やさしい人
何とも美味しそうな匂いが漂う―――
セラはあまりの空腹で目を覚まし、匂いの元をたどるようにのろのろと起きだした。
寝室を出ると飛び込んできたのは湯気を上げる料理。
それを並べる給仕の姿など全く目に入らず勝手に席に付くと、焼き立ての食欲をそそる美味しい匂いに釣られるままセラは目の前のパンにかぶりつく。
ふわふわで柔らかな感触。
ほんのり甘くて…などと味わう間もなく料理を掴み取り次々と口へ詰め込んで行く。
あまりに勢いよく食べ続ける様に呆気にとられる給仕の女性…セラが喉に詰まらせ胸を叩くと慌てて水を差し出し背中をさすった。
小さな子供の様に水を飲ませてもらいながらゲホゲホと咳き込み息を吸い込む。
「あ…ありがと…」
(し…死ぬかと思った…!)
滲んだ涙を拭いながら顔を上げると、目の前の長椅子に半身を起して目を見開き、微動だにしないウェインの存在に初めて気が付く。
ウェインはセラと視線が合ったとたんに肩を震わせ体を折ると、必死に声を殺して笑い出した。
あまりにいつまでも肩を震わせるウェインに苦虫をつぶした様なセラの顔。
給仕の女性に目を向けると気まずそうに視線をそらす。
(あぁ…やってしまた…)
またもや空腹に負け周りが見えなくなってしまっていたのだ。
「いつまで笑ってるつもり?!」
息を殺しながらとは言えそこまで笑う事はないだろうと頬杖をついて…ゆで玉子を丸ごと口に放り込む。が…さすがにこれは無理があったようで再び…と言うか本気で窒息しかける。
「うぅ―う―うぅぅぅ―――っ!!」
給仕はあまりの事態に次は遠慮なくその背をバシバシと力任せに叩いた。
必死に息を吸い込みながらも一度口にした玉子を吐き出さずに、何とか口中で潰しながら小さくして行く。
それを目の当たりにしたウェインは当然…大爆笑。
「お前…それはもう…女として、有り得んだろ―――!」
そんな事言ったって…
「ずっと食べてなかったんだもんっ」
仕方ないじゃないと玉子を噛みながら、更に次の料理へと手を伸ばす。
それが見慣れた行動とは言え、セラの大食漢にはさすがに感嘆した。
今まで見て来た屈強な男の誰よりも空腹のセラに勝る者はいない。
確かに…セラは昨日の朝からろくに食事をとってはいなかった。
ウィラーンの都キエフリトに入る前にセラ達は魔物の襲撃を受け魔法を使った。
魔法を使った後のセラの食欲は異常だ。
だと言うのにラインハルトとの再会・好奇の目に曝された宴に続き諸々の諸事情によって、今の今までまともに食べる場がなかった。
それにしても―――
「見ているだけで腹が膨れる。」
ウェインも同席し、給仕の入れたお茶を口にする。
「食べないの?だったら全部食べちゃお~っと。」
セラはウェインの前に置かれたパンを両手で掴み口に運んだ。
食欲云々よりもまずその食べ方を何とかさせないといけないと思う。
飢えた獣のように食べるセラは自分を包み隠さず可愛らしいと言えば聞こえがいいが、要するに無教養にすら感じてしまう。
ここで、ウェインは大事な事に気付いた。
セラが孤児院育ちにしろ何にしろ、女として成長するべき一番大事な時期を三人の男に囲まれ過ごしたのだ。
その中にあって恋はしたようだが…女としての立ち居振る舞いはどう学んだ?髪を切る事は止められてもその他はいったい誰が手本になれようか。
ウィラーンまでの旅でセラの見せた全く躊躇しない魔物との戦い。
それがセラの日常で、常に命の危険と隣り合わせの状態で女らしさなど邪魔なものだったのではないだろうか。
これは強制の必要があるな―――
この辺りはウェインの面倒見の良さである。
セラは目の前でカップを持ち、優雅にお茶をすする男がそんな事を考えていようなどとは思いもせず。
全て綺麗に食べ終えると給仕の入れてくれたお茶に手を伸ばし口を開く。
「ウェインはわたしのこと抱きたいとか思ったりする?」
ブ―――――――――――――――――――――――――――――っ!!
「うわぁぁっ、汚ったないな―――っ!!!」
ウェインの吐きだしたお茶がセラの顔面を直撃する。
「おまっ…おまっ…お前っ…!!」
何を言って―――?!
ウェインは口をパクパクさせながら己が耳を疑う。
この女…いったい何と口にした―――?
お茶を入れたら給仕が下がってしまっていたので、セラはナプキンを使って自分の顔を拭く。
「だからわたしの事抱きたいって―――」
「思うか――――――――――――――――っっっっっっ!!!」
ウェインの瞳が怒りで青い炎を放つ。
同時にセラは絶望し机に平伏し…
「やっぱりそうなんだ―――っ!!」
と、泣き叫んだ。
「そうよね、そうだよねっ…やっぱりあんな綺麗な人が側にいたらそっちの方がいいに決まってるよね。わたしなんてどーせ美人じゃないしおっぱいないし魅力的じゃないし頭悪いしよく食べるし変な目をしてるし小娘だしっ…だからラインハルトもわたしを抱いてくれなかったのよぉっ、だからイクサーンに戻れなんて言われちゃったんだっっ!」
…。
おいおい…ちょっと待て…
ウェインは頭を抱える。
セラの首筋にある吸引痕には気付いていた。
ウェインは常にセラの側にいたがさすがにラインハルト王の部屋に忍び込めはしない。だからそれを見て二人はそういう関係になったのだとばかり思ってはいたが…
ウェインはすすり泣くセラよりも、ラインハルト王の方を哀れに感じた。
そこまでやって愛する女を抱けないとは―――
ラインハルト王の心情が察せるだけに、セラの味方になって良いものかどうかとも思う。
「…振られたか。」
ウェインの言葉がセラの胸にぐさりと突き刺さる。
ラインハルトの部屋から飛び出した時まではそんな気は全くしていなかった。ラインハルトはセラとの時間の差を理由に、セラの為にと突き離したのだ。だが…後宮で出会ったラインハルトを取り囲む大人の女性を目の当たりにしてから、セラはすっかり自信を失ってしまったのだ。
「簡単に諦めるのか、ラインハルト王はその程度の男か?」
セラは顔を上げた。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
「大好きよ、守りたかった人だもん。諦めるなんて出来ないよっ」
「だったら泣き事なんて言ってる暇あるのか?あれ程の男が拒絶したんだ、一筋縄じゃいかんぞ。」
セラは昨夜出会った妖艶な美女達を思い浮かべる。
あんな風にはどう転んだってなれない。
マクシミリアンの母親シビルランレムの様に破壊的な魅力も持ち合わせていない。
「わたしの魅力ってなんだろ…」
「そりゃラインハルト王に聞け。」
王が惚れた女はお前だろう―――
ウェインは真っ直ぐにセラを見据えて答えた。
何処までも青く澄んだウェインの瞳に見つめられ、セラは何だか恥ずかしくなり視線を外す。
「ウェインって、意外に優しんだね。」
ぽつりと言うセラに「意外には余計だ」とウェインは笑った。