閑話:マルスの魔法修行
「魔法の練習?」
いつものようにヴィードラにあしらわれ、湖畔に大の字になったマルスが息も絶え絶えに尋ねる。
『うむ、魔法だ、見た所お主は人並み外れた魔力を有しておる、ならば魔法学を修めぬ道理はあるまい?』
マルスの頭を撫でつつ微笑むヴィードラと対照的に不満げなマルス、その様子を見て意外とばかりにヴィードラが眉をひそめる。
『なんじゃ? 折角才を有しておるのにそれを振るうのが不満か?』
「そういうわけじゃないけど……」
『生活する上でも覚えておいた方が楽であろう? 火起こしや飲み水の確保、土魔法を使えば農地の開拓も……』
つらつらと並べ立てる案にもマルスはまだまだ乗り気でない、なぜこうも頑ななのか……この年頃ならば魔法に興味があるのが普通……いや、我が俗世に関わらぬ内に価値観が変わった……? 悩めども理由は見付からずヴィードラが頭を悩ませる、と、ふとヴィードラの頭にマルスを動かす名案が浮かぶ。
『マルスよ、生活に利用できる魔法を覚えればそちらを時短出来た分トレーニングに時間を割けるぞ?』
ヴィードラの言葉にマルスがハッとした表情を浮かべ、先程までの満身創痍ぶりが嘘のように飛び起きる。
「ヴィードラ! 魔法を教えて!」
『うむ、よいよい、才ある者に相応の技術を授けるは世界の発展にとっても有益だ、埋もれさせるには余りに惜しいものであるにな』
マルスの輝く瞳を覗きヴィードラがしめしめと心の中で舌を出す、マルス位の年頃の子供ならば魔法に興味があって然るべき、折角才能を持って生まれたならば伸ばしてやるのは先達の義務。
……とまあ理由を並べて見せるが実の所は『底知れぬマルスの魔力に興味がある』だ。漏れ出る魔力からマルスが規格外の魔力を宿しているのは分かる、だがそのマルスが全力を出して魔法を放てばどうなるか……悠久の時を生きるヴィードラ達神族にとっては未知とは最大の娯楽である、果たしてマルスは人の身でありながらどれ程の力を有しているのか……。
『まずは属性じゃな、どのような属性があるかは知っておるか?』
「地水火風に光に闇だっけ?」
「そうだ、それに加えて空間、時空、位相魔法などの無属性を合わせ七属性が魔法の根幹を成しておる、まずは初級魔法からじゃな」
ヴィードラが指を器用にパチンと鳴らすとその爪の指す宙空に火球が現れる、興味深そうにそれを覗き込むマルスをからかうように、ヴィードラが火球を人魂のようにあちらへこちらへと泳がせる。
『これは初級の火魔法、点火じゃ、魔力の操作次第で大きくも小さくも出来、熟練すれば自在に宙を飛ばすことも出来る』
「魔導師の人が使ってる火球じゃないの?」
『あれはこれの応用じゃな、火球を大きく成長させ指向性を持って飛ばす、槍の形にすれば炎槍、火力と密度を上げて壁状にすれば炎壁、魔力操作の緻密さや使用魔力の大きさにより魔法のランク付けがされているだけで基本は変わらぬ同じものじゃ。まずは詠唱しながらじゃの、え~っと……点火はどうだったかのぅ……』
「出来た!」
『ふむ、出来たか……ぬぬ!?』
ヴィードラが驚き振り返ると確かにマルスの人差し指の先に燃え盛る火球が……。だがその大きさは断じて点火のサイズではなく、火球をも超え一般の上級魔法クラスの……。
『くっ……ククク……クハハハハハ!! 才があるとは思うたがよもやこれ程か! よし! 次は水球、次いで風刃じゃ!』
上機嫌のヴィードラが次から次に魔法の仕組みを教えマルスがそれを実践してゆく。こんな愉快なことがあろうか? 今日魔法を覚え立ての子供が一級の魔導師顔負けの魔法を放ち、まして常人なら倒れるほどの量の数十倍の魔力を使用しながらまだ魔力の底が……いや、その総魔力の上澄み程度しか見えていないのだ。
『どうじゃ? 魔法というのも楽しかろう?』
「確かに……少し……面白くなってきた……っ!」
『よしよし! この調子で次は合成魔法じゃ! 地水火風のどれでも良い! 二、三選んで合成してみよ!』
マルスが勢いのままに四属性の魔法をその手の中で圧縮し始める……ここまできてヴィードラがふと気付く、合成魔法は単なる足し算ではない、反発する属性魔力を押さえつけ、その半ば暴走状態の魔力を指向性を持って放つ秘技、その威力たるや何倍どころの話では無く何乗もの威力……そして規格外のマルスの魔力……。
『い、いかん! マルス! ちょっと待……っっ』
ヴィードラの制止虚しく解き放たれた魔力の奔流がその鬣を焦がし、聖域の強固な結界をガラスのように割り砕き、遙か彼方の山脈の七合目から上を跡形もなく消し飛ばす。
『ぬかったぁ……ちと調子に乗りすぎたか……』
消失から数瞬、衝撃波が辺りを揺らし、遅れて凄まじい轟音が響き渡る。やってしまったと頭を抱えたヴィードラがマルスの方を見やると自らの両の手を見つめ小刻みに震えている……。
仕方ない、調子に乗りすぎた自分が悪い、これ程の威力の魔法……子供が扱うには少々刺激が強すぎたか……これで魔法に対する恐怖心を持ってしまわねばいいが……。
『ま、マルス? 大丈夫じゃ! 結界も元に戻せるし山もすぐに修復して見せよう! あの山に人間の反応も無かった、恐れる事は……』
「ど……どうしよう……」
『じゃから気に病むでない、事故のようなもの……』
「どうしよう! 今の音と地震! 絶対屋敷の皆起きてる! 外出がバレちゃう!!」
『あっ……そっち……?』
自らの放った魔法への恐怖どころではない、そんな些事に構っていられない程の恐怖、母上のお説教が目の前に迫っているのだ。
「ヴィードラ! ごめん! すぐに帰らないと! 結界壊してごめんね!」
『お、おぅ……気を付けて帰るのじゃぞ……?』
脱兎の如く駆け出すマルスを見送り、思い出したように山と結界を修復し一息ついたヴィードラが盛大に笑い出す。
よもやこれ程か! 人の身でありながらなんたる力! なんたる才能! もしやこれは鍛え上げれば神の領域まで至るやも知れぬ! 長生きはするものだとヴィードラはマルスと出会えた幸運に感謝し天を仰ぐ。
『マルスならばあれほどの力であろうとも正しく使う事が出来るじゃろう……ん? どうした?』
目を閉じ、余韻に浸っていると何やら騒がしい息子達……?
『む? 何? 鬣……? ぬわぁっ!? 火っ! 火がっっ!!』
慌て湖に飛び込みチリチリになった鬣を見つめ、ヴィードラは今一度自らの好奇心からの短慮を深く深く反省するのだった。




