大英雄と王
「はぁ……なんだかなぁ……」
ベッドの上にゴロリと寝転がり窓の外の星空を眺める、光を放つ宝石箱、だが決して手が届くことは無い……。まるで今の自分を現しているようだとマルスは思う。恵まれた才能、恵まれた環境、最高の教師……全てを満たすこの環境で目指す頂は遙か遠くまだその全貌すら摑めない。
大それた夢なのだろうかと思う、だが超えるのは自分をおいて他に無いとの自負もある。堂々巡りの思考が頭を煮やし、考えれば考える程思考の迷宮に迷い込む。
「ねぇ、ヴィル? 僕……強くなれてるのかな?」
「キュル……?」
ヴィルが大丈夫だよとも言いたげにマルスに寄り添い頬ずりする、思えばこの五年で互いによく成長したものだ、自身はいつの間にかラスティの背を越しダグラスと肩を並べるまでになり、ヴィルに至っては元の倍以上、首筋にはヴィードラのような鬣も生えてきている。
大きく、強くなる度に更に父の強さが、偉大さが身に染みて分かる、永遠に高くそびえ立つ壁、それは理想の目標であり同時に打ち勝たねばならぬ呪いでもある。自身が強く成長するのと同じに偉大なる父も日々成長を続けているのだ。
このままここに居て父を超える事が出来るのだろうか? 頭に浮かぶ不安を振り払いヴィルの鬣に顔を埋める。理想の環境理想の教師理想の生活……それらを超える物を見つける事が出来るのならば……。
……
「伯父上、お久しぶりです。珍しいですね伯父上がこのような場所に顔を出されるのは」
晩餐会の会場となるホールの片隅で、フリードがようやっとといった様子で椅子に腰掛けた所を呼び止められる、優しげな表情に赤みがかった茶髪、物腰柔らかなクラッヒト家の長男、トールである。
「珍しさついでに珍獣にでもなった気分だよ、どいつもこいつもジロジロと……挨拶の行列もやっと途切れた所だ。それで、トール、今日はお前がダリスの名代か?」
「父上が何事も経験だと……あと折角だから嫁を見つけて来いとも言われましたね、まだまだ学びたいことも多いのでそんなことに現を抜かす暇はないのですが……」
現を抜かす暇……全くクラッヒトの兄弟は揃いも揃って研究家気質というか凝り性というか……。といえど可愛い甥っ子ももう二十過ぎ、先日内々に婚約を発表したトーマスに加えラスティの動き次第ではマルスにまで追い越される事になりかねない。長男としての体面もある以上この晩餐会は正念場とも言えよう。
「まだまだと言うがな、早い内に結婚して、しっかり支えてもらうのも悪くはない物だぞ? まぁ、お前の母上のようなのに捕まってはたまったものではないかもしれんがな」
「伯父上、万が一母上の耳に入ったらただ事じゃ済みませんよ?」
フリードが慌てて口を押さえ何とも言えない緊張感が場を満たす……と、どちらからともなく吹き出し、笑い出す。
「おや、これは珍しい……マスクル卿が王都においでになるとは……流石に辺境領に篭もるのも飽きられましたかな?」
「おぉ、これはこれはテイケレッグ卿、最近まで何やら臥せっておられたと聞きましたが大事はありませんか? 病の際には獣の肝を焼いて食うと精が付くと言いますが……先日我が領で地竜を狩りましてな、献上品として王都に持って参りましたがよろしければお譲り致しましょうか?」
肝と言われて明らかに口角を引き攣らせるテイケレッグ伯爵、五年前のマルス達の襲撃からこちら、ようやくトラウマを乗り越えた所にこの追撃、何も言い返せず拳を震わせるテイケレッグ伯爵を見、事情を知っているトールが笑いを堪えるのに必死になっている。
「ご……ゴホン! 気遣い有難く思いますが遠慮させて頂きましょう、ですが滅多に自領を出られぬマスクル卿が王都においでとなると何かあるのかと勘ぐってしまいますな……」
「ハハハ、なに、息子の見聞を伸ばしてやりたくてですな、諸国巡りの旅に出す許可を頂きに参ったのですよ」
「なっ……た、旅……ですと?」
「えぇ、自領内で篭もりきりでは思考が偏りますからな、諸国を巡らせ学ばせようと」
「ほぅ……それは素晴らしいお考えですな! 陛下の御許可が出ますようお祈り致しておきましょう、それでは私は他の方々にも挨拶をして参ります。いずれまた……」
「ええ、またお会いしましょう。」
去り際に何やら含みのある笑いを浮かべいそいそと退出して行くテイケレッグ伯爵、挨拶にと言いつつ会場から出て行っている辺り読みやすくて助かる御仁である。
「伯父上、よろしいのですか? そのような情報を与えて……マルスに危険が……」
「ふふふ……なに、あのハゲが何をしようとマルスの障害にはならん、この機会に国を割ろうとする不届き者の力を削いでおけば後々が楽だろう?」
まるでイタズラ小僧のように屈託無く笑う伯父を見てトールが溜息をつく、伯父上がそう言うのなら問題は無いのだろう、実際トーマスの婚約の報告会で久し振りに会ったマルスは幼少期以上に研ぎ澄まされていた。
まるで伯父上がそこに居るような存在感……。だがそれ故に不安もある、そのような力を持つ者を世に解き放って果たしていいものだろうか? だが、伯父上もマルスも神から称号を賜りし聖騎士、例え王が首を縦に振らずとも勝手に旅に出てしまうだろう……。
国際問題にならなければ良いが……。トールは楽しそうに笑う伯父の横顔を見てもう一度大きな溜息をついた。
……
「久しいのぅフリードよ、息災であったか?」
「御無沙汰しておりまして申し訳ございません、陛下もご健勝で何よりで御座います」
宮廷の応接室に杯を前に向かい合う二人、深々と頭を下げたフリードが顔を上げたのが合図のように、グランヘリオス王国国王、アルグ・フォン・グランヘリオスが堰を切ったように笑い出す。
「ガハハハハハ! 堅苦しい形式だけの挨拶は終わりだ! よく来たな、フリード」
「そちらも変わりないですな、いや、少々太られましたか?」
「ぐぬ……痛いところを突いてきよる……。まぁ痩せすぎよりは健康的よ、じゃが……お主は逆に以前より逞しくなっておるな」
「錆び付いておられぬ事情がありましてね、もう一度……夢を見たくなったのです」
二人が同時に杯を傾け、干された杯がテーブルに乾いた音を立てる。空の杯に目を落とし余韻を楽しむフリードに酒瓶を突き付けアルグがにいっと笑う。
「妹が死んでからというもの、枯れゆくお前を心配していたが……もう大丈夫なんだな? 全く……以前とは別人のように活き活きしおって。やはり原因は例の息子か?」
「えぇ、私の全てを受け継ぎ、そして超えていくであろう逸材です。この歳になってようやく出会えた、間に合った、今私は嬉しくて堪らないのですよ」
「お前がそこまで言うのだからさぞかし自慢の息子なのだろうな、で? 珍しくお前が酒に付き合ってくれている、何か頼み事があると見たが?」
「実は……終戦時に頂いた褒美の権利を息子に譲りたいと」
ふむ……とアルグが顎髭を弄りつつフリードが傾けた酒瓶を杯で受ける。フリードが戦中に立てた功績は数知れない、褒章も勲章も渡し尽くして褒美に苦慮した先王の交わした約束……。
「つまり、諸国巡りの旅に出る権利……か。そのような事、聖騎士であるお前も息子も伺いを立てずとも自由に出来ように……。律儀なことだな」
「聖騎士である前に私はあなたに仕える騎士なのですよ、それに亡き妻の願いもある……」
「この国を守ってくれ……か」
「えぇ、そして頼りない兄を支えてくれと」
「ゲホッ! ゴホッ! あやつめ……どういう頼み事をしとるんじゃ、まあ儂としてもお前が居ることはありがたい、こうして気兼ねなく酒を酌み交わせるのはもうお前くらいのものだ」
「王子達がいらっしゃるでしょうに」
「か~っ! 分かって無いのぅ! あやつらときたら酒を控えろだの運動しろだのと煩くてかなわん、仲が良いのは良いが息を合わせてああだこうだと……酒の味が分からなくなる」
「姫様はどうですかな? 成人された事ですし酒の飲み方を覚えねばなりますまい」
「ああ、あれはいかん、酒を飲んだら惚気を延々聞かされる事になる。お前の甥のトールと言ったか? あやつにご執心でのぅ……」
フリードが意外とばかりに目を丸くする、いやはや朴念仁と思いきやなかなかにあの甥も隅に置けない……。立場に反し浮いた話がないのは姫様の牽制の賜物であったか……。
「じゃがいくらモーションをかけても一向に気付かんと愚痴ばかりじゃ、立派な領主になろうと気張るのはよいが……流石に鈍感に過ぎるとのぅ……」
「ハハハ……あやつら三兄弟は小さな頃からああですから、似たもの兄弟で困りますな。全く誰に似たやら……」
「誰に似たのかと言えば心当たりはあるがのぅ?」
アルグの視線に気付いたフリードがハッとした表情を見せ、バツが悪そうに酒をあおる。
「全く、あの頃は毎日毎日フリードフリードと愚痴を聞かされ耳にタコが出来たわ、全く、本当に誰に似たのやらじゃのぅ」
「いやはや……昔の話を蒸し返すのは……」
「い~や! 今日は儂の愚痴にしっかり付き合ってもらうぞ! たまには儂のガス抜きに付き合え!」
日が沈み、夜が更けても宴は続く。翌日警備の兵士が目撃したのは、いつになく機嫌の良い国王とゲッソリとした大英雄の姿だった。




