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残されたモノ  作者: momo
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暴走


 「それって…別れの言葉?」


 ラインハルトの腕の中で呟く。

 「愛しているのにどうして一緒にいられないの―――」


 セラにとっては当然の疑問だった。

 ラインハルトと生きる決心をした時から全てを受け入れる覚悟をした。

 同じ時の流れに乗れなかった事実があったとてセラには何の問題もない。

 ただ、側にいたい―――

 本当にただそれだけなのに、他には何も望んだりしないのに…それなのに何で今更そんな事を言うのか。

 愛する人の傍らに、温もりに触れる事はそれ程に困難なものだと言うのだろうか。


 「何がいけないの…いったい何がラインハルトを不安にさせたの?」

 証の指輪を渡された時は受け入れられたのだと感じたのに。

 愛していると紡がれても、互いに愛し合っても共に生きる事は出来ないなんて。

 「そんなの嫌だ―――」

 セラはラインハルトの首に手をまわして縋りつく。

 「全ては我の落ち度―――あの日、お前を永遠に失ってしまったと諦めたのが後悔の始まりだ。」

 今更悔やんでもどうしようもない。

 セラは生きている、いつかこの手に戻って来ると信じて生きて行く事が出来なかった自分の落ち度だとラインハルトは唸る。

 セラを失った事で心を閉ざし、ただひたすらウィラーンの王としてだけ生きて来た。

 非情で慈悲の欠片もない、冷徹な暴君。

 愛する物を失い悲嘆に暮れるあまり、セラを迎える場所を作れなかった。


 「許せ―――」

 更に強く、ラインハルトはセラを抱きしめた。

 「あなたのいない世界でどうやって生きて行けと言うの―――」

 縋りつくセラにラインハルトは言葉を失う。

 愛する者を失って生きる辛さを知るだけに、セラの言葉が深く胸を抉る。

 「若いから大丈夫だって?これから他の誰かと新しい恋をして同じ誓いが出来るとでも言うの!ラインハルトはそう出来たって言えるの?!」

 そんなの出来る訳がない―――!

 叫びが胸に突き刺さる。

 ラインハルトはセラを失ってから、他の誰かに同じ思いを持てた事など一度たりともない。ただ一筋にセラだけを思い続けた。

 ラインハルトを変えたのはセラで、ラインハルトはセラの前だけで変わる事が出来たのだ。

 他の誰でもない、唯一の人。

 戻らないと分かっていても心の何処かで待ち続けてしまった心の弱い部分。

 「すまない―――許せ―――」

 自身の味わった苦しみを盾に取られ、ラインハルトは謝罪の言葉しか口にする事が出来ない。

 セラの一途な愛を受け入れ、共に有れたらどんなに心安らかでいられようか―――

 揺ぎ無い筈の決心が砕けそうで、胸が痛んだ。


 そんなラインハルトの胸の中でセラは顔を上げた。

 「な~んて、ね」

 にこりと顔を崩す。

 「ここまで来てはいそうですかって、あっさり引き下がる訳には行かないでしょ?ちょっと、抵抗してみました。」

 笑顔で繕ってはいたがセラの手が微かに震えていた。

 「愛してる、ラインハルト。あなたの唯一の人になれただけで十分に幸せだよっ!」

 空回りする明るさが痛々しかった。

 「セラ―――」

 「謝んないでよ、わたし達は愛し合ってるんだから。」

 セラは左の薬指に嵌められた指輪を見せながらにっこりと笑う。

 それは正当な妃の証。

 同時に、ラインハルトの真実の愛の証だ。


 「離れていても想い続けていてくれてありがとう。」

 ラインハルトが一人歩んだ時間の長さがその深さを語っていた。

 




 

 強がって言葉にしたものの、ラインハルトとの別れの現実はセラの心を空っぽにしてしまう。

 ラインハルトの愛はセラの心にひしひしと伝わって来た。


 愛している―――


 けれど、あの時と状況が変わってしまった以上セラはそれを受け入れるしかない。

 必死にしがみ付けばラインハルトの決断を覆す事も出来たかもしれないが、そうすると今度は彼の重荷になってしまう。それはセラとて望む事ではなかったし、何よりもラインハルトの苦痛に満ちた決断を目の当たりにしては、あれ以上食い下がる事が出来なくなってしまったのだ。


 愛しているから。

 だから、引き離す。

 そんな愛の形も存在するのだと理解するしかない。

 セラだって、何物にも変え難いほどにラインハルトを愛して止まないのだ。

 

 しかし、言葉では理解しながらも心はそれに付いて行けずにいた。


 セラは何時の間にか眠れぬ夜の闇を歩いていた。


 人々が寝静まる深夜、夜空には満天の星が瞬いている。

 歩きながら辿りついた場所は、大理石で出来た巨大な水浴び場。

 周囲に建物はなくひっそりとそこに立つ、屋根のない娯楽場だ。

 滾々と湛えられた水に手を浸すと、昼間の日照りのせいかその水はぬるく感じる。

 水面を覗き込むと瞬く星が水鏡に映しだされていた。

 セラの眼下で水面に小さな波紋が広がる。

 ぽたりぽたりと水滴が落ち…それはセラの瞳から流れ落ちる無数の涙だった。

 夜の闇、水面を見つめながら声もなく泣き続ける。

 零れ落ちる涙が波紋を広げながら水面に映ったセラの姿を揺らし続けた。

 

 水面を泣きながら見つめ続けたセラは。

 そのまま引き寄せられる様にそっと頭から水の中に溶け込む。

 

 ぱしゃり―――と。

 音を立てセラの体が水の中に吸い込まれた。



 


 その様子を見つめ続ける人影がある事にセラは気付いてはいなかった。 

 

 夜の水浴び場。

 水中に吸い込まれたセラが再び水面に姿を現す事はなく、影は慌てて走り出すとそのまま水に飛び込んだ。

 水の中は意外に深く、水深は胸の高さまである。

 影の主、マクシミリアンは暗闇に染まる水中に身を沈めて底に漂うセラを引き摺り上げた。


 二人が水から上がると水面が大きく揺れ、大理石の床を水浸しにする。

 水を飲んで咳き込むセラにマクシミリアンは罵声を浴びせる。

 「お前のせいで濡れてしまったではないか!」

 「助けてくれなんて頼んでやしないわよっ!」

 「何だとっ?!」

 水を飲んで咳き込んでいる辺りから溺れていたのは明白。

 セラの口応えに掴みかかろうとしたマクシミリアンであったが、暗闇に浮かびあがるセラの姿に思わず息を呑んだ。


 闇の中でも輝く金の長い髪が体に張り付いて水滴が滴り落ちている。薄い夜着は濡れて細くしなやかな肢体にぴったりと張り付き、体の線を露わにしていた。

 苦しそうに咳き込んだ後マクシミリアンを見上げるセラの瞳が異様なものであるにも関わらず、思わず引き込まれてしまいそうな程に深い愁いを帯びていた。


 全身びしょ濡れのその姿に、マクシミリアンは保護欲…とでも言うのだろうか。

 思わず抱きしめたくなる衝動に駆られる。

 マクシミリアンは自身が抱いた感情に思わず首を振った。

 出会った時セラは馬上のマクシミリアンの横腹を蹴り飛ばした女だ。そんな女に保護欲など掻き立てられよう筈なない。

 「お前、こんな所で何をしていた?」

 「何って…何でもいいじゃない。」

 「己の非礼に死んで詫びようとでも思ったか?」

 マクシミリアンは面白そうに詰め寄る。

 「はぁ?!」

 詰め寄って来るマクシミリアンが意外にも近くにあり過ぎて、セラは思わず後ろにずり下がった。

 「あなた、頭可笑しいんじゃない?!」

 水面を覗き込んで自ら入水したのは事実だ。

 しかし、決して世を儚んでとか失恋のショックとかそんな訳ではないし、現実問題失恋はしてはいない…と思う。

 ただ、涙を隠すのと頭を冷やす為に水に入ってみるとそこは思いのほか深く、泳ぎが得意な訳でもないセラが溺れかけたのは事実である。

 しかし、こんな事マクシミリアンだけには絶対に言いたくはない。

 ずるずると後ろ手に体を引きずりながら後退して行くセラに、マクシミリアンは手を付いてゆっくりと後を追うと、セラの濡れた足首を掴んだ。

 「ひえぇぇっ!?」

 素っ頓狂な悲鳴にマクシミリアンは咽の奥でククっと笑う。

 「お前、面白い女だな。」

 マクシミリアンは先日の出来事を思い出す。

 セラは引き裂かれた衣服も気にせず…というかすっかり忘れて、絶世の美貌を誇る魔法使いと言い争いに興じていた。

 肌を露出させたセラに思わずマントを差し出したが、マクシミリアンが他人にあの様な気使いを見せたのは生まれて初めてだった。自身の取った行動とは言え、後になって不思議に感じたものだ。

 そして今夜も、夜の闇を行くセラの姿を認め思わず後を追ってしまい、柄にもなく水中に身を沈めてまでセラを救いだしたのだ。

 いつものマクシミリアンなら絶対にそんな事は仕出かさない。

 忌々しく思う魔法使い…セラがここで死んでくれた方が気持ちがすっきりすると言うものだ。


 それなのに―――いったいどうしてしまったのだろう。

 悪戯に掴んだ手を、離す事が出来なかった。

 マクシミリアンは重なった視線を反らす事が出来なくなってしまっていた。

 セラの濡れた姿に釘付けになり、心臓が早鐘を打つ。

 「マクシミリアン?」

 先程までは悪戯に輝いていた漆黒の瞳が真剣なものに変わり、セラは不安を覚える。

 マクシミリアンの体がゆっくりとセラの上を這い、肩に手が触れる。

 それはやがてセラの濡れた髪を撫で、頬を包み込んで来た。

 「あの時、ランカーシアンにくれてやらねば良かったか?」

 「―――え?」

 マクシミリアンは完全に囚われていた。

 この女はラインハルト王の物だと分かっていたし、手を出せばどうなるかも容易く想像が付く。

 しかし、今のマクシミリアンはそれさえもどうでもいい事の様に感じてならないのだ。

 何故だか分からないが、今目の前にいるセラが欲しくてたまらない。

 特定の女を欲した事など今までに一度もないと言うのに、セラを自身の物にしたい独占欲に駆られて止まないのだ。

 マクシミリアンの濡れた深紅の髪から落ちた水滴がセラの頬を撫でる。

 セラがラインハルトと同じ色の瞳に吸い込まれていたその時―――


 マクシミリアンとセラの唇が重ねられる。

 

 「―――やっ!!」

 咄嗟に、セラはマクシミリアンを突き飛ばした。

 一瞬その身は離れたが、マクシミリアンはそのままセラの体を大理石の床に拘束すると不敵な笑みを浮かべる。

 「お前、俺の物にならぬか?」

 「なに馬鹿な事言ってるの、離してよっ!」

 全身で拒絶するが、男に組み敷かれてはさすがのセラも逃れる事が出来なかった。

 暴れるセラを嘲笑うかにマクシミリアンは再びセラに口付けると、濡れた夜着の隙間から手を入れ体を弄り始める。

 あまりの不快さにセラは身震いし悲鳴を上げた。

 「やめてっ、お願い止めてっっっ!!!」

 虚しくも悲鳴は闇に呑まれる。

 主だった建物から離れた場所にあっては誰の助けも望めない。

 セラは必死で抵抗するが、その抵抗がマクシミリアンの欲望を更に掻き立てた。

 マクシミリアンは片手でセラの腕を抑え込むと首筋に顔を埋め、もう片方の手を使って丸く形のいい膨らんだ胸に触れた。


 嫌悪と拒否、そして絶望にセラの瞳から涙が溢れる。


 (嫌だ、絶対にいやだ――――――!!)


 セラが鋭い拒絶を放った次の瞬間。


 眩い閃光と共に凄まじいまでの爆音が轟き、爆風が周りの物すべてを吹き飛ばす。





 それは一瞬の事の様でいて、長い時間が過ぎたようでもあった。


 強烈な爆音と風は二人を中心に巻き起こっている。


 セラとマクシミリアンは巻き起こる風を受けながらも吹き飛ばされる事はなく、ただ驚愕に目を見開いて事の成り行きを見守るしかなかった。


 やがて風が治まる。


 そこには、二人を中心に半円状の巨大な穴がぽっかりと姿を現していた。


 そして―――


 マクシミリアンの額に埋め込まれた雫石が、ぽろぽろと砕けながらセラの胸元に落下した。


 


 

 

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