入国
ギイイイィィイ……ガチャン!
金属の軋む不快な音を立てて頑強な金属製の格子の扉が閉じられる。重罪人や通常の牢では危険な生物を閉じ込める為の特別な牢、その中に捕らえられたるは困惑した表情のマルスが一人。廊下の遙か向こうではラスティの抗議する大きな声が聞こえるが、やがてそれも分厚い牢の扉が閉まる音と共に掻き消える。
「え~っと……なんでこうなったんだろ?」
石造りの壁を眺めつつため息をつくマルス……。時は少し遡る。
……
「ふぃ~っ! よ~やく国境を越えましたね~♪」
「あとはあっちの関所で入国手続きをしたらオッケーだね」
先日の襲撃騒ぎから二日、国境となる川を渡りマルス一行は隣国アスガルの領土に入り入国手続きの列に並んでいた。アスガルは先の戦争では最終的には同盟国として共に轡を並べ戦った仲、その流れから現在も国家間の交流が盛んである。
「初めての外国だから緊張するなぁ」
「アスガルは同盟国ですから危険は無いとは思いますが、何かあってもいけませんから気を付けて下さいね。油断してたら誘拐とか強盗とかそういうトラブルに巻き込まれますよ?」
「ハハハ、やだなぁ、誘拐されたりしないって、僕ももう子供じゃないんだからそう簡単に攫われないよ?」
「キュルウ?」
ラスティの忠告を笑うマルスにヴィルが『そういうことじゃ無い』とばかりに尻を押す、ラスティが心配しているのは誘拐されたり強盗にあったりではない、それらを撃退した際に発生するゴタゴタを避けるための忠告である。
「まぁ何事も無ければ良いんですがね……」
ラスティはまだ何やら言いたげだがため息一つついて口を閉じる。トラブルを避けたくてもあちらから来る分には避けようのない物、只その際の力加減を間違えないことこそが肝要である。
何かの拍子に力加減を間違い、相手が物理的に消失したとなってはその後の旅にも差し支える。
「よう、兄ちゃん、いい女連れてんな? どうだ、良かったら一晩貸してくんね~か?」
……言うが早いかどこにでも居るのはこういう輩である。いやらしい目付きで全身を観察され、ラスティは背筋に怖気が走るのを感じる、一人で居る時なら半殺しで勘弁してやるところ……。だが今はマルスの前、更には騒ぎを起こすなと忠告したばかりである、流石に余りにも間が悪い……。と、マルスが男に怪訝な顔をして尋ねる。
「貸してって……一体何するんです?」
「なっ……何って……そりゃ、決まってんだろ?」
「あぁ、そうですか! 組み手ですか?」
「組み手っていやぁ……組み手……だなぁ、そりゃぁ……」
マルスの質問に男が思わずたじろぐ、純粋な興味からの無垢な視線……。そこに映る自己を省みるは羞恥の極み、周囲からの生温い視線も相まり男がどんどん小さくなってゆく。
「組み手だったらラスティは凄いですよ」
「すっ……凄いって……そりゃぁ……」
「屋敷の中でも僕の相手が出来るのはラスティ位でしたからね、一日中組み手が出来るのはラスティ以外にはなかなか……」
「一日中……だと! この……エルフのねぇちゃんと……!?」
「ちょっ! ちょっとまーくん! 何だか会話が噛み合ってないですよ! この人が言ってるのはですねぇ? ってか周囲の視線がっ!」
「ふぇ? 何か間違えてた? 噛み合わないって……何が?」
マルスの無垢な視線が今度はラスティに容赦なく注がれる、眩しい……直視出来ない……直視しようものなら浄化されてしまう。自らの奥底に眠る汚れた性根との戦い、どうしよう、誤魔化さなければ、だがいっそそういう方向に舵を切るのもやぶさかではない……? いやいや私は何を考えて……。一瞬の内にラスティの脳内は今までに無い処理能力を発揮してオーバーヒートする。
「兄ちゃん……負けたよ、あんたらの間に割って入るのは野暮ってもんだな……。もしかしてあんたら新婚旅行か? だったらすまねぇ! 邪魔して悪かっ……ゲボッ!?」
「あ~~っ! もう! これ以上話をややこしくすんな! まーくん! こういう輩の話は聞いちゃ駄目! いいですね!?」
「あ、はい、えっと……うん、そうする」
訳知り顔で納得した様子の男を、顔を真っ赤に染めたラスティが思い切り蹴り飛ばす。騒ぎを起こすべきでないが羞恥に勝てるだけの余裕がなかった、だが、反省しようがもう時既に遅く……。
「貴様ら! 何を騒いでおるか!」
関所から飛び出してくる衛兵達、ざわめく民衆、肋骨を粉砕され虫の息の男……そして大人しく連行されてゆく二人と一匹……。なにはともあれ入国には成功したが……、波乱に満ちた幕開けは英雄の冒険譚にはうってつけ、と言えないでもない……のだろうか?




