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最期の手紙

 まるで意味のわからない話を恐るべき速度で畳み掛けられて、俺はところどころ意識を飛ばしていた。恐らく自らの許容範囲を超えていたのだろう。やはりこの女、物怪もののけに憑かれているのではないか。ジジイがわざわざ声を潜めて釘を刺してきたのも納得のぶっ飛び具合だ。


 それでも、五人の求婚者のくだりになってから胆力たんりょくを取り戻した。自分に並々ならぬ好意を向ける男共への言い草は聞いていてムカムカする。皇子や大臣への態度は不敬以外の何物でもなく、正妻と離縁をし、手負いにまでなった大納言を「知ったこっちゃない」とばかりに歯牙にもかけない様子に、俺は自分の眼が吊り上がるのを感じていた。このまま麿足の死まで愚弄したら、この几帳きちょうを引き倒してやる。


 そう思っていた所に、こちらへ声がかけられたので、俺も少し居ずまいを正した。困って微笑んでいるような声音だった。


「……顔が怖いのは生まれつきで」

「おかしなひと。貴族というよりは武士もののふのような方ですね」

「自他ともに認めるところです。麿足はそんな変わり者とも付き合ってくれる、私の数少ない友人でした」


 麿足の名を出すと、かぐや姫はしばし押し黙った。重い沈黙に耐えかねて、ジジイは何かむにゃむにゃと言いながらババアを呼びに出て行った。

 この部屋には姫と俺の二人だけだ。

 これは、もしかすると好機チャンスなのではないか?

 今ならこの几帳を乗り越えて、この物怪の顔を──。


「燕の子安貝は、通信装置です。ちょうどあの貝のような形をした、連絡用の道具で……文、というよりは早馬そのものと言うべきでしょうか。あれがあれば、わたくしは、元の世界に連絡をとって……家に帰れるかもしれなくて」


 立ち上がりかけたところ、宝の話が続けられた。子安貝が文だの早馬だのという意味はわからないが、葉に歌や文を書く例は聞いたことがある。そのようなものだろうか。


「実際に、鳥が巣作りの材料として持ち去ってしまった可能性も考えました。だから、本当に、鳥の巣を確認したらどこかにあるのかもしれなかった。だからきっと、石上中納言がなさっていたことは、まったく無駄なことでは、なくて、少なくとも……わたくしにとっては、ですけれど……」


 だんだん、声が小さくなっていく。俺は立ち上がり、几帳に手を掛ける。


「結局あなたは、自分の家に帰るために麿足や他の者を利用して、必要なものを探させていたと。そういうわけですね」

「……まさか亡くなられる方が出てくるなんて、思わなかったんです!」


 姫君とは思えぬ大声に、反射的に几帳から手を離してしまった。


「ダメでも諦めてくださるだろうと。だって、実際に大伴大納言は逃げてくれたじゃないですか! まさかそんな。あんな、一番若くて、まだ、将来だってある方が、亡くなるなんて思わないじゃないですか!」

「……もちろん、麿足だって本意ではなかったさ。命あってこそ恋ができるんだから。しかし、自分の身の危険など二の次になってしまうほど、あなたのことしか頭になかった。そうでなければ、今際いまわの際に、あなたに文など送るものか」


 几帳の内から、カサリと紙が擦れる音がした。下の隙間から、文が差し出されるのを見下ろした。


「……本当は、いただいた文は、誰からのものも、全て捨てようと思っていたのです。こちらから送ることもしたくは無かったのです。わたくしがこの時代にいた痕跡を残したく無いですから。

 それでも、わたくしはお見舞いの文を差し上げました。『子安貝をお持ちいただくのをお待ちしております』という旨の歌を書きました。わたくしがこの時代に来て、文を差し上げたのは、石上中納言だけです。そして、いただいたこのお返事はどうしても捨てられませんでした。中納言は、人に紙を持たせ、自ら筆を取ってお書きになり、書き終わると同時に亡くなったそうです」


 しばし迷って、膝をつき、文を取ることにした。几帳から見える指先は、俺が今まで見た誰よりも細くて白く、爪は桜貝のようだった。視線を麿足が書いたという文に戻す。アイツは、激痛の中、命を削って、最期にどんなことを書いたのだろう。恨み言か、睦言むつごとか。

 文を開いてすぐ、あまりに荒れた文字の連なりに衝撃を受けた。几帳面な細い字を書く麿足が書く字とは思えなかった。所々かすれて乱れており、書く手の震えも目に見えるような、アイツの命の燃え殻のような三十一字みそひともじが、そこに在った。



「かひはかく ありけるものを わびはてて しぬるいのちを すくひやはせぬ」



 その歌を声に出して読み上げたところで、胸の奥を握りつぶされたような心地がした。次の瞬間には口から嗚咽が漏れ、ハッとして口を押さえるけれど、今度は目から涙が溢れてきた。



──こうしてあなたから手紙をいただけて、貝は無くても『甲斐』はありましたが……悲しみながら死んでいく私の命を、救ってはくださらないのですか。



 こんな歌をどんな心境で書いたのだろう。お人好しのアイツのことだから、この女からの文を純粋に嬉しく思ったのだろう。それでも、この救いを求める言葉は……きっとこれは問いかけではない。「救ってはいただけないのでしょうね」という、諦めの一言なのだ。


 勝手にぼたぼた落ちてくる涙と鼻水を袖でゴシゴシと拭いた。くそ、袖を濡らす相手が男になるなんて思わなかった。激痛の中こんな歌を遺す根性があるなら、もっと蹴鞠や弓矢の稽古に付き合えよ馬鹿野郎。筋肉痛くらい我慢できただろ。

 かぐや姫は、俺が落ち着くまで待っていた。


「……わたくしを、罵らないのですか」

「……こんな悲しい歌を詠むくらいなら、俺に何か言葉を遺してくれれば良かったのにとは思う。それでもアイツは、残り少ない命を削ってもいいくらいに、あんたのことが好きだった。あなたを悪く言って、麿足が俺の夢枕に立って毎夜泣くのはごめんだ。せめてその歌を一生忘れないで、アイツの想いに呪われてほしいと思う。本当は他の誰よりあんたに救われたかったんだから、アイツは」


 鼻をすすりながら乱暴に言い放った。


「本当に、そうですね」


 かぐや姫の声が、少し湿っていた。

 それを聞いて俺は、半ば反射的に、俺たちの間にある几帳を引き倒した。

 大きな音がして、几帳が倒れる。


「はっ!?」


 結論から言えば、まともに顔を見ることは叶わなかった。向こうのほうが少し上手うわてで、顔を隠すのが思ったより速かったのだ。それでも、赤くなった鼻と濡れた目を見逃さなかった。


「……あんたも人間、か」


 姫に背を向けると、音を聞いてすっ飛んできたジジイが見えたので大袈裟にひざまずいて謝罪しておくことにした。


「失礼、立ち上がるときに几帳の端を踏んでしまった。どさくさに紛れてご尊顔を拝見できなかったのは残念ですが、今日はこれで退出いたします」


 そのまま大股で部屋を出て、ジジイの見送りは待たずに外まで一気に行って牛車に乗り込んだ。牛飼童に行き先を告げる。


「田舎に行くぞ。竹林見学だ」

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