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残されたモノ  作者: momo
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心の整理




 セラが目覚めた時、辺りは夕闇に包まれていた。


 早朝ヒリアスイの傷を癒した後でシールに話をぶちまけ泣いて…そのまま泣き疲れて眠ってしまったようである。

 寝不足で疲れていたとはいえ、まさか朝から夕方まで眠ってしまうとは…

 現実逃避をしている様な自分に、セラは小さく溜息を付き寝台から下りた。


 部屋を出ると辺りはしんと静まり返っている。

 あの後どうなったのだろうとぼんやり思いながら、セラは肌寒い廊下を目的もなく歩き出した。

 


 ヒリアスイの自殺未遂の一件は何もなかった事として処理された。

 イクサーン側としては、リョクシェントの王女が自国においてそのような行為に走った事はあまり歓迎できる話しではなかったし、リョクシェントとしてもセラを取り込む為に行った行為が失敗に終わった今、王女自殺未遂と言う汚名は出来る事なら消し去りたかった。ヒリアスイの手首を傷つけたのが誰かを追求しようとも、今更証拠となる傷がない状態ではそれも無理。しかしこの様な騒ぎを起こした事により、リョクシェントは王女から騎士の全てまでが見張りを付けられる事となった。


 

 セラは何時の間にかあの塔の下に立っていた。

 この数日で色んな事が一気に起こった。

 リンハースの王が訪れイルジュが姿を消し、リョクシェントの手がセラに纏わり付いた。

 セラの心に今一番大きくのしかかっているのは、ヒリアスイらが語った偽りの数々。それを信じて疑わなかった自分にも非があるが、ヒリアスイの微笑みの下に隠された裏の顔に恐れを抱く。

 

 冷たい風がセラの頬を撫で金の髪を巻き上げる。

 上着を着ていなかったので寒いと感じたが、折れた心を正すにはちょうど良かった。

 シールの言った様にこれが現実なんだ。

 セラの思惑に反して、何処にいても何処に逃げても、利用しようと言う者がいる限りそれは延々と続く。

 「まさかこんな世界になっているなんてね…」

 思いもしなかった。

 望んだのは戦いのない自由な、皆が幸せになれる世界。

 混沌とした恐怖の世界で失われて行く命を繋ぎ止めたかった。

 だからその後の事など…自分がこんな風に扱われてしまうなんてまったく予想していなかったのだ。

 カオスが王になったのも、彼が特別な存在だと認識されていた部分が多かったからであろう。もともと統率力は十分にあった。人を引き付けて離さないカリスマ性もある。唯一の難点は優しすぎる所で、それが王となったカオスを苦しめた事であろう。

 セラはそのカオスが築いたイクサーンで、少なくともカオスのもとで…セラに笑顔を向けてくれる人たちは、その心に偽りなく自分を一人のセラとして扱ってくれている。


 それだけは―――偽りであって欲しくはない―――!


 セラの青と赤の非対称の瞳から涙が止めどなく溢れだした。

 「うっ…ふっうぅぅッ…!」

 声にならない叫びを上げ、セラは塔の壁に手を付き崩れ落ちる。

 地に膝を付く寸前、セラは大きな逞しい腕に支えられたかと思うと一瞬で抱き寄せられ、厚く鍛え上げられた胸に顔を押し付けられた。

 顔を見ずとも声を聞かずとも、この胸の温もりは誰のものかすぐに分かる。

 「すまない、守ってやれなかった―――!」

 ヒリアスイの企みを予想し、本当ならセラに知られる事なくイクサーンから去らせるつもりだったと言うのに…こんな形で露見させてしまった。

 泣き崩れたセラをしっかりと、だが優しく包み込んだウェインの腕。

 セラはウェインの胸に顔を伏せたまま、ひたすら首を横に振る。

 これは守られるとかそんな意味の物じゃない、これしきの事で落ち込んで泣いている自分の方がおかしいのだ。


 「ウェインは、何でわたしが好きなの?」

 顔を伏せたまま問うセラに、何で今そんな事をと疑問の瞳を投げかけるが届く訳もない。

 「何でだろうな…最初はそんな風に見てなかったっていうのに―――」

 自分に問う様に言いながら、ウェインはセラの頭を撫でた。

 「わたしがアスギルと戦った魔法使いだから?」

 「馬鹿野郎、そんな訳あるか!」

 何でそうなるんだと、ウェインは顎をセラの頭に乗せ圧力をかける。

 痛い…と言う様にセラが身を縮めた。

 「最初は珍しくて興味を持ったんだったかな?」

 ウェインはセラに初めて会った時の事を思い出していた。


 あの怒涛の時代から時を超えてやって来た異質な瞳の魔法使い。

 ウェインの想像と違いセラはあまりにも普通の娘で、だが何処か違った立ち位置を持っていた。ウェインの知らないカオスを知り、ラインハルト王の心を射止めて離さない娘。恐ろしい魔物を相手に躊躇する事なく向かって行く癖に鈍感で、人を容易く信じて危なっかしい。悲惨な光景に目を逸らす事なく向き合い涙し、自分よりも他人を優先する。

 そして何よりも、真っ直ぐな瞳でラインハルト王を一途に想い続ける様はあまりにも切なくて、何とかして応援してやりたくなった。

 

 「それが何時の間にかお前の事が気になりだした。一度気になったら目が離せなくなって、いつも側にいて守りたいと思うようになっていた。俺はお前の真っ直ぐさに惚れたんだ。」

 危なっかしくて目が離せない。自分以外の誰にもセラに触れさせたくないという独占欲で一杯になる。こうして胸に抱き閉じ込めても、それが叶わないと解っているだけに余計に欲しくてならなくなるのだ。

 「そうだな。後はちょっと変わった所とか、手足の癖が悪い所とか…大飯食らいなとこも好きだぞ。」

 ウェインの胸の中でセラがふっと笑うのを感じた。

 「変な趣味。」

 「自分から変な奴だと認めるか?」

 今度は肩を僅かに揺らして笑う。

 だがその力ない笑いがセラの受けた傷の深さを感じさせ、ウェインは再びセラを強く抱きしめた。

 「俺はお前だから、セラだから好きなんだ。他の誰でもない、セラ…お前自身に惚れているんだ。」

 セラの確認したかった所はそこだろう。

 自分がアスギルと戦った魔法使いだから特別視される。ここで出会った者達の心を疑う訳ではないが確認したかった…きっとそれだけだ。

 「ありがとう。」

 セラはウェインを見上げる。

 「ごめんねウェイン、変な事聞いて。」

 変な事か―――

 ふっとウェインは笑う。

 まぁいい、今は逃げられないだけましと思うか。

 ウェインは複雑な眼差しでセラを見下ろした。

 セラの目は両方とも真っ赤に充血し、目の周りも鼻も真っ赤だ。それに顔中が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。

 「ひでー顔。」

 そう言うとウェインはセラの頬を摘んだ。






 

 セラがウェインに送られ部屋に戻ると丁度そこへシールと…二人の騎士に伴われたエルンストがセラを訪ねてやって来た所だった。


 「何の真似だ?」

 何故今更この男がセラの前に現れるのか―――

 セラを庇うようにウェインが前に出て、エルンストを連れて来たシールを威嚇する。

 言いたい事は分かる、不本意だがシールとてウェインと限りなく同じ気持ちだ。

 しかし…

 「陛下がお許しになられたのです。」

 「何?」

 ウェインは耳を疑った。

 傍目から見るとカオスはセラを誰よりも溺愛してはいなかったか?

 そのカオスが何故、今の状態のセラにエルンストを会わせる事を許可したのか。

 「エルンスト殿がセラ殿と二人で話がしたいと…それをセラ殿が望むならと、陛下がお許しになられました。」

 何故阻止しなかったとウェインの目、自分だって阻止したかったとシールの目が無言で火花を散らす。

 意外にも冷静だったのは当事者のセラだった。

 セラは火花を散らす二人の間にある扉の前に立つと、ゆっくりした動作でそれを押し開く。

 「どうぞ。」

 そう言ってエルンストを招き入れた。

 「セラ?!」

 「セラ殿?!」

 当然拒否するだろうと思っていたシールはセラを引きとめる。

 泣き疲れて眠ってしまったセラの悲惨な姿がシールの脳裏に焼き付いていたし、今だって泣き腫らした顔をしているのだ。いくらカオスが許したとは言え、こんな状態でエルンストと二人きりにさせられる訳がない。

 しかしセラは頭を振り、シールに作り笑いを向けた。

 「大丈夫。」

 そして更にその笑顔がシールを不安へと掻き立てる。

 「今の貴方は不安定だ、やはり止めておきましょう!」

 シールの心配は当然だったが、セラはもう一度笑顔を作り大丈夫と答えた。

 「カオスが許したんでしょ、だったら大丈夫。」

 「だからと言って…」

 カオスの名にシールが口籠ると今度はウェインが口を開いた。

 「俺も話を聞こう。」

 だったら問題ないだろう?とウェインはシールに目配せする。

 もしエルンストがセラに手出しをするなら、側にいるのはシールよりもウェインの方が適役だ。

 「エルンストさんは二人で話がしたいんでしょう?」

 「出来れば…」

 自分のおかれた状況を踏まえ、それが無理ならセラと話が出来る方を優先すると考えた。

 「じゃあ二人で話すよ。」

 セラは自らも部屋へ身を滑らせると扉を閉めようとしたが、扉をウェインが押さえて閉める事が出来ない。

 「そいつは信用できない。」

 ウェインの青く冷たい瞳が光っていた。

 心配されているのは重々承知だ。だが、他に人がいたらエルンストは真実を話してくれないかもしれない。

 「ウェイン―――」

 セラはウェインを覗き込んでその碧眼をしっかりと見つめる。

 「あなたがさっき言ってくれた事、全部信じる。だからあなたもわたしを信じて。」

 「―――!」

 セラの言葉にウェインは固まり、その隙を逃さずセラは素早く扉を閉めた。


 目の前で閉められた扉に額を擦り寄せ、ウェインは顔を赤く染めていた。

 その姿にウェインの部下でもある二人の騎士は、見てはいけないものを見てしまった恐怖に顔を歪め、背けた。

 ウェインがセラに言った事…

 セラは自分がアスギルと戦った魔法使いだから好きなのかと問い、ウェインはセラだから好きだと答えた。

 それを信じるからこの状況を信じろだと?!

 「比較するには違いすぎるだろう―――」

 唸るような呟きが漏れる。

 「いったい何を言ってくれたんです?!」

 余計な事を―――

 シールの冷ややかな視線を感じたが、ウェインは当然それを無視した。



 ウェインとシール、そして見張りの騎士二人を廊下に残しセラは扉を閉めた。

 少し間を置くが扉を開けようとする気配はない。

 セラはそれを確認すると、窓辺に向かって歩いて行くエルンストの姿を目で追った。

 日はすっかり落ち部屋の中が暗いためセラが明かりに火を灯すと、窓の外を見ていたエルンストがゆっくりとセラに振り返る。

 「話ってなんですか?」

 自分でも思った以上に警戒した冷たい声が発せられる。

 その声色にエルンストはふっと笑いを漏らした。

 「私達は貴方を甘く見過ぎて墓穴を掘ってしまったようです。」

 セラはヒリアスイの手首につけられた生々しい傷跡を思い出し、エルンストを睨みつけた。

 「何であんな事までしたの。エルンストさんにとっては王女は使えるべき主なんでしょ?」

 偽装とはいえ、その主に刃を向けるなんて。

 「致命傷になる様なへまはしませんよ。それに貴方の腕を信じていましたから王女に傷が残る心配もない。それで貴方をリョクシェントに迎えられるなら王女にしてみても容易い事です。」

 セラは沈痛な面持ちでエルンストを見上げると、その灰色の瞳が言葉とは裏腹に嫌味を含んでいない事に気が付く。

 彼らにとってはこんな事日常茶飯事なのだろうか?

 「何故証拠を消したのです?」

 「証拠―――」

 その言葉にセラの目が泳いだ。

 「あの時既に血は止まり命に別状がない事は明白だった。王女の傷を手当てしなければ貴方の言った事は憶測ではなく真実として処理された。」

 そうなればどうなったか。

 ここはリョクシェントではなくイクサーンであり、他国で起きた事をもみ消すのは容易ではない。

 たとえ王女自らが望んだとはいえ、その身体に致命傷になりかねない傷を負わせたとなれば当然エルンストは罪を問われ、最悪反逆罪として処罰されるだろう。いや、この目論見が露見した時はそうなる手筈だったのかもしれない。これはあまりにも無謀なやり方だったのだ。

 「わたしは王女の傷を癒したかっただけ。貴方を助けたなんて思ってない。」

 「ですが結果的にそうなりました。あの時貴方は全てを悟ったのではないのですか?」

 まさか傷跡でそれが判明してしまうとは思いもしなかった。あまりに順調に事が運んで、最後の最後で見誤ったのだ。

 「賭けたのはあなたの命って事?こんな事…騎士のあなたがすべき仕事じゃない!」

 「こんな事と言いますが、リョクシェントはそれ程に貴方を望んでいるのですよ。」

 「貴方が命をかけるなんて馬鹿げてる。この力はあなた達の望むような物じゃないし、わたしを連れて行ったってラインハルトの牽制にもならない。わたしは絶対にリョクシェントには行かないっ!」

 はっきりと宣言するように声を張る。

 これからもずっと、永久にリョクシェントに行くつもりはない。セラはここで、自分を受け入れてくれる人たちと一緒にイクサーンでの新たな時間を生きて行く。

 だから邪魔をしないで、心を乱させないで。 

 もう手を引いて―――!


 しばしの沈黙の後、エルンストが小さく笑って背を向けた。

 「今回はわたし達の負けです。」

 明かりを通してエルンストの美しい姿が窓に照らし出される。

 その窓枠には二本の小さな薄桃色の花が小瓶に挿されて置かれていた。

 摘み取られて時間が経つのに小さな野の花は、今もしおれる事なくひっそりと咲いている。

 エルンストは形のいい指で花弁を触り、花を揺らした。

 「野の花とは意外に強いものですね。」

 ヒリアスイの為にと、暗くなるまで一緒に花を探した。

 それも全てがセラを取り込む為の偽りだった。

 「花をくれて優しくしてくれたのも必要な事だったのね。」

 貴方にと言われ差し出された野の花。

 寒いだろうと気遣いを受け、優しく微笑んでくれたのも全てが策の一つ。

 「堅物で女嫌い…あれも嘘ですよ。」

 エルンストは悪戯っぽく笑う。

 「だからお気をつけ下さい―――と言っても今更ですが。」

 今更と言いつつもヒリアスイがここにいたなら、エルンストの腕ならこれを利用してセラを口説き落とす事も不可能ではないと言い張るだろう。

 だが今はもうエルンストにはその気が更々なかった。

 「でもあの日…初めて会った時、あなたはわたしを知らなかった筈。」

 イルジュを思い、遠くを見つめていたセラ。そのセラを塔の下で目を反らす事なく見上げていたエルンストはいったい何を思っていたのだろうか。

 「その異質な目を見れば貴方が誰かは一目瞭然です。」

 「塔の三階にいたのに眼の色まで分かったの?」

 セラからはエルンストの瞳の色まで判別は付かなかった。

 「女性を見ると口説きたくなる性分なんです。」

 「一言も口を利かなかったのに?」

 エルンストが溜息を付いて振り返る。

 「―――何が言いたいのです?」

 「少なくともあの時、一瞬だけだったかもしれないけど…貴方はわたしを慰めてくれたのよ。」

 意味が分からず変な人だと思ったが、それでも一瞬セラの心は解放されていた。

 「いい様に解釈されますね。有り難い事です。」

 そう言いながらも鋭い眼差しをセラに向ける。

 「敵に対して甘い考えは捨てなさい。でなければいずれそれが貴方の命取りになりますよ。」

 セラの失った指の傷が痛んだ気がした。

 確かにセラの考えは甘い。たとえそれが嫌な人間であってもほんの僅かな情に絆されてしまう。

 人を信じやすい…信じようとしてしまうのだ。


 俯くセラを見つめながら、エルンストは塔の上から遠くを見やる人影を思い出した。

 切なそうにぼんやりと金の髪を風に揺らしたその人は、本当に囚われの姫の様だった。

 あの時ばかりはイクサーンに来た目的も忘れ、何故か分からないがその人の目に映りたいと見上げ続けた。塔から下りた娘を見た時、その瞳が左右異なる異質な色を持っていると知った時エルンストは心の底から落胆し、その思いを瞬時に消し去った。

 セラの持つ一番の武器は底知れぬ魔法力などでも何でもなく、無意識に放たれる人を魅了する力。特別容姿が優れているとか秀でているとかではなく、言葉では表せない何が不思議な吸引力を持っているのだ。


 「それでもいい。人を傷つける位なら自分が傷つく方が楽だもの。」

 「まったく…貴方は破壊的なお人よしだ―――」

 エルンストは溜息交じりに笑い、セラに手を伸ばした。

 セラは微動だにせず、エルンストはセラの金の髪に触れ一房すくい取る。

 「貴方とはもっと別の場所でお会いしたかった。」

 それだけ言うとすくい取った髪を指に滑らせ、部屋から姿を消して行った。 

 

 

 翌朝、ヒリアスイ一行はリョクシェントへの帰路に着いた。

 豪華な馬車と紺色の制服に身を包んだ騎士の隊列を、セラは離れた場所からそっと見送った。






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