騎士さま
セラを無理矢理引き摺る男が低く唸り声を上げて地面に平伏す。
同時にセラも落下する感覚に襲われたが地面に叩きつけられる事はなかった。ウェインが片腕でセラを受け止めたのだ。
「人の勤務中にわざわざ問題起こしてくれやがって―――」
報告書を書くのが面倒なのに全く余計な事をしてくれたものだな糞爺ィ…と、ウェインは悪態を付く。
「…ウェイン…?」
「目を離して悪かった、ちょっとここで待ってな」
静かにセラの体を地面に下ろすと、ウェインは人攫いの親玉らしき男を睨みつけた。
セラが目の前に転がった自分を引き摺っていた屈強な男をみると、男は白目をむいて伸びていた。
「俺が相手だぜ、色男さんよぉ!!!」
仲間をやられたもう一人の男が拳を上げてウェインに飛びかかったが、ウェインは軽く身を翻して男をかわすとその頸部に回し蹴りをお見舞いした。
大きな音を立てて男がうつ伏せに倒れ込む。
こちらの男も一発で伸びてしまった。
その様を見た初老の肌黒い男は踵を返して一目散に駆け出したが、そこには既に一人の、白衣に金糸で紋様を刺繍された制服を身に纏った騎士が対峙していて男を確保した。
「お前の掻っ攫った女達は全員保護したぜ―――残念だったな。」
騎士が男に告げると、男は「はて?」としらを切る。
「牢にぶち込んどけ、後で吐かせる。」
ウェインが男を確保した騎士に命令すると騎士は男を連行し、倒れた二人の男も何処からか湧いて来た兵士によって連れて行かれた。
ウェインは真っ青な顔で身を小さくしているセラに歩み寄ると膝をついて手を差し伸べる。
「立てるか?」
目眩と吐き気で顔が上げられない。
ウェインは容姿だけでなく声までカオスに似ていた。
セラはまるでカオスが助けに来てくれたような錯覚に陥り懸命に顔を上げるが、彼の碧眼がそうではない事を告げる。
そのままウェインの腕に倒れ込むと、彼は戸惑う事無くセラの細身を受け止めた。
蒼白で言葉を失くしたセラの様子にウェインは心底、目を離してしまった事を申し訳なく思う。
よほど怖かったのだろう――――闇の魔法使いと戦ったと言ってもやはりただの娘なのだ。
「もう大丈夫だ。」
自分のせいだと言うのも手伝い、ウェインは柄にもなく女性に優しい気持ちになる。
セラを抱き止めたまま優しく頭をなでた。
が…次の瞬間。
「は…く…っ…」
「何?」
呟きが届かず聞き返すと同時に――――
「おえぇぇぇぇぇぇッ―――――!」
セラはウェインの胸に胃液を――――
嘔吐した。
朝市の開かれる広場近くに、騎士の集まる詰め所の一つがある。
目眩と吐き気を伴ったセラをそそまま城に連れ帰る事も出来ず、また自分自身もセラの嘔吐した胃液で衣服を汚され悪臭を放っていたので、ウェインは取りあえずそこへセラを連れて行った。
若い娘の出現…しかも騎士団団長であるウェインが大事そうに抱きかかえて来た娘の存在に、詰め所はにわかに活気を帯びる。
「そこをどけ、マウリー」
詰所の長椅子で朝寝(?)をしていたマウリーが眠い目を開くと、幼馴染の青年が女を胸に抱えているのが目に映った。
背後には、何事かと目を輝かせる同僚の騎士たちの姿がある。
「何?攫って来たの?」
マウリーは身を起こし長椅子を譲ると、自身は一人掛けの椅子に移り欠伸をする。
「手を出すなよ、俺は着替えて来るからな。」
セラを長椅子に横たえるとウェインは部屋の入口にたむろして様子を窺う騎士たちを蹴散らし、扉を閉め…やはり念の為にと扉を開け放つ。
その行動を理解したマウリーは「失礼な奴…」と愚痴をこぼし、娘に視線を向けた。
間もなくセラは横たえられていた長椅子にゆっくりと身を起こす。
先程ウェインに胃液を嘔吐してからは、気分がかなり良くなり目眩も治まって来ていた。
「顔色良くないね、大丈夫?」
柔らかい声色に顔を向けると、青年がセラの向かいの椅子に座って微笑んでいた。
セラはその美しい微笑みに絶句する。
(なんて…綺麗な人―――!)
柔らかで白い肌、まどろむような濡れた翡翠色の瞳。さらりと流れる金髪は胸の辺りまでの長さがあって…まるで女性とも見紛うその人は、白い騎士の制服がこれでもかと言うくらい似合っていた。
「…大丈夫?」
まるで少年のような優しい声。
「だ…い丈夫、です。」
答えた矢先に軽い吐き気を伴って口元を押さえる。
すると美貌の青年は席を立ち部屋を出て…戻って来たと思ったらセラの隣に腰を落とす。
「どうぞ。」
微笑んだままセラに濡れタオルを差し出してくれた。
(おぉ、美しいばかりではなく何て気の効く人だろう!)
セラは必要以上に感激を覚える。
「ありがとう」
タオルを受け取り口元にあてがうとひんやり冷たくて、安心感が湧いた。
「大変だね…最初はそんな感じだけど一・二ヵ月で治まるものらしいから君も頑張って。」
そう言って優しく背中をさすってくれた。
(…?)
この人は事情を知っているのだろうか?
「あのぅ…」
一・二ヵ月もこんな状態の繰り返しなのだろうか…それはちょっと辛いなぁ…と考えていると。
マウリーの長く美しい手がセラに伸ばされ頭をその胸に抱き寄せられた。
意外にも逞しい青年の胸板に顔を埋め、セラは何が起こったのかと考える。
「大丈夫だよ。あいつは横暴でどうしようもない奴だけど、本当はとても優しい心を持っているから…絶対に君とその子を見捨てたりはしない筈だからね。」
(その子?ってどの子??)
セラはマウリーの腕の隙間から辺りを見回すと、扉近くに崩れ落ちた騎士たちの姿が目に入った。
皆目を丸くして口をパクパクさせている。
セラは青年の胸を押しやると、疑問の眼差しを向けた。
「おや?君は何て綺麗な瞳を持っているんだろうね。」
「は?」
異質な非対称の瞳の事を言っているのだろうか?
(この人ちょっと変かも―――)
この異質な瞳を見た時、初めは誰であっても驚きの色を浮かべる。その後は恐怖したり無視したりと大抵はその程度の反応。しかし初見で何の迷いもなく自然に「綺麗な瞳」などど言われた事はなかった。
美しすぎる青年に手を握られたうえに翡翠色の瞳で見つめられ、セラは恥ずかしさでいっぱいになる。
「マウリー、その手を離せ。」
騎士の制服に着替えを済ませたウェインが戻って来た。
「まったく…女とみれば見境ないその性格いい加減何とかしたらどうだ」
「人聞きの悪い事言わないで、君の物にまで手は出さないよ。」
「よく言う…」
ウェインはセラの手を握ったままのマウリーをセラから引き離した。
「どうせ本気じゃなかったくせに。恋人がありながらなびく方にも責任があると思うけどなぁ」
マウリーは自他共に認める女好きで、悪い事に人の物にちょっかいを出したがる妙な癖があった。確かにマウリーの言う通り恋人がありながらマウリーになびく女も女だが、完璧な美貌を誇り尚且つ女の扱いに長けたマウリーの口説きに耐えられる女も稀だ。そして他人の物を手にした瞬間…飽きて興味を失う。
今までにウェインも何人かの付き合いがあった女性を横取りされた覚えがあった。遊びの付き合いとは言え気持ちの良いものではない。
「でも君とウェインの邪魔はしないから安心してね。」
君の味方だよ…告げながらマウリーは再度セラの手を取りにっこりとほほ笑む。
「セラは俺の女じゃないぞ。」
その言葉にぴくりとマウリーの瞼が痙攣し、勢いよく立ちあがってウェインにくってかかった。
「君はそんなんだからいつも女に愛想尽かされるんだぞ!」
綺麗な翡翠色の瞳が怒りと…何故か使命感に燃えている。
立ち上がったマウリーはウェインと同じくらいに背が高かった。
「こんなにも可憐で儚げでいたいけな女性を妊娠させておいてその言い種は何だ!!!」
「「妊娠!!?」」
セラとウェイン、二人同時に驚きの声を上げた。
「まさか君がここまで酷い奴だとは思わなかったよ!こんなに可愛い人を悲しませるなんて…」
二人は既にマウリーの話を聞いてはいなかった。
「…お前…妊娠しているのか?」
「わたし…妊娠してるの?」
お互いに視線をかわして目をぱちくりさせた。
「…誰の子だ?」
取りあえず聞いてみる。
「ウェイン、その言い種は卑怯だぞ!」
マウリーの声などウェインの耳には届いていなかった。
まさかシール…の顔が脳裏に浮かんだがセラが現れたのは一昨日の話だ、あり得ない。あり得るとしたら父であるカオス王の方ではないのか?と、城での噂話が浮かんだ。
「さぁ…生まれてこのかた一度も子作りなんかした覚えないけど?」
二人同時にマウリーに視線を送る。
「あれ…その吐き気、悪阻じゃないの?」
つわり?
「人混みに酔っただけよ…あれ…??」
小さな騒動に気を取られているうちに目眩と吐き気が消えていた。
あんなに辛かったのが嘘のようだ。
「もう大丈夫になってる~ありがとう、マウリーさんのおかげかも!!」
同時にウェインの背後からどっと声が上がり、入り口でたむろしていた数人の騎士たちが部屋に流れ込んでくると一気に捲し立てた。
「その人団長の彼女じゃなかったんですか!」
「俺らすっかりそうだと思ってましたよ!」
「団長が親になるの想像したじゃないですかぁ!」
「俺サイファスです、お見知り置きを!」
名乗った騎士がセラの手を取ると次に出て来た騎士がサイファスを押しのけセラの手を奪い取り―――
「ティムです、どうぞ宜しく…」
「ティム、お前女がいるだろう!俺はクハンです―――」
次々と言葉を並べてはセラの手を取って名を語り挨拶を繰り返して行く彼らにセラは圧倒され、呆気にとられた。ウェインとマウリーは狭くはない部屋とは言え、一気に大の男達が雪崩込んで来た為に隅の方へと追いやられてしまっている。
「みなさん初めましてセラです、どうぞ宜しく…」
彼らの勢いに負け、ちょっと引き攣った愛想笑いになってしまう。
「君達~挨拶はその位にしてさっさと出て行きなさい!」
マウリーが両手を叩いて急き立てると追い出しにかかった。
「隊長ずるいですよ!」
「そうです、俺達を追い出すなら隊長も出で行くべきですよ!」
「煩い、僕は最初からここにいたから出て行かなくてもいいの。」
マウリーは他の騎士たちと一緒にウェインも外に追いやるとバタンと扉を閉める。
転じて静まり返った部屋。
「さて…邪魔者は消えたね。」
手をパンパンと音を立てて払うと、またもやセラの隣に腰掛ける。
「すっかり勘違いしちゃったよ、ごめんね。」
「い…いえ…」
セラは無意識に手を背後に隠そうとするが、その前にマウリーが素早く手を取って微笑みかける。
「僕は君みたいな子を待っていたんだ―――」
愁いのある真剣な翡翠色の瞳にセラは呑まれそうになる。
その時、バタンと大きな音を立てて勢いよく扉が開くと、怒りを湛えたウェインがずかずかと歩み寄って来た。
「マウリーっ!!!」
「ごめんごめん、冗談だってばぁ!」
マウリーは素早くセラから手を離すと両手を上げて降参の意を示した。
(マウリーさんってやっぱり変な人―――)
セラは二人の様子に苦笑いを浮かべた。