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作家には向かないだろう私。

作者: 無花果

想像力が豊か?違う。これは、勝手に動き出す制御の効かないもの。

なんて言えばいいのかな?

私は時々、物語が思い浮かぶ。


それは言葉、例えば矛盾。

 盾と矛の話に、第三者として鉄砲とかが間に割っていったらとか。


 世の中の常識が原因となっている問題点について考えて、そもそも問題点が問題にならなかった場合はどうなるのかとか。


 そういうことを考えると、最初はいくつかの単語や概念だけのはずだったのに。

 気がつけば単語同士が適切な位置取りをし始め、物語として勝手に脳内で進んでいく事がある。毎回、起きる現象ではないけれど。


 それを小説や物語として、世の中へと広めようと思うことはある。

だけれど、気づけば物語は勝手に収束する。


 何度か、思い浮かぶ物語を、その映像を言語化し小説として形に残そうとしたことがある。が、小説として書き残すよりも早く脳内の物語が完結してしまう。


 食べ物で言えば、この物語は刺身だ。

鮮度がモノを言う。まだ終わりの分からない物語なら、書き続けようと思えるし食べたいと思える。だが、終わりや完結が分かるとあっさりと情熱が冷め、見た目の鮮度も落ち美味しそうには見えない。


 他人は知らないけれど、わたしはその話を知っている。ならいいか、となる。


 周囲へと広めるとすれば、その為の行動が。気力が、熱や情熱が必要だ。

 私には、そこまでの手間をかけたくないし、自身が認識しているなら、もういいかとなってしまう。


 そうして私の脳内には、幾つだろうか?何個かの物語が転がっている。


私がそういうタイプだからだろうか?

 小説を書くのは、知っていることを書いていく、見た映像を言語化するという意味で、退屈に思えてしまう。


 もしかすれば、私が見た物語は面白いのかもしれない。だけど、それを周囲や広範囲に知らせるにはそれを空想させる為の言語や言葉回し、所謂技術が圧倒的に不足している。


 私が既に見た物語よりも、未知の世界について体験することや新しい知識、概念を用いた知ることの方へ時間を使いたい。


 というより私が脳内で見た物語や映像を他者が見る事が可能な装置があればいいのに。誰か作ってくれないだろうか?話がズレたか。


そんな私は生き方として、作家は向いてないように思える。

時々、こういう事があるんですよね。


風呂場で考えてると、勝手に数人のキャラが喋り出して掛け合いをする。文字で起こそうとしても、完全に覚えてないし、遅すぎること。少し覚えてる単語を書くけど、会話の全容は忘れている。何度も悔しい思いしたな。


そんな過去の出来事。多分、ある人にはある事なんじゃないかなぁと。


今まで同じ経験した人は、知り合いにはいなかったけど。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いですね。たぶん私にはそういう世界には行けないかも。表現するうちに色褪せてしまう感じはあるかなぁ。絵にしてみたらどうでしょう。他の人にない感覚は大事だと思うので、ぜひ脳内から取り出して…
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