剣に思う
この日騎士団の鍛錬場は一瞬で張り詰めた空気に覆われた。
カオス王が現れたのだ。
傍らには黒衣に金糸で模様を刺繍された、騎士団とは色違いとなる近衛騎士の制服に身を包んだ近衛騎士団長、クレイバの姿がある。
そしてその二人の後ろから…ひょっこりと顔を覗かせる少年…の様な上着とズボンに身を包んだ金色の髪の少女が一人。
あっ、セラさんだ―――!
離れた場所から届く声に視線を向けると、昨日詰め所で会った数人の騎士が驚いた顔でこちらを見ている。
セラが彼らに向かってひらひらと手を振ると、彼らも驚いた顔のままで無意識に手を振り返す。
辺りを見渡すと騎士団の白い制服を身に纏っている者やそれを着崩しているもの、私服の者とそれぞれだがかなりの騎士がここに集っていた。
皆がそれぞれ衣服を正し、突然現れたカオス王を迎え礼を取る。
「ホントにここでやるの…?」
こんなに沢山の剣馴れた騎士たちが集う場所で自分如きが稽古をさせてもらおうなど場違いにも程がある。
「どうぞ緊張なさらず。」
近衛騎士団長クレイバがセラの頭上から低い声を落とす。
(あぁ…めちゃくちゃ違和感!!)
セラは苦笑いをクレイバに向けた。
クレイバはもう少しで四十に届く程の年齢だ。カオスは茶色に近い金髪に青い瞳の近衛騎士団長を紹介するにあたり、『覚えているか』とセラに問うた。
この問いは、二十五年前の姿でこの人物とセラが会った事があると言う事。
分からない分からないちーっとも分からないぃッ―――!!!と悩んでいると、あの時は本当に失礼極まりない態度を取ってしまいましたと頭を下げられた。
彼は、レバノ山に入る前にこの街で出会った少年だった。
あの少年はセラの異質な目を見て当然のように非難し、カオスに諌められていた。それが余計に気に食わなかったと見えて、カオスの目を盗んでは足をひっかけたり髪を引っ張ったり小突いたり…子供の悪戯でセラにちょっかいばかり出していたのだ。セラの方が三つ年上なのにも関わらず、こんな小娘ではなく自分を一緒に連れて行けとカオスに談判したりもしていたっけ…
それが今や近衛騎士団長となってカオスを守っていようとは…
時とは恐ろしい。
「騎士団長は何処にいる?」
カオスが問いかけると周りの騎士たちもさっきまでそこにいた筈の人物がいない事に気付き辺りを見回す。
しかし、いくら見回してもウェインの姿はない。
「…逃げましたね。」
と、クレイバの低い声。
それに答えるようにふっとカオスが鼻で笑った。
「抜かりはない」
ウェインの行動などお見通しとばかりに王は半眼を閉じる。
同時に鍛錬場脇の小屋から『バキッ!ゴキッ!ドカッ!!』と何かが壊れるような音が聞こえてきた。
誰もが一斉に小屋へと注目する。
一瞬の静寂の後、小屋の扉が開き白い制服に身を包んだ騎士が姿を現した。
金色の長い髪を後ろに束ねた美貌の騎士マウリー。
マウリーが腰に手を当て中に向かって何かを告げると、少し置いて私服姿のウェインが強烈に不機嫌な面持ちで姿を現す。
ウェインはその不機嫌な形相のまま王の前に歩み出て来た。
「俺にその娘の相手をしろって?」
慇懃無礼にも程があるだろうと誰もが目で語る。
(あなたそれ、親子でなければたたっ切られてるわよ)
まぁカオスの事だから他人であっても切ったりはしないだろうけど。
「セラを預かるのではなかったか?」
セラを預かる―――そう書かれた紙切れの話しだ。
そう来たか…王の嫌味にウェインは舌打ちする。
「剣を教えたのは陛下でしょう、最後までご自身で面倒をみられるべきでは?」
「基礎は出来ている。お前はセラの腕が落ちぬよう面倒を見てやればよい。」
カオスは話を打ち切るとマウリーに合図を送る。
「練習用の剣だよ、君にも使えるように細身の物を用意したんだ。終わったら返してね。」
マウリーはセラに剣を差し出した。
ウェインは怒りの炎を瞳に湛えている。
カオスとそっくりなのに性格は全く違う…
(何か変な事になっちゃったな。)
剣の訓練をしたいと言い出したせいでとんでもない事になってしまったと、セラは少し後悔した。
多すぎるギャラリーを避けるためウェインは屋内の鍛錬場へと向かった。
中にはカオス王と近衛騎士のクレイバが共に入り、ウェイン捕獲の厳命を受けていたマウリーは蚊帳の外。いくつかある窓から他の騎士達と共に中の様子を伺っていた。
「ったく…面倒くさい事になったもんだな」
セラの耳に届くようわざとらしく言い捨てる。
「…ごめんなさい…」
確かに自分のせいではある…のだが。
(ってか、そこまで露骨に言う?!)
「ほら、さっさと抜け」
ウェインが剣を抜いて掲げる。
「あぁぁっ、は、はいっ!」
セラも剣を抜きウェインの掲げた剣に軽く交える…開始の挨拶。
意味が分かっていたのかとウェインはセラを見据えた。
セラは慌ててウェインから後ずさり剣を構え大きく深呼吸をする。
目の前にいるのはウェイン、同じ顔だがカオスではない。
セラにとってカオス以外の人間と剣を交えるのは初めての事。顔が同じでも剣捌きは同じではない。それを思うとセラの緊張が増す。
対してウェインはセラの緊張した様子にカオス王への反抗ともいえる怒りが消えて行った。
目の前にいるのは一人の少女。何でこんな娘相手に騎士団長ともあろう自分が…と思うが、それもセラだから特別扱いなのだと判断が付く。
カオス王が剣の素人でもある少女に教えた物がいかほどか…昨日の会話を思い出しながらウェインは軽く剣をしかけた。
いざとなれば止めるつもりで、左側面ぎりぎりに剣を落とす…が、セラは立ち尽くしたまま微動だにしなかった。
非対称の瞳で真っ直ぐにウェインを見据えているが、その瞳には緊張と不安が入り混じっている。
その時セラの剣が素手でがっしりと掴まれ、セラは驚きで目を見開いた。
驚愕の瞳で、セラは剣を素手で掴んだ主を見上げる。
「練習用の剣だ、刃は潰してある。」
カオスがセラの意を察して取った行動だった。
剣の刃を潰すなどセラは知らなかったがそれも当然。今と違って潰された練習用の剣をわざわざ作るなどのあり得ない時を生きて来たのだ。
カオス相手に真剣で練習できたのは、彼の絶対的な力を知っていたから。
「カオス、ごめん。」
硬くなった体が解れる。
カオスが剣から手を離すと、セラは改めてウェインと心から向き合った。
「人を切る事を恐れてどうする」
「うん、そうだね。」
恐れるのは命の重みを知っているから。
「よろしくお願いしますっ!」
声を上げるとセラがウェインに飛び込んだ。
剣と剣がぶつかる音。
セラの剣は当然のように弾かれるが直ぐ様反撃に出る。
ウェインはセラの切り返しの速さに驚いた。弾いても弾いても瞬時に反応して切りかかって来る。
―――気を抜けばやられる!
それが素直な感想。
初めは適当に相手をして終わらせるつもりだった。
セラの様な娘を本気で相手に出来よう筈もないし、相手にならないと誰もが思っていた筈である。しかしそれが今、しかけるのはウェインであるにしろ、セラは力では到底敵わないウェインの攻撃を剣で殺し、俊敏な動きで懐に入って来るのだ。
(取った!!)
セラの打ち込みがウェインの首を目指す。
刹那―――セラの剣が空を舞った。
わざと隙を作っておびき出し、ウェインがセラの剣を弾き飛ばしたのだ。
「それまでっ!」
クレイバの声が上がる。
ウェインは焦りの表情を浮かべ…肩で息をしているセラを見下ろした。
カオスの足元にも及ばない――――この娘はそう言わなかったか?!
こんな小娘に追い込まれて本気を出した。
はっきり言ってそこいらの騎士よりも断然強い。
確かにウェインが勝ったが、何故だか勝った気はしなかった。
「クレイバ、ウェインをどう見る?」
近衛騎士団長は腕を組む。
ウェインに最初に剣を教えたのはクレイバだった。
「まったく努力せずにこの実力があるのには感嘆しますが…はっきり言って上達しているようには見受けられません。」
ウェインは殆ど訓練などせずにいても騎士団長の地位に上り詰める程の剣の実力がある。ここ数年気紛れに騎士の訓練の相手をする以外、自身は殆ど何の鍛錬も積んでいないのが現状だ。それでも実力があるから認められたが、何の訓練もせずに堕落した生活を送ればそれ以上は伸びない。実力が落ちないのも不思議ではあるが、それは天賦の才のなす技であろう。
「そのようだな。だが、あれを見てみろ。」
セラを見下ろすウェインの瞳は勝利した剣士のそれではない。
力の差を見せつけられた…悔しさを孕んだ瞳。
ウェインはセラの向こうにカオスを見ていた。
強烈な存在…カオスの剣に敗れた悔しさを宿した灰色の瞳は燃えているかにも取れる。
「どう変わるか先が楽しみではありますが…我も鍛錬せねばあっという間に追い越されてしまいましょうな。」
クレイバは苦笑いした。
セラとの一戦以来、ウェインの様子ががらりと変わる。
これまで真面目に稽古に出た事もなかったウェインが日々早朝から鍛錬場に姿を現し、時間さえあれば常に剣の稽古に没頭するようになったのである。もともと素質が有り余っていたウェインはあっという間に実力を伸ばし、騎士団の中には二人掛りでも彼を任せる者は存在しなくなってしまった。
カオス王の思惑通り、ウェイン更生計画が成功したのである。