第1話 万引き少女
とある駅前。その一角にあるスーパーマーケットから一人の初老の女性が出て来た。
初老の女性は周囲を警戒しながら足早に立ち去ろうとしている。その女性の背後を狙う黒い影が近付いていたのだ。
初老の女性は黒い影に行く手を阻まれた。
「ヒッ…!?な、なんだい!?」
「……分かっていますよね?」
鋭い視線で睨まれた初老の女性は、黒い影に店内に引きずり込まれてしまった。
それから数十分後。
「お願いします!お金は払いますから!
警察には通報しないでください!」
「だったら最初から払いなさいよ。
捕まらなかったらまた逃げてたんでしょ。」
スーパーの店長が警察に通報し終えると、万引き犯はついに観念してうなだれた。
初老の女性は万引きの常習犯だったのだ。
「ありがとうございます!
万引きGメンさん!」
「…その万引きGメンって
呼び方やめてもらえませんか…?
恥ずかしいので…。」
「民間の警備会社から派遣された
諸星 黒瀬。それが私の肩書きです。」
万引きGメンとは、万引きの瞬間を捉え、その場で現行犯として身柄を押さえる役目を担っている警備員の通称である。
彼女、諸星 黒瀬は、若き凄腕万引きGメンとしてスーパー界隈では引っ張りだこの存在であった。
(…本来、私は刑事になりたかったんだが、
夢破れて、今やなんの因果が
万引きGメンなんてものをやっている。)
(お仕事は何をしているんですか?
なんて聞かれた日にゃあ、
それはもう答えにくい仕事だ。
…いろんな意味で。)
警察にはなれなかったとはいえ、犯罪を取り締まる立場になった黒瀬は、まんざらでもない気持ちで日々の職務を全うしていた。
万引きはとにかく多い。お店の商品と売り上げのため、万引きを繰り返し罪を重ねる人間を止めるため、黒瀬は世のため人のために働けているという喜びを噛み締めていたのだった。
そんなある日。
いつものように、黒瀬は店内で怪しい動きをする者がいないか目を光らせていた。すると。
(……あの子。)
小柄な中学生か高校生らしき少女が、辺りを見回しながらお菓子が列べられている商品棚の前に立っている。
落ち着きなく商品を目で物色している。だが、その両手は制服の上に着ているコートのポケットの中に突っ込まれている。カゴも持たず、本当に買う気があるのかと、そんな様子を漂わせていた。
(あれは……やるな……。)
日頃の経験から予測する。少女が商品を万引きしようとしているのではないかと。
(学生か……。頼むから
思い止まってくれ……。)
黒瀬は幾度も学生の万引き犯を取り押さえたことがある。最初は反抗的な態度で黒瀬に噛み付いてくるが、保護者や警察を呼ばれる段階になると泣き出してしまう。将来有望な若者が、その人生に大きな傷を付ける瞬間を目の当たりにするたびに、黒瀬は胸を痛めているのであった。
そんなことを考えている最中、黒瀬の願いも虚しく、少女はグミの袋を鷲掴みにすると、それをサッとコートの中に隠した。
そのまま少女は真っ直ぐスーパーの出口に向かっていく。
グミのために人生を狂わせてしまう少女に胸を痛めながら、黒瀬はすぐに後を追った。
少女は急ごうともせず、ゆっくりと店の外に出ていく。黒瀬はサッとその少女の前に回り込み立ちはだかった。
「へぇ…やっぱバレるんだ。」
黒瀬が万引きを指摘しようとする前に、少女は笑みを浮かべながらそうつぶやいた。
「お姉さん、万引きGメン?」
「……あぁ、そうだ。」
「ふふふっ…。本当にいるんだね。
万引きGメンって。」
余裕のある態度。万引きが見つかった犯人は大概しらばっくれるか、逆ギレをするか、しおらしく観念するかのどれかなのだが、この少女はとにかく落ち着き払っている。
「……とりあえず、お店に戻ろうか。」
いつまでも店の前で立ち話をしている訳にもいかない。黒瀬は逃さないように少女を店内に連れていく。少女は逃げる素振りも謝る素振りも見せない。大人しくそのまま黒瀬の後ろについていく。
スーパーの裏、そこには普段バイトの面接なんかに使う小さな部屋があった。白いテーブルとパイプ椅子2つが並べられている。
椅子のひとつに少女を座らせ、向かい合うように黒瀬はもうひとつのパイプ椅子に座った。
「商品をテーブルの上に出して。」
黒瀬が静かにそう促すと、少女はグミを一袋ポンとテーブルの上に置いた。
「……他には?」
「これだけ。」
少女は着ているコートを広げ、ポケットを裏返し何も入っていないことをアピールする。制服、背負っている鞄の中、全て確認するが、本当にグミ一袋だけのようだった。
「グミだけだから許される
なんてことはないよ。
何個でも万引きは万引きだから。」
「……そうだね。分かってる。」
「分かってるなら何故盗った…?
グミを買うお金もないのか?」
「……。」
そのくらいのお金はあるだろう。黒瀬はそう言おうとしていたが、少女は複雑な表情のまま黙って俯いている。
「……本当にお金が無いのか?」
「お金が無いならなんなの…?」
黒瀬のことを睨み付けながら、ここにきて少女は反抗的な目付きになった。
「お金が無いから許してあげる。
なんてことにはならないんでしょ?」
「悪いことをしたのは分かってる。
お店の人に謝れと言われれば謝る。
…でもあんたに謝る筋合いはない。」
「謝って許してもらえるなんて
そんな都合の良いことも思ってない。
警察に通報してくれて構わない。」
少女の目付きは鋭いが、その瞳からは生気を感じなかった。警察に捕まるために盗んだかのような態度だった。
「……君、ご両親は?」
万引きは犯罪だ。警察沙汰になるのは本来避けられないが、学生となればまず保護者に連絡するとそう相場が決まっている。
「一応、ひとりいるけど。
いないようなもんだよあんなの。」
そっぽを向きながらそう言い放つ少女。その様子だけで複雑な家庭環境が垣間見えていた。
「ウチの母親は親父に不倫されて、
そんですぐ離婚したんだよ。」
「それから母親の様子がおかしくなって、
ウチのことなんか目もくれずに
男遊びするようになった。」
「……。」
「今の話で同情してもらおうなんて
これっぽっちも思ってないからね。
お姉さんが聞きたそうな顔してたから
しょうがないから教えてあげただけ。」
「ウチより大変な子なんてこの世には
いくらでもいるから。甘えだよこんなの。」
「一人で生きなきゃいけないのに、
それも出来ない甘えた子供。それがウチ。」
「……警察に通報してよ。いつまでもウチの
相手してたってしょうがないでしょ。」
少女の話を聞き事情を把握した黒瀬は、自分がこれからやろうとしていることに自分で呆れながら、大きく溜め息をついた。
「な、何よ……?」
「閻魔大王様は地獄に落ちたがってる
悪人を地獄には送ってやらないんだと。
喜ばせてしまうからって。
……なんかの漫画で言ってた。」
「ま、漫画の話かよ……。
それがどうしたっての?」
「だから私はあなたを警察には
引き渡さない。」
「…私があなたの面倒を見る。」
「はあああああああっ!?」
突然の黒瀬の衝撃発言に、少女は放心状態になる他なかった。