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残されたモノ  作者: momo
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心配


 セラをこの手に取り戻してから既に三日、一向に目を覚ます気配が感じられない。


 命の危険を感じた時に比べると今は規則正しく息はしているし、頬に赤みも帯びて来ている。都から離れたこのホロスの町には腕のいい医者がおり、魔法は使えはしなかったが体を回復させる為の薬を上手く調合してくれた。とんでもなく異様な色と匂い、思わず吐きたくなる奇怪な味の煎じ薬だったが、それを飲ませる度にセラが回復しているように思え、ウェインは日に三度、きっちり言われた時間を守ってそれを己の口に含み―――口移しでセラに飲ませ続けた。


 結してやましい思いがある訳ではないっ―――煎じ薬を口に含む度、ウェインは己にそう言い聞かせる。

 スプーンでセラの口に運んでも飲み込まず、だらだらと口の端から零れ落ちるだけなのだ。例えるなら苦い泥と腐った血の味のするその液体は、もし自分が患者であったら絶対に口できる代物ではなかった。

 

 カオスの予想通り単身イクサーンに現れたラインハルトは、その足でリンハースに進行するウィラーン軍に合流した。現在の所戦況は不明だがラインハルトの事だ、セラがこれ以上苦しむ情報をもたらしたりはしない―――多分しないであろうとウェインは推察する。

 セラの命に別状がないと判断したカオスは、近衛騎士達と共に捕えた魔法使いの少年を連れて都に戻り、腕を骨折したマウリーもそれに従って同行した。

 意識の戻らないセラを動かす訳にはいかず、ウェインはセラと共にホロスに残り町の宿に寝泊まりしている。

 

 宿の台所をかりて薬を煎じ、鼻を摘みたくなる異臭を放つ薬を持ってセラの眠る部屋を訪れる。

 煎じられた薬は少しどろっとした液体で、緑色の湯気が立ち上っていた。

 幾度となく口に含んでも慣れる事のない最悪の味。

 ウェインはセラの眠る寝台の横に置かれた椅子から下りて床に膝を付くと、意を決して薬を口に含み、瞼を硬く閉じたセラの脇に両手を付いた。

 




 異常な喉の渇きと空腹を覚えセラは目を覚ます。


 体を動かそうとすると全身に痛みが走り、唸りながら瞼を空ける。

 「うぅぅ~~~」

 目を空けた瞬間、目前に青く澄んだ瞳が飛び込んでくる。

 その青い瞳は驚いたように二度ぱちぱちと瞼をはためかした後で、『ごっくん』と音を立てて何かを飲みこんだ後セラの目前から姿を消す。

 「ウ…ウェイン??!」

 セラが身を反転させ下を覗くと、床にうずくまりただならない様子で苦悶に耐えるウェインを見下ろす。

 「ちょっ…大丈夫っ?!」

 セラがウェインに手を伸ばそうとすると、その手は包帯でぐるぐる巻きにされていた。

 ウェインは床に蹲ったままで大丈夫と手を振るが、その状態から回復するまでにかなりの時間を要した。

 やっと顔をあげたウェインの目は涙ぐんでおり、その表情は苦痛に歪んで吐き気をもよおしている。

 これ程に破壊的な味だったとは思いもしなかった。

 急に目を覚ましたセラに驚き思わず飲み込んでしまった瞬間―――奇怪な味が全身を駆け巡り指先まで震え、目眩が退き起こる。

 これで毒ではないと言うがまったく疑わしい限りだ。

 「どこが悪いの、大丈夫?」

 そんなウェインの状況など露知らず、セラはウェインの尋常ではない様子に胸が騒ぐ。

 心配になりウェインに手を伸ばしかけるが…躊躇が生まれその手を引いた。

 「どこも悪くはない」

 ウェインは口を拭いながらぶっきらぼうに告げる。

 飲み込んでしまった破壊的な味のする薬のせいで、セラが目覚めた感動も何もかも吹っ飛んでしまった。

 残った煎じ薬を器ごとセラに差し出す。

 「飲め―――」

 差し出された器には、緑とも黒とも赤とも付かない異様な色をした液体が異臭を放っている。

 セラはそれを受け取る事なく眉間に皺を寄せると、そのままウェインを斜めに見上げた。

 「もしかしてウェイン…これ、口にした?」

 「お前の分だ、飲め。」

 セラは首を横に振る。

 「こんなの飲んだら死んじゃう。」

 「案ずるな、今まで飲ませたがちゃんと生きているだろう?」

 「いえもう十分ですっ!!!」

 全身で拒絶の意を表すセラを見下ろすウェインは、悪魔の微笑みを湛えていた。


 この三日、目覚めぬセラを前にどれほど心配しただろう。

 僅かな寝返りも打たず、ただじっと横たわるセラを傍らで看病し続けた。

 自分から告白し手を出しておきながら、その気持ちを抑え込む為にずっとセラに辛く接し、セラがリンハースの手の者に攫われたと知った時の後悔の念はあまりにも耐え難く、自身を呪ってやまない。

 稀に見る大雪の影響で途中見失いはしたが、意外にも容易くレスティオ達の隠れ家を探し当てる事が出来たのは、普段はこの地方にもたらされる事のないその大雪のお陰だ。街道を外れ、立ち入りのない廃墟と化した屋敷に続く車輪の跡は降りしきる雪に埋まるでもなく、まるで見えない誰かに導かれているようだった。

 ウェイン達が必死になってセラを捜す間、セラがその身と心に受け続けた傷。

 申し訳なさと後悔で苦悶した日々も何もかもがこの一瞬で、ウェインの内から全てが失われてしまう。

 誤って飲み込んでしまったその薬は、人を狂わせるほど危険な味をしていた。


 ウェインは動けぬセラの顎を掴むと、器を口にあてがい無理矢理飲ませようとする。

 「飲めっ!」

 「い・や・だっ!」

 セラが無理矢理口をこじ開けようとするウェインの手にガブリと噛みつと、ウェインは声をあげてセラから手を離した。

 「お前っ…人がどれだけ心配したと思っていやがる!」

 ウェインは手にした薬の器を寝台脇の机に叩きつけた。

 「誰も心配して欲しいなんて頼んでやしないわよっ!」

 「頼まれなくっても心配なもんは心配なんだよ!」

 「だったら何で直ぐに来てくれなかったのよ―――っ!」

 その言葉にウェインはやっと我に返った。


 遅いよ―――


 僅かに目を開き、何処となくほっとしたかにそう言ったセラは、それからウェインの胸倉を掴んで離さなかった。

 あの時セラは、少なくともウェインの事を信じて待っていてくれたと言う事なのだろうか。

 

 セラは肩で大きく息をし、添え木があてられ包帯だらけの両手で顔を覆っている。

 息をする肩が小刻みに震えだし―――嗚咽があがった。

 ウェインは寝台に腰を下ろすと、そっと手を伸ばしてセラを抱き寄せる。

 「すまなかった―――」

 傷ついた体の負担にならない様に優しく抱きしめると、くしゃくしゃになった金の髪を撫でる。

 「辛くしてすまなかった…直ぐに助けてやれなくて本当にすまなかった―――」

 ウェインはセラの嗚咽が治まるまで、そのまま静かに優しく髪を撫で続けた。


 「ラインハルトは…リンハースに攻め込んだの?」

 セラが鼻水をすする。

 ウェインは少し戸惑いながらも、セラを胸に抱いたまま質問に答えた。

 「先に仕掛けたのはリンハースだ、ウィラーンは国を守る為に必要な措置を取ったまでの事だ。」

 ウェインの胸の中でセラの溜息が洩れる。

 恐らく自分を責めているのだろうとウェインは思った。

 「王は国を守らなければならないんだ、何もセラが落ち込む事はない。ラインハルト王も善処すると言っていた事だし、リンハースの民にとっても最悪な事態にだけはならないだろう。」

 それを聞いてセラはウェインの胸から身を離した。

 「ラインハルトが―――来たの?」

 ウェインは無言で頷くと、セラの首に掛る指輪を示す。

 セラは首飾りに通された指輪に視線を落とした。

 ラインハルトが指輪を持って来てくれた…せっかく来てくれたのに目覚めを待ってくれなかったのは、やはりそう言う意味なのだろうとセラは切なく息を吐く。

 「レスティオとイルジュはどうなったの。」

 「レスティオは死んだ―――」

 ラインハルトがレスティオの頭を踏み潰した光景が浮かぶ。

 普通は人間の頭部など踏み潰せるものではない。それをラインハルトは怒っていたにせよ、何の前触れもなく恐ろしい力でいとも簡単にやってのけたのだ。

 ラインハルトの全盛期を思うと身震いし、父であるカオスにもそのような力があったのかと思うとウェインは悔しささえ覚える。

 「イルジュは?」

 少年の魔法使いはカオスが連行したと告げると、セラはほっと胸を撫で下ろした。

 カオスなら悪い様にはしないだろう―――

 その様子にウェインは、自分に拷問した相手を心配するセラの心理がよく理解できなかった。

 魔法使い同士、二人の間に何かあったのだろうかとあらぬ心配が浮かぶ。

 「あのねウェイン、わたし…すごく言い難い事があるんだけど―――」

 「な…何だ?」

 妙な想像をしていたウェインは、恥ずかしそうに見上げるセラに戸惑う。

 「あのね…」

 セラの頬がほんのりと赤く染まった。

 「物凄くお腹がすいているの―――」

 魔法を使った訳ではないのに―――

 そう言うセラにウェインはなるほどと思い、ほっと息をついた。

 「いつから食ってない?」

 「う~ん、レトの町で食べたのが最後かな?」

 「かれこれ十日か―――消化にいい物を何か用意してもらおう」

 ウェインが宿に注文に行こうとすると、セラは慌てて付け加えた。

 「大丈夫、気遣い無用で何でもバンバン食べられるわ。質より量って感じで…お願いできますでしょうか…?」

 その言葉に多少呆れながらも、ウェインは分かったと答えて部屋を出て行った。


 


 


  

 セラとウェインはのんびり馬の背に揺られ、雪の降りしきる都へと戻って来た。

 

 眠りから目覚めたセラは、あの日ウェインが取り合えずの食料片手に部屋に戻ると、両手の包帯を解いて既に怪我の治療を終えていた。

 本来なら何十日もかかる骨折の治療…それがセラの魔法にかかればほんの一瞬で完治してしまう。心配しながらも割とすんなり都へ戻ったカオスはこの状況になれていたのだろうが、ウェインは心配した分何だか損をした気にならないでもなかった。

 それでもどうしようもないのは失われてしまった薬指だ。

 指一本、なければ無いで何とかなるのだが、ないは無いだけに不便さを感じる。

 「何とかならないのか?」

 男ならまだしも女が指を持たないなど、更に好奇の目に曝されてしまうだろう。

 馬鹿な問いだと思いながらもウェインが投げかけると、セラは苦笑いを浮かべた。

 「さすがに、ね…切られてすぐならくっつけられたかも知れないけど…」

 「なるのかよ…」

 呟きながら冷や汗が出る。

 手足を失って嘆いている奴らに教えてやったらどんな顔をするだろう―――

 それを思うと、この世の魔法使いが迫害されている現実があまりにも不条理過ぎるとウェインは思った。



 城への門をくぐろうとした所で馬を下りると誰かが呼ぶ声がする。

 セラが声の方に振り返ると同時に声の主に飛びつかれた。

 「ごめんねセラちゃん、無事でよかった!」

 「マウリーさんっ?!」

 片腕でセラを抱きしめるマウリーとセラの間には添え木をされた左腕があり、白い布でマウリーの首に吊るされている。

 「この腕どうしたの?!まさか―――」

 「いやぁ、自業自得って奴?上手くかわせなくて巻き添え食っちゃって―――」

 相手は頭を潰されたのだからこれしきで済んで良かったとも言えよう。

 「ごめんなさい…わたしのせいでマウリーさんが怪我しちゃうなんて…」

 「こいつの言う通り日頃の鍛錬が足らんのだ、気にするな。」

 「お前に言われるとムカつく。」

 ふんっとウェインはマウリーを一瞥すると、セラに城へ入るよう急かす。

 「ごめんマウリーさん、また後でね!」

 セラは大急ぎでウェインの後を追った。

 またもや心配と迷惑をかけたカオスや他の面々に、セラは一刻も早く謝らなければと思っていた。



 城に入るとセラを最初に迎えたのは意外にもセリドだった。

 城の窓から外を見渡し、セラの戻りを今か今かと待ちわびて姿を認めると一目散に階下を目指し…素知らぬ態度で偶然を装った。

 「意外に元気そうではないか。」

 荒い息を隠そうとするがしきれていないし、何よりも猫かぶりのセリドがウェインが傍らにいるにも関わらず、被りを脱いで敬語を忘れてしまっている。

 そんな態度にもセリドが心配してくれたのだと思うと、いつもの嫌味も嬉しく感じる。

 「いいえ、もうくたくたです。」

 お返しとばかりにセラが笑顔で返すと、セリドはほっとした様に緊張を解いた。

 「お帰りなさいませ、兄上。」

 「ああ、陛下は変わりないか?」

 他愛ない兄弟の会話を始めた二人の後にセラは従って歩く。

 カオスは執務室で仕事に追われ、シールも共にセラを出迎えた。

 「ご無事で何よりです。」

 シールはセラの手を取り心底ほっとした表情を見せたが、失われた指を見て顔色を変えた。

 話に聞いてはいたが、やはり実際に目にするとでは感じ方が違う。

 「セラ殿、私は何と言えばよいのか―――」

 身に受けた苦痛はどれほどの物だっただろう…口にしても気を使わせるだけと分かっていながらも、実際目にしてシールが受けた衝撃はあまりにも大きかった。

 話を聞かされていなかったセリドもそれに気付き、はっと息を飲む。

 「見た目ほど酷くは無いよ。意地張り過ぎた結果だし、まぁ仕方ないかなって。」

 はははと笑うセラの明るさが虚しさを誘う。

 「それよりカオス―――」

 セラはシールの手からすりと抜け出すとカオスの前に飛び出した。

 「イルジュはどうしてる?」

 飛び出して来たセラをカオスはそのまま愛しむかに抱きしめ、セラも自然に手を回した。

 「お前はいつも他人の心配ばかりするのだな。」

 見上げるセラにカオスは優しい眼差しを落とし髪を撫でる。


 会話は別として、それはまるで恋人同士の様な光景で。

 この展開にシールは慣れ、ウェインは嫉妬し、初めて目の当たりにしたセリドは絶句。

 

 そんな三人を蚊帳の外に置き、二人は会話を続けた。

 「何を聞いても口を開かず今は牢にいる。魔法を使って抜け出す気配はない様子だが、さすがに無罪放免と言う訳にはいかない。」

 カオスはセラにせがまれる前に釘を刺した。

 「気になるのか?」

 「イルジュはわたしなんかよりもずっと辛い攻めを受けて来たんだもん。」

 人の心配というよりも、セラは慣れない手付きで傷の手当てをしてくれたイルジュの事が気にかかってしまったのだ。

 「深い仲になったか。」

 カオスの問いにセラは首を振る。

 「殆ど意識が無かったから最初の日に少し話ただけ。イルジュにとってレスティオは、わたしにとってのカオスなの。違っているのはイルジュはわたしなんかよりももっと酷くて、レスティオは狡猾だったと言う事。」

 焼け落ちる都でセラの命を救ってくれたのは、信念に生きた騎士のカオス。生き地獄からイルジュを救ったのは野心に燃えたレスティオだった。

 立場が違えばセラがイルジュに、イルジュがセラに成り得ただろう。

 「救えるなんて思わないけど話がしたいの。」


 いつの日か、イルジュが陽の光を浴びて外の世界を歩けたなら―――

 自己満足かもしれないけれど、セラはイルジュの事を見捨てる事が出来なかった。

 

 

  

 

 

 

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