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残されたモノ  作者: momo
49/86

二人の距離


 突然、セラの頭上に重たい物が落下する。

 「ぐあっ?!」

 (く…首が埋まるっ!)

 驚き目を見開くと、セリドが分厚い本を数冊両手に持ちセラの頭に落下させていた。

 「何を呆けている?」

 「呆けてなんて―――」

 足元に散乱した本を拾い上げながら答えた。

 

 イクサーンは本格的な冬を迎えていた。

 本来なら隠居して余生を静かに過ごしていた筈のハウルは、深い雪の季節をむかえしばしの冬休み。無理を言ってカオスが復帰させた、老齢のハウルの身を気遣っての対処だ。

 休みに入る前、ハウルは二人に膨大な量の宿題を出した。

 一つの宿題が終わるとそれをマウリーに預けてハウルに届けてもらう。するとその足で採点され、二人の手に戻って来た物が合格点でなければ再び宿題が追加されるのだ。

 そうして積りに積った追加の宿題の山―――その殆どがセラのお陰で積み上げられたものだった。

 その宿題を少しでも減らす為、二人は毎日城にある図書室に通い続けている。


 「いくら名を呼んでも返事をしなかったではないか?お前のせいでこれ程まで増えたのだ、足を引っ張っておいて口応えとはいい度胸だな?!」

 「ううっ…」

 事実なだけに返す言葉が見つからない。

 セリドの解答はその殆どが合格点なのに対し、セラの解いたものはいつも不合格。

 王子として物心ついた時から身に付けたセリドとは出発点が違うにしろ、ここまで足を引っ張ってしまっては流石に頭が上がらない。

 「ったくっ!」

 跪き本を拾うセラの前にセリドは腰を下ろす。

 「ここ最近と言うか…お前ずっと変だぞ。何かあったのか?」

 眉間に皺を寄せてはいるが、緑の瞳が心配そうにセラを覗き込んでいた。

 その真っ直ぐな眼差しに嘘を付く事が怖くてセラが顔を背けると、セリドは両手でセラの頬を掴み、無理矢理自分の方へと向かせた。

 「私とお前は学友であろう?!」

 態度と裏腹に、言葉は優しさを秘めていた。

 「学友―――」

 その言葉にセラは泣きそうになる。

 あんなに馬鹿にして悪態ばかり付いていたセリドの口から、まさかそんな言葉が発せられようとは―――

 「セリド王子って…本当はいい人だったんですね?」

 「本当は…は余計だ。」

 セリドはセラから手を離し身を乗り出す。

 「で、何があった。」

 「いえ、特には何も。」

 「嘘つけ、話してみよ。」

 「大丈夫です。」

 「私は年下だが、お前よりははるかに当てになるぞ。」

 「でも…話せません。」

 ウェインに告白されて以来お互いがぎくしゃくし、それが苦痛になっていた。

 あの事が原因でウェインに無視されているのが悲しいなんて―――

 こんな事ウェインの弟であるセリドに話せる筈がない。

 「話せと言っておるだろう…命令だ、理由を述べよっ!」

 進展のない問答に痺れを切らし、セリドは半眼を開いて仰け反った。

 「話せませんって言ってるじゃないですか?!」

 「何っ?!」

 「何時か話せる時が来たら―――」

 「時は満ちた。さあ言えっ!」

 緑の瞳がセラの話を聞き出す使命に燃えていた。


 その時、セリドの後ろから聞きなれた優しい声が届く。

 「二人とも…そんな所で何を?」

 床に座り込む二人をシールが見下ろしていた。

 「兄上!」

 穏やかで何の綻びもない健やかな笑顔でセリドが振り返る。

 「宿題で分からない所を調べているのです。」

 (お前は役者かっ?!)

 声に出して突っ込みたくなるのを、セラは必死に飲み込んだ。

 「兄上の方こそ何故ここに?」

 膨大な知識を持つシールに図書室の本など無用だろうとセリドは問う。

 「セラ殿を捜していたのです。」

 「わたし?」

 座り込んだまま見上げるセラにシールは微笑む。

 「陛下がお呼びですよ。」

 シールはセラに手を差し伸べる。

 「とても大事な話があるとの事ですよ。」


 この後、セリド一人を図書室に残してセラとシールはカオスの元へと向かい―――驚愕で失神するかと思う程、とんでもない話を聞かされる事となる。

 


 



 その頃ウェインは、雪の積もる鍛錬場で溜息をついていた。

 多くの騎士が歩き回ったせいで、降り積もった雪はすっかり踏み固められている。

 「雪を見ながら君が溜息なんて…気持ち悪いからやめてよ。」

 似合わないと、剣の柄でマウリーがウェインの背をつつく。

 「俺もそう思う」

 同意しながら再び溜息を落とした。


 間もなくここへセラが稽古にやって来る。

 あの日以来、ウェインは意に反してセラに冷たい態度を取り続けていた。

 本当はそんな事したくないのだ。しかしそうしなければあれ以上の事をセラに強いてしまいそうになる己がいる。

 あの夜、セラがウェインを捜してここに現れた。贈り物だと渡してくれた琥珀色の石はセラの熱を含んでいて、セラがそれを握りしめた時間の長さを語っていた。

 愛しさと切なさが重なり、風に舞った金の髪に触れた時には抑えが利かなくなっていた。

 額に触れ、セラの熱を帯びた顔をなぞると―――思わず唇を重ねてしまっていた。

 何の拒絶も見せなかったのは驚きか…それとも衝撃なのか。

 次に顔を合わせた時セラは普通に接して来ようとし、それを拒否したのはウェインだ。

 普通になんてできる筈がない…愛しい者に触れた事で更に深く求めたくてたまらなくなる。

 この感情をどう抑えるべきなのか―――

 かつてラインハルトがセラに触れながら手放した想いの強さが、今のウェインには信じられない程の強さに感じる。

 冷たくする事でしか自分の気持ちを抑えられないなんて―――何と見苦しい事だろう。

 その度にセラが傷つき落ち込む姿を目の当たりにし、ウェインは更に深く後悔する。

 稽古で辛くされ傷ついてもセラはここに来るのをやめない。

 冬になり積雪もある。いくらでも理由を付けて止める事は出来る筈なのに、セラは決してウェインから逃げ出す様な事はしないのだ。


 「そんな溜息つくくらいなら、僕がセラちゃんに稽古をつけてあげるよ。」

 嬉しそうにウェインの肩に手を乗せ進言するマウリーに、ウェインはその手を払って拒否する。

 「いらぬ世話だ」

 傷つけると分かっていても他の男にセラの相手をさせる気にはなれない。

 丁度その時、セラがこちらへ向かって来るのが見えた。

 近付くにつれセラの表情が読み取れてくる。

 最近はいつも不安そうに瞳を揺らして現れるセラ。

 それが今日は心なしか、怒っている様にも伺えた。

 いや、確実に怒っている。

 今から剣の稽古をするというのに、白い毛皮で出来た分厚い防寒着とお揃いの帽子で完全防備。腰まで伸びた金色の柔らかな髪が歩く度に左右に揺れる。

 眉間に皺を寄せ、真っ直ぐにウェインを見据えて歩み寄って来るその様に、稽古に出ていた騎士達が何事かと手を止めて見守った。

 「そんな恰好で剣を握るつもりか?」

 ウェインは冷ややかな視線と声でセラを迎える。

 その言葉にセラはギュッと唇を噛み、革の手袋で包まれた拳を硬く握り締めた。

 

 「カオスが―――」

 セラが言葉を発すると白い息が舞う。

 「陛下がどうした?」

 「剣の稽古はもう終わりだって。」

 終わり?

 そんな話は一言も聞いてはいない。

 ウェインは眉間に皺を寄せる。

 「もう騎士団長の手には負えないって…あなたカオスに何言ったの?!」

 怒りに揺れる青と赤の瞳でセラはウェインを睨みつけた。

 セラの言葉にウェインは納得する。

 カオスはセラとウェインの状況を知ったのだろう…このままセラに剣の稽古をさせても辛い思いをさせるだけ。

 確かに今のウェインは、カオスの大事なセラに辛く当り過ぎている。

 「陛下の言葉が全てだ。」

 ウェインはカオスの意見に従う事にした。

 このままではセラを傷つけるばかりだ。少し離れて自分を落ち着けなければ―――

 「剣を止めて花嫁修業しろって言われた。」

 その言葉に、ウェインは一瞬頭が真っ白になる。


 「―――何?」

 何の修行だと?


 「セラちゃんウィラーンに行くの?!」

 横からマウリーが口を挟んで来た。

 セラはマウリーに悲しい瞳を向けると首を横に振った。

 「ラインハルトの所には行けない…」

 今にも涙が溢れ出してしまいそうだ。

 「じゃあ…誰?」

 さすがのマウリーも他に男の顔が浮かばなかった。

 「セリド王子。」

 「はあっ?!」

 何でセリド王子なんだとマウリーは声を上げる。

 その時、遠くでセラを呼ぶ声が聞こえた。

 セラ同様、分厚い防寒着に身を包んだ一人の侍女がセラの名を呼び、途中踏み固められた雪に滑りながら必死になって駆けて来る。

 セラはウェインに向き直る。

 その瞳に怒りはなかった。

 「ウェインがカオスに何か言った訳じゃなかったんだ…ごめん。」

 セラが他に言葉を紡ごうとした所で、息せき切った侍女がセラに辿り着いた。

 「セラ様、お時間がございませんのでお急ぎ下さい―――」

 早くと促され、セラは他にも何か言いたげな視線をウェインに送りながらその場を後にした。

 

 セラが去った後、ウェインは集まって来ていた騎士達を蹴散らす。

 「訓練に戻れ!」

 そのウェインの背後でカチャリと、剣を鞘から抜く音が聞こえた。

 「抜けよ―――」

 明らかにいつもと違う、マウリーの低く感情のない声。

 マウリーが剣を鞘から抜き、その切っ先をウェインに向けていた。

 「剣が違うだろう?」

 一瞬で辺りがざわめき、温度が下がる。

 マウリーが抜いたのは腰に帯びた真剣。

 イクサーンの騎士団で訓練に使われるのは刃を削った訓練用の剣と決められ、真剣を使う事は禁止されている。訓練中に貴重な人材を失う事を避けるための処置で、それを破れば当然処罰を受ける。

 マウリーはそれが分かっていながら自身の剣を抜き、拒否の姿勢を取るウェインに容赦なく切りかかった。

 ウェインが鞘でそれを受け止めると、マウリーは素早く剣を返しウェインの剣を鞘ごと弾き飛ばした。


 弾き飛ばされたウェインの剣が、空を舞いながら雪面に落下して行く。


 マウリーの翡翠色の瞳が冷たく光り、凍てつく眼差しがウェインを捕えていた。

 「大方セラちゃんに手出しして後悔している節だろ?そんなんでラインハルト王に勝てると思ってるのか。落ち込むくらいなら最初から手出しするな、ムカつくんだよ。本気で惚れたのなら奪い取るくらいの根性見せてしかるべきじゃないのか。それが出来ないのならさっさと諦めろ!」

 ウェインを見据えて言い放つと、マウリーは剣を鞘に戻して大きく息を吐く。


 「と言う訳で…僕は全力でセラちゃんを口説く事にしたよ。」

 いつもと同じ微笑みを湛えたマウリーに戻ると、手をひらひらと振って歩きだした。

 「ちょっと待て…マウリー?!」

 何が『と言う訳』なんだ?!

 呆気にとられたウェインが慌ててマウリーの肩を掴む。

 「離せよ、今から陛下に直談判しに行くんだから。」

 「直談判?」

 まったく…いちいち説明しなきゃ解らないのかとマウリーは吐き捨てる。

 「さっきの侍女、あれリリス王妃の侍女だろ?って事は王妃が一枚咬んでるって事だよ。あの王妃にかかればセラちゃんなんて掌の上でいいように転がされるのが落ちさ。お前セリドにセラちゃん取られてもいい訳?僕はあんな二重人格馬鹿王子にセラちゃん取られるなんて我慢ならないね。」 

 言うだけ言うとマウリーはウェインの手を離れて歩き出す。

 「…二重人格馬鹿王子?」

 ウェインはマウリーが最後に発したその言葉を何故か繰り返した。

 それに反応したマウリーが笑顔で振り返る。

 「それ、セラちゃんがセリドに付けたあだ名だから―――」

 ぴったりでしょ?とマウリーは言葉を残して鍛錬場から城に向かって歩いて行った。



 


 

 話は前日の夜に遡る。

 

 セラの様子がおかしいと一番最初に気付いたのはリリス王妃だった。

 思い当たる節―――それは突然開かれた双子の誕生日を祝う晩餐。

 その時までは確実に至って普通だったセラが、一晩明けると急に物思いに耽り出したのだ。

 物思いに耽るセラは艶を帯びていて、その様子にリリスは内心満足していたのだったが―――その物思いは何時しか陰りを見せ、瞳は輝きを失って行く。そしてそれは必ず剣の訓練から戻った時に一際悪化しているのだ。

 そこでリリスはピンときた。

 長年培われた女の感と言うやつだ。

 晩餐の夜、セラはウェインを捜して走り回っていた事と、剣の稽古に出かけた後の反応を見ると一目瞭然―――原因はウェインにある。

 セラの心は今もなおラインハルトにある様だったが、ウェインに対しても心を痛めている様子。

 ウェインはセラを好きな癖に、ラインハルトを思うセラに遠慮して…と言うか、己の気持ちを抑える為にセラに冷たくあったっていると言った所だろう…と、リリスは推察した。

 「まったく、男はいつまでたっても子供なんですもの。嫌になりますわ。」 


 このままでは可愛いセラが再びラインハルトの元に走り兼ねない―――


 危機感を感じたリリスは策を興じる事にした。

 

 セラに依存し(?)保護欲に掻き立てられたカオスを丸め込む事など容易いだろう。実際カオスもセラの塞ぎ具合を病気ではないかと思い気にしているのだ。上手く行けばカオスに恩も売れ、もしかしたらセラをセリドの妃として一生この城に留める事も可能かもしれない。

 セラをセリドの妃にするには多少難があるような気もするが…セリドがもう少し大人になれば問題はないだろう。

 考えれば考える程、リリスは楽しくてたまらなくなる。

 リリスはその足でカオスの執務室を訪れると遅くまで仕事に追われるシールを追い出し、カオスに一つの提案をした。

 「陛下、あの娘をわたくしにお預け願えません?」

 カオスは手にした書類の束を下ろし、リリスに体ごと向き直った。

 「何を企んでおる?」

 想像通りの言葉にリリスは愉快な気分になって来た。

 「陛下とてお気付きの筈でございましょう、セラさんの不調の原因―――」

 「他人がとやかく口出しする事ではなかろう」

 その程度の事、勿論カオスにも想像がついていた。

 だからと言って相談すらされてはいないのに、セラの色恋沙汰に口を挟むつもりはない。

 セラの状況は特殊であった為ラインハルトと再会する御膳立ては試みたが、結果はセラとラインハルトの決めた事。これからの将来は導きはしても全てはセラが掴み取って行くものだ。

 「放っておいては更に事態は悪化いたしましてよ」

 リリスは自信満々にカオスを煽る。

 「セラさんの心からラインハルト王の存在が消える事は絶対にあり得ませんわ。それに周囲が遠慮している限り、セラさん自身が踏み出そうとは致しませんでしょう?」

 ラインハルトがセラに贈った指輪がなによりの証だ。

 「唯一見込みのあるマウリーは良き相談相手の域を出る事はなさそうですし…」

 「そなたはマウリーとセラを一緒にしたいのか?」

 まさかとリリスは笑う。

 「マウリーが本気になりさえすれば、ラインハルト王にも遠慮なくセラさんを奪いに来そうではありませんか。肝心のウェインは何を恐れてか引き籠ってしまって。わたくし自身はセリドの妃に望みたい所ですけれど…まだ子供ですものねぇ。」

 リリスはくすくすと笑い、やがて真剣な眼差しをカオスへと向ける。

 「わずかな期間セラさんを連れて城を出る許しを頂きたいのです。理由は花嫁修業とでも言って頂けたら幸いですわ。取り合えず相手はセリドと言う事にでも致しましょうかしら?」

 リリスの馬鹿げた提案だったが、カオスはしばらく考え込んで首を縦に振った。

 「セラは必ず抜け出せるのであろうな―――」

 リリスは自信有り気に微笑む。

 「お任せいただけて嬉しゅうございます。」

 己の意向が通ってリリスは満面の笑みを浮かべた。

 「では、ここからは陛下とて口出し無用にお願いいたしますわね。それからもしかしたら、マウリーを無断んでお借りするやもしれませんわ。」

 マウリーなら色々と役に立ってくれるだろう。

 リリスは楽しそうに執務室を後にした。


  



 

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