結して背けない物、それがミモスの血だ。

 ハクヨはアスギルに対する復讐心でのみ彼を動かし、戦場で人を殺させる。ある時は罪もない人間に濡れ衣を着せ、アスギルにその処分を言い付ける事すらあった。

 アスギルはその命令に心を痛めながらも、罪なき人を殺めて行った。

 一重にミモスの血を尊重するが故、シャナを守りたいが為に。


 馬屋で赤子を見付けた日、結界を張り身を隠すアスギルにシャナは微笑んだ。

 何故だかは分からないが、シャナはアスギルがそこにいる事を察したのだろう。あの微笑みは安堵の笑み。子供を守るべき存在が見つかり、シャナはほっとしたのだ。


 だがあの日以来、アスギルはシャナの姿を垣間見る事すら叶わなかった。

 城の何処かにいるのは感じる。それなのに何かに邪魔をされ、その気配を追う事が叶わないのだ。

 その何かとは恐らく数人の魔法使いの仕業であろう。アスギル相手に完全に気配を隠す事など到底できる事ではない。

 姿を見る事は出来ないが、シャナが今も城の中にいるのだと思うとアスギルは僅かにほっとしていた。ハクヨの纏う空気にシャナの匂いを感じる事はなく、シャナは汚れた責苦から解放されたのだと思っていたのだ。


 だがある時、アスギルは異様な空気を放つ重厚な扉の前で立ち止った。

 扉を開くとそこには五人の魔法使いが部屋に陣取り、アスギルの登場に冷や汗をかいている。

 アスギルは赤い眼だけで彼らの力を弾くと、部屋の空気が一気に変わった。


 何処からともなく探し求めた気配が伝わって来る。

 愛しいものを想わせる血の匂い。

 足元を見やり絨毯をはがすと、地下に通じる扉が姿を現した。

 


 冷たく暗い階段を下りて行く。

 何処まで下りただろうか―――進んで行くと微かに人の呻き声が耳に届いた。

 獣が放つ異臭漂う暗闇。

 階下は地下牢になっており、僅かな光も届かない。

 

 そこでアスギルが見た物は地を這う生物。


 闇になれた赤い瞳が血の色に染まる。

 

 それは襤褸ぼろを纏い、湿った地に生える苔をあさり口に運んでいた。


 アスギルは言葉を失い、その場に倒れ込むようにして跪きそれを見下ろした。 

 僅かに生える苔をむしる指は細く爪は剥げ、重く固まった髪はもとの色など判別が付かない。骨と皮だけになった小さな体は異臭を放ち、鱗にまみれていた。

 落ちくぼんだ目、こけた頬。歯のない口は曲がり顎が歪んでいる。曲がった足は既に歩く所か立ち上がる機能を失っていた。

 

 「―――シャナっ!」


 唸るように声を上げ、アスギルは変わり果てたシャナを掻き抱く。

 シャナは空気の抜けるような音を吐きだした。

 「―――!!」

 アスギルはシャナを抱き声も出せない程息を詰まらせ泣き喚いた。

 無事でいると思っていた。

 生きているのだと思っていた。

 だがまさか―――この様な生かされ方をしていようとは―――!


 「シャナ…シャナすまない…シャナっ」

 震える体で必死にシャナを抱き、こけた頬を撫でる。

 海のように青かった瞳は光を失い、何も映し出してはいなかった。

 

 何故こんな事になったのだ?

 これは全てハクヨが与える復讐なのか?!


 愛しいミモスに誓った忠誠。

 それがこの様な事態を招いてしまったのだとアスギルは嘆き、自分を含む全てが憎かった。

 

 アスギルはシャナの硬く歪んだ唇に自身の唇を重ねる。


 シャナは空気の抜けるような音を出し続けていたがやがてそれも止まり、最後に全身を揺らした。

 同時にシャナの鼓動が止まる。


 痛みも苦しみもない死を与え、見開かれたままの瞼をアスギルは閉じさせた。


 骨と皮だけとなったシャナを抱いてアスギルは城を後にする。

 こんな世界にシャナを残しては行けなかったのだ。


 

 


 


 ミイラの様な遺体となったシャナを埋葬した後、アスギルはハクヨ帝の枕元に立った。

 ハクヨは既にアスギルが変わり果てたシャナを連れ出した事を知っていが、アスギルの静寂に包まれた怒りの大きさに気が付かずにいた。

 「お前に予は殺せまい」

 ハクヨはアスギルがミモスの血に囚われている事を承知していた。

 その忠誠ゆえ、抗えない事も。

 だがアスギルは、かつて愛したミモスの血を守る方法を変えたのだ。

 

 皇家の血全てを天に返す―――


 そうする事でこの様な悲劇は二度と起こりはしない。

 アスギルはハクヨの顔面に手をかざすと、一遍の迷いもなく弾き飛ばした。

 

 粉々になった血と肉片が辺り一面に飛び散り、アスギルを濡らす。

 首だけになった身体は床に崩れ落ちた。



 その後アスギルは皇家の血を根絶やしにし、ハクヨに縁のある女子供までも根絶やしにした。

 恨みと忠誠が混じり合い、我を失ったアスギルはそのまま世界を闇に染める。








 

 『その時はお前が殺してくれ―――』


 アスギルの言葉を実行しなければならなくなる日が来ようとは―――


 フィルネスは天を仰ぐ。


 「手前に勝てる奴等いやしねぇだろ…」

 それでも仕方がない。

 壊れたアスギルを止めるため、フィルネスは二人の仲間を得た。

 そのうち一人の騎士が別れを告げたい少女がいると言うので、フィルネスは廃墟と化したかつて帝都だった場所を訪れていた。

 そこで騎士…カオスが別れを告げる少女にフィルネスは目を見張る。

 

 少女は青と赤の瞳をした―――アスギルとシャナ皇女の残した娘だった。 


 何故生きている?!

 ミモスの血を受けた者は全てアスギルが殺したのではなかったのか?!

 自身の子だからと情けをかけられる状態などではなかっただろうし、忘れていたなどとは到底思えない。

 まさか―――シャナの子だから?

 

 ミモスの血に拘るのではなく、シャナとの娘だから殺せなかったのか?


 少女の内にはフィルネスを超える潜在的魔法の力が眠っていた。

 それを知ったフィルネスは、アスギルを止める為に少女を利用する事を思い付く。

 

 フィルネスは反対するカオスを説得し、少女…セラをアスギルを倒す為の旅に同行させる事にした。

 少女がアスギルとシャナの娘だと話すとカオスは驚愕し、口を噤んだ。ウィラーンの王子ラインハルトは異形の瞳に嫌悪を示したが何も言わない。


 少女は共に行ける事を喜び、フィルネスに感謝の言葉を述べる。

 フィルネスは思惑を隠すように、美しい笑顔を少女に向けた。

 

 少女に…父親であるアスギルを殺させようとしているというのに―――

 

 かつて赤子だった少女は母親譲りの魅了の青い瞳と、父親譲りの血の様に赤い瞳でフィルネスを見上げ頬を染めた。

 

 



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