誘拐です
「そう言えば、何でお前みたいな娘がアスギルを倒す為に旅をしたんだ?」
カオスはルー帝国の騎士、ラインハルトは軍事大国ウィラーン王国の王子でフィルネスはアスギルに次ぐ力を持った魔法使いであったと言う。カオスとラインハルトは当時二十代中頃の年齢でフィルネスは年齢不詳だが三十前後と謳われる。その三人に交じって十代の少女がいたのはさすがに驚きだ。
「わたしが十三の時に皇帝が亡くなってからいくつかの国がルーの都を襲ったの。その戦争で死にかけた所を助けてくれたのがカオスだったんだ。」
皇帝亡き後…と言うよりも、軍事の要とも言えたアスギルを失ったルー帝国が陥落するのに時間はかからなかった。当時のアスギルはたった一人で一万の兵力に匹敵していた為に、ルー帝国が大国であったにも関わらず巨大な軍事力を持たなかったのも要因である。
異国の兵士が老若男女問わず残虐の限りを尽くす。
戦火の中で生き残った騎士たちは最後に帝国への忠義を命を賭して尽くす事よりも、自らを守る事の出来ない、逃げ惑う民を守る為に命をかけた。
セラは孤児院仲間と戦火を逃げ惑ったが皆殺されるか散り散りになり、共に逃げた一人が剣で胸を突かれるとセラは驚愕した。子供の命を奪って狂喜する男…こんな世界に一人にされる恐怖がセラを支配した。事切れる寸前の孤児の胸に必死になって手をあてがい、溢れる血を止めようと傷口が塞がるように念じるが鼓動は途絶える―――その時、背後で剣がぶつかり合う音が響いてセラは後ろを振り返った。
黒い騎士の制服を着た男が、敵将からセラの首に振り下ろされた剣を寸での所で受け止め、払いのけ様に騎士の剣が男の首を真っ二つに切断する。首が空を舞い、いびつな音をたてて地に落ちた。
セラが見上げた騎士の黒い制服は赤黒い返り血を浴びて更に黒く染まり、戦火の炎を照らして輝いて見えた。
騎士が振り返り大きな手を
差し出す。
その鋭い眼光に温もりが灯り、『大丈夫か』と優しく告げた。
それがカオスとの最初の縁。
その時のセラはわずかな治癒の魔法が使えた…と言ってもそれが魔法だと言う事すら知らずカオスに教えられた。その後都から少し離れた医者の集まる救護所に連れて行かれて、そこで一年程手伝いをしながら生活していた。
そしてセラが十四歳の時、カオスがアスギルを追う旅に出る前にセラに別れを告げに来たのだが、そこにラインハルトとフィルネスがいたのだ。
「フィルが…フィルネスが、わたしにはアスギルを超える魔法力が眠っているって言ったの。必要だから一緒に来いって。カオスは反対したんだけど…もう一人になるのが嫌で付いて来ちゃった。」
それからフィルネスがセラに魔法の扱い方を教えた。守護を基本とする魔法は直ぐに高等な物まで扱いこなせる様になったが、破壊系の魔法は制御が上手く出来ず、薪に火をつけようとした時に山を吹き飛ばす程の大爆発を起こして以来…フィルネスはセラに使用を禁じた。
「十四か…その歳でよく決心したものだな。」
怖くはなかったのか―――?
ウェインの問いにセラは俯いた。
「救護所では毎日人が死んだ、知ってる人も知らない人も…そっちの方が怖かった。」
普通その恐怖をもたらす魔物や闇の魔法使いに対して恐怖を抱かないのか?と思う。
当時は殆どの人間が自分の事で手いっぱいだっただろうにと、ウェインは自分が一四の歳で騎士団入りしたのを思い出した。
闇の魔法使いと戦い、その後は見事に国を統治する偉大なカオス王。王の血を引くウェインに生写しのようだと唱える先人は王のようにあれと口にし、何をするにしてもカオスと比べられ続けた。王のようにあれと顔を見る度に言われても、当のウェインはその王の雄姿を知らない。カオス王もアスギルとの戦いを語る事もなく、ウェインは右に出るものはないと語られるカオス王の剣捌きすら目にした事はなかった。
「ウェインは何で騎士になったの?」
騎士になった理由。
「ネチネチした文官は柄じゃなかったしなぁ。あえて言うなら反抗…かもな。」
カオス王は第一王子のシールに王位を継がせたかった。シールは早くから王に必要な才覚を現していたしウェインもそれが当然だと感じていたのでそれはいい。だがシールと共に育ったウェインはやる気もなかったせいかもしれないが、何をやってもシールに敵うものはなく、唯一、剣だけは特別努力しなくてもシールに勝った。それが表向きの理由で騎士団に入ったのだが、本当は剣技を磨いてそれをカオス王に認めさせたかったのかもしれない。
「何かと言えば王と比べやがるジジイ共に認めさせてやりたかったのかもな。」
少し矛先を変えて答える。
「強くなった?」
「さあな。取りあえずは騎士団で一番だが、肝心の王とは手合わせすらした事がない。」
「カオスは強いからなぁ…自分の身位は守れるようにって剣を教えてもらったけど結局は足元にも及ばないで終わっちゃった。」
カオスはセラに剣を教えた。
全く厳しさはなく教え方もこれ以上ない程に優しいカオスであったが、セラはそれなりに剣を身に付けた。しかしほぼ毎日剣を交えてもまたくカオスに歯がたたなかった。
セラがカオスに剣を教わった―――
その言葉にウェインは一瞬嫉妬のようなものを感じたが、セラの置かれた状況と自分が育った状況はまるで違うと思い直す。
セラは常に命の危険にさらされる時代に生きていた。こんな少女が剣を持って対峙せねばならなかったのは獰猛で容易く絶命させる事の出来ない魔物達で、その先にはウェインには想像もつかない魔法使いの存在があった。
そうこうしているうちに、二人は街の市へと足を踏み入れて行った。
「すっご―――いぃ―――!!」
こんなに人が集まる場所に来たのは何年振りだろうとセラは大興奮してはしゃいだ。
感嘆するセラにウェインは、それがさも自分の手柄でもあるかに「そうだろう」と相槌を打つ。
イクサーンの都の朝市は巨大である。
都として新しく作られたこの街は道幅も広く、街の中心を幅の広い石畳の道が突っ切っていてその中心に巨大な広場が存在した。その広場に月に数度、巨大な朝市が立ち都の人々がひしめき合う。
セラの記憶にあるルー帝都の朝市も巨大で素晴らしいものであったが、ここも負けじと劣らず立派なものだ。元はルー帝国時代の民が集まって作られたイクサーンであるのも理由の一つかもしれない。
新鮮な野菜に果物、花に骨董品、珍しい品やその場で直ぐに食べられる軽食諸々まで…馴染みから珍しいものまでが立ち並ぶ立派な市だ。これもイクサーンの安定の象徴の様であった。
セラは数年ぶりともいう人ごみの中で行き交う人々に体をぶつけながら進んで行く。
馴れた足取りで前を進むウェインに付いて行きながら、セラは通り過ぎる露店に目を向け喧騒を楽しんだ。
「お嬢さん、これどうだい!」
恰幅のいい中年女性がセラにガラス玉の付いた髪飾りを差し出す。
「ほら、こ~んなにあんたにお似合いだ。あんたの為にあるようなもんだよ~」
「ごめんなさい、わたしお金持ってないの」
営業トーク丸出しの女性はそれを耳にすると、今度は別の娘に今と全く同じ言葉をかけだした。
セラはそんな会話すら可笑しくて吹き出す。
平和で…楽しい。
セラが望んだ世界がここに戻って来た様だった。
セラは再び進行方向に体を向けると―――
「あれ…?」
ウェインがいない―――
きょろきょろと辺りを見渡してみるが、行き交う人々でごった返していて背の高いその人を認める事が出来なかった。
ドン…!と背中を押され、セラは取り合えづ前に歩き出す事にする。
「まぁ、何とかなるか。」
はぐれてしまったものは仕方がない。そのうち朝市が終わればウェインも見つかるだろうし、最悪自分で城に戻ればいいのだ。
セラは朝市の人ごみの中を楽しみながら観察して周り…そして…人に酔った。
「う~~ん…気持ち悪いぃぃぃ…」
空腹で歩き回ったのも悪かったのかもしれない。
セラは取りあえず人ごみを避けるために広場を出ると人通りを避けて歩き、そのまま道の隅で耐え切れずにうずくまる。
胸のむかつきと同時に目眩が襲った。
昨日入浴中に起こった目眩ほど強烈ではなかったがしばらく立ち上がれそうにない。
(休めば治まるかな…)
度重なる目眩に不安を覚える。
旅に出てから一昨日…アスギルと戦うまでの間セラは風邪ひとつひいた事がなかった。それなのに昨日今日と連日目眩が襲ったりと体に変調をきたす。これはやはり…アスギルの魔法を体で受けた事が原因なのだろうか…。
込み上げる吐き気に冷や汗が伝う。
「お嬢さん、具合が悪いのかい?」
その時、男がセラの肩を叩いて声をかけた。
セラが顔を向けると、そこには頬の扱けた初老の色黒い男がセラを覗き込んでいた。
男の口角が僅かに嫌らしく上がるのを目にし、セラは危機感を覚える。
「大丈夫です、連れが直ぐにきますから…」
「でしたらこの男をここに立たせておきましょう、お嬢さんはこちらで休むといい―――」
男の背後には屈強な用心棒と思われる連れが二人いた。双方、どう見ても極悪非道的人相。そのうちの一人がセラの腕を取って抱え上げようとするのを精一杯の力で拒否する。
「…離してっ、わたしに触るな―――っ!!!」
いつものセラなら容易く逃げられる筈のに、目眩と吐き気が邪魔して思うように体が動かない。
「まぁまぁお嬢さん、悪い様にはしないから大人しくしなさい。」
引き摺られながら裏通りへと続く脇道に連れ込まれる。
「嘘つけっ!だったら離せっっ、この人攫いっ!!!」
今のセラは魔法が使えない。しかも剣どころか武器になるような物は何一つ持っていなかった。
こんな状態で怪しい奴らに連れて行かれたりしたら逃げ出すのは難しい。いいとこ売られて娼館行きだ。焦れば焦る程考えは浮かばず、暴れるセラは口を塞がれた。
魔法が使えない、ただそれだけの事がこんなにも自分を無力に変えてしまうなんて―――!
「傷を付けるなよ、こんな上玉滅多に手に入らないからな。」
最初の声から打って変って冷酷で…嫌らしい声にセラは総毛立つ。
「―――んんんっっ!!!」
(離せこのやろ――――――っ!!!)
声にならない罵声で抵抗するが、もがけばもがくほど目眩と吐き気が増すばかりだった。