二人の王子
翌朝、セラは人の騒ぎ声で目を覚ました。
昨夜の一騒動で瞼は重くまだ起き上がるつもりはなかったが、どうやら部屋の前で騒ぎが起きている様子であったので気になってしまい、シーツを引き摺りながら寝台から出て扉を勢いよく開ける。
「煩っさいなっ、余所でやってよっ!」
目前には昨夜の騒動の主…マクシミリアンその人。
眉間に皺を寄せ怒りの表情を浮かべているマクシミリアンを、リカバリーとサイファントの二人が必死になって引き止めようとしていた。
「貴様っ…」
唸るマクシミリアンから手が伸びてセラは胸倉を掴まれる。
「魔法を使ったな、汚いぞ!」
汚い…?
寝起きの為いまいち働かない頭の思考力を最大限に活用する。
「セラ殿、早朝より誠に申し訳ありません!」
いつもの事ながら主の失態をリカバリーが詫び、セラの胸倉を掴んだマクシミリアンの腕をサイファントが引き剥がそうとする。
「この部屋を付き止める為に俺がどんな苦労をしたと思っているのだっ!」
その苦労を水の泡にしやがってとでも言うのか?
セラはそのマクシミリアンの腕をしっかりと掴み返し―――
『ガブリ…』
と、噛みついた。
一瞬の沈黙の後。
「うわぁっ?!」
マクシミリアンの悲鳴。
「「殿下っ!!」」
リカバリーとサイファントが真っ青な顔で動きを止めた。
セラは噛みついた腕を離さない。
「離せっ、離さぬか―――っ!!」
「セラ殿っ、どうぞ殿下をお放し下さい!」
リカバリーの悲痛な叫びを受け、セラはぱっと口を離した。
マクシミリアンの手首にはくっきりとセラの歯型がつき、薄らと血が滲んでいる。
「貴方と言う人は―――」
サイファントが驚きと呆気に満ちた黒い瞳でセラを見下ろし呟く。
「この…無礼者っ!」
思わぬ反撃にマクシミリアンは怒りに震えるが、セラは冷たい視線を注ぎ込んだ。
「あなた…頭おかしいんじゃない?」
「何だとっ?」
反撃に転じようとするマクシミリアンにセラは腕を組み、仁王立ちになって睨みつけた。
「夜這に失敗したからって逆切れしないでよ、あんな事した相手にどの面下げて汚いなんて言える訳?女を力で組み敷こうなんて獣のする事よ!吹っ飛ばされなかっただけ有り難いと思いなさいっ!!!」
「抱きたい女が此処にいるのにそれを抱いて何が悪い。」
そこで大きく開き直るマクシミリアンにセラは拳を震わせた。
「それを同意もなく無理やりやるってのが駄目だって言ってるのよっ」
「ならば同意致せ。」
「する訳ないでしょっ」
「何故だ、お前は俺に抱かれるのが嫌なのか?」
驚いた様な目をするマクシミリアンに、セラと…二人の騎士も溜息を落す。
「そうよ。わたしはあなたに抱かれたくはないの。」
「俺はウィラーンの王子であるぞ。」
だから何なんだ…
セラは申し訳なさそうな表情をしているリカバリーとサイファントを見てから、マクシミリアンに視線を戻す。
これはウィラーンの絶対的服従精神が生みだした産物だ。
自己中心我儘大王を作りだしたのはウィラーンと言う国なのだ。
「王子だろうと王子でなかろうと、駄目なものは駄目なの。」
強いものこそが全て。強い事が意味のある事…それがマクシミリアンに植え付けられた精神なのだろう。
そう思うとセラは少しずつだが怒りが収まって来る。
「わたしはあなたが嫌いじゃないけど、あなたの様な気持にはなれない。あなたはわたしに惚れたって言ってくれるけど、わたしが惚れてるのはラインハルトなんだ。だからマクシミリアン…ごめんね。」
マクシミリアンは、何故自分が受け入れられないのか解らないと言った表情を湛えたまま、その場に硬直している。
何だか様子がおかしい…
「マクシミリアン?」
セラはマクシミリアンの顔の前で手を振ってみる。
「殿下?!」
マクシミリアンの肩を掴んでリカバリーが揺さぶるが、焦点の定まらない目が空を漂っていた。
「…戻るぞ。」
そのままの状態で踵を返し歩き出すマクシミリアンをリカバリーが慌てて追う。
「御前失礼致します。」
一度セラに向き直って頭を下げると、そのままマクシミリアンと共に消えて行った。
さって行った二人の方向を茫然と見つめるセラとサイファント。
「振られたのが余程ショックだったのか?」
サイファントが独り言のように語った。
今日の今日までマクシミリアンにとって手に入らないものなど存在しなかった。ウィラーンの王位さえも何時かは兄の寝首を掻き手に入れるつもりでいるマクシミリアン。
そのマクシミリアンが、セラの様な小娘一人自由に出来ないなど初めての事だったのだ。
「さぁ?」
セラはサイファントを見上げる。
「あれ…手当てした方がいいかな?」
マクシミリアンに噛みついた腕の事だ。
大した傷でもないが、後から騒がれては煩い。
「いらんでしょう。」
サイファントはそう告げると、一礼して主の元に戻って行った。
その後、マクシミリアン達がイクサーンの城を立つ直前。
見送りに出たセラの耳元にマクシミリアンは囁く。
「また来る―――」
恐怖の言葉を残し、マクシミリアン一行はウィラーンへと戻って行った。
「マクシミリアン王子とは、随分と仲が良さそうであったな。」
マクシミリアンを見送ったその足でセリドの部屋へと向かうと、開口一番、機嫌の悪そうな声がセラを出迎える。
「本気で言ってるのなら王子の目は節穴ですね。」
セリドの隣を通り過ぎ、講義を受ける机に向かった。
椅子の状態を確認しセラが腰を下ろすと、セリドも机に付いた。
ハウルが来るまでの間を持たせるため、セラは積まれた本の一つに手を伸ばし、興味もないのにページをめくる。
「先日は悪かった、巻き添えにした。」
しばしの沈黙の後、セリドが呟くように言葉を発する。
「……?」
先日?
セラが首を傾げる様にセリドはむっとした。
「陛下より咎を受けたのであろう?」
ああ、あの事か。
思い出したようにセラはぽんと手を叩いた。
昨日から色々ありすっかり忘れてしまってはいたが、ハウルの屋敷を訪れたのは一昨日の事。
無断外出のお咎めとして、セラは名目上の罰を受けた事を思い出した。
「咎と言うよりは…まぁ…」
休日を頂いた様なもので…
「申し訳なく思っている、許せ―――」
その言葉にセラは目を丸くし、立ち上がって身を乗り出すとセリドの額に掌を当てた。
「な…何だ?」
少しうろたえるが、セリドはされるがままだった。
「熱は…ないようね?」
と言う事は…自分のせいでセラが罰を受けたと思い、セリドは本気で申し訳なく思っているのだ。
「それは失礼と言う物ではないのか?」
セリドは眉間に皺を寄せる。
「だって…あなたが素直に謝るなんて変だもの。」
何か裏があると思われても仕方がない様なものだが…
「悪かったな、二重人格馬鹿王子だから素直ではないのだ。」
(うう…しっかり覚えてるよ…)
「ごめんなさい、わたしの方こそ悪かったわ。カオスにも大して怒られた訳じゃないから気にしないで下さい。」
セラはにっこりとほほ笑んだ。
「それにいいストレス発散になりました、どうもありがとう。」
セラの瞳が輝くのを見て、セリドは慌てて視線を反らし立ち上がった。
微笑みかけられて嬉しさに頬が染まる。
こんな顔誰かに見られたりしたら何と言われるか…。
セリドはセラに恋する自分の気持ちを誰にも知られたくなかった。
セラの思い人はウィラーンの王だ。
ラインハルトにセリドが太刀打ちできる訳もないし、絶対に敵いはしない。セリドは想いを知られて拒否される事に恐れを抱いていた。
気持ちを落ち着けようと、セリドはお茶を入れ始める。
「お手伝いします。」
そんなセリドの想いを余所に、セラが隣に立った。
二人が同じカップに手を伸ばすとほんの少し指が触れる。
その瞬間、セリドの体温が一気に上がり心臓の音が大きく木霊した。
「セリド王子?」
手が触れただけなのにいったいどうしたと言うのだろう。先日はセラを馬に乗せる為に体に触れても何ともなかったと言うのに―――
「何でもない。」
この日のお茶は、セリドが入れたとは思えない程に奇妙な味だった。