御前試合
「ウェイン王子―――っ!!」
翌朝、宰相のレラフォルトが大慌てでウェインの元を訪れて来た。
昨夜城で起こった騒ぎの報告を受け、レラフォルトは老体に鞭を打ち登城して来たのだ。
「ウェイン王子…マクシミリアン殿下との御前試合の話をお受けしたと言うのはっ―――誠でありましょうか…?」
何かの間違いであって欲しいと思いながらも、ウェインの頷きでレラフォルトの切ない願いは打ち砕かれた。
御前試合などの闘技は一般市民にとっての娯楽でもあり、いつもなら都の外れにある巨大な競技場で催されるのが常であったが、今回は急な話であった為に城内の競技場で本日正午から執り行われる事が決まった。
「今からでも辞めるつもりはございませぬか?」
「宰相殿、貴殿はいったい何を言っておいでか?」
一度受けた挑戦を破棄するなど尻尾を巻いて逃げだすも同然、試合を止めるなどあり得ない馬鹿げた話だ。
やはりそうかとレラフォルトは落胆する。
その様は見ているウェインにも気の毒に思える程に大きな落ち込み様だ。
「それではせめて…いえ、なにとぞウェイン王子には殿下に勝って頂きたくお願い申しあげます。」
ウィラーンの宰相が発したとも思えぬ言葉にウェインは思わず身構える。
「自国の王子に負けを求めようとは如何様か?」
それは恥と言う物ではないのか?
ウェインの青い瞳がレラフォルトを見据えた。
「誠に言い難い事ではございますが…セラ様がウィラーンに留まるは、我が国に災いをもたらす種となりましょう。」
「災い―――」
ウェインは腕を組んで考える。
確かに、ラインハルト王のセラに対する執着は並大抵の物ではないが―――だからと言って国政を蔑にするようにも思えない。そもそも、ラインハルト王が本気でマクシミリアンにセラを譲り渡すなど全く考えられないし、今回の御前試合もセラをイクサーンに遠ざける為に考えたに過ぎない様に思われた。
「闇の魔法使いを封印したセラ様を得られるのはこの上ない栄誉で他国への牽制にもなりえましょう。ですがそれは表向き―――」
レラフォルトは気を使うように一度ウェインに視線を送る。
「殿下が王子に勝利すれば、次は間違いなく陛下が剣を取りましょう。お二人の御気性を考えると…間違いなくマクシミリアン殿下はお命を落とされます。一人の娘を取り合っての刃傷沙汰など王家にあっては有るまじき事。しかも陛下はセラ様に指輪を託されておいでです―――」
「指輪?」
好いた相手に装飾品を贈ったとてそれがどうしたと言うのだ。
「ただの指輪ではございません、陛下は王妃の証となる指輪をセラ様にお渡しになられておいでなのです。」
ラインハルトがウィラーンの世継ぎとして生まれた時に作られた二つの指輪。
一つはラインハルトが戴冠の折に指に嵌め、もう一つはラインハルト王が王妃を迎えた時に与える物だ。
「ラインハルト王はセラを王妃に迎える決心を?!」
だとしたらこれから行われる御前試合は何の意味をなすと言うのか?
その問いにレラフォルトは首を振った。
「陛下の御心にとっての妃はセラ様お一人。しかしその御身はイクサーンにとのお考えであらせられます。」
ラインハルト王にとってセラは何を取っても変えられない存在だ。
「それ故ウェイン王子が殿下に負けた場合、陛下は殿下を廃しセラ様を真の王妃としておしまいになられるでしょう。そうなればもう止まりますまい。セラ様が男子をお産みになられたなら、陛下は間違いなくそのお子を時期王として認められる。そうなれば…いえ、そうなる前にランカーシアン殿下を押す者達やご生母のミユランシイ様が黙ってはおりますまい。」
御前試合とは言えウェインがマクシミリアンに負ければ、その後はウィラーン王家にて血みどろの争いが繰り広げられる。
セラを手にかけようとする物があればそれこそラインハルト王が黙ってはいまい。
最悪の場合、マクシミリアンとランカーシアンの両者が父王であるラインハルトの手にかかり命を落としかねない状況に陥ってしまうのだ。
王位継承権を放棄しているとは言え、ウェインもそう言う場所に生まれた身である。多少は理解できるが、ウィラーン王家がそれ程までに血塗られるきっかけになるのは避けたいと思う。
「負ける気はないが―――絶対に負ける訳にはいかないと言う事か。」
セラの身の上とラインハルト王との事を思えば、出来る事なら二人には結ばれて貰いたいと思ったりもする。
しかしウェインはレラフォルトの話を聞いて、自分が負けセラをこの様に危険で血生臭い場所において行く訳にはいかなくなってしまった。
確かに―――ラインハルト王が心に反してまでセラを手放そうとする訳だ。
セラが生きて行くにはあまりに皮肉な世界。
「時の流れとは残酷なものだな」
セラとラインハルト王が同じ時を歩んでさえいたならこんな事は起こらなかっただろう。一人の少女が巻き込まれてしまった世界に深く同情してしまう。
「ウェイン王子、何卒お気を付け下さい。」
レラフォルトがウェインに忠告を贈る。
「マクシミリアン殿下は常時剣に痺れ薬を仕込んでおります。御前試合と言えどその事に関して陛下は言及なさいませぬ故―――」
命に係る程の事ではと言うレラフォルトにウェインは多少呆れた。
夏の盛り、炎天下の御前試合となった。
日中の一番熱い時間だと言うのに、城内にある為決して広くはない競技場は噂を聞きつけた兵士や騎士、城に使える者や出入りをしている者達までが所狭しと押し掛け超満員。マクシミリアンの母親であるシビルランレムまでもが後宮の女達を引き連れ見物する始末。
本来なら自分が座ってもおかしくない場所に腰を下ろすセラの姿に、シビルランレムは怒りの炎を燃やした。
セラは一番の上座、ラインハルト王の左隣の椅子に腰かけており、その背後にはサイファントとルビオンスの兄弟が控えている。
日傘を持たされているとは言え炎天下の陽射しの下では息苦しさを感じるが、セラはこの場から離れる事が出来ない。
御前試合の戦利品としてこの場にいる事は極めて不愉快だったが、ウェインを巻き込んだ状態でセラが目を背ける訳にはいかなかった。
「癒してはおらぬのか。」
セラは肩と背が剥き出しになった白いドレスを着せられており、その肩には薄いショールを掛けられていたが、曝け出された白い肌には幾多もの痣が痛々しく覗いていた。
「平気よ、こんなのいつもの事でしょ。」
魔物を相手にする旅にあっては打ち身擦り傷など日常茶飯事だ。
ラインハルトは当時を思い出し、そうであったなと相槌を打った。
セラとてこんな似合いもしないドレスを着せられ、見苦しい痣を曝け出すのには抵抗があったが、真剣を使った御前試合では何が起こるか分からない。大した怪我でもないのに力を使い魔法力が足りなくなってしまった時の事を思うと、セラは自分に癒しの力を使う気には到底なれなかった。
セラは競技場の真ん中に立つ二人の男を真っ直ぐに睨みつけていた。
ウィラーンよりも北にあるイクサーン育ちだと言うのに、ウェインは汗一つ流す事なく無表情のまま真っ直ぐに立っている。
対するマクシミリアンは余裕綽々の態度で剣を肩に乗せ、嫌味な笑みをウェインに向けていた。
「始めっ!」
合図とともに大きな歓声が上がる。
ウィラーンの王子とイクサーンの王子の対決と言うまたとない試合に観客は大盛り上がりだ。
誰もが自国の王子たるマクシミリアンに歓声を送る。
二人が剣を交えると、ガツンと言う鈍い音が響き渡った。
剣と剣がぶつかり合い、気迫に砂埃が舞う。
セラの見る限り、二人の剣技はウェインが一歩前を言っている様に思えた。
しかし、その表情を見るとまるで正反対。
押しているウェインは一部の隙も見せまいと神経を研ぎ澄ませ、押されるマクシミリアンは攻撃を受けて後ずさりながらも余裕の表情だ。
慣れの問題なのだろうか。
マクシミリアンの余裕の表情がセラを不安にさせる。
ウェインはセラが最初に会った時に比べて更に強さを増していた。
共にウィラーンへと向かう旅路で魔物と対峙するにあたり、ウェインは一戦一戦で確実に腕を磨きあげていた。もともと素質は十分すぎる程にあったのだから、実戦を交えて急成長を見せたとも言える。
しかし、二人の戦い方を見ているとセラは不安を掻き立てられるのだ。
真剣なウェインと、剣を…争いを楽しむマクシミリアン。
ふと視線を隣に向けると、そこには頬杖をついて冷酷な笑みを浮かべたラインハルトの横顔があった。
何時いかなる時も戦いを楽しんだ獰猛な戦士。
彼の焦りの表情はアスギルと対峙した時の、ただの一度しか目の当たりにした事がない。
その時、ふっとラインハルトが笑い呟いた。
「甘いな―――」
「甘いな」
「何?!」
剣を交えた瞬間に発せられたマクシミリアンの言葉。
「イクサーンは余程平和惚けしているとみえる。敵を守る剣では俺は倒せぬぞ。」
体格も剣技もウェインの方が上だろう。
しかし、決定的に違う物が二人の間には存在する。
鋭いまでの残酷さ、非情さを培ってきたマクシミリアンに対し、ウェインは温室育ちとも言えた。常に実戦で鍛え命を危険に曝して来た者とでは心構えが違うのだ。
ウェインは人を切る事に慣れてはいない。ここがウィラーンでありその国に乗っ取った御前試合とは言え、恨みすら持たない相手に傷をつける事を恐れ、本気の剣を振るう事が出来なかったのだ。
剣で押し合いお互いが距離を保つ。
ウェインに焦りの表情が浮かんだ。
「お前はあの娘を欲しいとは思わぬのか?」
マクシミリアンは構えた剣先にウェインを見据えた。
「白い軟肌は何とも抱き心地が良さそうではないか」
セラが瀕死の重傷から回復を見せた朝。
フィルネスによって露わにされたセラの肌は服の上からは想像がつかない程白く輝き、丸く柔らかみを帯びて美しかった。肌を流れる金色の髪が高潔さを含み、誰の目にも焼き付く。
「下世話な事を!」
ウェインの瞳が怒りに揺れる。
「お前も娘を崇拝する口か―――」
マクシミリアンは鼻で笑った。
軍事大国たるウィラーンは大陸でもっとも魔法使いを迫害する国でもある。
魔法と言う異質なものを否定し、己が剣を信ずる魂がウィラーンと言う王国を長きに渡り守り続けたとも言えるのだ。
そのウィラーンにあってさえ、セラは己の剣に命を掛ける騎士の心を見事に捕えた。
モドリフの森で羽蜥蜴と戦うセラ、そして癒しの術…その戦い方を目の当たりにした騎士達は皆セラを崇拝している節がある。
魔法使いを否定しながらも、セラだけは別格と決めているのだ。
マクシミリアンの剣が脇からウェインを狙う。
その剣を容易く弾くとウェインはマクシミリアンの首元で剣を寸止めした。
「終わりだ。」
「どうかな―――?」
だから甘いと言っているのだ―――
マクシミリアンは力を込め大きく剣を振り上げた。
ウェインは瞬時に後ろに飛び退く…が。
その切っ先がウェインの胸板をかすめた。
「殺らねば殺られるものだぞ、イクサーンの王子。」
一気に歓声が上がる。
「ウェインっ!」
思わず立ち上がり発したセラの叫びも、流血に盛り上がる歓声に掻き消されてしまう。
「やっと始まったか―――」
ラインハルトの満足そうな言葉にセラは唇を噛む。
血を好む残虐性。
ラインハルトだけではない、このウィラーンと言う国はそういう国なのだと思い知る。
夏の炎天と観衆の歓喜。
ふらふらと座り込むセラの姿に、後ろにいたルビオンスが体を支え椅子へと導いた。
「何か冷たい物をお持ちいたしましょう。」
「いいえ、大丈夫よ。ありがとう。」
首を横に振りながらセラは競技場に立つ二人から目を離せない。
そこには誇らしげに剣を構えて立つマクシミリアンがいた。
「どうして終わりじゃないの?」
ウェインの剣がマクシミリアンの剣を捕えた時点で勝負は付いた筈である。それなのに試合は続き、ウェインが怪我を負った。
「首を捕えたなら切り落とす習わしだ。」
何でもない事の様に答えるラインハルトにセラは耳を疑った。
「何よそれ…」
それは、マクシミリアンが死んでも良かったと言う事なのか?
御前試合とは言え一国の王子同士の競技。
どちらか一方が命を落とすような事になれば、それは大きな戦にもつれ込んでしまうのではないのか?
「どちらか一方が負けを認めるか、倒れるか…命を落とせば試合終了だ。」
例外はない、とラインハルトは付け加えた。
マクシミリアンが剣に薬を塗る事を容認しているのもその辺りにある。
血気盛んなマクシミリアンは、剣を振るうと相手の命を奪う事にばかり夢中になってしまう。それはかつてのラインハルトと同じであったが、今の時代にはそぐわない遣り方だ。御前試合の度に貴重な人材を殺されていては叶わない。マクシミリアンの剣で傷を負い薬で動けなくなれば試合はそこで強制的に終了となる。
「時間が無いぞ、どうするイクサーンの王子…」
もたもたしている暇はない、体が痺れて動けなくなってしまえば試合終了…セラはマクシミリアンの手に落ちる事となる。
「止めさせてラインハルト、お願いっ!!」
セラがラインハルトの腕に飛びつくと同時に剣の交わる音が響いた。
「セラ、目を逸らすな。お前を守る男と奪おうとする男の戦いだ。」
ラインハルトはセラと視線を交わそうとはしない。
一度視線を交わせばセラの願いを聞き入れてしまうと分かり切っていたからだ。
セラはラインハルトの言葉に胸が締め付けられる。
そう、事の原因は自分にあるのだ。
ラインハルトでもマクシミリアンでもなく、セラに。
セラは再び眼差しを競技場へと向けた。
マクシミリアンは一太刀浴びせただけで水を得た魚の様に動きが速くなる。
ウェインの動きを的確に捕え、その懐に入って来るのだ。
振り下ろされる剣がその身に触れるのを防ぎ続けるうち、ウェインの傷口がじわじわと痛みだし指先が痺れを帯び始めた。
「どうした、もう終わりか?」
マクシミリアンが不敵に笑いながら飛び込んでくるのを剣で受け止め流すと、更に素早い動きですかさず剣を振り下ろして来る。
何の躊躇も迷いもない狂喜を帯びた剣が間髪入れずに振り下ろされ続けた。
綺麗事では済まされない、マクシミリアンの言う通り殺らねば確実に殺られる。
ウェインは剣をはじき返すと同時にマクシミリアンの懐に飛び込んだ。
マクシミリアンの瞳が歓喜に燃える。
その瞬間、ウェインは僅かに身をひねりマクシミリアンの剣を左肩に受け止め―――
自身の剣でマクシミリアンの左脇腹を貫いた。
ウェインの肩とマクシミリアンの腹から真っ赤な血が飛沫を上げて迸る。
「きゃぁぁぁぁっ!!!」
観覧席から悲鳴が上がった。
声の主はシビルランレム。
勝利を確信した我が子の体が貫かれたのだ。
マクシミリアンはがくりとその場に膝を付き、そのまま倒れ込んだ。
肩で大きく息をしているウェインは傷口を押さえて立ち尽くしている。
痛みと痺れで倒れてしまいそうだったが、今この場で倒れ込む訳にはいかなかった。
苦痛に満ちた表情で振り返ると、満足そうに腕を組んで鎮座しているラインハルトが目に入り、その隣には白いドレスの裾を託し上げ、今まさに競技場の壁を乗り越えようとするセラの姿があった。
「ウェインっ!!!」
泣きそうな声で叫びながら走って来るセラと、その後ろを三人の騎士が追って来るのが目に入った。
飛びつかん勢いで迫るセラにウェインは声を振り絞る。
「マクシミリアン王子を、頼む…!」
腹を貫かれたマクシミリアンはうつ伏せに倒れ意識を失っている。
主の一大事に駆け付けたリカバリーがマクシミリアンを助け起こすと、傷口からは赤黒い血が次々と流れ出ていた。
「殿下っ、マクシミリアン殿下!」
名を叫んだリカバリーは思わず懇願するかにセラを見上げた。
セラがその場に座り込み傷口を両手で押さえると、白いドレスが瞬く間に血で真っ赤に染まる。
「戻って、マクシミリアン!」
意識のないマクシミリアンにセラが叫ぶと、僅かに瞼が動いた。
その傍らにサイファントとルビオンスがセラを隠すように立ち、セラは深く息を吸い込むとマクシミリアンの傷口に意識を集中した。
傷口を抑える血に染まった小さな手から青白い光が揺らめく。
暫くすると溢れ出ていた出血は止まり、見る間に傷口が塞がれて行く。
セラがほっと息を付くと、リカバリーが不安そうに視線を向ける。
「傷は大丈夫、意識はそのうち戻ると思うわ。」
セラの言葉に取り囲んでいた騎士三人は安堵の息を漏らした。
「ウェイン―――」
セラは壁の様に立ち尽くすウェインに振り返る。
左肩からは血が流れ落ちてはいたが大した傷ではなさそうだ。
しかし、それにしては様子がおかしい。
「大丈夫?すぐに手当てするね。」
「―――ああ」
傷に触れようと手を伸ばした瞬間、ウェインの巨体がセラに倒れ込んで来た。
「え…あ、ちょっ―――!」
倒れ込むウェインをセラに支える事が出来る訳もなく、セラも共に倒れそうになる。
潰れる―――!
セラは衝撃に身構えるが、それ以上ウェインの重みが圧し掛かる事はなかった。
倒れ込むウェインを支えた逞しい腕。
「薬のせいだ、案ずるな。」
ラインハルトが倒れるウェインを片腕で支え、もう片方でセラの腕を引くとそのまま歩きだす。
「あ…ちょっと待ってっ!」
引き摺られるセラの白いドレスが血で真っ赤に染まっている様に、観客のざわめきが一斉に治まる。
「薬って何、ウェインどこか悪いの?!」
剣に塗られた痺れ薬の事など露知らず、世話になっているウェインが病気なのかとセラは焦りの表情を浮かべた。