剛よく柔を断つ
「やっ! はっ! おりゃあっ!」
もはやマルス専用の鍛錬場と化した平野に今日も威勢のいい掛け声が響く、マルスがマスクル領に来て数ヶ月、日々欠かさず繰り返された組み手と基礎トレーニングにより、平野にあったはずの岩や木々は平に均され大地はまるで岩盤のように踏み固められている。
「くっ! 良い動きですけど……まだまだ甘いっ!」
マルスの突きを最小限の動きで軌道修正しラスティがマルスの懐に潜り込む、前回はここで勝負あり……となったのだが、同じ手にやられてばかりのマルスではない。
「これで終わ……わひゃっ!?」
マルスの腹に寸勁が叩き込まれようとした刹那、背筋を奔る悪寒に思わずのけ反ったラスティの眼前を凄まじい勢いで膝が通過する。
「っ! 惜しい!」
「惜しいもなにも当たったら死んでましたよっ! ったく顎が割れたらしばらくご飯食べられないでしょっ!」
そのまま深く身を沈めたラスティの水面蹴りをマルスが膝蹴りの勢いを利用しバク転で回避する。常人では目で追う事叶わぬ程の速度の攻防は互いの命に手が掛かる間合いで絶えること無く繰り返される、だが嵐のようなその只中で当の本人達はまるでそよ風と戯れるかのように楽しげだ。それを見守るヴィルも参加したそうにうずうずしているが入り込む隙間が無いほどに彼等の力は肉迫している。
「ほんっと~に! 毎度毎度どんだけやったら倒れるんですかっ!」
「まだまだぁ! まだ足りない! もっと……もっと!!」
呆れた風を装いつつも律儀に毎日組み手に付き合うラスティ、なんだかんだと言いつつも彼女も組み手が……いや、マルスの成長を観察するのが楽しいのだろう。
教えた事を素直に吸収しそれを即座に応用出来る、そんな優秀な生徒に教えるのは教える側にとっても楽しくて堪らない。ただ……それを座学でも披露して欲しいというのは少々欲張りであろうか?
「今日こそは! 勝ぁつ!」
「毎日毎日突撃猪みたいに突進するだけじゃぁラスティちゃんには勝てませ……っ!?」
いつものマルスの突進、いつもの突き、いや、厳密には毎日欠かすこと無く成長を続けているその攻撃。いつものように受け流そうとしたそれが凄まじい重みを持ってラスティの腕にのし掛かる。いつもの撃ち抜く突きではなく止めを使った突き、逃げ道を失った力がラスティにのし掛かり、返す左の突きが体勢を崩したラスティに襲い掛かる。
まずい! このままでは……! 考えるより早く自由な左手が魔法文字を描き、地中から這い出した木の根がマルスの体を拘束せんと伸びかかる、だがマルスの足を、胴を拘束しようとしたそれらがマルスの踏み込み一撃で千々に千切れ飛んでゆく。
背筋を奔る悪寒、脳裏をよぎるこれまでの半生、目の前に迫る拳が自らの頭蓋を砕く……いや、血煙に変える明確なイメージ……。生まれて初めて感じる明確な死の予感……。硬直したラスティの眼前に死を纏う拳がビタリと静止し、遅れて吹き抜けた風がラスティの髪を激しくはためかせた。
「それまで! やったなマルス、ついに一本とったな!」
「はい! 父上!」
二人の組み手を見ていたフリードが片手を上げ、それにマルスが合わせた掌がパチンと軽快な音を立てる。その音にようやく気を取り戻したか、固まったままだったラスティが操り糸が切れたかのように後ろに倒れ、受け止めたヴィルの毛皮に埋まったまま自身の顔を触ってしきりに確認を始める。
「あ、ある……? 鼻、目、口、耳……皮膚……? あ、ありますよね? ラスティちゃんの可愛いお顔! ちゃんとありますよね!?」
「大丈夫、いつものラスティだよ」
マルスの笑顔を見てラスティが心底安心したように溜息をつく。無理も無い、先の一撃はそれ程の……心の弱い者ならば錯覚により命を落とす程の……。
「はうぅ……死んだかと……死んだかと……」
「なんだ、あの程度で……」
「あの程度って!? あの程度って言いますか? あれ当たってたら首から上無くなってますよ? それに自分で戦況をコントロールしてる時と出来ない時じゃヤバさが違うんですよ! ってか精神が死んだって勘違いしたら本当に肉体も死ぬことあるんですからね!? あ~……もうトラウマになりそう……」
「もっと鍛えんからだ、体の作り方は教えてやっただろう? あれなら効率良く……」
フリードが言いかけた言葉にラスティが慌てて人差し指を口の前に立てる……が、マルスは既に目を輝かせフリードの次の言葉を待っている。一瞬しまったという顔をしたフリードだったが息子可愛さには勝てず、溜息を一つつき言葉を続ける。
「ま、まぁ……マルスにはまだ早いと思うんだが……」
「父上! どんな鍛錬法なのですか!? 教えて下さい!」
食い気味に詰め寄るマルス。厳しく、厳格に、そう己に誓いマルスに相対するフリードだがこの『父上』の一言で毎度骨抜きにされてしまう。百戦錬磨の大英雄がこのような場所で敗北を繰り返していようと誰が知ろうか。
「あ~、初めに言っておくが無茶だけはするんじゃないぞ?」
「はい!」
元気に返事をするマルスだがそれを眺めるラスティとヴィルは知っている。一般人にとっての無茶はマルスにとっての手加減、死を意識するレベルで初めて普通、マルスが無茶をするとなると何が起きることやら……。
「マルス、お前は頑丈な筋骨を作るにはどうすればいいか知っているか?」
「まずは栄養、次に鍛錬、そして休息です」
「うむ、栄養に関しては狩りで肉を手に入れればいい、あとの鍛錬と休息だが、鍛錬とは詰まるところ筋肉の破壊だ、厳しい鍛錬により筋肉を破壊し休息する際に再生され以前より強い筋肉が作られる」
フリードの弁を聞きマルスが目を丸くする、この魔法頼りの世界で肉体の作り方についてここまで正しく認識していようとは。やはりフリードの強さには秘密があるのか? その秘密を今知る事が……!?
「つまりその破壊と再生の効率良い方法が?」
「その通りだ、マルスは魔力暴走は知っているな?」
知っているもなにもトーマスがしょっちゅう魔力暴走させて血達磨になっていた、それが引き起こす現象に関しては知りたくなくても知らざるを得ない環境であり、母上には魔力の扱いに関して慎重を期すよう強く言い含められていたのだ。
「魔力暴走は行き場を失った魔力が体内を暴れ回る現象だ、その際に体中の魔力経路がくまなく破壊される、そして魔力経路は体中の筋肉を網目のように巡っている」
「なるほど! ……でも、負荷のかからぬ破壊で効果はあるのでしょうか? それに暴走させたら全身から血を噴いて二週間は寝たきりです、いくら筋肉の破壊が出来ても……」
「そこで活躍するのが回復魔法だ、破壊された筋肉をその先から回復させてゆく、負荷に関して言えば肉体が破壊されきらないように全力で押さえつける。それが負荷になるって事になるな、そして、慣れれば常時その状態を維持する事も可能だ」
フリードがマルスの眼前に突き出した指が魔力のブレを見せた瞬間に突如爆ぜ血を噴き出し、そしてみるみるうちに傷が塞がってゆく。
「……確かに理にかなっている、やはり父上は凄いです! そんな手があるなんて思ってもみませんでした!」
満面の笑みを浮かべてはしゃぎ回るマルス、その姿を満足そうに見守るフリード。だがラスティはいち早く不穏な空気を感じ取っていた。
「っっ! まーくんちょっと待っ……っっ!!」
「よ~し! それじゃぁ……」
ラスティの静止虚しくマルスを中心に景色が歪む程の魔力が凝縮され、そして風船のように弾ける。凄まじい魔力の乱流が辺りを吹き抜け、あとに残されたのは血達磨のマルス……。
「うっ……うわああぁぁあっ! マルス! しっかりしろマルス!!」
「あ~っ! だから言わんこっちゃない! そもそもまーくんはまだ回復魔法覚えてないでしょ! ちょっとおやかたさま離れて! 回復出来ないでしょーが!」
ラスティの迅速な治療によって一命を取り留めたマルスだが無理が祟り一ヶ月もの間療養を強制され歯嚙みする事になる、動けぬマルスにこれ幸いと群がる座学の講師達に囲まれ、マルスは自らの考え無しを深く深く反省するのであった。




