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森のくまさん

 クラッヒト邸から東に馬車で三時間ほど、マルスの足であれば三十分程度、先日地竜と出会った森とは違う森。先日の森より小規模であり、侯爵家管理の禁足地で冒険者なども近付けない、正にマルスの狩りにうってつけの場所である。


「近くに集落も無し、ちょっと位派手にやっても問題ないしここなら思いっきりやれるな!」


 準備運動を終えてベルに貰った包みを開く、中には焦げ目が香ばしい素朴なビスケット、トーマスに差し入れた物の残りだろうか? 貴重なおやつをもたせてくれた事に感謝し、大切に齧りながら森を観察する。


「見たところ周囲には生き物は居ない……ってことはやっぱ森の中に入らなきゃだな……禁足地って話だけど一体何が居るのか……」


 目の前の森は深い闇に包まれ1メートル先の様子も見えない、当然ながら街灯も無いこの世界では仕方ない事であろう。このような闇の中で狩りなど出来る物だろうか? 視界を塞がれ野生の獣を、まして魔物を相手取る、どう考えても無謀……だが何か策があるのだろうか? マルスの瞳には一切の恐怖は浮かんでいない。


「こういう時は……うん……考えるな……感じろ……! よし! 行くぞ!」


 どこかの功夫映画のような言葉を呟き森に駆け出すマルス、要するに無策である……。果たして映画の受け売りだけでこの闇の中で魔物を相手取る事が出来るのだろうか……?



……



「っと、これで三匹目……ふぅ、意外となんとかなるもんだなぁ」


 ……出来ていた。


「とりあえず食べる分は確保できたかな? よし! さっさと解体しちゃおう!」


 森の中の拓けた場所でナイフを取り出し解体を始めるマルス、月明かりだけの視界だが闇に慣れたマルスの瞳には不都合は無い、魔狼の筋肉の構造を観察しながら手早く解体を進めてゆく。


「ほうほう、こんな筋肉してるのか……やっぱ後ろ脚が発達してるな……こんな風に鍛えるにはどうしたら……。それにしても騎士長に解体の仕方教えて貰っておいてよかったな~、内臓は処理が手間だから捨てといて……狼の肉は余り美味しくないけどこの際贅沢は……」


 ふと、何かに気付いたマルスが解体の手を止める、周囲が静かすぎる……先程まで響いていた虫の音がパッタリと止んでしまっているのだ。首筋に感じるピリピリとした緊張感……これに似た感覚……それは地竜に相対したあの時の……。


 グロロロロ……フゴッ! フゴッ!


 森の奥から唸り声と共にミシミシと木々を軋ませる音が近付いてくる。迫り来る巨大な気配……月明かりに照らし出されたそれが涎を振り撒きながら獰猛な雄叫びを上げた。


 グルルガアアアアアァァァァアアア!!


「……っ! 黒羆(ブラックベアー)! なんでこんなところに!」


 黒羆は体長5メートル程の熊の魔物、頭が良く、金気の物を持った人の気配を感じれば避けて通る程度の知恵がある。それが冬眠前でもあるまいしなぜ……?


「……っ血の匂いをさせすぎたか!」


 空腹の黒羆には解体中の魔狼の血の香りはさぞかし蠱惑的に感じられただろう、血の匂いにナイフの金属臭が掻き消され黒羆の警戒心を薄れさせたのだ……。

 まぁ、それ以上にマルスは気付いていないがマルスのような幼い子供がこんな夜中に森の中に居る、どこをどう考えても黒羆にとって降って湧いた最高のご馳走である事は否定しようが無い。


 グルルル……ガフッ! ガフッ!


 二足で立ち上がり、両手を上げる熊族特有の威嚇の姿勢……いや、この場合はご馳走を見つけた歓喜のハンズアップ、地竜より体躯は小さいとはいえその膂力(りょりょく)で自身より大きな獲物を悠々と狩る黒羆は森の中において悪夢のような存在と言える。

 ……だがそのような相手を前にしてもマルスの瞳は内に秘めた闘志を隠すこと無く燃え上がる。


「ふふふ……狼よりも強そうだ……さぁ……()ろうっ!」


 マルスが構えるのが合図であったかのように黒羆の後ろ足が地を抉り、砂塵を置き去りに疾走する。大振りの鎌より尚大きな爪が風切り音を立てて頭上を通過、同時に辺りに満ちる濃密な獣臭……鼻腔を刺激する黒羆の吐息の匂いを吸い込み、全身の関節を駆動させた渾身の一撃が黒羆の腹部に波紋を立たせた。


「っっ! 硬ったぁ……っ!」


 トラックのタイヤでも殴ったかのような感触にマルスが堪らず跳び退る、それもそうであろう、分厚い毛皮に野生の鍛え上げられた筋肉、人の数倍は丈夫な骨格にそれらを纏った熊は哺乳類の中でも最強と言われる一角、例え武器を持とうとも力の差は埋まるものではない、更にマルスは素手……手持ちの武器は解体用のちっぽけなナイフのみ……。


 グルル……フーッ! フーッ!


 先の一撃でのダメージはほぼ無い、それどころか黒羆の神経を逆なでしたに過ぎない。彼我の戦力差は絶望的……。しかしそれでいて尚マルスの口角は引き上がり、黒羆を見詰める瞳には期待と愉悦すら浮かんでいる。


「……楽しいっ! 楽しい楽しい楽しいぞ! さあもっとかかってこい! もっと楽しもう! さぁ! どっちが強い(うえ)()り合おうっ!!」


 正気の沙汰ではない、たった六歳の子供が身長は自身の五倍、体重に至っては百倍を超える相手にこの啖呵。だが本人はそのような事を気にする素振りも無く勇猛果敢に懐に潜り込み、羽虫を払うように繰り出される前足を躱し、いなし、固めた拳を叩き込む。

 ……どれだけ時間が流れただろうか? 幾度も幾度も繰り返される攻防……やがて黒羆は気付く、目の前に居るこのご馳走がただのご馳走ではないことに。

 空きっ腹を揺らしいつもの縄張りを巡る最中(さなか)、美味そうな匂いに誘われ来てみれば滅多に見かけない極上のご馳走が無防備な姿を晒していたのだ、彼は自らの幸運に歓喜した……だがどうだろう? 軽食気分でつまもうとしたご馳走の思わぬ抵抗、最初は味付け程度の余興と高をくくっていた、しかしこの小さな生き物はこれまでに狩ってきたご馳走達とは全てが違っていた。

 どんな獲物も切り裂いてきた爪がことごとく躱され、数え切れない命を喰らい千切ってきた牙が空を切る。血の上った頭が認識を改め警戒心を取り戻した頃には時既に遅く、その小さな()の放った貫き手が彼の裂けた毛皮の隙間に滑り込んでいた。


 ……激痛、そして体内で何かが潰される感触……自らの身に何が起きたのか、なぜ自分が敗れたのか、答えを探し揺蕩(たゆた)う彼の意識はそのまま闇の中に吸い込まれていった……。


……


「ふぅっ! 楽しかった~~!!」


 地響きを立てて崩れ落ちた黒羆を前に両手を天に突き上げマルスが勝利の雄叫びを上げる、それにしても巨大な黒羆との戦いを終え安堵ではなく『楽しかった』……。豪胆というかなんというか……。


「魔狼達は……あ~あ、こりゃ肉団子ならぬ泥団子……。勿体ないなぁ……まぁ、黒羆が獲れたからいいか♪」


 魔狼は残念であったが遙かに巨大な黒羆を前にマルスは大興奮、が、そのテンションのまままたこの場で解体を始めたら新たな魔物を呼び寄せてしまう。手早く腹を割き内臓のみを掻き出し少し軽くなった黒羆を担ぎ上げ、木々の隙間をぬって森を出る。


「あ~っ! 思わぬ収穫だった! 解体したら早速食べて……あとは……う~ん……」


 思わぬ大物に喜んだはいいものの流石にこのサイズは食べきれない、解体を終え火を起こし、筋肉を観察しつつ思案するマルスの目の前で黒羆の肉がもぞもぞと動き始める。


「ふむ……前脚がやっぱり格好いい……!? な、何? 何で動……へっ? な……なんだこれ!?」


 一体何が起きているのか? 肉の動く先に回り込んだマルスが目撃したのは……。


「か……カワウソ……?」


 数匹のカワウソ……と言うには大きすぎる1.5メートル程の獣が熊肉を咥えて引っ張っている、余りにも大胆な犯行にただ見つめるだけしか出来ないマルス、そもそもいつから居たのか? マルスともあろう者がこの距離に近付かれるまで気が付かないというのは有り得ない……が、現にそこには可愛らしい泥棒が尻をふりふり綱引きの真っ最中である。

 ……と、ようやくマルスの視線に気付いたのか、カワウソ達が肩を跳ね上げ茂みの中に避難する、びくびくしながらも時折顔を出してこちらを伺っているのを見る辺り、よほど腹が減っているのか肉が諦めきれないのであろう。


「う~ん……野生動物に餌をあげるのはなぁ……」


 野生動物に餌をやると人慣れしてしまい動物のためにもならない、都市の条例等にも定められている互いの領域を侵さない為のルール……。と、思考しつつマルスは気付く、こっちの世界ではそんなルール無いじゃん? 可愛いじゃん? お腹減ってるっぽいじゃん? なら……ちょっと位いいんじゃない?


「……ま、どうせ一人じゃ食べきれないしね、ほら、持って行きな」


 マルスが差し出した肉を引きずりカワウソ達が森の中に消えてゆく、去り際にこちらに向かい頭を下げた気がしたのは気のせいか? 案外強かで賢い獣なのかも知れない……。


「さて、そんじゃしっかり食べて帰って寝よ……あっ……」


 意気揚々と舌舐めずりしながらお待ちかねの肉に向き直り、炎に照らし出された自らの体を見てはたと気付く、服にべっとりとついた汚れ達……。戦闘時の泥汚れ、これはまだいい、だが黒羆の心臓を握り潰した際の返り血、解体の際についた血汚れ、これらは流石にどうしようも無い。


「うわぁ……血の汚れは流石に落ちない……よね? どうしよう? 洗って置いておいても抜け出したのがバレちゃう……」


 マルスの脳裏に浮かぶのは激怒したお母様(ジャクリーン)の顔……。深夜の外出がバレた日にはお説教フルコースからの部屋への監禁……ましてやベルの協力がバレたらそちらにも迷惑が……。

 悩んだ末にマルスの出した答えは焼却炉での証拠隠滅。……だが帰宅して焼却している際に夜間巡回中のマリーに見付かり、おねしょの後始末の嫌疑をかけられ顔から火が出る思いをするのだが……それはまた別の話である。

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