柔よく剛を制す
「う~ん……かかってこいって言われても……」
「な~に言ってんですか~、女性は殴れないとか言っちゃうの? 世の中半分は女の子なのにそんな甘ちゃんでど~すんですか?」
マスクル邸から少し離れた荒れ地と言って良い雰囲気の平野、爽やかな青空の下対峙するはマルスとラスティ、だが臨戦態勢のラスティに対しマルスはどうにも及び腰なようで……。
「組み手がしたいって言うからラスティちゃんが出張ってきてるんですよ~? こ~んな美少女メイドさんと組んずほぐれつ組み手が出来るなんて中々無いチャンスじゃないですか、何が不満なんです?」
確かに組み手がしたいとは言った、だがそれはフリードに相手をしてほしかったのであってラスティに対してのものではない。確かにフリードが仕事に追われて相手が出来ないというのを代役を買って出てくれたのはありがたいとは思うが……。
どうしても無理ならヴィルも居るし、その、なんだ、線の細い女性相手ではどうにも調子が狂うと言うか……第一怪我をさせないか不安で本気で拳を振るうことが出来ないではないか。
「不満というか何というか……」
「あ~っ! もしかして怪我させたら~? とかって考えてます? チッチッチッ、ラスティちゃんの職業がなんだと思ってんですかメイドですよメ~イ~ド! パーフェクトなメイドであるラスティちゃんが怪我なんてするわけないでしょう!」
……マルスの知っているメイドとラスティの言うメイドに齟齬があるというか何というか……。メイドというのは世話係であって戦闘職では無いと思うのだが? こうも自信満々に言われるともしかしてそうなのかも……と思わされてしまわないでもない。
「それじゃぁ信用して相手してもらうよ」
「おぅおぅいつでもかかってきなさい! ラスティちゃんのメイド力を見せ付けてやろうじゃありませんか!」
「じゃぁ……早速……戦ろうか!」
互いに構えを取るのを合図にしてマルスが大地に足型だけを残し間合いを詰める、通常であれば目で追うことすら困難、残像を置き去りにしたマルスの拳がラスティに届く刹那、マルスの体が宙に浮き上がりその勢いのまま地面に叩き付けられる。
「っっ……っは!?」
「ふっふ~ん、どうです? ラスティちゃんもなかなかにやるでしょ~?」
「ケホッ……今のは……合気……?」
「お~、ご存じでしたか、その通り! 後の先の奥義! 相手の力を倍返し! 何を隠そうラスティちゃんは合気を極めたパーフェクトメイド! 簡単に勝てると思ったら大間違いなのですよ!」
なぜこの世界にそんな技術が、とも思うがこの世界でも柔の精神が発展していても何ら不思議ではない、人の強くなりたいという探究心の深さをマルスは自分自身で体現し続けているのだから。
だが、さてはてどうしてこの合気の達人に対してマルスはどう立ち向かえばいいものか……? 考えても答えが出ぬ時の答えは至極簡単。戦っている内に感じ取れ、である。
「それじゃ改めてっ!」
マルスが全身のバネを使い飛び起きると共に砂塵を残して消失する。先程より更に速度を上げたマルスの蹴り、今度は手加減無しの本気の蹴りが炸裂しようとする瞬間、ラスティの右の手の甲が蹴りの軌道を逸らし、そのまま半回転した勢いで左の裏拳がマルスの鳩尾に叩き込まれる。
「うぐっ!? かっ! はっ……っ」
「チッチッチッ、甘~い、でも今の蹴りは良かったですよ~? 鋭くて強いいい蹴りです、まぁでも女の子に向けるには少々物騒ですね~♪」
鳩尾から肺腑に衝撃が突き抜け呼吸がままならない、だが、口の端から笛を鳴らすような音を奏でながらマルスの口角は引き上がる。
楽しい! 嬉しい! 父上だけじゃない! ヴィードラだけじゃない! まだまだこんな達人が世の中には居る! しかもそんな達人がこんな身近で相手をしてくれるなんて! メイドとはここまでのものか! これ程までに強い者なのか! 実家に里帰りする事があれば是非ともベルにも立ち合ってもらおう!
……出来ればそれは止めてあげて欲しい。
「うぬぬ? 何ですか笑みなんか浮かべちゃって~? もしかしてまーくんはドMさん……おわっとぉ!?」
「まだまだぁ……もっと……もっと……ケホッ、これだけじゃ足りない! もっと! もっと戦りあおう! もっと楽しもう!!」
「……あちゃ~、こりゃドMじゃなくて狂戦士の類い? 何か変なスイッチ入っちゃったみたいですが……い~でしょう! その全部ラスティちゃんが受け止めてあげましょう! さあお楽しみはこれからですよ!」
怒濤の勢いで繰り出されるマルスの拳が、蹴りが、手刀が、全てがいなされ、流され、躱される。だがその技術を、力量を、今の自分との差を感じるほどに胸に灯る炎は燃え上がる。
「よっ! はっ! ほっ……っっ! ってか激しすぎ……っ! スタミナお化けですかこの一族はっ!」
ラスティが悪態をつきたくなるのも無理も無い、矢継ぎ早に放たれるマルスの攻撃は留まることを知らず、しかも全てが一撃必殺の威力、巨大な突撃猪の突進を真正面から頭蓋ごと打ち砕く拳である。ラスティでなければ既に腕の原形が無くなっていてもおかしくない。
何度も何度も、投げられようが大地に叩き付けられようがお構いなしに瞬時に体勢を立て直し再び襲い来る相手。控えめに見て悪夢、正直に言えば地獄である。永遠に続くかと思われる地獄、いやマルスにとっては天国、だが永遠などというものはこの世に存在せず、つかの間の蜜月は終わりを告げる。
「っっ! うわっぷ!?」
「ふい~、終わり終わり! 今日はここまで~」
「ちょっ! 今魔法使ったでしょ! さっきまであんなとこに木の根っこなんか無かったよ!」
言われてみれば確かに、マルスが転倒した辺りに見慣れぬ頑強な木の根が……と、あれよあれよという間にするすると痕跡も残さず地面に吸い込まれていく。
「あのですねぇ! 朝ご飯食べてからず~っと組み打ちしっぱなしで三時間ですよ三時間! か弱い乙女になんつー重労働させるんですか! それにこれ以上やったら手元が狂って殺し合いになりかねません! 安全を期す為にも終わり終わり!」
「でも……面白くなってきてたのに……」
「面白くても楽しくても駄目です! これ以上は飢え死に……もとい! ラスティちゃんの玉のお肌に傷がついたら責任取ってくれるんですか? お嫁に行けなくなるのはお断りですよ!」
責任……という言葉に一瞬マルスの顔が赤くなる。あれ? これもしかしたら一押ししたら玉の輿イケるんじゃね? とラスティの脳裏に邪な考えがよぎるが表情に出すことはしない、デキるメイドはポーカーフェイスも完璧なのである。
「とりあえず帰って汗流して昼食、そしたら歴史学の勉強の時間です、さっさと帰りましょ~!」
「うぅ……勉強……? やんなきゃ駄目?」
「当たり前ですよ! まーくんは次期当主なんですから体鍛えてるだけじゃ駄目! 歴史に算術政治学に経済学! 勉強しなきゃいけない事は山ほどありますよ~? さぁ、帰ると決めたら屋敷まで競争っ!」
「うわっ! ズルい! ちょっ、待って!」
言うが早いか脱兎の如くに走り出すラスティ、慌てて追うが足がもつれたように上手く動かない、どうやら自分で思っていたよりもダメージの根は深いようだ。もしやこれを見越してラスティは……?
「ほ~らほら! 早く早く! ラスティちゃんが勝ったらまーくんの分のお昼のお肉は頂いちゃいますよ~!」
「ちょっ! それは駄目! なら僕が勝ったらどーすんのさ!」
「う~ん……、そうですね、お風呂に一緒に入ってお背中流してあげちゃいましょう♪」
「んなっ! それ勝たせる気無いでしょ! そういう冗談はやめてって言ってるでしょーが!」
「あはははは! 早くしないとお肉は貰っちゃいますよ~!」
からかわれているやらどうなのやら、それは逃げるラスティのみが知る。ただ、一瞬の躊躇が勝負の命運を分けることがある、その事実を身を持って知れたことは昼食程度の授業料ならお釣りが来るといってもいいであろう。だが、実際に昼食を独り占めしたのは横から全てを追い越して行ったヴィル……。マルスもラスティも勝負の世界はかくも非情なものなのだということを痛いほど思い知らされたのであった。
……
「お~、ここに居たんだな、今日は代わりを頼んで済まなかったな。それでどうだったラスティ、マルスは凄いだろう?」
食後の紅茶を啜りつつラスティがゆ~っくりとフリードに向き直る。その瞳は心なしか澱んでおり、恨みがましい視線を送っているようにも見えるが……。
「……まーくんがあんな凄いなんて聞いてなかったですよ、私体がもちませんよあんな激しいの」
「お前はちょっと言葉の選び方を気ぃ付けろ、周囲にあらぬ誤解がうまれんだろが、んで、そんなに凄かったのか?」
呆れた表情で厨房から出てきたダグラスが突っ伏したままのラスティの頭を小突く。言われてみれば確かになるほど、周囲の椅子に座る皆が興味深そうに聞き耳を立てている。時や場所が変わろうともゴシップの類いは人々の最高の娯楽なのだ。
「端的に言えば『化け物』、無限のスタミナと頑強さで倒しても倒しても立ち上がる、しかも起き上がる度に怪我も疲労もしてるはずなのに技のキレが増してくんですよ? あれが現役真っ只中の熟練の達人ならともかくたった十歳でです、まーくん成長したら何になるんですか? 翼と角が生えて飛んでいったとしても私は納得しますよほんと」
「はははははは! それ程か! そりゃこれからも鍛え甲斐があるな! お前ほどの実力者の御墨付きだ、私の親バカだったって事じゃないのが証明できたな」
「親バカなのは事実でしょ? ってか成長したらおやかたさまがもう一人……みたいな感じになるの? 一体何をしようとしてるの? 世界征服?」
「なに、ただ私はこの領の、この国の未来を守りたいだけだ。マルスがどう考えるかは分からんが……だがあの子は聡明だ、きっとよい未来をもたらしてくれるだろう」
よい未来……と言われて宙に視線を泳がせるラスティ、確かに十歳とは思えないほどにマルスは所作も考え方も成熟しているように見える。だがこと戦闘に至ってはどうだろうか? 野生の獣のような貪欲な……いや、かと思えば恋に恋する乙女の如くに情熱的な? 本能に忠実に貪欲に強敵を求める戦闘狂、果たしてマルスはこの領に、いや、この国に納まりきる器であるかどうか……。
「フリード様! 大変です!」
「どうした! 何があった?」
「坊ちゃまが! マルス様が目を離した隙に脱走を!」
それ見たことか、まずは部屋の中に縛ることすら出来ていない。慌ただしく部屋を出て行くフリードを見送り、ラスティは紅茶のおかわりを楽しみながら日溜まりでの午睡を楽しむのであった。




