クロアゲハの夢
朝はそっと起きる。
俺には目覚まし時計を鳴らす必要はない。いつでも意識した時間に起きられる。
その地味な特技が、妻の負担を軽減させれたのは、普通に良かったと思っていた。
静かにコーヒーを淹れ、食パンを焼く。
多めに作ったコーヒーはポットに入れて職場で飲むのだ。
ふう。
体を伸ばした。
ここは自然が豊かだ。
小川があり、クロアゲハがそこここに舞っている。
都会に、というよりも流行りのウィルスでの閉塞感に疲れて、昔釣りに来た場所に車で1人で来た。
結婚して子供が出来ると同時に、妻が俺の書斎兼趣味の道具置き場を子供用品の置き場所にしたいと言ってきたので、釣り具は売ってしまった。
本も全部古本屋に売った。
何もなくなった書斎を見た時に妻は黙り込んでいた。
妻は何か言いたかったようだが、結局何も言わなかった。
部屋を明け渡したのに、そんなに子供用品で溢れることはなかった。
しかし、子供が大きくなれば、また違うのかな。
月に3万の小遣いは、これからの子供に必要だと思って2万を返し、子供のために溜めておいてくれと言った。
昼の弁当も断った。会社の近所の蕎麦屋で300円だから、一ケ月間足りる。時々飲み物も買えるし。
妻はやはり微妙な顔をした。
会社帰りの飲みも断っていたから、子供にミルクを与えて、お風呂に入れてやることも出来た。眠りは浅い方だから、子供が泣けば抱き上げて外に散歩に出ることもあった。
ミルクが欲しければ作ったし、オムツが汚れていたら替えていた。
自分でも子煩悩だと思う。
家庭でも子育てで疲れている妻をあまり負担を掛けないように、朝ご飯は食パンを焼き、コーヒーを多めに入れて、朝ご飯に飲んで、残りはポットに入れて会社に持って行っていた。
俺は常に良い夫で良い父であろうとした。
それが夫婦であり家族であると信じていた。
たとえ、子供の血液型が俺たち夫婦にはありえないとしても。
たとえ、子供が俺に似ず、何故か髪がカールしていたとしても。
俺は何も言わずにただ、世間で言われる良い父で夫であることを貫いた。
妻の両親は子供が生まれた時から、俺とは目を合わせなくなった。
俺の両親は、なんだか苛立ちを抑えているようだが、俺自身が淡々と家族の生活をしているのを見て何も言わなかった。
しかし、子供が可愛い盛りの3歳の時に、泣きながら勝手に自白した。ん?自爆か?
そして、妻の両親と子供を連れて離婚をして、俺の人生から去って行った。
慰謝料と、預けていた通帳と子供用に作られた毎月2万円振り込まれている通帳も置いていった。
通帳を見ると結婚したばかりの頃は、随分と金遣いが荒かったようだが、子供が生まれてからは、妻の小遣いはなかったんじゃないかと思うくらい最低限しか手が付けられていなかった。
結婚して4年。子供が3歳。
俺はどうすれば良かったのだろう。
川べりの岩に座り、どの辺りに魚が居るか無意識に探していた。
蝶が舞っている。
それをぼんやりと見ていた。
魚が居そうだと当たりを付けていた水面から魚が飛び出し、蝶を咥えて水の中に身を翻した。
ああっ!
俺は瞬時に捕まった蝶になり、水の圧力で羽根が千切れるのを感じた。
そして、喰われて身体がバラバラになっていった。
魚は千切れた俺の身体を余すことなく喰い切った。
我に返ると水面は静かで、蝶も居なくなり日は傾きかけていた。
そして、いつの間にか涙を流していた。
初めて怒りが湧いた。悔しさが湧いた。悲しみ、苦しみが湧いた。
川に向かって子供のように声を出して泣いた。
俺は怒っていたのだ。悔しかったのだ。悲しかったのだ。苦しかったのだ。
そして、家庭に妻に子供にそれらを取り巻く環境に絶望していたのだ。
怒鳴り声がずるずると口から吐き出される。
息も絶え絶えになりながら怒鳴り泣き続けた。
そして、月が昇ろうとしていた。
陽が落ちると、川の流れる音が一層増す。
座り続けた岩から立ち上がった。
周りは川の音とカエルの鳴き声。時折魚のジャンプする音。
冷たく気持ちの良い夜気を吸い込んだ。
帰るか。
足元は暗く、なんとか白く浮き上がる石を辿って川べりに着いた。
土手を登った時に、歩き出してから静かになっていたカエルが再び鳴き出した。
それに、なんとなく笑いながら駐車場まで歩き、車に着いた。
車の後部座席の下に詰めてあった練炭を、外に出す。無断投棄だな。許してくれよ。
ガムテープは何かに使えるだろうと持って帰ることにした。
車に乗る。
買い替えようとか相談していたが、結局そのままだった独身時代からの自分の車である。
車を走らせる。
あのマンションを売ろう。家具も調理器具も売ってしまおう。全部引き取ってもらおう。
家電なんかは、使ってないのも多かったな。パンを作る機械とか、アメリカ製のジューサーとかミキサーとか。
それから、もう一度独身をやり直そう。
釣竿を買おうか。
だんだんと都会のビル群が見えてきた。
それは残念な光景だけれど、同時に戻ってきた妙な安心感もあった。
「孤蝶の夢」か。
呟いた。現実も幻も紙一重。
自分らしく自然に生きられたら、何にも縛られずに自由になるだろうって意味だったか。
俺は縛られていたのか。縛っていたのか。
まあ、心を失くしても生きなきゃいけない時もたまにはあるって事だな。
俺の意識がクロアゲハになって、魚に喰われて死んだから、俺の中の消えてしまいたい。
という気持ちが納まったのだろうか。
分らないが、荘子の胡蝶の夢はそんな意味ではなかったはずだ。
しかし、少しだけ気分が晴れていた。