夏の始まりと終わり
初夏を迎えたイクサーン。
セラがこの世界に舞い戻って一年が過ぎようとする頃、城を出たセラは新しい生活を始めたばかりだった。
心配症のカオスの命令で住む場所は街でも治安の良い地区が選ばれ、セラはそこで前からの予定通り薬屋を開く事にした。
用意された住処に来てみると日用品から薬作りに必要な道具全てが用意され、何の心配もなく生活できるようになっていた。生活費も心配ないとされたが、そう言われても働かずただ毎日を過ごす訳にもいかないし、身体を動かすのはセラにとってとても自由で爽快な事だった。
今すぐには無理だとしても将来的には自立して生きたいと何処かで思っているあたり、セラはまだまだセリドの事を一人の男性として受け入れる準備が出来ていない。
魔法以外何の取り柄もないセラに、『側にいて欲しい』と言ってくれたセリドに答えたいと言う気持ちは一杯だったが、セラにとってセリドはまだ年下の弟に近い存在の様であった。
その辺りは時間がどうにかしてくれるだろうと安易に考えつつ、セラは魔法薬作りに取りかかる。
セラの作る魔法薬はフィルネス直伝のもので、病気や怪我に効能のある薬草を採取し魔法を注いでその効果を高めるといった品だ。あまり力を注ぎ過ぎると薬草が耐えられず粉々に粉砕してしまうので微妙な力加減が難しい。
普通の薬草や魔法薬は乾燥させ煎じたり蒸留したり水で伸ばしてみたりと、実際使用する際手間のかかる物だったが、セラが作る品は乾燥さえすれば後はどのように摂取しても効果は変わらない便利なものだった。
何もかも準備されているとはいえ、魔法薬に使う薬草は自分で採取しなければならない。
セラは河原に出て目ぼしい草を捜し持ち帰っては魔法薬を作ると言う作業に日々没頭している。例に漏れず今朝取って来た薬草に魔法を注ぎ込んでいると扉を叩く音がし、鍵の掛けられていない扉が開かれマウリーが顔を覗かせる。
「元気にしてる?」
セラが街に住むようになってから毎日、昼夜問わず日に一度は顔を覗かせるマウリー。カオスから警備強化の命が騎士団に下りているとは言え、あまりにも頻繁に行くなとウェインは忠告したが、忠告した本人もほぼ毎回マウリーの後に付いて来て姿を現していた。
「あ~マウリーさん、今朝は手伝ってくれてどうもありがとう。」
セラの言葉に「今朝?!」とウェインが無言でマウリーに問う。
確かマウリーは朝市の警備担当だった筈。
「セラちゃんが籠抱えて薬草採りに行くって言ってたからさ、護衛護衛。」
仕事をさぼったのかと目で語るウェインにマウリーは悪気もなく笑顔で答えた。
セラは一度作業を止め台所に引っ込むと、三人分のお茶を持って現れる。
「ハウル先生の急いで作るね。」
セラは城を出てから持病の腰痛があるハウルの手当てが出来なくなったため、代わりに痛み止と炎症を抑える薬を作ってマウリーに届けてもらうようにしていた。
「いいよ、また夜にでも貰いに来るから。」
「お前入り浸ってるのか?!」
そこまでマウリーが頻繁にセラを訪れていようとは、流石のウェインにも掴めていなかった。
「だってうら若き乙女の一人暮らしだよ、心配でしょ?」
当然の事の様に言われるが、そこはウェインも注意している。
セラは魔法が使え、しかも剣の腕も相当強くなった。そこいらの悪漢如き恐れるに足らない力を持っているが、魔物に怯みもしない癖に人間相手となると勝手が違うようで、まず人を疑う事をしない。要するに騙されやすいのだ。それを分かっているからこそ心配で目が離せないのだが、それをマウリーまでもがやっている事に腹が立つ。
セラを心配するのは自分一人でいいのにと、勝手な独占欲がウェインに湧き起こった。
そんなウェインとマウリーに、追い打ちをかける様な発言がセラから飛び出す。
「夜はいないんだ。」
「「えっ?!」」
夜いない?
いったい何の用事があるのだと、最近セラが周囲の人間と打ち融けだしている事を思い出す。
アスギルを封印した魔法使いの娘と同じ(本人だが)左右非対称の瞳を持つセラに、周りに住まう住人達は興味深々で、若い物は特にセラとお近付になりたくて仕方がない様子。時々若い男らが家の周りをうろついているのが目撃されているが、勿論そんな輩はウェインによる無言の威圧で恐れをなしあえなく退散して行くのだが…
「今夜は満月だから月読みの花を探しに森に行くの。」
夏の満月の夜にだけ開花する黄色い小さな花。
この花は冬の季節に流行する水痘の痒みを抑えるのに覿面の効果をもっているが、開花時期が夏という事もあり、冬になると極めて手に入れにくくなる。水痘の痒みで死ぬ事はないが、子供は掻き毟り感染症を引きを越し易くなるし、セラは孤児院で水痘を掻いた傷から高熱を出し死んで行った子供を見ていたので出来れば準備しておきたい薬草だった。
「お前まさか一人で―――」
ウェインが言いかけると同時に扉が叩かれる。
誰だろうとセラが扉を開くとそこにはセリドの姿があり、セラを見て顔を輝かせた後、その背後にマウリーの姿を認め嫌そうに顔を顰め―――その隣にウェインがいる事に気付いて再び顔を輝かせた後、しまったと言う表情を浮かべた。
「百面相―――」
ころころと変わるセリドの表情にマウリーが笑いながら指差す。
「また抜け出して来たんですか?」
呆れた様なセラの声色に、ウェインはまったくと言った感じで額に手を置いた。
セリドは街の者たちが着る一般的な服に身を包んでいたが、さすが王子と言わんばかりの気品を溢れさせている。
品行方正なセリドが城を抜け出しハウルの屋敷に行ったりした事は聞いてはいたが、セラの『また』発言にウェインは弟への見方が少し変わった。
セリドを守っているはずの近衛の姿はなく、近くにいるのか巻いて来たのかは不明だった。
「一人で来たのか?」
「―――はい」
ウェインの問いにばつが悪そうにセリドは頷く。
「セリドは子供だから愛しのセラちゃんが側にいなくて寂しいんだよねぇ~」
「なっ…ばっ、ちがっ―――!」
からかわれていると分かっていても顔が赤くなる。
「赤くなっちゃって可愛い~。どさくさ紛れとは言え、よくそれでセラちゃんに愛の告白が出来たよね。」
後半は非難めかしく言い放ち、マウリーは半眼を開いてセリドを睨む。
「城を出るなとは言わんが、お前はもっと自分の立場をわきまえろ。」
唯一無二の王太子である。平和なイクサーンだからと言っていつどこでその身が狙われるとも限らない。
敬愛するウェインの苦言に、それが分かっているだけにセリドは肩を落とす。
自分の立場―――それを踏まえ考えるのもセラとの約束だった。
「たまには息抜きだって必要よ―――はいこれ、セリド王子の分ね。」
セラは新たに入れて来たお茶をテーブルの上に置き、人が集まってしまったので一先ず作りかけの薬草は片付け、ハウルの分の薬を調合する事にした。
セラは二種類の乾燥した薬草を取り出すと、すり鉢でごりごり音を立てながら粉砕してそれを数回分に分けて紙に包む。
三人はその一連の動作を黙って見ていたが、ウェインが思いだしたように先程言いかけた言葉を続けた。
「夜の一人歩きは危険だ、森へは俺が付いて行こう。」
ウェインの言葉にセリドはピクリと反応する。
「慣れてるから大丈夫よ、それにあの森には魔物も出ないし。」
「夜の森へ入るのか?!」
心配そうに口を挟んだセリドにセラは笑って返した。
「結界張るから大丈夫。それにウェインは仕事があるでしょう?」
「セラちゃん、女の子には魔物よりも注意しないといけない事があるんだよ。」
結界を張ったからと言って万全ではない。森よりも夜の街の方に危険が潜んでいるのだ。
マウリーが真剣な瞳でセラを見つめるので、セラはその綺麗な顔に思わず見惚れてしまう。それにムッとしたウェインが反応するよりも早くセリドがセラの腕を引き、自分のものだと自己主張するかに身を寄せた。
セラを横取りされたマウリーは口元だけに微笑みを浮かべ、セリドを指差し反撃する。
「たとえばこんな奴―――一番危険だから目があったら即刻逃げた方がいいよ。」
「何だとっ、私は人畜無害だっ!」
「はっは―――っ、たとえ話だよ。別にセリドの事だって言ってないだろ?」
「指で示したではないかっ!」
「そう?無意識の意識かな。それより人畜無害って自分で言ってて無理があると思わない?」
笑い飛ばすマウリーに食ってかかろうとするセリド。
まったく…セラは大きな溜息を付いて腰に手を置いた。
「そこまでにして。とにかく夜は月読みの花を探しに行かなきゃならないの、決めてるの。予定に入ってるの。心配してくれる気持ちは有り難く思うけど、慣れてるから本当に大丈夫よ。」
夜中にセラが一人でうろつく事を一番不安に思っているであろうセリドにセラが優しい視線を向けると、セリドは恥ずかしそうに視線を反らした。
人畜無害…マウリーの言うようにかなり無理のある言葉だ。
期限付きの約束をしたものの、セラの周りには今のセリドでは到底敵わない強力な敵が存在している。その不安から、離れて考えると約束しながらもつい城を抜け出してセラの様子を伺いに来てしまうのだ。
約束した当初は次の誕生日を迎えるまでの一年を会わずに過ごし、大きく成長した姿を見せ驚かせようと考えていたが、セラを他の誰かに取られてしまいそうで呆気なく陥落してしまった。
一番強力な敵…それはラインハルト。
ウィラーンの王はセラには必要な存在だと、セリドは先ずそこから理解しなければならないのに―――恐らくセリドの敬愛するウェインはそれが出来ていたのだろうと、セリドは自分の幼さと心の狭さを恨めしく感じた。
そうこうしている内に新たな訪問者が扉を叩く。
扉の向こうにはセラも顔見知りになってしまった二人の近衛騎士の姿があった。
城からセリドの姿が消え、思い当たる確実なセラの家へと真っ先に探しに来たのだ。
セリドは迎えに来た近衛に回収され、嫌々ながらも城へと戻って行った。
慣れていると言ってもセラを一人で夜出歩かせる訳にはいかない。
ウェインは森へ付いて行く事を強制的に決定し、マウリーを引き摺ってセラの家を後にした。
ハウル宛ての薬を脇に抱え、マウリーは不満そうに歩く。
「セリドってさ、セラちゃんにとっては危機感のない人畜無害な子供なんだよ。そんなセリドに側にいて欲しいって頼まれたら嫌とは言えなさそうだしさ。だから受け入れようと頑張ってんじゃない?」
ずるいよなぁ~とマウリーがぼやきだした。
マウリーとてセラと同じ寝台で一晩を共にした事がある。
あの時目覚めたセラはマウリーの顔を見た瞬間、劈く様な大絶叫の悲鳴を上げた。なのにセリドが隣に寝ていても最初に口にしたのは『煩い』と言う睡眠妨害に付いての苦情。セラにとってマウリーは男で、今の所セリドはその域に達してはいないのだ。
それなのに、セラのセリドを見る目は穏やかで優しい特別なものだった。それがマウリーには気に食わない。
「で、君はどうするの?」
艶っぽい眼差しを向けるマウリーに、いささかうんざりしながらもウェインは鼻でふんと笑う。
その態度を見る限り簡単にあきらめるつもりはなさそうだと解釈し、マウリーは満足げに笑みを浮かべた。
セラの周りは穏やかな時を刻み、日常が過ぎていく。
そんな穏やかだった夏の終わり。
誰も予想しなかったその知らせは突然イクサーンに届けられた。
夏も終わりにさしかかる頃、ウィラーン王家の紋章を掲げた早馬がイクサーンの城に到着する。
ウィラーンのレラフォルト宰相が、独断でカオスに送って来た手紙に書かれていた内容はあまりにも驚愕的なもので、カオスは一瞬目眩を覚える。
それは、いずれは予想されるべきもの。
だがあまりにも急な事で、カオスは真っ先に成さねばならない事が何かを直ぐに言葉にする事が出来なかった。
それでもやっと紡いだのは、誰よりも大切に思う人の名。
一瞬迷ったが、行かせねば更に悲しませる事になる。
カオスは手紙を側に控えるシールに渡した。
「セラを―――」
セラをウィラーンに―――!
シールは渡された手紙を読破すると青ざめながら頷き、成すべき事に取りかかる。
手紙にはラインハルト王が病に倒れ重体である旨が記されていた。