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残されたモノ  作者: momo
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雪の宴

 イクサーンの都から馬車で一日ほど南へ下った場所に、レトと呼ばれる小さな町がある。

 レトにはリリス王妃が所有する屋敷があり、花嫁修業と称してセラはここへ連れて来られた。

 

 レトは小さな町であったが、その中心には滾々と湧きだす泉があり、春になると美しい花々に囲まれる見目麗しい世界へと変貌する。

 その為この街には貴族や金持ちたちの別邸が数多く存在し、王妃がレトを訪れていると耳にした者達は、続々と王妃のご機嫌伺いに冬のレトへと集まり出していた。

 勿論、その情報を流したのはリリス本人だ。

 セラを美しく着飾らせ集まった者たちに見せびらかしながら、王妃自身は久し振りの華やかな遊びに興じる手筈。

 



 セラは鏡に映る自分の姿に溜息を落とした。

 真冬にも関わらず肩と背が丸出しになった白のドレスを着せられ、長い金髪は頭の高い位置に結われていて寒々しいにも程がある。部屋の中は暖炉の火で温かかったが、こんな恰好をしていなければ陽の高いうちから暖炉に火を入れる必要もないと言うのに。


 セラは鏡の中の自分をみつめながら、夏の暑い日の出来事を思い出していた。

 ウィラーンでの夏、炎天下で行われたウェインとマクシミリアンによる御前試合の席で着せられたのがこれに似た白いドレスで、そのドレスはマクシミリアンの血で真っ赤に染められた。


 「わたし、何でこんな所にいるのかしら―――」

 レトに連れて来られて三日目、セラはこの環境に既に音を上げ始めていた。

 「私の花嫁になる為ではなかったか?」

 「セリドなんかには勿体なくてわたせないね。」

 セリドの頬をマウリーが摘みながら答える。

 「お前は騎士であろう、近衛でもない癖に何故ここにいる」

 さっさと都へ帰れと、セリドは鬱陶しそうにマウリーの手を払った。

 「僕はセラちゃんの護衛として来たんだ。陛下直々の命令なんだから君なんかに文句を言われたくはないね。」

 三日前マウリーがカオスを訪ねると、急な謁見にも関わらずマウリーは直ぐ様王の御前に拝され、安堵の表情を湛えたカオスからセラを助けるように命じられると、その足でセラを追ってレトの町へとやって来た。

 「それにしても、王妃はこんな所で何をするつもりだ?」

 花嫁修業と言いながら特に何かをする訳ではなくただセラを屋敷に閉じ込め、後を追って来たマウリーにこれ幸いとセラの教育を任せていた。リリス自身は何やら忙しく走り回っている様子だったが、その殆どが今宵開かれる『雪の宴』と銘打った遊びの準備だ。

 「まさか娯楽の為にセラちゃんを利用してる訳じゃないだろうね?」

 マウリーは、一応セラの結婚相手とされているセリドを一瞥した。

 「王妃に聞いてくれ。」

 セリドとてセラが自分の花嫁になるなんて馬鹿げた話を信じている訳ではない。

 まぁセリド的には将来的には有りな話ではあったが、セラ自身がそれを思いっきり拒絶していたので絶対にあり得ないだろう。

 「マウリーさん、お客が来るのは夜でしょ。何で昼間っからこんな恰好でいなきゃいけないの?」

 人が来る前に着替えればいい話である。それを今からこんな露出の多いドレスを着せられては歩き難いし、はっきり言って恥ずかしかった。

 「少しでも慣れておかないと本番で大変だよ。それに―――」

 マウリーはセラの細くしなやかな手を引いてくるりと回らせると…己に引き寄せ、細い腰に手を回してセラの半身を反らせる。

 「今からダンスの練習をします。」

 翡翠色の瞳がセラの目前まで迫っていた。

 柔らかで優しさと情熱を耐えたその瞳に見つめられながら、セラは心底嫌そうな顔をする。

 「ダンス嫌い…ハウル先生の宿題の方がましだわ。」

 それを耳にしたセリドは肩を震わせて笑いだした。


 

 

 踊りに作法、言葉使いに男を魅了する天使の微笑みとやら―――

 この類の物にこれまで全く縁のなかったセラにとっては苦痛以外の何物でもない。

 ダンスを踊ればマウリーの足を踏み、作法を気にしていてはお茶も飲めなくなるし、上品を意識して言葉を発せば何を言っているのか分からない程奇怪になってしまう。鏡を覗いて天使の微笑みとやを試みれば後ろでセリドが吹き出した。

 そんなセラに呆れるでもなく、常に優しくそれこそ天使の微笑みで指導してくれるマウリーに必死で応えようとするが、頑張ろうとすればするほど深みに嵌って行く。

 そうしてセラがへとへとになった頃、『雪の宴』と銘打ったリリス主催の宴が始まった。

 セリドに手を引かれ広間に出て来たセラの姿に、居合わせた者達は皆感嘆の声を上げた。



 緊張で潤んだ瞳はきらきらと輝いて宝石の様に光を反射し、透き通る真っ白な肌にほんのりと色付いた頬、ふっくらとした唇には派手にならない程度の紅が塗られ、細い首から鎖骨にかけてはセラの瞳と同じ青と赤の宝石で飾られていた。

 肩と背中が大きく開いた純白のドレスに結い上げられた金色の髪。

 曝け出された肌は染み一つなく、艶やかに光を放っていた。



 ここまで変貌するとは―――


 相手がマウリーではさすがに見劣りすると思いセリドにエスコートをさせたが、マウリーを隣に立たせた方が更にセラを引き立たせたやも知れない―――想像以上のセラの姿と周囲の反応に、リリスは満足げに微笑みを浮かべた。

 しかし客達がセラに挨拶を始めた途端、リリスは大きな抜かりに気付いて僅かに眉を顰めた。

 左右異なる瞳をもつ珍しい娘の話は前もって聞かせてあったので、客は驚きの表情を覗かせても笑みを絶やしはしなかったが、セラの手を取り口付けを落とした途端、その手を見つめたまま驚愕に目を見開き疑問の眼差しを向ける者が幾人か存在したのだ。


 リリスが離れた所に立つマウリーに視線を送ると、マウリーは意味あり気に微笑みを返して来た。

 「わざとですのね…」

 リリスはセラの衣装から髪型、化粧に至るまで全てマウリーに任せた。

 さすがと言うべきか、マウリーの研ぎ澄まされた趣味と目がセラの魅力を余す事なく発揮させている。

 が、しかし―――

 セラの左薬指には、ラインハルトから贈られた特別な意味を持つ指輪が嵌められたままだった。

 左薬指の指輪は決まった存在がある事を匂わせる意味合いをもつ。

 セリドに付き添われたセラが薬指に指輪をしていると言う事は、セラの隣に立つセリドが婚約者だと思われても不思議ではない。だがセラの指輪にある大きな青い石を覗けば、そこにあるのはウィラーン王家の紋章だ。

 それはセラがイクサーンの王族ではなく、ウィラーンの王または後継者の妃であるという証明。

 セラが嵌めた指輪の持つ意味に気付く者は僅かだとしても、指輪にウィラーンの紋章がある以上、誰もがウィラーンと言う国を恐れてセラに手出しを出来なくなってしまうではないか。


 「まったく余計な事をしてくれたものですわ―――」

 セラに新たな恋を始めさせる為の出会いの場だったと言うのに―――

 リリスは客に笑顔を振りまきながらマウリーの反撃に苛立ちを覚えた。


 その時一人の青年がセラの手に口付けし、指輪に目を止めはっとした様に動きを止めながらも、次の瞬間にはセラに笑顔を向けダンスを申し込む様をリリスは目撃した。

 「まぁ、手応えのある殿方があらわれましてよ!」

 リリスは恋の訪れを予感して上機嫌になり、邪魔になりそうなマウリーの元へ不自然にならないように近付いて行く。

 「お詫びに相手をしていただけるかしら?」

 リリスの言葉にマウリーが笑顔で手を指し出すと、リリスはその手に自身の小さな白い手を重ねる。

 「光栄に存じます」

 マウリーはリリスの手を取ってダンスの輪に滑り込んで行った。

 

 (それにしても…あのお方はいったいどなたでしたかしら…?)

 

 リリスは自分が招待した果敢な青年の名が思い出せなかったが、緊張した面持ちのセラを上手にリードする青年に対して好印象を持った。





 セラは不機嫌に睨みつけるセリドを残し、会ったばかりの青年に手を取られてダンスの輪に加わって行った。

 (睨みつけたいのはこっちの方だってばっ!)

 青年に手を引かれながら、セラはすがる様な視線をセリドに送る。


 エスコートがいる淑女は他の男と直接口を聞く事はしない…と教えられた。セラはセリドの隣でただ笑って手を差し出すだけでよかった筈なのに―――

 ダンスの誘いは片っ端から断ってくれるように頼んでおいたのに、セリドはキシエンと名乗った青年の口車に乗せられ、あっさりとセラの手を離してしまった。

 頼みの綱たるマウリーはリリスを前に手を差し伸べている。

 誰も当てにはできない―――

 セラは腹を括り、下腹に力を入れて足を踏ん張った。

 (マウリーさんが教えてくれたんだもん、きっとやれるわ!)

 根拠のない決意と勇気で挑む。


 「そう硬くならずに、私に身をあずけて下さい」

 力を抜いて―――

 キシエンはゆっくりとステップを踏むとセラを踊りの中央に誘って行く。

 セラはキシエンの足だけは踏むまいと細心の注意を払いながら、言われるままに力を抜いてリードされるまま身をあずけた。

 「―――ですね」

 「え―――?」

 集中するあまりまったく話を聞いていなかった―――

 セラが見上げると、キシエンの茶色の瞳が笑って見下ろしていた。

 「先程からずっとあちらの騎士に睨まれているのです。貴方の恋人ですか?」

 (騎士?)

 マウリーの事だろうか?

 王妃主催の華やかな宴の席であるため、マウリーは他の男たちと同じ夜間用礼服姿で帯剣もしていない。

 彼はマウリーの事を知っているのだろうか?

 昼間は騎士の制服を着ていたのでそれを見たのかもしれない。

 「はぁ、いえ…」

 セラが曖昧な返事で俯くと、キシエンがセラの耳元で囁いた。

 「ちょっと外へ出ましょうか?」

 外と聞いてセラの瞳が生気を増す。

 兎にも角にもダンスから解放されるのであれば、外が凍てつく寒さであっても何も文句はない。


 広間を抜けると二人は侍女から外套を渡され、セラとキシエンンはバルコニーへ出た。

 庭一面に雪が積もってはいたが、レトは都ほど雪深くはない。

 「寒くはありませんか?」

 「いえ…」

 (気を使うくらいなら外になんか誘わないでよ)

 内心そう思いながらも、受け取った外套のお陰で少しも寒さは感じなかった。

 「私がお気に召しませんか?」

 突然かけられた意外な言葉に、セラはキシエンを振り返る。

 「いえ、そんな…」

 それだけ答えると、セラは再び視線を雪景色をへと向けた。

 「あまりにも口数が少ないので嫌われているのかと思いましたよ。」

 (それは迂闊にしゃべるとボロが出そうだからよっ)

 キシエンは給仕が盆に乗せて来たグラスを受け取ると、一つをセラへと差し出した。

 「飲めませんので―――」

 セラが断ると、キシエンは困った様な表情になる。

 「これすら受け入れていただけませんか?」

 体が温まりますと、キシエンは差し出したグラスを引かない。

 仕方なくセラはそれを受け取ると、ほんの一口だけ口を付けた。

 お酒にはまったくいい思い出が無い。

 マウリーと飲んだお酒ではウェインが雷を落とし、ウィラーンから戻る途中に飲んだお酒では、体調不良で寝ていたウェインの寝台を奪い取った。

 (次にお酒で何かやらかせば確実に殺される―――)

 そう思った時、セラは胸の奥が締め付けられた。


 殺されるどころか―――もう相手にされないかもしれない。


 何故急にウェインは変わってしまったのだろう。

 あの日、セラがウェインにプレゼントを渡した時から全てが変わってしまった。

 ウェインの告白を受け唖然とし、セラはラインハルトへの思いを捨て切れず、ウェインには応えられなかった。

 愛を退けてしまうと、全てが壊れてしまうと言うのだろうか。

 イクサーンで幸せになる事、それがラインハルトの望みだ。その願いに応える為にセラがすべき事もちゃんと分かっている。だけど、気持ちでは分かっていても心がついていけないのだ。

 セラはあの時、ウェインを受け入れるべきだったのか…ラインハルトへの強い愛があるにも関わらず、そうしておけば何も変わらなかったのだろうか―――?!


 そんな事、出来る訳がない。

 

 セラはウェインに向き合う時間もないままここへ来てしまった。

 もう一度ちゃんと話がしたかったのにその願いは叶わず、剣の稽古も終わってしまった。会いに行きたくても拒絶される事を思うと、何にこじつけて会いに行けばいいのかも分からない。

 イクサーンと言う二十五年後の世界に来てからいつも側にいてくれた。

 本気で怒って叩きつけ、心配してくれた人―――

 

 思い出すと涙が溢れそうになる。


 「ごめんなさい、わたし―――」

 セラはキシエンに謝ると、踵を返して中へと戻ろうとした。

 キシエンはその手を捕えると、再びセラの耳元で囁いた。


 「封印の乙女―――」


 「―――えっ?!」

 セラが驚き見上げたキシエンの瞳は、セラには恐ろしく冷酷なものに映った。

 刹那―――

 キシエンはセラの鳩尾に拳を突き刺す。

 息詰まる痛みに倒れ込むセラをキシエンが受け止め、セラの手からはグラスが落下し白い雪に染みを作った。





 「やっと手に入れましたよ、封印の乙女―――」


 キシエン―――否―――リンハースの第四王子レスティオは、項垂れ意識を失ったセラをその手に抱き、野心に燃える瞳を輝かせた。

 

 



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