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残されたモノ  作者: momo
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偽りと真実


 この日、夕食を一緒に取りたいと言って来たヒリアスイに、セラは断る事が出来なかった。

 

 ヒリアスイは一日中リリスの相手をさせられた為、芝居など無用な程疲れ果てていた。

 朝から晩まで聞きたくもない色恋の話しばかり尽きる事なく話続け相槌を求めるリリスに、さすがのヒリアスイも疲労困憊。ついつい嫌味で返したくなる場面に遭遇しても、必死に心を落ち着け可憐な王女を装う。


 意外な強敵に苦戦しながらも、やっとの事で解放されたのは日もとっぷり暮れてから。ヒリアスイは与えられた部屋に戻る途中で運良くセラに出くわした。

 セラの隣には余計なものウェインが付き纏っていたが、ここは気合を入れて余計な相手にも媚を売っておこうと満面の笑みを浮かべようとして―――セラが手にした見慣れたマントが目に付いた。


 エルンストが接触していたのか―――


 姿が見えないと思っていたがセラに何かしらの対策をとったのだと理解し、ヒリアスイは取り合えず無難にいつもの儚げな微笑みを二人に向けた。

 「大丈夫なんですか?!」

 心配そうにセラがヒリアスイの顔を覗き込んで来る。

 「御心配には及びません。」

 「でも顔色が優れませんよ…エルンストさんも心配していました。」

 そういう事かと、ヒリアスイは話が飲み込めて来る。

 実際リリスのお陰で疲れ果た顔色をしているのだろう。

 まったく…運までこちらの見方をしてくれる―――心の中では笑いが止まらない。

 「エルンストが余計な事を申したようですね。」

 ヒリアスイは一度俯いて体勢を整えた。


 今の自分は心に傷を負い、伏しながらも気丈に振る舞う儚げな王女―――


 十分に役柄を認識すると顔を上げ、切なそうに瞳を潤ませる。

 「少し休んで大分良くなりました。それにやっとセラ様にお会いできたのに伏せってなどいられません。」

 そう言ってヒリアスイはセラの手を取ろうとしたが、生憎そこはマントで塞がっていた。

 「セラ様…宜しければこれから夕食をご一緒致しませんか?わたくし、いつも食事は一人きりなものですから、たまには誰かと一緒に食卓を囲んでみたいのです。」

 特別な事がない限り、王族となると食事は一人で取るのが当たり前だ。

 傍で聞いていたウェインは何も言わずに素知らぬ風にしていたが、セラはヒリアスイの言葉を鵜呑みにした。

 しかし、セラはエルンストに言われた言葉が気になって即答できない。

 そうこうしているうちに口車に乗せられ、セラはヒリアスイと夕食を共にする事となった。

 


 約束の時間になり身支度を整えてヒリアスイの部屋に向かうと、最初にエルンストが迎えてくれた。

 セラはここで会うだろうと予想し、借りたままになっていたマントを返す。

 「ごめんなさい…」

 謝るセラにエルンストは優しく目を細める。

 「わざわざ申し訳ありませんでした。」

 もう一度会う口実にと、わざと貸したままにしておいたのだというのに律儀な事である。

 「あの…それと。食事を一緒にって言われて断り切れなくて…ごめんなさい。」

 セラの声が小さくなる。

 それもそうだろう…心優しい娘に完全拒否できる程ヒリアスイは甘くはない。

 「いいえ。セラ殿と食事をすると決まってからの王女は、私も初めてみる笑顔を浮かべておいででした。」

 エルンストはほっとした様に優しく言ったが、それを聞いたセラの胸はつきりと痛んだ。

 明日で最後。

 ヒリアスイは明後日にはリョクシェントに発ってしまう。

 その時のヒリアスイが浮かべるであろう顔を予想すると、セラは自分がどんなに酷い事をしているのかと苛まれそうになった。

 

 何を食べたのか何を話したのかすら覚えていない。

 食事の間ヒリアスイは、王女らしく上品に笑っては時折寂しそうな眼差しを向けていた。

 ヒリアスイの側にいてあげられない罪悪感がセラを支配して、この日も眠れぬ夜を過ごしてしまう事となる。



 

 


 

 一方、ヒリアスイとエルンストは最後の仕上げに出ようとしていた。


 明け方近くになって、エルンストは密かにヒリアスイの寝所を訪れ、ヒリアスイは宝石の散りばめられた護身用の短剣を握り締めていた。


 「宜しいですか?」

 短剣を受け取ったエルンストはそれを鞘から抜き去る。

 ヒリアスイは左手をまくり上げると、そっと寝台に横たわった。

 寝台の横に跪いたエルンストは、ヒリアスイの腕をしっかりと押さえつけ、何の迷いもなくそれを白く細い手にあてがう。

 短剣の先が闇に光り、血の匂いが溢れ出した。

 

 ヒリアスイは美しい顔を歪め、必死に痛みに耐える。


 深く切られた手首が熱く、脈打ちながら流れ出る血の感触が纏わり付いた。


 疼き痛むが、セラの口からリョクシェントに行くと言わせる為なら大した事ではない。

 出血は多いがエルンストによる手技、致命傷にはなり得ないだろうし、傷もあの魔法使いが完璧に癒してくれるだろう。

 

 エルンストはヒリアスイの手首を切った短剣を横たわる彼女の胸に置くと、そのまま言葉を発する事なく、何事もなかったかに部屋を後にした。

 


 

 


 

 ヒリアスイが手首を切ったと聞いた時、セラは全身から血の気が引いた。


 リョクシェントの王女をイクサーンの地で死なせる訳にはいかない。

 イクサーンにおいて最も傷の癒しに秀でていたのはセラと言う名の魔法使いで、そのセラはヒリアスイのすぐ側に存在していた。


 大きな衝撃を受けたセラを迎えに行ったのはシールだった。

 今にも泣きそうな顔で青ざめるセラにヒリアスイの治療をさせるのは躊躇されたが、セラ自身は率先してそこへ行く事を望んだ。

 


 ヒリアスイの眠る寝台の傍らにはエルンストが神妙な面持ちで控えていた。

 「どうしてこんな事に―――」

 答えは知っていたが聞かずにはいられない。

 「私の責任です」

 この事態を予想していたように答えるエルンストに、セラは少なからず自分の存在が影響したのだと悟る。

 既に血は止まっているようだったが、痛々しい傷が生々しく開いて辺り一面を血で濡らしていた。

 この状況にセラは困惑し、シールは違和感を持った。

 

 ヒリアスイが自害に及んだと知らせを受けた時、シールはカオスに報告するよりも先に事実確認の為ヒリアスイのもとに走った。それから真っ直ぐにセラを迎えに行き今に至る。

 その間、ここに控えるリョクシェントの騎士と侍女はいったい何をしていたのだ?

 自国の王女が腕から血を流していると言うのに、傷口に当て布をするとか応急処置を施すとかするのが普通である。血に染まったシーツすらそのままに、ただぼんやりと手も尽くさず控えていたと言うのだろうか。


 シールの脳裏にウェインがもたらした一つの説が浮かぶ。

 リョクシェントはセラを手に入れる策として、セラ自らの意思でリョクシェントに来させようとしているのではないか―――

 だからシールは用心にと、これ以上セラに要らぬ話を吹き込ませない様にするため、ヒリアスイの行動をリリスによって足止めさせた。昨日は夕食をセラと共に過ごしたらしいが、それ以外はリリスに足止めされていた筈である。

 ヒリアスイは明日にもリョクシェントに帰国の予定だ、時間はない。

 だからと言って一国の王女がここまでするだろうか? 

 自分の手首を切って、一歩間違えば命を落としてしまう。

 リョクシェントは王女の命をかけてまでセラを手に入れたがっていると言うのか―――?!

 沈痛な面持ちでこの状況を見据えるセラの姿に、シールはその考えが間違いであればいいと首を振った。

 

 セラは跪くとヒリアスイの横たわる寝台に手をかける。

 白いシーツは赤い血を吸ってじっとりとして冷たかった。

 「ヒリアスイ様…」

 そっと呼びかけると微かに瞼が動くものの、美しい瞳が開かれる事はない。

 痛々しい状況にセラは胸が潰れそうだった。

 細くしなやかな白い手首には、ぱっくりと開いた傷。それは何の迷いもなく一気に肉を割いたのだと解る傷だ。

 いくら経験しても慣れる事のない血と肉の匂いがセラの鼻を突き、二日続きで眠れなかったセラの精神力を簡単に奪って行きそうになる。

 セラは目眩を覚え、血に染まったシーツに肘をつき頭を抱えて瞳を閉じた。

 「セラ殿―――」

 エルンストがセラの隣に膝をつき、その背にそっと手を回した。

 「王女をお救い願えますか?」

 身も…心も、ヒリアスイを救えるのはセラだけだと囁かれているようだ。

 そしてそれは、まるで悪魔の囁きのようにセラの脳裏に幾度となく木霊する。

 

 セラは頭を抱えたまま閉じていた瞳を開いた。

 目前には開かれた肉と赤い血が生々しく迫っている。

 傷を…閉じなければ―――

 心を落ち着けようと、セラは赤く染まったヒリアスイの傷口をじっと見つめていた。

 みかけでは、刃物の傷よりも魔物によって負った傷の方が遥かに酷い。苛まれる様な気持ちになるのは自分のせいであって、結してそれを傷の治療に影響させてはいけないとセラはヒリアスイの傷に手を伸ばした。

 心を落ちつけ真剣な眼差しで傷口を見据える。

 ヒリアスイの綺麗な体に小さな痕一つ残さぬよう、セラは意識を集中した。

 光を放ちかけた刹那―――

 手が止まり、セラはその傷口に釘付けになる。

 

 この傷って―――?!


 はっとしたセラは、隣に跪き様子を伺っていたエルンストに顔を向けた。

 エルンストは突然自分に向けられた青と赤の瞳に宿った驚愕の色を瞬時に察し、全身が凍りつくような感覚を覚えてゆっくりと立ち上がった。

 その動きに合わせ、セラはエルンストを見上げる。

 何故と―――セラの瞳がエルンストに問う。

 疑問と、そして疑いに満ちた瞳。

 同時にセラの瞳は、その考えを否定するかにエルンストに縋っている。

 だがやがてセラは視線を落とすと、ヒリアスイの腕に手をかざして傷口を塞ぎにかかった。


 

 ヒリアスイの傷はいとも呆気なく、何の痕も残さず完全に治癒する。

 傷の治療を終えたセラは言葉を一言も発する事なく、何かに耐える様にヒリアスイをじっと見下ろした後踵を返して早足に歩き出した。

 「セラ殿っ!」

 エルンストがセラの後を追い腕に手を伸ばして引き止めようとすると、二人の間にシールが素早く入り込む。

 「こちらはお構いなく、どうぞ王女のお側に―――」

 王女の騎士は王女の側にとシールの目が強く語った。

 若いながらも一国の宰相を務めるだけあって、さすがのエルンストも引くしかない。

 ヒリアスイの治療を始める寸前までセラは何の疑いもなく、切ない瞳を王女に向けていた。ヒリアスイとエルンストの言葉を信じて己が事の様に切実に思い悩んでいたセラが、何故急にその態度を急変させたのか。

 相手は魔法使い、それもただの魔法使いではない。

 触れる事で何かを感じる力を持っているのだとしたら―――いや、そうだとしたらとっくの昔にこちらの思惑など露見していておかしくない。

 眠ったふりをしているヒリアスイに何かを感じたのだろうか?

 ここまで来て失敗する訳にはいかない―――

 何故と問うたセラの瞳の意味に、エルンストは舌打ちした。





 

 一刻も早くカオスへの報告を急ぎたかったが、明らかにおかしいセラをこのままにして行く訳にはいかない。

 シールは早足で歩くセラの後を追って呼び止めるが、セラは歩みを止める事なく進んで行く。

 「セラ殿、待って下さい。いったい何があったのです?!」

 横に並んで歩調を合わせ横顔を覗くと、今にも泣きそうで憤慨したセラの表情にシールは戸惑った。

 ヒリアスイが手首を切ったと知った時のセラは青ざめて打ちひしがれていたと言うのに、今は迷いと怒り、悲しみと疑問…あらゆる感情がセラから溢れ出ている。

 

 セラ自身、何が何だか分からなかった。

 ヒリアスイの取った行動に身が凍る思いをしたが、あの傷跡に疑問を持った瞬間、一体何故と言う思いとそれを否定する気持ちが交差しながらセラを震えさせた。

 「セラ殿っ!」

 とても強く大きな声で呼ばれ、セラはシールがすぐ隣を歩いている事に気が付き歩みを止めた。

 「シールさん…」

 立ち止り自分に顔を向けたセラにシールはほっとする。

 「いったい何があったのですか?」

 シールが何度も問いかけた言葉をもう一度訪ねると、セラは揺れる瞳でシールを見上げた。

 セラはカオスのもとへ向かおうとしていた。ヒリアスイに、リョクシェントについて浮かんだ疑問に答えてくれる人に一刻も早くあって全てを否定したかったのだ。

 しかし今目の前にはイクサーンの宰相であるシールがいた。

 細かい情報は国の王よりも宰相の方が理解しているものであると、前にハウルから教わった事がある。いずれセリドがイクサーンを継いだ時、シールは内側から王と国を支える事になるのだと。

 「どうしてヒリアスイ王女がリョクシェントを代表してイクサーンに来たの?」

 今の状況に相応しくない質問であったが、シールはこれがセラの行動の答えに繋がるのだと思い考えを口にする。

 「カオス王を相手にするならヒリアスイ王女の様な方は適役と言えます。可憐かつ儚げで保護欲を掻き立てられる…セラ殿の方が詳しいかも知れませんが、騎士でもあった陛下はそのような女性にお弱い。」 

 確かにその通りだ。

 だが…ヒリアスイは殆どカオスに接触して来る事はなかった。

 リリスの妨害を受けていたと言うのもあるが、それはセラに向けられる策への牽制の為。

 最終的にセラを手に入れる際、ヒリアスイがカオスにどのような影響を与えるかはシールにも掴みかねた。

 「じゃあ、ヒリアスイ様がリョクシェントでどのような立場にあるか解る?」

 「そうですね…私個人の憶測も含みますが、王女はリョクシェントでかなりの地位をお築きかと思います。でなければイクサーンへの使者として立ちは出来ませんし、何よりリョクシェント王はヒリアスイ王女が男であればと悔やまれていると聞き及んでいます。そのお陰で幸か不幸か、あのお年まで何処にも嫁がれず王の側に使えているようです。」

 あれだけの美貌を持つ王女、当然引く手数多あまただ。

 一般の王侯貴族の女は一四、五歳で適齢期を迎え、遅くとも一八歳までには何処かに嫁がされる。それを過ぎると行き遅れと言われ、体の何処かに欠陥があるとか二目と見られない容姿だとか嫁には出せたものではない身体だとか…いわれのない誹謗中傷に曝されてしまうのだ。

 既に二十歳を過ぎたヒリアスイは完全にその部類に入る存在だが、その才と容姿のお陰で未だに求婚者が後を絶たないと言う。それもリョクシェント王の覚え目出たい王女だからであろう。


 それを聞いたセラは頭を抱え込んだ。

 リョクシェントでのヒリアスイは結して話に聞き、想像したような酷い扱いを受けていた訳ではなかった。

 それならそれでいい。

 嘘でも、嘘でよかったと思う。

 ただ悲しいのは、セラに向けられたものが全て嘘だったのだという現実だ。

 同情を引いてセラの口からリョクシェントに行くと言わせたかったのだと、さすがにここまでくればセラにも分かった。実際、血に染まったヒリアスイを見た時は守ってやらなければと、心のどこかでリョクシェントに行く事を決めていた。


 「何があったのか、聞かせてはくれませんか?」

 シールがセラに触れると、セラの身体は小刻みに震えていた。

 真っ青な顔をして今にも倒れそうなセラは、シールの問いかけに頭を横に振る。

 「ヒリアスイ様ではなかった…」

 「何がです?」

 微かな震えが確実なものに変わる。

 「ヒリアスイ様の手首を切ったのは…多分エルンストさん―――!」

 セラは言葉にした瞬間、吐き気をもよおし口を押させた。

 「なっ…!?」

 その言葉にシールは絶句し、内容が内容だけに近くにある使用されていない部屋にセラを引き込む。

 部屋へ引き込まれシールが扉を閉じると同時に、セラはその場に倒れるように崩れ落ちた。

 「今のはどういう意味ですか?!」

 シールにしては乱暴な動作だったが、それを考えられるほど余裕がなかった。

 「傷が…内から外に向かってつけられた傷だった。自分で手首を切ったのなら外側から内側に向かって付く筈なのに…それに…内から外に向かう傷が僅かに下を向いていたの。左利きの人間がつけた証拠よっ」

 それだけ言うとセラは吐き気と嗚咽で言葉を失う。

 だがシールは話をここで辞めさせる訳にはいかなかった。証拠の傷はセラによって綺麗に消されてしまっていたのである。

 これがもしヒリアスイ王女に対する暗殺未遂だったとしたら…可能性がない訳ではない。

 ヒリアスイの狂言だと予想はしたが、まさかそれが騎士たる男の手で成されたとなれば話は変わって来る。

 「どうしてそうだと分かるのです、王女の手首を切ったのが何故エルンストだと?!」

 嗚咽を上げ必死で涙を堪えながら、セラは何度も何度も頭を横に振った。

 「事実は分からない…でも、エルンストさんは左利きなの。傷も…間違いなく本人がつけたものではない。そういう事は全部フィルに叩きこまれたから間違いないっ…!!」

 どうして―――!

 そう叫んでセラはシールに飛び付き胸倉を掴んだ。

 「どうしてあそこまでするのっ…誰かを守る為でもないのに自分の身を傷つけてまでっ―――一歩間違えば死んじゃうのに、どうしてそこまでしてわたしが欲しいのっ?!」


 セラは怖かったのだ。

 自分の身を傷つけてまで気を引いて得ようとしたヒリアスイ達の心が怖かったのだ。

 確かに自害に見せかけ、手首を切ると言う行為はセラにとっては効果的な方法だった。

 セラが癒しの術を完全に使いこなせる様になる為に、フィルネスによって人の身体の作りからあらゆる外傷、解剖学に至るまで完璧なまでに仕込まれていなければ絶対に気付かれる事なく、今頃彼らは勝利していたのだ。

 そうまでして手に入れる価値が何処にあると言うのかまったく解らない。

 人の欲がもたらす恐怖よりも先に、自分に向けられる独占欲…行き着く所の見えない欲に恐怖した。

 

 セラの言葉でシールはヒリアスイ達の目論見を理解した。

 人間の欲…それはアスギルが作り出した魔物等よりも格段に恐ろしい物かもしれない。

 シールは自分にしがみ付いて嗚咽を上げるセラの背中を優しくさすり、だが辛辣な言葉を発した。

 「貴方には計り知れない利用価値があります。もし私がイクサーンの人間でなかったら、咽から手が出る程欲しいと思うでしょうね。」

 シールは逃げられない様にセラに腕を回した。

 「実際ここにいても欲しいと思いますよ。イクサーンはレバノの封印とそれに関わった偉大な王に守られていますが、陛下亡き後はどのように変わるやも知れません。しかし貴方がいれば他国への牽制にも、魔法使いとしての利用価値も極めて高い。イクサーンの宰相として考えるなら手放すには惜しい存在です。」

 そう、それはイクサーンの宰相としての考え。

 本来なら最も優先させなければならないものだ。

 「ですが宰相である前に私は未熟な一人の人間です。私は貴方を闇の魔法使いを封印した者ではなく、セラ殿と言う一人の人間として好きですし、大切に思っています。貴方の行動を制限しますがそれは安全を願っての事。魔法使いとしての力が必要になったとしても強制はしません。ですからセラ殿がリョクシェントに渡る事を妨害はしますが、行きたいと言われるなら拒否は出来ませんし、それをお手伝いいたします。」

 そこまで言うとシールはセラを抱く腕を肩に回して引き離し、涙に濡れた顔を覗き込んだ。

 「セラ殿は何処に行っても欲望の渦に巻き込まれてしまいます。それが現実です。リョクシェントの様な手を使う者がいるのも現実。しかし、そう言う人間ばかりではない事も解って下さい。」

 カオスを筆頭にイクサーンの者達はセラを愛しているし、あのラインハルトに至っては、セラの存在は神がかり的効果を発揮する。誰一人とてセラを無理矢理手に入れようとは思っていない。

 

 そういう人間ばかりではない―――


 分かっているけど、やはり今回の事はセラにはショックが大きかった。

 セラは再び嗚咽を漏らし、両手で顔を覆って声を殺し泣いている。

 シールは扉の外から響き届いて来る気配から自分が捜されていると解ったが、今はセラを一人に出来ず―――

 沈黙を守り、ひたすらセラを慰めるように背中を撫で…金の柔らかな髪を撫でてはセラが落ちつくのを待ち続けた。






  

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