一人の戦士
暗闇の中に浮かぶ真っ白な霧。
まるで外界からモドリフの森を阻むかに、その森だけを濃霧が包み込んでいる。
やはりな―――
森を包み込む霧はフィルネスの作り出した結界だ。中からは霧に阻まれ外に出る事の出来ない魔物達の気配が異様な殺気を帯びて伝わって来ている。
ラインハルトは霧の中へ迷う事無く飛び込んで行った。
森へ入ると痺れを切らしたかに続々と魔物が襲いかかる。
これほど多くの魔物が一気に集まってこようとは―――村が襲われラインハルト自らが足を運ぶにあたり森の魔物を一斉に討伐するつもりではあったが、現在の目的が雄の羽蜥蜴一匹である今、ラインハルトは忌々しく魔物達を一振りで切り倒して行く。
雄の羽蜥蜴は思ったよりも早くその姿を現した。
左の後ろ足を失ったせいか凶暴性を増し鋭い目が真っ赤に血走っている。
羽蜥蜴はラインハルトを見つけると、安定感のない三本足で地響きを上げながら突進して来る。
ラインハルトは馬から飛び降りると羽蜥蜴と対峙した。
近くに迫られるとそれは山の様に巨大で、開いた口からは唾液が溢れ出ていた。
立ち木を蹴散らし吠える羽蜥蜴の突進をかわすと、すかさず尻尾が飛んで来る。
ラインハルトは剣を構え、飛んできた尻尾を一刀両断にした。
切られた尻尾は勢いを失う事無く空を舞い、立ち木を圧し折りながら落下して行く。
羽蜥蜴の雄叫びが上がり、今度は羽をばたつかせると突風が起こった。
その風にラインハルトは吹き飛ばされ、大木に背を打ち付けると同時に羽蜥蜴が食らいついて来る。
それをラインハルトが身を翻し回避すると羽蜥蜴の大口が大木を噛み砕き、ラインハルトの剣が羽蜥蜴の首を捕えた。
ラインハルトの聖剣が首に食い込むがその半ばで勢いを失う。
一太刀では無理か―――
首に食い込んだままの剣から手を離す事のないラインハルトを羽蜥蜴が鎌首を上げ振りまわし、ラインハルトが空を舞った。
霧の立ち込める森にウェインが入るとそこはまさに戦場の様であった。
相手は魔物。
血の匂いに誘われたとはいえ、あまりにも多くの魔物の襲来だ。
ラインハルト王を追った騎士やマクシミリアンら他の騎士達も魔物と対峙し剣を振るっている。
地面には騎士達が乗って来た馬が絶命し、そこいらに倒れていた。
「ラインハルト王は!?」
ウェインも馬を下り、剣を振るいながら王の安否を確認する。
「既に先へ―――!」
姿は確認できなかったがサイファントの声がウェインの耳に届いた。
「いったい何があったのです、何故陛下は突然森へ!?」
魔物を切り捨てながらマクシミリアンに従事するリカバリーが疑問をぶつけて来た。
「残りの羽蜥蜴を狩りに行ったそうだ―――」
「羽蜥蜴だとっ!」
ウェインの言葉に真っ先に反応したのは質問者ではなくマクシミリアン。
「リカバリー、ついて来い!」
初めて感じる大物の気配にマクシミリアンは歓喜の声を上げ、目の前の魔物を切り捨てると走り出した。
「殿下っ!」
リカバリーがその背に向かって叫ぶが、マクシミリアンは振り返りもしない。
極めて危険な魔物の名に緊張を高めつつも、リカバリーは先を行く主を守るため走り出す。
ウェインもすかさずその後を追った。
地を這うような唸り声と響きが暗い森に木霊し身を貫くと、三人の目前に巨大な何かが飛んで来た。
それを直前で避けると次は突風に体を攫われる。
風が止まり振り返ると、そこには巨大な何かが蠢いていた。
羽蜥蜴の尻尾―――?!
蠢くそれは切断された部分からどろどろと毒を含んんだ血を流している。
それを見た三人は先を急ぎ、そこにある光景に息を呑む。
目前に広がるのは羽蜥蜴が暴れ周った為に開けてしまった森の残骸。
山と見紛う程に巨大な塊が、恐ろしい程にその巨体を震わせている。
ラインハルト王がその羽蜥蜴に飛び乗るような形で首に剣を食い込ませ―――
直後、王の体が空を舞った。
「陛下っ!
「ラインハルト王!!」
リカバリーとウェインが叫ぶ横をすり抜け、マクシミリアンが剣を片手に飛び出して行く。
すかさずウェインが後を追った。
空を舞ったラインハルト王は両足で着地すると、同時にマクシミリアンに向き直り剣を振り下ろす。
寸での所でウェインがマクシミリアンの体を突き飛ばすと、ラインハルト王の振るった剣は空を切った。
「邪魔をするな―――」
漆黒の瞳が怒りに震え眼光鋭く睨みつけると、獲物に手を出すなと無言で語る。
邪魔するものは切り捨てる―――
怒りと喜びが混在した表情。
返り血を浴び怪我を負いながらも歓喜に身を震わす王は、一度マクシミリアンに剣先を突き付け威嚇すると不敵な笑みを浮かべ、次には襲い来る敵に向かって駆け出していた。
「王子、下がってくれ!」
「無礼者っ、離せ!」
ウェインに腕を掴んで引き摺らるマクシミリアンは暴れながら悪態をつくが、体格では全く勝ち目がなくそのままずるずると後退させられる。
ウェインは今まさにフィルネスの言葉を実感していた。
ここにいるのはラインハルト王ではない、戦いを好む一人の獰猛な戦士だ。
この『狩り』を邪魔するものは例え血を分けた息子であっても許されはしないだろう。
その証拠にラインハルト王の剣は本気だった。ウェインが止めていなければマクシミリアンの体は王の剣によって間違いなく引き裂かれていた。
手出しは許さぬ―――
王の言葉はリカバリーにも理解できた。
しかし、彼にとって王はまさに変え難いウィラーンの偉大なる王なのだ。
この巨大な羽蜥蜴の相手を王一人にさせる訳にはいかない…それによって間違いが起こってからでは遅いのだ。
ウィラーンはまだこの先も、この偉大な王を失う訳にはいかない。
リカバリーも剣を片手に羽蜥蜴に立ち向かう。
足一本と尻尾を失い、首を切られながらも俊敏な動きで襲いかかるそれは、戦い慣れたリカバリーにとっても当然命に関わる強敵。
「リカバリー、手出しするなっ!」
ウェインがリカバリーに気をとられた瞬間、マクシミリアンはウェインの腕を振り解き羽蜥蜴に向かって走り出した。
ラインハルト王が羽蜥蜴の片目を剣で貫抜くと血飛沫が王の身を焼き、羽蜥蜴は痛みにのたうち回りながらも前足でラインハルト王を払い除け、王は地面に体を叩きつけられた。
振り下ろされる巨大な羽蜥蜴の前足。
その足がラインハルト王の左腕を踏み付け―――
「ぐあぁっ!!」
呻き声が上がった。
次の攻撃がしかけられる前に身を起こしたラインハルト王の左腕は完全に潰され、力無くだらりとぶら下がっている。
肩を大きく上下させ、荒い息に苦痛の表情。
「陛下っ!」
リカバリーが王の身を支えようと駆け寄ると、ラインハルト王は剣先だけをリカバリーに向けそれを制止した。
「言った筈だ、邪魔するなと―――二度はないぞ。」
漆黒の瞳が怒りに燃えている。
視線の先には羽蜥蜴に襲いかかるマクシミリアンの姿。
ラインハルト王は迷う事無くマクシミリアンに襲いかかるが、さすがにマクシミリアンも今回は王の剣を受け止めた。
片腕のラインハルト王に対し、両腕で迎えるマクシミリアンが押される。
「何故です父上?!」
「容赦はせぬぞ!」
邪魔者は切り捨てる。
ウェインが二人の間に割って入った。
王とマクシミリアンの剣にウェインの剣が重なる。
「カオス、こ奴を始末しろ―――!」
ラインハルト王は吐き捨てる様に言い残すと羽蜥蜴に向かって行った。
カオスと呼ばれたウェインは、王の目に映っているのが二十五年前の惨劇の時代なのだと痛感する。
ウィラーンの王である自身の姿も、マクシミリアンと言う王子も見えてはいない。
見えているのは目前の獲物―――邪魔するもの全てがラインハルトの敵なのだ。
ウェインはそれでも向かって行こうとするマクシミリアンの利き腕を掴み拘束すると、リカバリーの行く手を剣で阻む。
「ウェイン王子―――!」
「目を覚ませリカバリーっ、お前が守らねばならぬのはマクシミリアン王子だ。見て分からないのかっ、ラインハルト王の邪魔をすれば確実に殺られるぞ!」
リカバリーは息を呑む。
確かにラインハルト王は本気だ。
「しかし―――」
だからと言って放っておける訳がないのだ。
「ラインハルト王を信じろっ!」
剣に力を込めるリカバリーを一喝する。
「お前達の王は闇の魔法使いを封じた猛将だ、羽蜥蜴如き取りに足らぬ相手だ!」
ウェインは暴れるマクシミリアンに痺れを切らし、リカバリーに向かって乱暴に投げつけた。
「一番命が危ういのはこいつだ、王に殺させたくなければ殴りつけてでも大人しくさせておけ!」
「何だとっ、イクサーンの王子如きが―――!」
「マクシミリアン殿下っ!」
ウェインに飛びかかろうとするマクシミリアンをリカバリーが背後から引き止める。
「離せリカバリーっ!!」
ウェインはマクシミリアンの悪態に耳を塞いだ。
足と尻尾、首を切られ目を抉られた羽蜥蜴も満身創痍だが、左腕を潰され毒を含んだ体液を浴びたラインハルトも同じと言えよう。
ラインハルトの逆鱗に触れようとも、最悪の時はウェインも手を出すつもりでいた。
だがウェインが言葉にした通り、ラインハルト王はただの戦士ではなく幾多もの危機を脱し闇の魔法使いと対峙した猛将だった。
羽蜥蜴が大口を開けラインハルトに襲いかかった瞬間―――
ラインハルトは地を蹴り羽蜥蜴の懐に入り込むと、片腕一つでその首を切断した。