秘密
カオスから城を出て城下で暮らす許可を得た翌朝。
セラが話をする前にセリドはそれを聞きつけ、引き止める近衛を振り払いセラの部屋に押し入る様にやって来た。
「私から逃げるのか?!」
起きたばかりでぼんやりとまどろんでいたセラは、すごい剣幕で飛び込んで迫るセリドを半眼を開いて一瞥すると、両腕を天に掲げ大欠伸をした。
悪気はないのだが、そういうセラの態度は怒りに震えるセリドの感情を逆なでする。
「分かった…そっちがその気ならこちらにも考えがあるっ」
職権乱用と言われようと構わない、セラが逃げようとするなら煩わしい王子と言う身分と権力を最大限に行使して引き止めてやるといきり立つセリドに、セラは口元を押さえて小さな欠伸をし、迫るセリドの肩をぽんぽんと叩いた。
「丁度良かった、お話があるんです。取り合えず着替えたいんで一度出てもらえますか?」
目尻に滲んだ涙をぬぐいながら言うと、セリドははっとしてセラから飛び退き両腕を後ろに回した。
怒りに任せて飛び込んで来てしまったが寝台の上にだらしなく座るセラは夜着のままで、その夜着は肩まで着崩れ裾はまくり上がって膝が丸見えだ。髪は嵐が去った後の様に乱れ、素肌が露見した肩に流れ落ちている。
「し…失礼したっ!」
セラの寝起き姿を目の当たりにし、セリドは慌てて踵を返し部屋を出て扉を閉める。
頬を染め猛反するセリドの初々しさに後を追って来た近衛は微笑ましく思いながら、寝ていたと言うのに鍵を閉めてもいないセラの不用心さを心配に思った。
入っていいですよ~と言う明るい声にセリドがおずおずと扉を開けると、乱れた髪を綺麗にとかし、すっきりと身支度を整えたセラが笑顔でセリドを迎えた。
さっきまでの怒りは何処へやら…借りて来た猫の様に部屋の雰囲気を伺いつつ、セリドはゆっくりと入って来る。
セリドが勧められるまま椅子に腰を下ろすと、セラも椅子を移動させセリドの前に座った。
優しい眼差しに見つめられ、セリドは今し方起こした失態を思い身を縮める。
セラが城を出て行くと聞いて怒りを覚え乗り込んで来たというのに、怒りの感情はすっかり何処かへ飛んで行ってしまっていた。
「セリド王子、わたしは城を出て街で生活する事に決めました。」
本人の口から聞かされ、セリドは深く落ち込む。
「私のせいだな―――」
「う~ん、そうです…かね?」
セラは指をこめかみに当て首を傾げた。
事の起こりはセリドの発言だが、そうではないと思うが…
「私を置いて行かないでくれないか…私はお前に側にいて欲しい。私にはお前が必要なんだ。」
まるで捨てられる子犬の様な寂しそうな目で縋りつかれ、セラはうっと胸が詰まった。
「私の不用意な発言がお前に迷惑をかけているのは分かっているし、お前の心が別の場所にある事も承知だ。それでも私はお前が欲しい、お前と共にいたい。私を私ではなく王子として見てくれても構わないから…城を出るなど言わないでくれ。」
セラが去って行く―――今はその恐怖で一杯になり、女々しいと思いながらも一度告白してしまったら想いを止める事など出来なかった。
セラは首を振って椅子から立つと、硬く握られたセリドの手を取り跪いた。
セリドははっとしてセラに瞳を重ねる。
「セリド王子が言うように、わたしは王子を王子としか見ていなかった。それがどんなに辛いかって知っていたのに…ごめんなさい。」
セラが頭を垂れると、長い金の髪がさらりとセリドの膝に落ちた。
「わたし、あなたに必要だって言われて嬉しかった。いつも迷惑かけて守られてばかりで…ここにきてから皆には助けられてばかり。そんなわたしを必要だって言ってくれたあなたとちゃんと向き合えなくて…ごめんなさい。」
そう言うとセラは顔を上げ、切なく揺れるセリドの瞳を見上げた。
「わたしにも王子にも自分を見つめる時間が必要だと思うの。わたしちゃんと王子の事考える。王子もその場の勢いとかじゃなく、王子としての責任とかを踏まえて、わたしの事がどんなふうに必要か考えて。どんな答えが出てもわたしは王子の為にこのイクサーンにいるって決めた。わたしの力が必要ならそれを使ってでもセリドを守ってあげる。」
「違うっ…私はお前を魔法使いだからと言う目でなど見てはいない!」
なじる様な言葉で幾度もいってしまったが、そんな事は本気で思ったりはしていない。
「知ってる。だからわたしはセリドと対等になるって決めたの。」
対等になる為にセラは言葉使いを変えた。
「あなたが王子である事、わたしがアスギルを封印した魔法使いである事は変えられない。それを受け入れて生きて行かなきゃいけないのよね。」
一生変わる事なく付き纏う現実だ。
「わたしはまだラインハルトを想ってる、多分これは一生変わらない気持ちだと思う。」
セリドは重ねられたセラの手に輝く指輪に視線を落とした。
再び舞い戻って来た王妃の指輪。
セラのラインハルトに対する想いは知っている。それはセリド自身も納得して受け入れなければならない事だが、今はまだその度量を持ち合わせてはいなかった。
しかし、セラを失う位ならそんな事どうだっていいとセリドは思える。
たとえ二番手でもセラを手元に置き、自分の物に出来るならと若い心は欲にまみれそうだった。
少し前までは到底叶わない、届かない気持ちだと押し留めてあきらめていたのに―――
「でも、セリドの気持ちにちゃんと向き合いたい。」
セリドははっとして我に返った。
「私の気持ちに?」
セラは頷く。
「セリドがわたしを想ってくれるなら一緒に考えて。」
「一緒に…私と共に歩いてくれるのか?」
不安そうにかすれた声がセリドから溢れる。
「お前は私の思いに答え、私と共に歩んでくれるのか?」
ラインハルトを想っているのに、その気持ちを押し潰して受け入れてくれる?
それは嬉しい事だけれど…とても悲しい事でもあった。
「それを一緒に、距離を置いて考えよう。」
セリドは眉を顰める。
そうだ…セラは城を出ると決めていたのだと改めて思い出す。
「人の気持ちなんて移ろい易いものよ。セリドは突っ走ってる。だからお互い距離と時間を置きたいの。離れて暮らしてもセリドがわたしを想ってくれるなら、わたしはセリドの手を取って一緒に歩いて行く。」
「距離と時間?」
「成人する…一年後ね?セリドが一五歳になってもわたしを好きでいてくれて、わたしがラインハルトを乗り越えられていたら…婚約しよう。それでセリドが二十歳になってもわたしに側にいて欲しいと願うなら、わたしはどんな形であってもあなたの側にいる。」
そこに愛があるなら隣に立つし、お互いに別の相手をみつけていたとしてもセラはイクサーンでセリドを支え続ける。
セラの言葉を噛み締めるように聞き入っていたセリドは、やがてゆっくりと口を開いた。
「一八だ。」
「え?」
「私はそんなに待てない。成人した時お互いに心変わりがなければお前を娶りたいと願うが、それはお前が認めまい。今のお前の歳を超える、私が一八になったら…私と結婚してくれ。」
希望を見出し、セリドの目が輝いていた。
二十と言うのは単に切りのいい年齢だと思っていたからだ。しかしそれでも時間を短くされてしまうとセラは少しばかり焦りを覚える。
「十九…では?」
急にいつもの表情を取り戻したセリドを覗きこみながら言ってみる。
「十五。」
セリドが嫌味を込めて口元を綻ばせた。
「…十八でお願いします。」
そんなセリドについ言葉使いが戻ってしまう。
「それまで城を出るつもりなのか?」
「そうですけど?」
「避けている訳ではないであろうな…」
「そんな滅相もないっ」
セラが勢いよく首を振ると、セリドが優しく目を細めた。
こうなったら一刻も早く、自分とセラの婚姻を快く承諾できない輩を納得させなければならない。今以上に努力し、王に相応しいと…カオスに認められる男にならなければとセリドは自分に言い聞かせた。
セラの言う通り先の事など分からない。だが、セリドはセラへの思いが消えてしまう事などないのだと…ラインハルトを想うセラを見ていると何故だか分からないが確信できた。
セリドが一八歳の誕生日を迎える四年後、その時二人にお互いを思う気持ちがあればセラとセリドが婚姻を結ぶ。
カオスは六人の大臣達を前にし、その旨を伝えた。
セラの相手には宰相のシールをと言う見解で一致していた彼らにとって、カオスが口にした言葉は一同に衝撃を与える。
それはカオスが二人の婚姻を認めたと言う事で、正式ではないにしろ事実上二人は婚約状態にあると言う事なのだ。
しかしカオスはそれに対し苦言を指した。
「こちらの物差しで考えるな。将来的にどうなるかは二人の心次第…決定ではなく、可能性の一つとして心構えをしておいて貰いたいだけだ。」
カオスの言葉に息を呑んでいる者たちの中から、やっとの思いでクトフが口を開いた。
セラは納得してくれたものだと思っていたのに…セラをイクサーンに縛り付ける為セリドの婚姻に初めは賛成していたものの、これに付随して来る問題を解決させるとなるとセラに裏切られた様な八つ当たりを覚える。
「もし万一にもセラ殿がセリド王子の妃になる事があるなら、それが四年先とはいえ今から準備しておかなければ間に合いますまい。」
恐らく今頃リリス王妃が喜び勇んで準備を進めているであろうが、セラの身元引き受けとなる者は何としてでも我をと望む輩は少なくはないだろう。その筆頭にクトフは是非とも手を上げたい気分だった。放っておけば何をやらかすか分からない娘だと警報がなり、他の輩になど任せてはおけないと感じたのだ。
クトフの思いに反し、早速周囲はセラ争奪戦を始めようとしていた。
「我が養女としてセラ殿をお迎えし、立派な妃候補に育て上げたいと存じます。」
「いやいや、セラ殿は我が屋敷にてお迎えし…」
「そちらには手の早いご子息がおられるではないか。そのような危険な場所よりも我が屋敷へ―――」
欲望のまま次々と上げられる意見に、信じて来た者達の醜い部分を垣間見てしまったとカオスは眉間に皺を寄せ、手を上げて言葉を制した。
「万一その時がきたなら、民衆には何一つ包み隠さずありのままを見せる所存だ。」
「ですがそれでは―――リリス王妃の二の舞になりますぞ?」
クトフの言葉にカオスは視線だけをそちらに向けた。
「セラ殿は庶民…しかも孤児だという事実がある以上、いくら闇の魔法使いを封印した娘とは言え民がいつまたその出生に不満を抱くやもしれません。その時になってセラ殿を妃の座から拝し、新たな王妃を立てる事になったりすれば、それこそウィラーンの怒りを買う事になりましょう。それを回避する為にも、しかるべき家に養子として迎え入れさせるべきで御座います。」
クトフは両手を机に付き、強くカオスを見据えていた。
カオスは腕を組むと息を付き、クトフに身体を向ける。
「身分を、血筋に付いて言っておるのか?」
「他に何が御座いますか…」
それが原因で先の王妃亡き後、リリスが妃としてやって来たのではないか。
呆れたように肩を落としたクトフに、カオスは一度周りの者達を見渡してから再び視線を戻した。
「セラはシャナ皇女の遺児だ。」
カオスの発したその言葉に沈黙が流れる。
部屋にいる一同全員が、カオスのその言葉の意味を測り知れずに目を見開いていた。
「陛下は…ご自分が何を言っているのか…お分かりなのですか?」
シャナ皇女。
その名はルー帝国に席を置いた事のある者なら一度は耳にした事のある名であり、内情を知る者によっては結して触れてはならない名だ。
ルー帝国最後の皇帝となった十八代皇帝ハクヨ、その妹姫シャナ。
その名を聞いて最高齢の大臣ギルは身体を震わし、驚きに腰を上げてカオスに問う。
「それはもしや…ハクヨ帝の?!」
六十代半ばのギルは帝国が消滅する直前までルー帝国に使えていた。
「それ以上は聞かぬ方が身の為ぞ!」
事情を知る者から声が上がり、ギルは腰を下ろしたが身体の震えが止まらない。
それもそうだろう。アスギルは皇帝を殺し、その血を引く者から縁者に至るまで例外なく全てを殺し尽くしたのだ。アスギルが何故その愚行に走ったかは分からないが、そこまでするには余程の恨みがあっての事。皇家全ての血を流したと思われていたのに、まさかアスギルの恨みの対象となる者がこの様な場所に生き残っていたと知った今、それはアスギルの脅威が再びやって来ると感じても仕方のない事だった。
イクサーンの力になると思われた娘がまさか脅かす存在であったなど…
「陛下が何故それをご存じで…それは真でございますか?」
皇帝が死んでから既に三十年近い月日が流れている。実際にセラが生まれ時期は封印の中にいたのを考慮しても四十年以上前の出来事だ。セラが生まれた時カオスの年齢は十歳そこそこで、後から知ったにせよ信憑性は低い。
実際質問したクトフはシャナ皇女の名は知ってはいたが、皇女の身の上は人伝にしか聞き及ばない。人の口程頼りないものはないのだ。
「これは事実だ。同時にセラが結界から無事に出て来た事が災いに転じぬ証拠でもある。」
皇家の血を恐れるのはアスギルの恨みを恐れるからだ。しかし、アスギルはセラを殺さなかった。アスギルにはセラを殺す事が出来なかったという事実は、逆にセラの力の証明にもつながるとカオスは大臣らに告げる。
「身分や血筋を気にするから申したまで。そもそもハクヨ帝は国民に圧制を強いていた訳でもなく外向きには称えられていたのだ。民衆の声が上がると言うならそこを上手く突き、利用するのがお前たちの役目ではないのか?」
「しかし…しかしですな…!」
ギルは震える声を出すが、言葉が繋がらない。
その言いたい事が分かったカオスは一同に厳しい眼を向け、はっきりと言い付けた。
「私に分かっているのはセラの母がシャナ皇女だと言う事。父親は知らぬ…が、ハクヨ帝ではない事だけは確かだ。」
そう告げるとカオスは立ち上がる。
「この話は他言無用、要らぬ詮索はするでない。」
これは当然セラも知る事のない、あまりにも信じ難い真実。
口さがない者らの口を封じるにはいささか強烈すぎる内容だったが、これでひとまずセラの決断に邪魔が入る事はないとカオスは大臣達を鋭い眼光で見据えていた。