困った荷物
ウィラーンの第一王子ランカーシアンの寝室。
その薄暗い寝室の隅に一人の美しい娘が佇んでいた。
今夜の伽の相手をするためだ。
実際に女に手を付ける手を付けないは別として、第一王子には毎夜必ず伽の相手が用意されていた。
ランカーシアンがいらぬと言っても生母であるミユランシイが勝手に御膳立てしてしてしまうのである。
娘が心細気にふと窓の外に眼差しを向けると、その窓から乱入して来た一人の男と視線がぶつかった。
「なっ…何者っ!?」
娘は驚きと恐怖で声が上擦る。
不審者の乱入に助けを呼ぼうとするが、男の鋭い眼光に竦み上がってしまった。
「女、声を上げたら命はないと思え―――」
低く鋭い声。
何の迷いもなく部屋に押し入って来た男の腕には金色の髪の娘が抱きかかえられていた。
ここは二階…だと言うのに娘を抱え窓から侵入してきた姿はあまりにも不自然。
そして娘は侵入者の顔を認める。
「マクシミリアン殿下?!」
娘は状況が分からずおろおろするばかり。
仲の悪い二人の王子、第二王子が第一王子の寝室を訪れるにはあまり不自然な状況に、娘は血生臭い何かが起こる恐怖を感じてガタガタと震えだした。
マクシミリアンはそんな娘には目もくれずにセラをそっと寝台に下ろす。
セラの睫毛が微かに揺れたが、それも間もなく治まり静かな寝息が聞こえて来た。
「それにしてもよく眠っているな…」
二階の窓まで担いで上がるには苦労したが、そんな状態でもセラは目覚める事がなかった。
闇の魔法使いを封印する際に犠牲となった筈の娘。
吟遊詩人達が勇敢な悲劇の娘と謳いあげる伝説になる筈だった少女。
父王や兄と共に忌々しく思う存在に、死んでしまえばいいと魔物をけしかけたが今もここに生きている。
馬上から蹴落とされ愚弄された恨みは深いが、自分と大して歳の変わらないセラの眠る姿は何と無防備であどけなく感じる事か。
横たわるセラの金色の長い睫毛に見惚れていたマクシミリアンだったが時間がない事を思い出し、そっと寝台から身を離すと部屋の隅で震える娘に振り返った。
「ランカーシアンは既にここに来ているのか?」
娘は怯えながら首を振る。
「ならばお前に用はない、今宵の事は全て忘れ他言無用だ。わかるな?」
誰かに話すような事があれば命はないと思え―――
マクシミリアンの言葉に娘は怯えながら大きく何度も頷き、扉に向かって壁伝いに歩き出す。
「衛兵に見つかる、こっちだ!」
示すは外へと通じる窓。
マクシミリアンは声を出させないように娘の口を塞いで、半分突き落とすかに二階から飛び降りた。
ほどなくして部屋の主、ランカーシアンが寝室の扉を開く。
何とも心臓に悪い宴が終了するとどっと疲れがでた為、そのまま自室に通じる湯殿で長湯をし汗を流してから寝室へと向かう。
ランカーシアンは寝室に入りすぐに異変に気付いた。
何時もならいる筈の伽の女がいない―――?
いや、いないと思ったのは一瞬。
寝室の中央に置かれた大きな寝台に金髪の女が横たわっていた。
ランカーシアンに緊張が走り部屋の中をゆっくりと注意深く見渡す。
他に人の気配はない。
寝台の下に手を伸ばし、剣の存在を確認すると同時に横たわる娘の息を感じる。
死んではいないようだ。
「どういう事だ―――?」
伽の女は大抵が媚を売るか部屋の隅で静かに控えているかが常だ。さっさと寝台に入り眠りこけた女などは今まで存在しなかった。
と言うよりも、この状況。
気を引く為の女の策か、はたまた別の者の策略か。
ランカーシアンは娘の顎を捕え顔をのぞく。
「やはりこの娘か―――」
先程目にした金色の髪と青と赤の異質な瞳をもつ娘。
その瞳は今は硬く閉ざされていて開く気配はない。
「さて…これはいったいどういう意味だ?」
取りあえず友好的に考えてみる。
セラの首筋には赤い花弁の様な生々しい痕が付いている所を見ると、これを付けたのは父であるラインハルト王で間違いはないだろう。何せ、王自身が娘をかき抱き宴の席を後にしてしまったのだ。その後二人が肌を合わせても何の不思議もない。あの状況で他の男が相手だとは到底あり得ない話だ。
では何故ラインハルト王の寵を受ける娘がここで眠っているのだ?
まさかここで事に及んだとは考えにくいし、シーツに皺一つない所を見ると眠っているうちに運ばれて来たのだろう。
顔を近付けると酒の匂いに紛れ微かに薬臭がある。
娘の意思とは関係なく、眠らされていると言う事だ。
王はこの娘を自分に宛がうつもりか?
いや、あの状況から見てそれはないだろう。
王が手の中に抱いて守るようにし常に離さなかった娘。
共に来たイクサーンの王子を牽制するように、王子にはそれは素晴らしい女達をあてがっていた。
かつてない王の態度。
まさかとは思うが、ラインハルト王が本当にこの娘に執心していると言うのであれば相当の独占欲だろう。一度抱いたからと言ってみすみす他の男にくれてやったりはするまい。
だとすれば―――
「マクシミリアン…それともあの女狐か。」
弟王子とその母親が目に浮かぶ。
王の愛妾を奪った罪でラインハルト王の怒りを仰ぎ、王の手によって処分させようと言う腹だろう。
何とも脳のない馬鹿な奴らの考えそうな事だ―――
思い当たる節に辿り着きはしたが…しかし。
この状況、ランカーシアンにとっては決していい状況だとはいえない。
一歩間違えば王の逆鱗に触れマクシミリアン等の思う壺なのだ。
「さて、これをどうしたものか。」
ランカーシアンは腰を曲げ微かな寝息を立てるセラを覗き込んだ。
黒髪黒眼に褐色の肌を持つウィラーンでは珍しい金髪に真っ白な肌。髪に触れると柔らかで金糸の様に細く手をすり抜ける。
確かにこれは心地よい肌触りだと、ラインハルトが幾度となくセラの髪を撫でていた光景を思い出す。
紅も引いてはいないのにほんのりと艶のある桃色の唇に長い金色の睫毛。今は閉じられてはいるが左右非対称の奇怪な瞳は強い意志を持って見開かれていた。
ラインハルト王をも恐れぬ、恐らく世界で唯一無二の娘だろう。
ウィラーンには存在しない、何とも魅力的な異国の娘。
更にランカーシアンがセラに顔を寄せたその時―――
強烈な殺気を感じた。
鞘のない剣を寝台の下から抜き取ると身を翻しざま、剣先を空に払う。
同時にランカーシアンの首筋に剣が突きつけられた。
ランカーシアンの放った剣は青い瞳の大柄な男、ウェインに向けられている。
ウェインは僅かにランカーシアンの間合いに入ってはいなかったが、お互いに緊張が走る。
「娘に手出しはするな―――」
低い声が響く。
「―――まだ、手出しはしていないのだが―――」
ウェインが剣を引くとランカーシアンも剣を下ろし、ウェインは鞘に、ランカーシアンは寝台の下にとお互い剣を元の場所に戻した。
「惚れた娘か?」
ランカーシアンは腕を組んで背の高いウェインを見上げる。
「俺はこいつの従者としてここに来たのだ。」
他意はない、カオス王より命じられウィラーンに同行したに過ぎない。
王よりセラを守るように言われ、宴の後もセラの姿を隠れて追い続けた。
「従者…イクサーンの王子がねぇ…」
胡散臭そうに目を細めて言うと、ウェインが小さな礫を投げつけながら告げた。
「継承権は放棄したのでな。」
ランカーシアンが受け取った礫は小石を白い紙で包んだ簡素なもの。
「これは?」
「女がラインハルト王の部屋に投げ込もうとしたものだ。」
紙を開くと『ランカーシアンとセラ、部屋にて密会中』らしき文面が綴られている。
ランカーシアンはため息交じりに紙を握り潰した。
「面倒をかけたな。」
「…頭のない王子だな。」
少し遠慮がちに言ってはみるがまさに子供の悪戯のように稚拙な策略だ。
「全く…申し訳ない。」
異国の王子を巻き込んだばかりか恥を曝してしまった。
「ラインハルト王は継承問題を何故先送りにしている?」
今日一日の出来事だけでマクシミリアンに王の器が無いのは明白ではないか。
継承問題をはっきりさえしていれば今回の様な事態は起こらなかったであろうに。
「王に認められるにはハードルが高くてね」
王の望む獰猛さがランカーシアンには足りないのだろう。
兄弟で王太子の座を争いながらもランカーシアンは本気で殺しあう事が出来ていない。このままランカーシアンが王太子となり王となったとしても、いつマクシミリアンに寝首をかかれるか分からないのだ。
だったらそうなる前にマクシミリアンを殺せ―――
ラインハルト王はランカーシアンにそう言っているのかも知れないと感じる。
「ま…こちらにしてはそんな事どうでもいいが。」
ウェインは気持ちよさそうに眠るセラに手を伸ばすと、軽々と肩に抱えた。
「取り合えず来た道を戻らせてもらう。」
「ああ…それがいいだろう。」
正面から出れば衛兵に認められてしまう。
ウェインはセラを肩に担いで窓から飛び降りると夜の闇に消えて行った。