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料理長の賄いクッキング

「ああぁ……はぐれちゃった……」


 マスクル邸の広大な敷地の中、マルスとヴィルは途方に暮れていた……。屋敷内を案内し、先導してくれているラスティについて回っていたのだが……、曲がり角の手前で調度品に気をとられたのが運の尽き、慌てて追いかけて戻ってを繰り返す内に元の場所が分からなくなってしまっていた。


「はぁ……はぐれた時はその場から動かずが鉄則なのになぁ……なんだよあの彫像……『ひしめく大胸筋』って……存在が卑怯だよ、絶対見ちゃうじゃんか……」


「キュゥ……」


 嘆いてももう遅い、迷ってしまったのは仕方ないとしてどう合流するかを考えなければ……。だが来たばかりの広大な屋敷で互いに探し合いの追いかけっこ、合流など出来る気がしない……。


「ヴィル……匂いで探すとかは……?」


「キュゥ……キュルル……」


「無理だよね……はぁ……」


 この事態を招いたのは自分の落ち度、見た目は十歳でも前世も合わせれば二十歳オーバー! 持てる知識をフル活用して……と、ここまで考えてはたと気付く。……前世の記憶、筋トレと格闘術、そして入院生活の知識しか無い。

 実際幼少時の病を患う前の記憶もあるが……前世でも朧気だった上に今世の自分の年齢より下だった頃の思い出など参考にはならない。考えれば考えるほど解決策は見付からず、そして頭を使うと腹も減る……。情けない音を立てるお腹をさすりヴィルと顔を見合わせ溜息一つ……。


「おっ? 坊主、見かけねぇ顔だなぁ、どうしたんでぇ?」


 項垂れるマルスとヴィルに通り掛かった壮年の男が声をかける、年齢はフリードと同じ位だろうか? 立派な口髭を蓄えた男が野菜を満載した籠を抱えこちらを覗き込んでいた。


「あっ、いや、あの……屋敷の案内をして貰っていたんですがはぐれてしまって……」


 笑顔で答えたマルスだがまたもや腹から情けない音が……。顔を真っ赤にして腹を押さえるマルスを見て男が厳つい顔をにぃっと歪める。


「がははははは! 腹が減ってんのか! いいだろうついてこい、美味いもん食わせてやるよ!」


「いっ……いや、そういう訳にはっ……!」


「なぁんだぁ? ガキが遠慮しちゃいけねぇよ! さぁこっちこい! そっちのでかぶつも付いてこい!」


 迷子になったと思いきや今度は人攫い、なかなかに退屈しない屋敷のようで……。だが歩き回って腹ペコのマルスとヴィルには渡りに船、ラスティには悪いが腹が減っては戦は出来ぬ、ひとまずは腹を満たしてから改めて考えるとしよう。


「そんじゃ坊主、嫌いなもんとかはあんのか?」


 男がエプロンを装着しながら慣れた手付きで包丁を研ぎ棒に滑らせる。立派な厨房に沢山の机と椅子が並んだホールが併設されているこの部屋は、恐らく使用人達の食堂……、男はどうやらこの厨房のコックのようだ。


「いえ、好き嫌いはありません……でもこの子には出来たら肉か魚を……本当にありがとうございます、えっと……」


「そういや自己紹介がまだだったな! 俺ぁこの屋敷で料理長をやってるダグラスってぇもんだ、そんじゃちぃっと待ってな! 腕によりをかけてやっからよぉ!」


「僕はマルスと言います、この子はヴィル、今日からこの屋敷に住むことに……」


「んん? ってこたぁ……坊主が今日から来るってぇフリードの息子か? なぁんだ、それを早く言ってくれよ! ってこたぁあれか? 敬語とか使った方がよかったか?」


「いえいえ、気を使わないで下さい! 余り堅苦しくなられても息苦しいので……」


「そうか? ならこっちも助かるな! がははははは! んじゃそっちも敬語はやめてくれよ? 背筋がむず痒くなっからよ!」


 雑談をしながらも見事な手つきで料理を仕上げてゆくダグラス、次第に食堂内に馨しい香りが立ち込め、鼻をくすぐるその匂いに腹がきゅうくるるとヴィルの鳴き声のような音を立てる。


「はいよ! まかないだが味は保証するぜ! 夕飯にゃあもっと豪勢なもん作ってやっからよ!」


「ありがとうございます! いただきます! ! うわぁ……美味しい!」


 出された料理はなるほど賄い飯と言うだけあって具材の取り合わせが面白い、例えるなら……お婆ちゃんが作ってくれた炒飯といった感じだろうか? だが見た目に反して味は抜群、意外な材料の組み合わせを見事に纏め上げている。パッと作ってこれならば今日の夕飯は大いに期待できそうだ。


「そういや坊主が例のお坊ちゃんってこたぁ案内役はラスティか?」


「はい、だけどどこに行ったら合流出来るやら……ほんと自分が情けないです……」


「ならここで待ってりゃ大丈夫だ、はぐれて一時間位だろ? ならそろそろ……」


「うあ~! 料理長っ! お腹減った~、何か作って~」


 ダグラスが言い終わるが早いか食堂の扉が開かれ、勢いよく転がり込んで来たのはラスティ。ヨロヨロと覚束無い足取りでマルスの隣に着席し、呆然とするマルスと目を合わせ『やっほ~』とばかりに掌をひらつかせた。

『ひしめく大胸筋』


 流浪の彫刻家、エンリケ・ルガーの作品、ひしめき合うように彫刻された大胸筋の群れが力強さをよく表している名作。

 代表作に『躍動する腹直筋』『哀愁の大臀筋』等人体をテーマにした作品が多数ある。

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