お出かけ
「よっと……誰も……居ないな? よしよし♪」
深夜のクラッヒト邸に蠢く影、そう、言わずと知れた不良少年である。先日の魔物討伐の祝宴、食べきれぬ量の肉を前にし皆満足ゆくまで大いに飲み食いする事が出来た。その祝宴の最中にはたと気付く。
『肉が足りないなら狩りに行けばいいんじゃない?』
この至極まっとうな考えにどうして早く考えつかなかったのか、思えば前世の世界では狩りをするにも猟師は認可制、狩るための武器すら一般人は所持は許されていなかった。だがこの世界ではどうだろう? 狩りに関しての法整備は特に無く、獲物は狩った人間の総取り、しかも都合良く魔物と呼ばれる駆除対象がしょっちゅう湧いて出るという。
「たんぱく質の確保に悩んでたけど考えてみれば最初からこうしてたら良かったなぁ」
「なるほどなるほど、で? どうしたらよかったって?」
「いや、魔物を狩ればいつでもお肉が……っっ!? ベル!? 何でこんな夜中に!?」
意気揚々と壁を乗り越えた所を背後から話し掛けられマルスが肩を跳ね上げる。月明かりに照らされたのはマルスと大して歳の変わらぬ少女、母親によく似た金髪碧眼、可愛らしい顔を期待に輝かせこちらをじっと見詰めている……。クラッヒト家のメイド、マリーの娘のベルである。
困った相手に見付かった……、マリーがマルスの乳母であった経緯からマルスとベルは姉弟のように育ってきた、主従ではあるもののやはり子供同士の仲、お姉さん風を吹かせるベルにいつもマルスは振り回されっぱなし。まぁ前世を含めれば圧倒的にマルスの方が年上だが……年上の余裕を見せんとあえて振り回されていた結果、現在ベルに頭が上がらないというよく分からない関係に落ち着いてしまっているのである。
「トーマス様の研究を見せて貰ってたらあなたが抜け出してたのが見えたのよ、んで? お肉を手に入れにだっけ? ねぇ、どこ行く気よ?」
「はぁ……こんな夜中に未婚の女性が男性の部屋を訪ねるとか……」
「あら? それは奥様もご承知よ? うちの母様も玉の輿~って乗り気だし、外堀を埋めるなら今からってね♪」
可愛らしくウインクしてみせるがなんとも強かで末恐ろしい……。まぁあのお母様の事である、からかいついでにと嬉々としてけしかけているのが目に浮かぶ。なんだかんだとトーマス自身もベルを憎からず思っているのは事実だが、気を付けねば自身も遠大な計画をもってして縁談を進められるかもしれないのは背筋が薄ら寒くなる。
「んで、一体どこに行く気? 未来のお義姉さまとしては義弟が危ないことをするのは見過ごせないわねぇ?」
「危ないって……トーマス兄様の研究室に篭もる方がよっぽど……」
「私はいいの! 未来の旦那様のお仕事をお手伝いするのは当然! 今からきちんと手綱を握っておかなきゃ!」
「手綱……」
まあ年齢より遙かにしっかりしているベルのこと、そういった意味での期待もあってジャクリーンはトーマスを任せているのだろう。トーマス自身もよもやベルを危険に晒す訳にはいかぬと分かっている為、実際ベルが研究室を訪れている日は今の所爆発や事故は起きていない。
「まぁ、隠しても仕方ないか……ちょっと森に魔物を狩りに行こうと思ってさ」
「魔物を? ……あぁ、それでお肉? そんなことしないでも領主様一家なら私達よりたっくさんお肉食べてるでしょ?」
「いや、食べてると言えば食べてるけどさ、きちんとした筋肉を作るには全く足りないんだよ」
確かに領主邸の食事は普通の子供の成長に必要な栄養という意味ではきちんと足りている、だが日常のほぼ全てをトレーニングに費やすマルスにとっては圧倒的にカロリーもたんぱく質量も足りていない。
今でこそ成長期の子供の為と余分に食べても咎められないが『貴族は領民の為を思ってこそ』が座右の銘であるクラッヒト家において、いつまでも暴飲暴食が咎められぬ保証もないのである。今後の更なる飛躍を目指すならば栄養源の確保は切実な問題なのだ。
「はぁ……あなたはいつもいつも口を開けば筋肉筋肉……脳みそも筋肉で出来てんじゃないの?」
「いや~それほどでも……」
「……褒めてないわよ? ま、いいわ、止めてもどうせ出て行くんでしょ? ならここは取り引きといこうじゃないの」
「取り引き?」
首をかしげるマルスの前にベルが人差し指を突き出しチッチッと振る。
「口止め料ってやつよ、魔物を倒して魔石を手に入れたら私に頂戴、それが黙っておく条件♪」
「魔石……? 何で?」
魔石とは魔物の体内に稀に生成される魔素の結晶、主にアクセサリーや魔法の触媒に使用され……と、ここまで考えてはたと気付く。
「あ~、トーマス兄様に渡すのね」
「今トーマス様が研究してる魔法に魔石が大量に必要なのよ、かといって私達のお小遣いじゃ高くて手が出せないし……。マルスはお肉が目的で魔石はいらないんでしょ? だから魔石はこっちに譲ってよ♡」
明らかに不平等な取り引き、魔石というものは専門の研究機関が買い集めているため市場には滅多に流通しない、出てきたとしても質の悪い粗悪品が驚く程の高値で……という代物、口止め料には行き過ぎな要求であろう……だが……。
「いいよ、じゃあ魔石は見つけたら全部そっちに渡すね」
「っ……いや、即答? かなりふっかけたつもりだったのに」
「う~ん、まぁ僕はお肉が手に入ればいいし、魔石持ってても見つかって出所追求されたら困るしね」
「あなたは欲が無いっていうかなんというか……まあまだ六歳だもんね……。ほんとどっか大人びてると思えばどっか抜けてるし、不思議よねあなた……」
訝しげにこちらを見詰めるベルの視線に一瞬ドキリとする、ベルの透き通るような瞳に見詰められると心の奥底まで見透かされているように感じる。どこかで感じた……と思えば頭に浮かぶのは頼もしき母上の顔……。
「……? なに? 私の顔に何かついてる? あ~っ! 今更魔石は渡せないとか無しよ!?」
「ははは、いや、ベルは将来いいお嫁さんになるんだろうなって」
「も~! 褒めても何も出ないわよ? あっ? もしかしてマルスも私を? 駄目よ~私はトーマス様一筋だから♡」
何も出ないと言いつつ懐から出した包みをこちらに押し付けてくるベル、おだてに弱い辺りはまだまだ子供、マルスは手を振り続けるベルに手を振り返して夜の闇の中に駆け出していった。