神獣
「よっし、今日も大漁大漁!」
初めての狩りから半年、毎日の日課と化した魔物狩りにて今日の獲物は突撃猪、少々小ぶりではあるが十分な大きさ……そう、彼等と分け合うのにも……だ。
キュイイイィィィィイ! キュイ!
「ちょっと待ってね、すぐ切り分けてあげるから」
黒羆の一件の際に出会った巨大カワウソ達、あの時の肉に味を占めたのか狩りの度に肉をねだって近寄ってくるようになってしまった。
「う~ん……やっぱ餌付けはまずかったかなぁ……」
キュイッ! キュイイ?
失敗したかとは思うが、後悔の気持ちも嬉しそうに肉を頬張るカワウソ達を見ると吹っ飛んでしまう、前世では病院暮らしからの自宅療養、ペットを飼う余裕や余地は無かった。今世でも屋敷に馬や家畜の類いは居るが自分のペットとなると持った試しは無い。
それが動物園の映像等で眺めて密かに憧れていたカワウソ、それもこんなに人懐っこくて巨大……これはもう全力で愛でる以外の法はあるまい。
「はぁ……可愛いなぁ……まあ森からは出てこないしちょっと位はいいよね」
無防備に腹を見せてくつろぐ姿を見せられては言い訳をする気持ちも雑念にしかならない、ただただ柔らかな毛皮に顔を埋め毛並みを楽しむ以上に価値ある事象はこの世に存在しないだろう。
キュウゥ……キュイッ! キュイッ!
「ん~? どうしたの?」
普段なら満足いくまで寛いで森に帰って行くカワウソ達が今日に限っては何か訴えかけるように忙しない、仕草を見るにどうやら森の中に連れて行きたいらしい。
キュッ! キュウウゥウ!!
「あっちに……何かあるの?」
先導する一頭の後を追い、じゃれつき離れぬ二頭を両肩に担ぎ上げ森の中を進んでゆく、体長2メートル程に成長した彼等は相当な重さであるが気に留めること無く涼しい顔で森をかき分けるマルス。どうやらウエイト機材に乏しい環境で彼等とのじゃれ合いはよいトレーニングにもなっているようだ。
「っとと、ちょっと、早いよ! もう少し速度を落として……へっ? わあぁぁぁああ」
藪をかき分け視界が開けた瞬間、マルスが感嘆の声を漏らす。目の前に広がる光景を表現するならば……『楽園』……もしくは『聖域』……?
湖の中心に佇む樹齢数千年はありそうな巨木、満開となったその浅黄色の花びらが舞い飛ぶ中を夜光虫が幻想的な光を灯しながら飛行している。月明かりの中水面に鏡映しに映し出されるその光景はどこか儚くも美しく、そこが神の座所と言われても信じるほどに荘厳な雰囲気を醸し出していた。
「凄い……こんな所があったんだ……」
キキッ……キュルルルルル……
目の前の光景に目を奪われ立ち尽くすマルスの後ろでカワウソ達が何かに傅くかのように頭を垂れる。同時に周囲から音が失せ色が失せ、何やら大きな……いや、大いなる何かがそこに坐すことが感じ取れる。
小さき者……強き者よ……聖域に踏みいるは何用ぞ?
穏やかな声が空間内に……いや、マルスの脳内に響く。重圧に指一本動かせずその場に釘付けにされているが不思議と不快感は感じない。恐ろしく強大な何かが潜んでいるその気配は感じるが、敵意や悪意が無いのをしっかりと感じ取れるからだろうか。
ふむ……どうやら我が子らが世話になっておったのはおぬしか? ならば……礼をせねばなるまい……小さき者よ、望みを言うが良い……富か? 権力か? そなたの望む物を願うが良い……
願い……マルスは考えられる可能性に思索を巡らせる。どうやら声の主はこのカワウソ達の親らしい、聖域……と言った辺りこの周辺の土地神か精霊か何か……? 雰囲気からいって害は無さそうだが……。
どうした? 恐怖で声が出ぬか? 安心せよ、我は禍神に非ず、なにも代償をとりはせぬぞ?
「なら……一つお願いを聞いて頂いてもよろしいでしょうか?」
うむ、なんなりと申すが良い
土地神らしき声の主……今の状況を鑑みるに恐ろしい力を持つ存在であることに違いない。願いを聞くとは言うが、もしも試されているのだとすれば間違った返答をしたらばその末路は想像に難くないだろう。果たしてマルスの答えは……。
「僕と……立ち合って頂きたい!」
よし、願いを聞き届け……んん!?
声の主が思わぬ回答に絶句する、立ち合い……? 神たる……我と? 余りにも不躾で厚顔不遜な返答。だが、言った当人の表情に一点の曇りも無くその表情は夏の青空のように爽やかである。
その目的を図りかねて今一度声の主がマルスを観察している気配がする、が、言葉以上の思惑は読み取れない、ただ、期待に満ちたワクワクとした表情でこちらを見詰める少年が居るばかり……。
……立ち合い……とは……つまり……我と戦いたい……と?
「はい! 是非ともお願いします!」
ふっ……くくく……ふはははははははは!! そうか! 面白い! 小さき強き者よ! よかろう! この聖域の守護神たるヴィードラがおぬしの相手をしてやろう!!
期待に目を輝かせるマルスの前で湖面がにわかに泡立ち、水面を押しのけて巨大なカワウソが姿を現す。
黄金を思わせる金色の瞳に流れる滝を思わせる滑らかな白銀の体毛、その体毛に鮮血のように鮮やかな紅い魔法文字が無数に浮かび上がる。愉快そうに開かれた炎のように赤いその口には戦斧の刃の如き牙が並び立ち、両の手には騎士槍よりもまだ大きく鋭い爪が伸びている……だが、それらを見ても恐ろしいという感想が出てこない。
ただただ荘厳にして偉大、絢爛にして艶やか、可憐にして愛くるしい。10メートルを優に超えるその体躯を揺らし、岸に上がったヴィードラがその襟首に纏う鬣を大きく振るわせた。
『さぁ小さき者よ、存分にその力を振るうがよい……我も久し振りに暴れさせて貰う、さぁ! 存分に楽しもうぞ!』
「さあ! 戦りましょう!」
言うが早いか地を蹴り駆け出したマルスが渾身の溜めを込めた突きを繰り出す、が、巨大に似合わぬ俊敏さで躱したヴィードラがお返しとばかりに爪を振るう。
凄まじい風切り音を立て通過する鋭爪、遅れてきた暴風に耐えるマルスに続けて尻尾が襲いかかる。
『ほらほら、逃げていてはつまらぬぞ? もっと力を振るうがよい!』
「では……お言葉に甘えてっ!」
ヴィードラの挑発にマルスの技のキレが増す、縦横無尽に繰り出される突き、蹴り、手刀……だが、その全てが躱され、いなされ、ヴィードラの体に届かない。
これまでに培った力、技術、その全てをぶつけて尚も拳は届かない、これまで相当な数の魔物を狩ってきた、自らより巨大な相手を屠ってきた。だがヴィードラは強さの桁が違う、例えるならば釈迦の掌の孫悟空、決して届かぬように感じる程の高み……だが、それを感じて尚マルスの口角は引き上がる。
(楽しい! 楽しい! なんてでかいんだ! なんて強大なんだ! まるで伯父上を相手取るような重圧! 自分の全てをぶつけても尚高い壁! 最っっっ高だ!!)
まだ七歳ながらにしてマルスの力は他の追随を許さない、深夜の魔物狩りを始めてからはそれは更に顕著になり、今や屋敷内でまともにマルスの相手が出来るのは当主であるダリス以外には居ない。
だが、領主という立場上ダリスはそうそうマルスの相手に時間を取られる訳にもいかず、マルスは有り余る力のぶつけ先を見失っていた。
少年は常に渇望している……自分の全てをぶつけてもいい相手、自分の全てを受け止めてくれる相手……。嗚呼、今日はなんと素晴らしい日であろうか! ここまで強大で堅牢で雄大で……それに可愛い。もしも永遠というものがあるならば……どうか、どうかこの戦いを無限に繰り広げていたい……!
……だが、少年の願いは儚くも崩れ去る、夢を踏みつぶすそれは巨大な肉球の形をしていた。
『ふむ……これで終いじゃろうかな?』
「ゼェ……ゼェ……ま、まだ……まだぁ……」
巨大な肉球に大地に縫い付けられ息も絶え絶え……だがその目から闘志は消えていない、しかし闘志に応えるはずの肉体は満身創痍、もはや指一本動かすこと叶わない……。
『ははは、活きのいい童じゃ、だがこれ以上はいかん……死するにはそなたは若すぎる、生き急ぐでない』
「ゼェ……ハァ……だって……ハァ……もっと……」
『ふふふ……我も久々に楽しかったぞ、だが褒美で我が楽しむではいかぬな……。小さき者よ再び問う、汝の望みを言うがよい』
満足そうに笑うヴィードラが再び問う、肉球から解放され、大の字で動けぬマルスが瞳を輝かせて満面の笑みを浮かべる。
「ゼェ……なっ……ならば再戦を! ハァ……まだっ……戦い足りない……ゼェ……もっと……もっと……ケホッ」
『ぷっ……くくく……はははははははは! お、おぬしは……くくく、救いようのない阿呆じゃのぅ! くくく……いや、大物と言うべきか? よかろう! ならば……』
可笑しくて堪らないという様子で笑うヴィードラが自らの額をマルスの額にくっ付ける、するとどういう原理であろうか? ヴィードラの全身を覆う魔法文字の一つが意思でもあるかのようにマルスの額に移動し吸い込まれていく。
「……? 今のは一体……?」
『おぬしに神威を与えた、この場所は元来人が来る事叶わぬ場所、じゃが神威を持つ者ならば結界を抜けることが出来る。いつでも自由に訪れるが良い、おぬしが来れば子供らも退屈せずに済むでな』
マルスに癒しの魔法をかけながらヴィードラがにっこりと笑う、自らがマルスの事を気に入った……というのもあるだろうが、どうやらやんちゃ盛りの三兄弟の相手をさせたいという思惑もあるようだ。だがそれはそれでマルスにとっても願ってもないこと、二つ返事で了承するマルスに満足そうなヴィードラだったが……、ここから休み無く毎日挑戦に来るマルスに三兄弟の相手以上に疲弊させられることにまだ気付いてはいないのであった。




