1 ヴォルフ様の領地ヘ向かいます
馬車の窓から流れる景色を見て私はため息を付いた。
何もない田舎の村から旅すること数日、一つ山を超えしばらくすると大きな町へと入った。
「クレア、あなた何が不満なの」
前に座っている母親が私の顔の前で扇をヒラヒラさせた。
「マリッジブルーじゃない?」
私の隣に座っている弟のヘンリーが意地悪く笑っている。
「あら、そうなの?急に結婚が決まったものね。不安なのはわかるわよ。でもよかったじゃない。お相手はクレアの大好きな美形だし」
母親の言葉に私は首を振った。
「そう、お顔は凄く好みだからうれしいの。心配なのは狼が怖いってことよ」
「狼は僕も怖いな」
狼という言葉にヘンリーも顔を曇らせた。
急に決まった私の結婚相手は、狼将軍と呼ばれている31歳の辺境伯。
狼将軍ことヴォルフ・リュハネン様はかなりの美丈夫で、蒼に近い灰色の髪の毛は長く、三つ編みにして前に垂らしているがそれがとても似合っているお方だ。
24歳の私とは少し年が離れているし、私はけっして美人でもないのでかなり気後れしているのもある。
そしてうちは貧乏男爵で、領地も豊とはいいがたい。
全く接点のない我が家に突然、狼将軍から婚約の申し出が来たのだ。
辺境伯である狼将軍との縁談を断る訳もなく、了承の返事をするとすぐにヴォルフ様は我が家に挨拶に来た。
噂にはきいていたが、初めてお会いしたヴォルフ様は想像の倍美しく、絵の中から出てきた伝説の騎士様の様な姿の彼に私は恋に落ちてしまったのだ。
その日のうちに婚約を済ませて、婚約期間はヴォルフ様の領地に慣れるためにもあちらで過ごしてほしいという事で、現在移動中である。
狼将軍は、わが国と隣国との国境を代々狼を使って守っているらしい。
狼を自在に操り、数々の勝利を収めているという事だ。
獣を操るというのはどうやって?と疑問に思うが、狼将軍と呼ばれているからには本当の事なのだろう。
と、いうことは、ヴォルフ様の家に狼が居るかもしれないという事だ。
「一目でヴォルフ様に恋に落ちたくせに、狼ぐらい我慢しなさい」
母親の言葉に私と弟はムッして顔を見合わせた。
「狼ぐらいって言うけど、私たちは狼が苦手なのを知っているでしょう。あの幼い日、ヘンリーが雪山で行方不明になって私が探してあげたけど寒さで命が無くなりそうだったから山小屋へ逃げたら、窓から狼がおじさんを食い殺すのを見たのよ。だから狼は苦手なのよ」
何度も何度も母親にあの日の出来事を話すが、私たちの恐怖を分かってくれない。
ヘンリーもあの日の出来事を思い出して顔を青くさせる。
「幼かった僕もよく覚えているぐらいトラウマの出来事だったよね。雪が降る中、姉さんと山小屋で避難していたら、聞こえてくる狼の遠吠え。窓から外を見るとおじさんが走ってきて狼の群れがおじさんに嚙みついてさ、真っ白な雪に血だまりができて次は僕たちが殺されると思ったもんね。怖かった」
「狼に襲われなかったのだから良かったじゃない」
私とヘンリーはムッとして母親を睨みつけた。
「良くないわよ。あの狼事件から私、犬すら苦手なのよ」
「わかる!獣の匂いが無理になったよね。狼ぐらいの大きさの動物も無理だし」
ヘンリーと頷き合っていると、母親が扇を私とヘンリーの間でヒラヒラさせた。
「うるさいわねぇ。何十年も前の話を。あんたたちが勝手に山に行って迷子になるのが悪いのよ。あの日、母さん達も山の中を探し回ったんですからね。あれ以来私も山と雪が嫌いよ」
「お母さんの嫌いとは違うわよ。私たちは狼が人を殺すところを見たのよ。それなのに、狼将軍の所にお嫁に行ったら、狼のお世話をしないといけないかもしれないじゃない。無理よぉぉぉ」
顔を覆って叫んでいる私にヘンリーは慰めるように背中を叩いてくる。
「諦めなよ、姉さん。もしかしたら、狼と接しているうちに慣れるかもしれないよ」
「絶対にないわ。ヘンリーならわかるでしょ。狼って聞いただけで震えるもの」
ヘンリーは私から目を逸らして、頷いた。
「理解できる。でも、姉さん狼将軍のこと好きでしょ」
「顔が好みすぎたの。なんで私に求婚してきたのかしらね」
顔を上げて母と弟を見ると、二人とも首を傾げた。
「さぁ?普通の平凡な顔が好みだったとか?」
ヘンリーの酷い言いように、彼の脇腹をつねった。
「言っておくけど、あんたも同じような顔しているのだからね」
「僕だって自分がカッコいいなんて思ってないし」
痛がりながらも言い返す弟は全く可愛くない。
「ほらぁ!喧嘩しないの!窓の外を見てごらんなさい。凄い活気のある町よ。王都ぐらい栄えているのではなくって?ヴォルフ様の領地は凄いわねぇ」
母が手に持っていた扇で外を指しているので、ヘンリーと一緒に馬車の中から外を見た。
確かに、田舎の我が村とは大違いだ。
お洒落なお菓子屋やドレス屋さんなどが並んでいる街並みは人で溢れており、とても辺境とは思えない。
「鉱山があるから人も多いし、盗賊みたいなのも多いから狼将軍が守っているらしいよ」
ヘンリーが町を見ながら言う。
「へぇー。結構物騒なのね」
私が頷くと、母とヘンリーがため息を付いた。
「お嫁に行く所の勉強ぐらいしてきなさい。こんなんでやっていけるのか心配だわ」
確かに、母親の言うとおりだ。
言い返すこともできず思わず頷いてしまった。
「まぁ、無理なら戻ってくればいいよ」
優しい弟の言葉に思わず抱きしめてしまう。
「ありがとうヘンリー」
「はいはい、仲がいいのはいい事ですけど、そろそろ着くわよ」
私とヘンリーの顔の前で扇をヒラヒラさせながら母が言った。
私たちを乗せた馬車は町を抜け、小高い山の上へと向かった。
木々を抜けると大きなお屋敷が見えた。
馬車が止まったのでドアを開き我先にと飛び降りようとすると大きな手が差し出された。
驚いて手を差し出した相手を見ると、ヴォルフ様が微笑んで立っている。
「ヴォルフ様」
深い灰色に近い青い髪の毛に、蒼に近い灰色の瞳、黒い軍服がよく似合っている。
見とれていると後ろから弟が背中を押した。
バランスを崩した私を大きな手が支える。
「大丈夫か?クレア」
低く美しい声にまたうっとりしそうになり、慌てて頷いた。
「はい、ありがとうございます」
精いっぱいの笑顔で答えると、ヴォルフ様は嬉しそうに微笑んで私の腰に手をまわして、から続いて降りてきた母と弟に頭を下げた。
「遠路はるばるお越しいただきましてありがとうございます。お疲れでしょう」
「とんでもございませんわ!ふつつかな娘ですがよろしくお願いしますわね」
満足そう言う母に、ヴォルフ様は頷く。
「もちろん、大切にお守りいたします。今夜はごゆっくりお寛ぎください。館に案内しましょう」
そう言って、私をエスコートしながら歩き出した。