抜け殻
ラインハルト―――何処にいるの?
あなたは何処に行ったの?
抜け殻のように変わり果てたセラを連れて戻るのは、ウェインにとっても苦痛と呼べる道程だった。
ラインハルトの死に立ち会い、愛する者を失った衝撃でセラは暴走した。
それを止めたフィルネスは相当の力を使い果たしたと見え、意識を失ったセラを静かに抱いたまま動けずにいた。暫く経ってからウェインを睨みつけると「どかせ」と一言告げる。
ウェインがセラを抱きかかえるとフィルネスは頭を掻きむしり、銀色のやり切れない眼差しがセラとラインハルトを映していた。そしておもむろに立ち上がると、前にも見た様にフィルネスの体が少しずつ薄れていく。
「死なせるなよ」
最後にそう告げると、フィルネスの身体が完全に消滅した。
その後セラは丸一日眠り続け、目を覚ましてからは幾ら呼びかけても虚ろな目をしたまま何の反応も示さなかった。
偉大な王を失ったウィラーンはこれから正念場となるだろうが、ラインハルトが築いた礎はしっかりとした物だ。残された物たちがしっかりとそれを継いでいけば問題あるまい。
ウェインはラインハルトの葬儀も待たず、セラが目覚めると直ぐにウィラーンの城を後にした。
ランカーシアンの手を逃れたいという気持ちもあったが、ラインハルトの葬儀をセラは見られる状態にはなく、この悲しみの地からセラを一刻も早くイクサーンに連れ帰りたい思いに駆られたのだ。
道中セラは茫然自失の状態で、馬車に揺られながら焦点の合わない目で人形の様にぼんやりと座ったままだった。
呼びかけにも答えず、触れてもピクリとも反応しない。歩く事も忘れ、暴走で魔法力を失っているというのに食欲すら示さない。口に運んでも固形物は飲み込めず、かろうじて水と薄いスープを流し込まれるだけの生きた屍の様だったが、それでもウェインは献身的に接し、甲斐甲斐しく面倒を見た。
愛しい娘を胸に抱き優しく抱擁すると悲しみが伝わって来るようで、ウェインはセラにしがみ付き悔しさに涙を流す。
何故セラを残して死んだ?
全てがアスギルとの戦いが生んだ結果だったとしても、セラを残して死ぬべきではなかったのだ。全ての意識を手放したセラの痛み…それは計り知れないものだった。
ウェインがイクサーンの城に戻って来たのは夕闇迫る頃。
セラを抱き上げ馬車から下りると真っ先にセリドが駆け寄って来たが、セラの様子を目の当たりにして蒼白になり言葉を失っていた。遅れて出迎えたシールもセリドと変わらず言葉を失ったが、後から姿を見せたカオスは意外にも冷静で、こうなる事を予想していたかに落ち付き払っていた。
それでもセラの帰りを待ち構えていた様子が伺え、ウェインからセラを奪うように抱き取り、切ない眼差しでセラを見つめていた。
何もうつさない虚ろな青と赤の瞳はぼんやりと開かれたままで、抱き上げられた細く小さな肢体は軽さを増していた。
だらりと細く白い腕が零れ落ちる。
カオスは無言でセラを抱いたままゆっくりと歩きだし、シールがその後に従った。
ウェインの役目はここまでだ。
カオスへの報告は一旦宿舎に戻ってからにしようと踵を返すと、セリドが不安げにウェインを見上げていた。
「兄上―――」
ある程度は予想していたものの抜け殻の様なセラの姿に衝撃を受け、セリドは瞳を揺らす。
「案ずるな」
他に紡げる言葉がない。
ウェインは通り過ぎ様セリドの肩を押すように叩いた。
ずっと面倒を見て来たウェイン自身もどうすればいいのかまったく分からず、ただ一抹の不安だけが残っている。
『死なせるなよ』
フィルネスの言った言葉がウェインの脳裏をかすめた。
ラインハルトの最後の言葉をセラがどのように受け止めたのか。
自ら死を選ぶのではないかという恐怖と、頑なにラインハルトを思うセラの心がそうはしないと告げはするが―――フィルネスの言葉は重い。
愛する者を失うというのはそれ程までに強烈な事なのだろうか…
心を閉ざしたセラを思うと胸が痛んだ。
カオスはセラが城を出るまで使用していた部屋に足を踏み入れた。
瞬時、それまで無かった筈の気配を感じる。
突然現れた黒い影にシールは息を呑み、身を隠していた近衛のクレイバが剣を手に姿を現した。
「大事ない!」
カオスが背後のクレイバに向かって声を上げると、クレイバはその影を目の当たりにし青い瞳が疑心に揺れる。
「フィル…ネス…?」
少年時代に見た、恐ろしい程の美貌を持った魔法使いがそこにいた。
クレイバの言葉にシールも目を見開き、フィルネスと呼ばれた男を凝視する。
話には聞いていたが、何処からどう見ても三十歳前後の青年の姿に言葉が出ない。
クレイバの剣を治める音で我に返ったシールは、美しいながらも禍々しい気配を放つ魔法使いを警戒した。
一方のフィルネスはそんなシール達には何の興味も示さず、カオスに抱かれたセラを覗き込む。
「生きてるな―――」
その言葉を吐いてやっとフィルネスの気配が穏やかさを帯びて来た。
カオスはセラを寝台に寝かせ、シーツをかける。
セラは虚ろな眼差しで天井を見ていたが、暫くすると静かに瞳を閉じだ。
カオスはフィルネスに詳しい話を訪ねようとすると、先に面倒臭そうに口を開かれる。
「俺に質問すんじゃねぇ、あの餓鬼に訊け。」
そう言っておもむろに手を伸ばすと、セラの額に触れた。
長く細い指が額から鼻筋を通り、唇を撫でた。
そのまま顎を伝い首へと伸び胸の谷間をなぞってさらに下へと伸びて行く。
「思ったよりまともだな。」
ほっとした様な言葉を口にしながらも顔つきは厳しい。
「口移しでも何でもいいからとにかく食わせろ。心が戻る前に身体が折れるぞ。」
生きたいと、ラインハルトの言葉を守る為に必死に抵抗しているようだが、セラの心と身体が生きる事を拒否しているようだった。
フィルネスはセラの左手を取り、治癒させた指に嵌められた指輪を撫でた。
ラインハルトと出会わなければ、ラインハルトを愛さなければこんな事にはならなかった筈だ。だが、出会いのきっかけを作ったのはフィルネス。アスギルとの戦いに連れて行くと決め、巻き込んだのはフィルネスだった。
セラを巻き込んだ事に対しての後悔の念はない。
まだ幼さを残した少女を巻き込んだのは、それが唯一の道だと感じたからだ。
実際にセラがいた事でアスギルを封印するに至り、世界は混沌とした恐怖から解放された。セラがあの時取った行動が全ての結果を招いている。
それでも―――セラにこれ程の悲しみを与える位なら、世界は滅んだほうが良かったのかもしれない。
世界は結してセラに優しくはなかった。
生まれる事さえ望まれず、母親の腕の中で慈しまれたかすら不明だ。親の愛を知らず育ち、異形の瞳が差別の対象となってしまった。
一七歳…年月を刻んでも小さいままの白い手に、かつて生まれて間もなかったセラの手の感触を思い出す。
白く小さな手は力なくフィルネスの指を掴んで離さなかった。
母の乳を求め、指先を吸われた感触は今も昨日の事の様に覚えている。
柔らかく温かい赤子の体温と、小さい身体で息が詰まる程けたたましく泣いていたあの日。
フィルネスの胸に顔を押しつけ母親を求めた赤子は今…泣く事すら出来ていない。
「悪かったな―――」
巻き込んだ事を後悔はしていないが悪かったとは思っている。
「フィルネス―――セラは必ず立ち直る。」
結して弱い娘ではない。
ラインハルトを愛しすぎた結果は辛いものだったが、それでも受け入れ必ず歩き出すとカオスは信じている。
「預けるぞ。」
セラの顔を撫でつけ、フィルネスは名残惜しそうに手を離した。
いつも読んで頂きありがとうございます。
次回は番外編を一本挟み、その後本編を再開したいと思います。