爆弾発言
ウェインに部屋まで送られた後、セラは四苦八苦しながら何とか一人でドレスを脱いで湯殿へ向かった。
無駄に広いお湯にゆっくりと浸かり、疲労困憊の足を揉む。
慣れとは言え重いドレスと踵の高い靴で優雅に踊り続ける女性たちには感嘆せずにはいられない。
湯の中を浮遊しながら存分に堪能して湯殿を出ると、セラは上機嫌で部屋に戻って行った。
あと数刻もすれば夜が明け始めるだろう。
あまり寝る時間は無いなと考えながら寝台に入ろうとした時、控えめに部屋の扉を叩く音が聞こえた。
「誰?」
扉に耳を当て訪ねると「私だ」という囁きが聞こえる。
「セリド王子?」
こんな時間に何だろう?
セラが鍵を空けると勢いよく扉を押し開けセリドが飛び込んで来て、瞬時に扉を閉める。
「セリド王子?!」
いったい何事かと聞く間もなくセリドは部屋の中をきょろきょろと見回しながら―――
「かくまってくれ!」
言うなり物陰に身を顰めてしまった。
「かくまう?」
首を傾げると再び扉を叩く音がして、セラは扉を開いた。
開いた扉の向こうには一人の綺麗な娘が立っていた。
年はセラよりも同じか僅かに下の様だったが、とても気が強そうな茶色の目をしている。
セラを見て一瞬娘は驚いたが、にっこりとほほ笑んで口を開いた。
「セリド王子を捜しておりますの。ご存じありません?」
上から下まで値踏みするようにセラを見た娘に、そう言う事かとセラは理解する。
娘はセリドの花嫁候補かなにかだろう。セリドは執拗に追いまわされこの娘から逃げている最中だという所か。
「たった今湯殿から戻って来た所ですけど、ここまで来る間は見かけませんでしたよ。」
セラは嘘が付けない、嘘を付くと顔に出て解りやすいのだ。
だからセラは事実のみを口にした。
娘は目を細め、「ふ~ん」と鼻を高くしてセラの様子を伺う。
湯上りのセラの髪は濡れていたし、服も寝る寸前と言わんばかりの色気のない夜着姿。
「そう、お邪魔したわね」
娘は小馬鹿にした様にふんと鼻で笑うとセリドを捜しに去って行った。
セラは廊下に顔だけ出してそれを見送ると、娘が角を曲がったのを確認してから扉を閉める。
「行っちゃいましたよ?」
セラが声をかけると、あまり衣服の詰まっていない衣裳部屋からセリドが恐る恐る姿を現した。
「悪かったな―――」
今目の前にいるセリドは先程までと服装は同じだったが服と髪は乱れ、襟元のボタンが外れて着崩れていた。
しかも頬には真っ赤な口紅の痕。
何処からどう見ても先程の娘に襲われ逃げて来た様子が伺える。
「口紅付いてますよ。」
セラが自分の頬をつついてセリドの頬に付着した口紅の位置を指摘すると、セリドは慌てて袖で口紅を拭った。
真っ赤になっている。
「暫くここにいても構わないか?」
セリドを追っているのはあの娘だけではない。
宴が終わったにも関わらず、城に留まりセリドを追いまわす娘は両手の指だけでは数えきれないのだ。
「それは構いませんけど、わたしもう寝ますよ?」
そう言いながらセラはそそくさと寝台に潜りこむと、セリドがシーツを引っ張った。
「お前、私を差し置いて先に休むと言うのか?!」
「もうすぐ夜があけます。明日も朝から先生の講義に午後は剣の稽古があるんです。王子の敬愛するお兄様の稽古に寝不足で挑むなんて出来ません。」
「お前…本当にいい度胸しているな。」
不貞腐れた様にどかりと寝台に腰を下ろして邪魔をするが、一人で寝るには無駄に大きい寝台なのでそんなの気にもならない。
「あ、そこにも口紅付いてます。」
寝転んでセリドを見ると、さっきと同じ色の口紅がセリドの鎖骨近くに見え隠れしていた。
セリドは慌てて指摘された部分を拭い去る。
「消えたか?!」
焦るセリドにセラは頷きにっと笑う。
「おもてになるんですね。」
「本気で言っておるのか?」
セリドがぎろりと睨みつける
「女の方からそんな事するんですよ。セリド王子の事よっぽど好きなんじゃないですか?」
「そんな訳なかろう。あ奴らは王太子としての身分が好きなのだ。」
確かにセリドに手の届く範囲にいる娘にとって、王子の妻という地位は魅力的なのかもしれない。
まぁセラには関係のない事だ、そう言う事には首を突っ込まない方がいい。
そんな事を考えていたら急に睡魔が襲って来た。
「鍵、閉めなくていいから落ち着いたら出て行って下さいね。」
それだけ言うとセラはあっと言う間に寝息をたて始める。
「お…おい、お前、私がいるというのに本気で寝る気か?!」
焦るセリドの声などセラの耳には全く届いておらず…
セリドは深く溜息を付くと、シーツにすっぽりと包まれて眠るセラの寝顔を覗き込んだ。
「お前は本当に変わった女だな。」
セリドは戸惑いながらも手を伸ばし、セラの髪に触れてみた。
しっとりと濡れて艶を帯びた金の髪。
未婚の、そもそも女性に対してこの様な行為は絶対にあってはならない不躾な事だと、王子として教育を受け続けたセリドは十分に理解していた。
だが密かに思うセラに対して、こんな風に誰にも邪魔されず寝顔を見る事が出来る機会など、恐らくこの先一生訪れはしないだろう。
そう思うとセリドは自分が止められず、起こさないように注意しながらそっとセラの寝顔を覗き込む。
閉じられた瞼に長い金の睫毛が伸びている。ほんのりと色付いた柔らかそうな唇は触れてみたくなるが、さすがにそれは躊躇される。それよりも今は、セラの無防備な寝顔を見れた事がセリドには何よりも幸せな事だった。
そうしてセリドは大きな失敗を犯す。
セラの寝顔を盗み見ながら、セリドはそのまま眠ってしまったのだ。
翌朝。
一つの寝台で幸せそうに眠る二人の姿を目撃したシールは脱力し―――次の瞬間、人生初の大噴火を起こした。
宴の後に姿を暗ましてしまったセリドを近衛達は必死になって捜し回った。しかしいくら捜してもみつける事が出来ない近衛達は危機感を覚え、近衛騎士団長のクレイバに報告し、クレイバは宰相であるシールに報告する。
近衛達が城中をくまなく捜してもセリドの姿をみつけ出す事は叶わなかった。城の周りを固める騎士達はセリドの姿を目撃しておらず、セリドが城を抜け出したと言うのは考えにくい。
そこでまさかと思い浮かんだのがセラだ。
セリドがセラに想いを寄せている事位シールにも、そしてクレイバにも露見していた。
まさかという思いでシールがセラの部屋の扉を叩くと中から返事はなく、合い鍵を使って開けようとすると鍵は開いたままだった。
そうしてシールとクレイバ、それに続いた数名の近衛騎士達が目撃したのは、寄り添う様にして眠る二人の姿だった。
「大馬鹿者―――!!!」
シールの大絶叫に飛び起きたのはセリドである。
まず最初に怒りに震えるシールを見上げ、困った事になったと頭を押さえたクレイバに視線を向けた。
次に隣に眠るセラを見下ろすと、シーツの中でもぞもぞと蠢いている。
シールの絶叫でも目が覚める事なく未だ夢の中といった感じだ。
「自分が何をしたのか分かっていますね?」
怒りに震えながらも呼吸を整え、やっとの思いでシールは口を開いた。
「分かっています。」
セリドはそれだけ言うと俯き口を瞑った。
何も手出しはしていない。だが、いい訳など出来なかった。セリドが娘の寝台で目を覚ました事、一夜を過ごしたという現実事態に大きな問題があるのだ。
セラに傷を付けてしまったと言う思いがセリドを責める。
セリドは顔を上げると事後処理に思い悩むシールを見上げた。
「責任は取ります。」
「責任?」
拳を握りしめ、セリドは口を開いた。
「セラと結婚します、それで何の問題もないでしょう!」
意を決したセリドの宣言にシールは唖然とした。
「そこまで思い詰めずとも宜しい、何もなかった事は一目瞭然です。」
シーツに身を顰めたセラはともかく、多少の衣服の乱れがあるとはいえセリドは靴すら脱がずに寝台に上がっているのだ。二人に何もなかった事位それを見れば分かる。
「そう言う訳には行きません。私は男として、王子としてもやってはいけない事をやってしまったのです。」
シールは溜息を付いた。
セリドは思い詰めると真っ直ぐに突き進む癖がある。きちんと対処せねば後に引かなくなってしまう恐れがあるのだ。
「恐らくセラ殿は気にはされません。前にも一度こういった事があったのです。」
セラが姿を現して一月ほどが経った頃に夏祭りがあった。それに一人抜け出したセラは翌朝騎士宿舎にあるマウリーの部屋で発見されたのだ。
「前にも?」
「ええ。あの時の非はマウリーにあります、が…セラ殿の名誉の為にも言っておきますが勿論何もありませんよ。知っているとは思いますがセラ殿は陛下達と旅を共にしていました。それ故男性と並んで眠ってもさほど抵抗がないのではないでしょうか?」
この際マウリーの部屋で目覚めたセラが絶叫し、悲鳴を上げた事は黙っておこう。
シールの言葉にセリドはセラを見降ろし、そのまましばらく見つめると目をぎゅっと瞑る。
そして目を空けると、真剣な眼差しをシールに向けた。
「それでも私はセラを妻に迎えます。状況はどうあれ、この責任は取るべきです!」
「妻と言いますが、セリドはまだ成人してはいないでしょう?!」
イクサーンでの成人年齢は男女ともに十五歳。結婚はその前でも可能ではあるが、十五を待たずに婚姻を結ぶ事は世間一般に好まれない。
「では成人するまでは婚約期間とします。」
「そんな事セラ殿自身が望むと思っているのですか?」
「ラインハルト王には振られたのでしょう、何も問題はないではありませんか?」
「女性の繊細な部分をつつく物ではありません。それに王太子の婚姻は重大問題です!」
「煩いっ!!!」
言い争う二人の間に声が飛び込む。
「「!!?」」
声の主たるセラは身を起こし、半眼を開いて二人を睨みつけていた。
「煩い、余所でやってっ、邪魔っ!」
それだけ言うとシーツを頭からかぶり再度眠りに就いた。
その様子に誰もが息を呑む中―――
次の瞬間にセラは飛び起きる。
「ちっ…遅刻?!」
起き上がると一番にセリドが目に入った。
セリドと目が合ったセラは眉を顰める。
「まだいたの?」
まだ追われているのだろうか?
「あ…ああ」
冷や汗を浮かべ返事をしたセリドに違和感を抱く。
「王子様も大変ね…」
くしゃくしゃと頭をかきながら寝台から下りて初めて、セラはそこに集う面々を目撃した。
シールにクレイバ…黒い近衛騎士の制服に身を包んだ数人の騎士に…扉の向こうにまで人の影が…
「何かあったの?」
その時はまさか…自分が原因の一つとして持ち上がっていようなどと、セラは夢にも思ってはいなかった。