友の死
友の訃報を聞いたのは、ある晴れた日の夕方だった。
何も知らない俺は、泊まりがけで出かけていた蹴鞠の会で好記録を叩き出してゴキゲンだった。真っ赤に染まる美しい夕焼けに宛てた和歌を詠み、牛車の中では普段やらない笛まで吹いていた。調子はずれの笛の音を聞いて、牛飼童がわざとらしく咳払いをする。
「そう嫌がるなって。帰ったら麿足にコツでも聞くよ。家に着いたら早速文を出さないとな」
「はあ……あれ、旦那ぁ、屋敷に使いがおりますよ」
窓から顔を出してみれば、うちの前にその友人の家の文使いが裸足で立っている。俺の牛車を見つけると、全速力で駆けてくるので、思わず笑った。
「なんだ。考えることは同じかよ。こちらから送る手間が省けた」
しかし、使いが文杖を差し出す手はガタガタ震えている。嫌な予感がして、もぎ取るように文を取った。そこには麿足の父君の筆跡で、麿足が死んだことと、日頃の付き合いの礼、しばらく喪に服す旨が書かれていた。
麿足が死んだ。
すぐには理解できず、タチの悪いたくらみや冗談であってほしいと思ったが、あの真面目な父君がそんなことに協力するはずがなかった。麿足とて、そのような不謹慎な戯れはできない男だった。
家に帰るのはやめ、牛車を麿足の家に向かわせる。先ほどまでは愉快ですらあった牛の歩みののろさがもどかしく、方違の必要があるか確認する時間も惜しかった。
「結婚したい人ができた」と言っていた。
いい年をして奥手でめそめそして、恋がなかなか上手くいかないアイツが初めて本気になったと聞いた時は、複雑だった。恋が上手くできない者として同志のように思っていたのに。それでも、友人を祝福する気持ちは無くはない。会えばその女の話ばかりでも、我慢して聞いた。俺も普段、麿足の興味を引かぬような弓矢や蹴鞠の話ばかりしているのだから、こんな時期くらいはなんでも聞いてやろうと思ったのだ。
ただ、恋にうつつを抜かす者にありがちなことで、しょっちゅうその女の元に通うようになって、俺と遊ぶ回数が減ったのはつまらなかった。
もう半年以上、麿足と蹴鞠してない。
麿足の屋敷に着くと、取次役の下男も振り払って大股で上がりこんだ。こちとら脚力には自信があるんだよ。
「麿足は!」
大声を出すと、父君が……坊主頭になった父君が真っ赤に腫れた目を隠そうともせずこちらに近づいてきた。
「ああ中将殿。息子は既に荼毘に。連絡が遅くなり申し訳ない」
「なんでまた急に。数日前までピンピンしていたじゃあないですか。意味がわからないことはしていたけど」
惚れた女からの注文で「燕の子安貝」とやらを探すとかなんとか言っていた。そんなものが実在するわけがないとは言ったが聞く耳持たず。まあ放っておけばそのうち諦めるだろうと思っていたのだが。最近では家の者を使って至る所の軒先を確認していたという噂は聞いていた。
俺の言葉を聞くと、父君がめそめそと泣き出した。泣いている顔はアイツにそっくりだった。
「その意味がわからぬことが原因で死んだのです」
「はあ?」
信じられなかった。父君の口から語られたのは、あり得なさすぎてもはや恐るべき事件だった。
燕の子安貝を求めていた麿足は、家人だけに捜索させるのがもどかしくなり、ついに自ら燕の巣を確認しに登るようになった。その方法というのが、カゴに入り、井戸のつるべの要領で家人に引っ張り上げさせるというやり方だったのだが、それが災いした。その日、アイツは子安貝らしきものを掴んだと言って騒ぎ、慌てた家人が誤って綱を離してしまった。それで運悪く鉄の鼎の上にまともに落ちた。さらに、自分が掴んでいたものが燕の糞だとわかった途端、心と一緒に腰まで折れたらしい。そういう体を張ったネタは要らない。
「これがその糞です。愚息が、床まで離さなかったので、捨てるに捨てられず。かと言って黄泉にまで持って行かせるようなものでもありませんし……」
父君は、半紙に包んだ燕の糞を俺に差し出して、よよと泣き出した。弔問客に燕の糞を見せるとは、いよいよ弱っている。しかし、家族や本人にとっては、この糞もただのクソではないのだろう。同情する。
それにしても、俺がいないうちに勝手に死んだことはもちろんだが、許せないのは最期の手紙を送ったのが、あのかぐや姫だということだ。そんな薄情な女なんかにじゃなく、友人に送ってくれたらいいじゃないか。そうしたら、鞠なんて遠くに蹴っ飛ばして、駆けつけたのに。
ふつふつと怒りが湧いてきて、涙を流すどころじゃ無くなったので、父君に礼をしてすぐ、家に帰った。それからすぐに宮中にいる事情通に文をやって、返事を待つ間にこれからのことを考えることにした。庭の大きな石に腰掛けて、月を眺める。麿足がこの世にいないのなんてお構いなしに、月の野郎は今日も美しい。こんな夜には、麿足の笛の音が欲しいのに。もうずっと聞いていないぞ愚か者。
憎たらしいことに、例のかぐや姫とかいう女には、毎日のように笛を聞かせていたらしい。
その女のどこにそこまでの、命を賭けるほどの魅力があったというのだろう。あまり興味がなくて、麿足から聞いた話も断片的にしか覚えていない。
「……そうだ」
ふと、思い立って声が出た。
「あの女の顔を見てやろう」
親友が死ぬほど恋焦がれた女の顔が見たい。
それは俺にとって、悶々として燻る怒りや、胸の奥の方に凝り固まった歪な悲しみをぶつけるのにふさわしい目的だと言えた。